山の音 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001111

感想・レビュー・書評

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  • 『山の音』は、日本の家庭の複雑な人間の心情を巧みな表現で描き出しています。

    主人公、信吾の悲しみは、死の予告とも感じられる山の音を聞くことに始まる。死に恐怖しながら老境に至りより鮮明に美の観念に傾倒してゆく。

    美しさを愛するが故に、信吾の不幸せがあるとも思われ悩ましいところでもあります。

    信吾の想いは、老妻の美しい姉の面影と、若く美しい息子の嫁への恋心に揺れる。
    対して、器量の悪い出戻りの娘を不憫と感じながらも、実の娘より若く愛らしい嫁を可愛がる。
    愛人をつくる美男の息子。信吾もあきれる程の非情。

    様々な人間模様のなかで信吾は、親の生涯の成功か失敗かは、子供の結婚の成功か失敗かにもよると言って奔走します。

    繊細な心理を美しい自然の描写に昇華させた、味わい深い趣のある物語でした。

  • 戦後日本の鎌倉を背景に、息子夫婦と同居する老紳士の家で次々と巻き起こる家族の問題。しみじみとした会話と物語進行だったのに加え、鎌倉の自然とともに生きる穏やかな性格の夫であり父であり舅である主人公の信吾と嫁の菊子の心の交流を主軸に描いているものと思いきや、豈図らんや、次第に昼ドラや渡鬼顔負けのドロドロ愛憎劇の様相を呈してきて、展開が気になり一気に読み進めてしまった。(笑)いや、舅と嫁の交流が主軸なのは間違いないんですけどね。
    死というものを感じるようになった老境の主人公の、未だ幼い嫁に「女」を感じる眼差しと、かつて自分が恋した妻の亡き美人姉への忘れ難い想いが、老紳士の哀愁を引き立てている。だが、「老人」と「少女」という川端ならではの対比と相関がそこはかとないシンボリックな描写に止まり、逆に想いだけを胸に秘めた旧き家長像を設定することで、ドロドロとした物語展開にもかかわらず、読者へ安心感を与えているようにも思える。物語は次第に不倫、DV、離婚、エトセトラと重たい話になっていくのだが、主人公の女性に対する抑制とほんわかな老紳士ぶりをみていると、どの重たい出来事も優しく包まれているような感じになってくるので不思議だ。シンボリックといえば、主人公がみる夢の話が随所にみられるが、これも抑制した主人公の心理状態や予兆をうまく物語の表面へ浮き上がらせる話のタネとして面白い手法であった。
    この物語で登場する主要男性は実は主人公の信吾と息子の修一のみで、その周りを彩る女性が多いのも特徴だ。信吾の妻・保子、修一の妻・菊子にはじまり、信吾の娘・房子、その子どもの里子と国子、信吾の秘書・英子、修一の不倫相手・絹子などなどで、それぞれの個性が対極な相手によって対比させられているのも設定の妙である。何気ない女性らしさの描写をみるにつけ、細やかな観察眼には敬服するとともに、やはり川端先生、女好きなんですね。(笑)
    会話は考え抜かれて選ばれたであろう言葉が多くみられ、たおやかな表現が心地よいのだが、自分には意味が捉えずらい会話も少なからずあり、途中で何度か会話の前後を読み返してしまった。(笑)しかし、それだけに心理と感情のあやが繊細に伝わってくるので、この物語全般に流れる穏やかな関係性を一層印象付けているといえる。
    あと余計な話だが、やはりこの物語の展開自体はかなりのドロドロ劇であるので、昼ドラになってもかなり面白いのではないかな。(笑)

    • mkt99さん
      nejidonさん、こんにちわ!
      毎度コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      あの大きい目で、じぃぃぃぃっと観察されると...
      nejidonさん、こんにちわ!
      毎度コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      あの大きい目で、じぃぃぃぃっと観察されるとかなりコワイですね。(笑)
      まっ、気持ちはわからんでもないですけど。(笑)しかし、それをもって創作できるのですから、大したものですね。
      ああ、映画があるのですね。自分は昼ドラが似合っていると思ったのですが、山村聡と原節子の配役なら案外合っていると思いますね。義父と嫁の擬似恋愛?いや、原作もまさにそんな感じだったと思います。
      原作はもっとしみじみ感があるのですが(←どんな感じじゃ!)、冷静に考えるとこの主人公の周辺で起きていた出来事は、ドロドロの家族劇だったのではないかと・・・。(笑)
      そんなわけで割とハラハラするホームドラマのような感じで楽しめるように思いますよ。(^o^)
      2014/05/16
    • だいさん
      >やはり川端先生、女好きなんですね。

