カムイ伝講義: カムイ伝のむこうに広がる江戸時代を読み解く (単行本)

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784098401130

感想・レビュー・書評

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  • 思っていた江戸時代とは全然違った。
    2008年発行なのだけれど、今からでもまだ間に合うだろうか。

  • 実在の江戸時代と比較検証する真面目な一冊です

  • 僕がこの本に出会ったのはとある町の古本屋で、今回この記事を書くために再読していると、当時のことがありありと思い出されてきて、少し複雑な気持ちになりました。カムイはやはり、今も我々の近くにいます。

    僕がこの本に出会うきっかけとなったのは2009年に仕事の関係で一ヶ月ほど東京に滞在していた時に貪り読んでいた白戸三平の『カムイ伝 全集』がきっかけでした。本編のカムイ伝と平行してとある古本屋でこれを見つけたのがきっかけで、今回記事を書くために再読してあんまりここでは触れませんが、そのときにあったさまざまな出来事があって、少し複雑な気持ちになってしまいました。

    カムイ伝については不朽の名作であることは当然こととして前から読もう読もうと思っていたけれども、なかなか読めずじまいで、仕事の合間合間に暇な日がはさまれていて、偶然、近くの図書館に『カムイ伝全集』を揃えてあるところがあって、この機会だから読んでみたいと思っていたので手にして読んでみることにしました。

    その内容は衝撃的でした。漫画という表現媒体を通してここまで差別や階級闘争を徹底して描けるものなのかと。そしてその合間合間に詳細に描かれる人々の生活や産業、商業にかかわるさまざまな『知恵』にも深く言及されていて、僕は打ちのめされたことを覚えています。しかも何十年も前の作品であるという事実も僕にはとても信じられませんでした。当然、今以上に検閲も激しかったはずである。

    そして、僕が驚いたのが今日の格差社会のことを暗示するかのような『お上』とのすさまじいまでの階級闘争が描かれてあったことでした。この本の基になったものは大学の講義としてまとめられたもので、百姓がただ単に農作業に従じていたわけでもなく、蚕を育てて糸を作っていたり、商人と提携して流通の経路を広げようとしたり、一揆によって、自分たちの意見を『上』に通そうとするなどの多様な『生き方』をこの本を読んで理解を深めることが出来ました。

    マンガの本編を読んだあとだとさらに理解は深まるかと思いますが、先に読んでそれからマンガを読んでも、面白いかと思われます。

  • 第2章 夙谷の住人達
    ・(江戸時代は)「国家」概念がいくらか形成されたゆえに、国家秩序のために誰がどういう役割を果たすか、という役割づけがおこなわれるようになる。具体的には、武士は軍役を果たす義務があったので、文武に励まなくてはならなかった(実態は、まったく軍役を果たすことはなくなり、官僚的な事務仕事になった)。農民は一貫して年貢を納める義務があった。職人はやはり軍役にともなうさまざまな道具類を作るべきものであったが、実際には戦争が起こらないので、その能力は布や紙や生活工芸品の生産に使われ、町人や農民の中に吸収されていった。土地持ちの商人は伝馬役などを務める役目があったが、やはり戦争や緊急事態がないので、宿場の商人を除けば、自由であり、基本的には納税義務さえも持たなかった。このように、当初想定されていた役割にもとづく四民の秩序化は、現実の中ではほぼ崩壊しており、貧富の差とも関係なかった。むしろ、武士は貧しく、ある程度職人か、商人化しなければ生きてゆけなかった。農民は盤石だったが、生産構造が大きく転換してゆく中で、食料生産だけでなく手工業品生産も担うようになり、職人や商人の能力ももつようになった。商人は非常に裕福になり、武士に代わって実際の文化創造を担うようになっていった。
    ・江戸時代を単に士農工商と被差別民の身分制度としてでなく、多くの社会グループの存在する時代、その内部が身分制度化されている時代、そして社会グループ相互の複雑な関係を作っている時代、ととらえたほうが、『カムイ伝』の世界を解くことになる。

    第3章 綿花を育てる人々
    ・江戸時代の日本橋には次々と木綿問屋が出現し、都市における木綿の着物は急速に広がっていったのである。一七世紀前半の帆布のような木綿と、一七世紀後半から現れる、着物に仕立てられる絹のような手触りの木綿とは、異なる木綿だったのではないか?
    ・江戸時代の日本は、イギリスと同様にインド、中国、アジア諸国からの輸入品にさらされながら、異なる方向をとった。それは多くの人が職を得て、それをネットワークし、それぞれの現場で集中して働きながら国内でモノを作り出す、という仕組みである。これは速水融により産業革命に対して勤労革命と呼ばれた。江戸時代は大量の職人を輩出した時代で、その技術力が近代産業の基礎になった。日本の技術力は単なる機械力ではなかったのである。

