- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001043
感想・レビュー・書評
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[※旧新潮文庫版による]
完成度の高い珠玉のリアリズム短編集。
「母の初恋」
今は盛りを過ぎたシナリオ作家の佐山は、過去に民子と婚約していたが、寝取られてしまい破局していた。その民子と再会したがやがて彼女は死に、娘の雪子の面倒をみていた。雪子は結婚するが、失踪してしまう……雪子の最も親しい女学校友達は、彼女から「初恋は、結婚によっても、なにによっても、滅びない」ことを自分の母親から教わっていたと話していた。繊細な感情の糸。
「女の夢」
医者で欠点もない久原は36歳まで独身であったが、27まで独身であった美しい令嬢の治子と結婚する。治子は過去に、自分を慕って自殺してしまった従兄の思い出が傷になって独身を貫いてきたらしい。その傷が彼女を美しくみせてもいた。
「黒子(ほくろ)の手紙」
黒子を触る癖を夫に咎められたり(暴力的にまで)、過去にも母親に指摘されたりしていた。フェティッシュな手紙形式の短編。
「夜のさいころ」
サイコロをふる癖がある踊り子のみち子。夜ひとりで、楽屋でひとりで一心にサイコロをふっているのは病的でもあるかもしれない。「伊豆の踊子」的な慕情の繊細な表現。
「燕の童女」
新婚旅行の帰りの船で乗り合わせた幼い外国人の少女を通して、二人の背景を含め全体が表現される。こういうことは、普段のデートにもみられるような、周囲の出来事への何らかの仮託のようで、身に覚えがあるだろう。首筋の産毛など、フェティッシュな視点も。
「夫唱婦和」
こういう短編をみると、川端康成は人間を描ける作家だと端的にわかる。佐川とのやりとりのあとの桂子や延子の描写[p134]などは、少し大袈裟かもしれないが、さらっと書いている。教師の牧山が助手つかっていて、家に出入りしていた佐川が、家にいた桂子と遊んで?いたとみえたが、実は牧山の妻の延子に惹かれていたという構図は康成らしい。
「子供一人」
この短編にかぎらず、足の指の間をこすって、「黒い垢が出た」[p141]というような不快な描写が点在するのが生々しさを強めているか。子供を産むまでの女性の変化を極端に描く。
「ゆくひと」
浅間山の噴火の中で、佐紀雄が過去の何らかの想念にも揺らぎながら(泣いたりもする)、弘子が「よく知らない人のところ」へとついでいくことへの複雑な気持ちが表現される不思議さ。
「年の暮」
劇作家の泉太(既婚)が自分の作品の愛読者の千代子という女性を密かに慕う。自身の作品が殺人などを含む陰鬱なものなのに、可憐な美しい千代子が愛読しているということへの複雑なおもい、呵責?やがて、千代子は結婚してしまうが、夫は戦争で戦死し、泉太への便りも途絶えてしまった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1941(昭和16)年刊。川端42歳の頃に雑誌『婦人公論』に連載された、9編から成る連作短編小説集。
川端康成については、高校生の頃新潮文庫のを11冊買って何となく読み、成人してからは読み返すこともなかったので、かなり久しぶりである。さすがに日本初のノーベル文学賞作家というだけあって、廃版の多い新潮文庫でも、現在もラインナップは残り版を重ねているようだ。
新感覚派の旗を担ったこともある川端の文章は、時折常態とは異なる新鮮な語の選択を見せ、それはよくスパイスのきいた文学的なものであり、大きな起伏も、骨太なストーリーらしきものも欠きつつさりげなく編み出されるこの小説ストリームは、やはり純粋芸術ならではと思われるとともに、日本画的な立ち現れとして作品は辛うじて成立しており、その薄氷の感じは音楽で言うと「現代音楽」に親しいジャンルに属している。
もっとも川端の文体は極限まで彫琢を進めた泉鏡花のそれとは異なり、とても読みやすい。この世代の作家にしてはずいぶんと改行も多めだが、もちろん、今日の退嬰的な「全改行」のエンタメ小説とは違って、その改行の必然性を読み解くことが可能である。また、人物同士の会話も多めで、その会話の妙味がそのまま小説の繊細な感じと一体化してもいる。
このスイスイと読むことの出来るストリームは、何となく小さく穏やかな川の流れのように感じられる。強靱な物語がストリームを突き進む谷崎潤一郎や武田泰淳のような作家とは対照的だし、ゾラやモーパッサンなどに影響された作家たち、所謂自然主義作家や永井荷風などとも異なる。
川端のストリームは鮮烈なイメージに結び付くわけでもなく、やはり日本画的な淡泊さ・かそけさのなかに流れゆく。読者にとっても、それは強いイメージとなって記憶には残らないが、しずかな川岸を歩いたような感触だけが刻まれるかもしれない。
西洋近代小説のモデルと比較すると川端の小説は「未完成」なような、「閉じられない形象」であるが、その閉じられなさが、現実の生のあいだに揺らぎゆく意識の仄めきを顕しているようでもあり、やはりそのぎりぎりのかすかさが、「現代芸術」の危うさを想起させるのである。
全く個人的なことであるが、最後の「年の暮」に登場する戯曲家が抱えている無意識として、
「自作を誰にも読まれたくないという矛盾」(P.213)
が指摘される。この箇所が、私も作曲などをこっそりやっていて作物をネットなんぞに公開してはいるものの、確かに「誰にも聴かれたくないような」「外部としての巷のコンテクストには預けたくないような」思いを常々抱いており、まさにこれを「その通り」と実感し、そんな気持ちを川端康成が巧く書いてくれた、と嬉しくなったのである。
もしかしたら川端自身にも、自作についてこんなおもいがあったのだろうか。 -
母の初恋
昔の恋人の死後、その娘を引き取って嫁に送る男の話。
なんだかドロドロした展開になるのかなーと思ったのですが、読後感は非常に爽やかな「愛」に満ちた物語です。
夜のさいころ
純真無垢な少女の魅力。優しく見守る青年。
川端氏お得意の展開。あっという間に終わってしまうのですが、綺麗にまとまっています -
大した変哲もないように訥々と語られていながら、シンプルな言葉づかいが言いようのない味わい深さを秘めていて、これぞ川端文学という感じがします。私は、川端作品のかなしさとか官能性そのものよりも、それらが押し包まれ、もれ出すようなかたちで語られているということが好きです。
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異性への愛、家族愛の短編集。作者の描く女性像、そして文体が美しい。「夜のさいころ」「夫唱婦和」が良かった。12.12.23
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川端康成の描く女性はアイドル。
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『夜のさいころ』のみち子がかわゆい。
ほんわかあったかな作品集。 -
川端康成の話には続きも終わりもないんだなと感じた短編集。こういう話の閉め方が大好きです。