    第6章一揆の歴史と伝統
    ・一揆衆はすぐにそれとわかる姿をした。中世では、袈裟や直垂の袖で頭を包み、顔を隠した。鼻を押さえ、声を変えて発言した。これらは、領主・領民の関係を断ち切って一気に参加していることを、姿形で表現しているのである。我々の時代ではこれらを「変装」と考え、逮捕や権力の追及を免れるためと思いがちだが、一揆は犯罪ではない(少なくとも本人の意識では)ので、そういうことではない。日常の自分とは異なる自分、つまり一揆衆に「なる」のであり、一揆が終わればまた日常のじぶんにかえってゆくのである。
    ・江戸時代の百姓一揆となると蓑を着て笠をかぶり、棒・熊手・鳶口・棹・鎌・まさかりなどを持つ、という姿が一般的となった。あるいは、非人姿となって袖乞をしたり、非人やハンセン病患者の来ていた柿色の衣を着て、アウトローであることを示したという。蓑を着て笠をかぶるという姿も、非人やハンセン病患者の姿も、永遠の旅をするスサノヲをかたどっている、と言われる。やはり日常の自分をいったん離れるのだ。
    ・棒・熊手・鳶口などの持ち物は打ち壊しに使う道具であるが、これらも実際の武器というよりも、農民の象徴として持っていたのではなかったろうか。なぜなら、江戸時代の農民は里に出てくる猪を撃つため銃をかなり持っているはずなのだが、一期には銃・刀・小刀・包丁などが登場しないのである。
    ・一揆には「世直し」を標榜する時代があった。江戸時代後半のことである。これは「世直し大明神様」という宛名で徳政(質、借金の返済を棒引きすること)の受諾書を富裕層に書かせる、という運動であった。この受諾書に反した場合、打ちこわしがおこなわれた。注目すべきなのは、百姓たちが自分たちで世直しをしようとしたのではなく、富裕層に世直しさせようとしたのだ、という点である。また自分たちに徳政を約束させようとしたのではなく、大明神に対して約束させたことである。一揆が世直しなのではなく、世直しできる人たちに、一揆によってそれをさせる、という点である。そこに、神や様々な象徴を媒介してシステムを変えようとする、一揆の特徴である。

    第7章 海に生きる人々
    ・江戸時代の職業について、注目したいことが二つある。一つは、いかなる仕事も専業とは限らない、ということだ。江戸時代の人々がいかに多種多様の技能を一人の中に共存させていたかは繰り返し書いたが、彼らは生活の必要から出てきた生活技能(料理するとか家を修理するとか)のみならず、現金化することのできる複数の職能を持っていたこともあった。(中略)もう一つは、『日本永代蔵』の例で見たように、職能は多かれ少なかれ現金を生み出した、ということである。

    第8章 山に生きる人々
    ・(16世紀には)日本の鉱山開発は砂金採取から、鉱山採掘の時代に入る。戦国時代の激しい競争の時代を迎え、江戸時代では日常の産業となる。つまり、鉱山開発が存在する、というだけで、日本は所謂「鎖国」体制とは異なる状況に置かれていたことが分かる。江戸時代の日本は、世界競争に巻き込まれていたのであり、それがあめに幕府による貿易統制も必要で、鉱山開発も産業の基礎に位置付けられていたのだ。
    ‣中世、日本の銀は元寇(マルコ=ポーロが介在?)、明の銀基準の経済、コロンブスの航海、後期倭寇(王直、つまり鉄砲伝来)、ザビエルの来日(日本の経済力にひかれて。そこ尾からキリシタン弾圧も始まる)、と歴史に大きく関係している。
    ・日本は銀山開発でアメリカ大陸のスペイン人に敗退した。江戸時代に入ってからの1609年、家康はフィリピン提督に、メキシコとの通商と、鉱山技師の招へいを依頼している。(中略)日本の銀は世界競争の矢面に立ち、そして敗れた。それが江戸時代という時代が成立する大きな要因であったことは、もう説明するまでもないだろう。

    第12章 武士とは何か
    ・(水谷三公は)ほとんどすべての代償を払っても、武力行使を回避すべく務めたのは、ここの武士役人だけではない。江戸泰せそのものが武力行使を慎重に回避した。
    ・(その理由は)武士の武力上の特権とは、持っている刀の長さが違う、という程度の特権である。もう一つは、江戸時代は法治体制として国を作ったのであり、軍事体制として作ったわけではない、ということである。

  • 田中優子法政大学社会学部教授の「カムイ伝講義」をやっと読んだ。
    この解説があると理解が深まる。
    Webに連載していたようだ → http://kamui.shogakukan.co.jp/kamui/
    私が年を重ねたということもあるが、
    今度読むときは、最初に読んだ印象とまるで違うだろうと確信した。
    ちょっと今はカムイ伝本編は読む時間がないが…

    カムイ伝の存在を知ったのは中学の頃。
    当時の担任の先生が紹介してくださったが、
    ホルンばかり吹いていて読もうという気が起きなかった。

    次に大学の般教の科学史の参考文献として示され、
    古本屋で「カムイ伝」と「明日のジョー」と共に購入。
    当時は実家から大学に通っている頃で、父も読んでいた。

    カムイ伝本編を理解すれば、歴史の講義は要らないという
    大学教授もいるといっていた、中学の担任の先生言葉はけして
    うそでも誇張でもないと今更ながら思う。

    講義の口絵には「カムイ伝」は時代を超えて「いま」のためにある。
    と書かれている。
    常に歴史に学ぶ視点を持っていかなければならないな。

    正助がリーダーとなって子供同士が地域間で争い、
    彼の策略で相手に打ち勝つ場面がある。
    「おい正助、おまえどうしてそう急にいろんな策が思いつくだ?」
    「ハハハ、学問のおかげだ。」
    「いろいろ本を読んでそれをいかしていくだ。」
    また、農民の子供に文字を教える場面では
    「うんだ。役に立たねえ学問は意味ねえからな」
    とある。

    農民・商人・非人等の働く人々と対比されるのが武士で、
    何も生産せず農民に依存するその姿は、
    自分の食料を確保出来ない現代の日本人に似ている。
    現代は、下級武士がとてつもなく多くなったようともいえるとのこと。
    「毛皮やダイヤモンドの背後にどのような搾取構造が潜んでいるか知らない。」
    と「講義」で書いていることからもいえる。

    著者は新渡戸稲造の武士道をクリティカルに評している。
    全ては各人の認識次第であろう。
    現代への生かし方は、それぞれ著書でいろいろな場面であるはずだ。
    うまく活用していきたい。

  • カムイ伝のむこうに広がる江戸時代から「今」を読む

    以前読んだ第1部を読み返し、第2部・外伝も読みたくなってきた。

    カムイ伝では、穢多・非人を「非人」と呼んでいる。
    史実は、犯罪者の処刑や死体の処理、物乞い・大道芸などは非人の仕事、穢多は牛馬の死体の処理をする皮役、皮革処理・皮細工、灯心売買など。

    関山直太郎
    幕末の人口約3200万人
     武士 6〜7% 
     農民 80カラ85%
     町人(工・商) 5〜6%
     神官・僧侶 1.5%
     穢多・非人 1.6%

    「なぜ死ぬとわかっていながら生きなければならないのか、という疑問」
    「テロ行為・組織も今は世界的に絶対悪として位置づけられているが、資本主義経済の矛盾や不公平・植民地主義と無関係ではない」
    「この世に生きる物はすべて、ふとした瞬間に死んでゆく、実に何気ない」
    「生と死に決定的な違いがあるように思われるが、生き物の視点から見ると生も死も明確な区別はない」
    「食べ物がどこから来るのか知らない、考えようともしない、・・・現代の日本人」
    「武士は何のためにいたのか?・・・今の社会で有用だと思われている人々や職種の中にも、本当は要らないものがあるはずだ。今の社会で無用だと思われている事柄の中に、真に社会や世界の救いになるものがあるだろう」
    「カムイの潜む現代社会・・・この社会は驚くほど変わっていない、階級も格差もますます健在だ」
    「正助のこの向上心と純粋な気持ちこそが、現代まで続く人類の環境破壊の原動力になってきたのではないか」

  • 大学の先生と言っても私とほぼ同世代で漫画から学問(興味分野と云った方がいいか?)のヒントを得たのだろう。教える相手は碌に本を読まない連中。白戸三平のカムイ伝は教える方,教わる方の両者にとって格好の教材となる。架空の日置藩のモデルに近いものはないか・・非人と云っているのが実際には穢多であること,穢多にもヒエラルキーがあること。山に住む人々,百姓の生き様,結団力,武士は今の世の日本人ではないか。生きるために何をした・・という問いかけ。若者訴えかけるヴィジュアル性はある。白戸三平・赤目プロと仲良くしておかないといけないね。新聞の書評も好意的であった

著者プロフィール

1952 年神奈川県横浜市生まれ。江戸文化研究者、エッセイスト、法政大学第19 代総長、同大名誉教授。2005 年紫綬褒章受章。『江戸の想像力』( 筑摩書房) で芸術選奨文部大臣新人賞受賞、『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』( 筑摩書房) で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞を受賞。近著に『遊郭と日本人』(講談社)、
『江戸問答』( 岩波書店・松岡正剛との対談) など

「2022年 『手塚マンガで学ぶ 憲法・環境・共生 全3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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