      やはり、注目するべきところは、ここですか!!
      >やはり川端先生、女好きなんですね。

      やはり、注目するべきところは、ここですか!!
      2014/06/01
    • mkt99さん
      だいさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      そうなんですよ!
      この川端の業ともいうべき思いのたけを...
      だいさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      そうなんですよ!
      この川端の業ともいうべき思いのたけを味わうのも一興です。(笑)
      2014/06/01
  • 図書館から拝借。
    川端康成の傑作長編であり、戦後の日本文学の最高峰に位置する作品。
    一章一章が短篇の系を成している様で、とても読み易かった。
    物語は始終、老齢故の裏淋しさ、物悲しさが背景に漂う。そんな中で『家』『家族』の有様が、川端の美文で綴られていく。
    行間に流れる叙情が何とも言えない。また、登場人物それぞれの心模様が丁寧に表現されていて、一人一人の感情が染み入って来る。
    川端作品はあまり数は読んでいないが、表現の巧みさをじっくり味わえた読後感だった。

  • 【注意・川端の無垢幻想に半ば共感するアラフォー男性による、暴言も込みの、ただの感想です】

    全16章で、章の中は4,5分割されている。
    この佇まいは、綺麗。
    解説で山本健吉が、雑誌システムに依存しながら書かざるを得なかった長編、と寄せており、その成立過程も込みで味わえた。

    ・連載は1949年から1954年にかけてだが、舞台は1949年から1950年にかけてなので、2022年現在から見ると、ほぼ70年前の小説。しかも視点人物は62歳くらい。当時1899年生まれの川端が、10歳くらい年上を想定して描いたので、1890年くらいの生まれの人物に寄り添う小説なのだ。
    ・一言でいえば、岩明均「ヒストリエ」のキーワード「文化がちが~う!」を前提に読まなければならない小説ということ。

    ・第2次世界大戦……、水木しげるは戦地に行ったが手塚治虫は行かなかった、三島由紀夫や中井英夫や澁澤龍彦は青年だった、宮崎駿や富野由悠季はほんの少年だった、そんな時期に、作中最も「ダメ」な息子の修一は、水木しげると同じく戦地に行き、父に殺したかと問われて、自分が撃った弾が当たっていたら敵は死んだでしょうという……トラウマゆえメカケへのサディズム?
    ・戦争未亡人の存在。戦地から帰って、父の会社に寄生しつつ、戦争未亡人にサディスティックな性を強要しながらも、妻を唯一の相手としない、刹那主義? 正直いって修一ダメやん、と思うが、当時の読者の感じ方はまた違ったのかもしれない。
    ・さらにいえば当時の読者といっても老若男女あるので、受けとり方は一様ではなかったろう。

    ・と、息子にまずフォーカスを当ててしまったが、もちろん主眼は1890年くらいに生まれた、当時62歳の、引退直前の老人。
    ・今風にわざと露悪的にいえば、ジジイが想像する夢ハーレム小説(ラノベ風タイトル案「息子の処女嫁が同居することになったけど彼女えげつないフケセンでした、どうしましょう!」)。処女信仰のある世代だし、作者自身の無垢幻想を代理する視点人物でありながら、息子とセックスしてヨガっている矯正が聞こえてくるひとつ屋根の下にあるにもかかわらず、義娘の純潔を(あり得ないことながら)夢見ていたら、妊娠、その上自ら堕胎手術し、それでも義父たる自分へ擦り寄ってくる……こんな「苦しいハーレム」って、あり?
    ・いわば、純潔にしか思えない処女ビッチ風のアイドルが隣室で毎晩嬌声を上げるその声で自分を慕ってデレてくるのを庇っていたのにも関わらず「公式」から当社所属アイドルがファンとの不適切なつながりを持っていたので解雇しましたと公式HPに発表されたというのに、そのアイドルがあなただけ愛したいのに状況がそれを許さないんですと媚びてくるような状況に置かれたら、彼女が頬を赤らめるだけで(菊子頬赤らめすぎ問題!)落ちてしまうファンジジイに、自分を共感させながら読まなければならない小説なのだ……やっぱり、文化が違う!
    ・新聞への言及が多いので、新聞連載かしらんと思ったが、雑誌連載だった。義理の娘が毎朝寝床に新聞を届けてくれたり、それを待てず自ら取りに行ったりする辺り、なんだかリアルだなと読んで感じた。邪推するに、川端自身が養女に迎えた政子との生活感覚を描いたのではないか。
    ・新聞言及だけでなく時事ネタが多いなと感じた。年齢の数え方が満年齢から数えへ変わったとか、電気剃刀という新しい文明の利器、とか、電気冷蔵庫とか。もっと踏み込んで筋と関わる時事ネタといえば、戦後施行された、優生保護法による堕胎オッケーという法律。太宰治と村上春樹の断絶がこの法律にあると、斎藤美奈子や石原千秋が言っていた気がするが、その前身的作品だと感じた。
    ・堕胎について、登場人物全員が、時差なく把握するあたり、ご都合主義だなと感じた。劇的に考えれば姑あたりがえげつない行動を起こしそうなものだが、そういう想像すら、ポストモダン世代が行うマンガチックな妄想と言われるかもしれない。
    ・信吾、よく夢を見る……これって、不眠症だった川端の生理に根ざしたものかもしれない、と思った。川端の自死、解釈は様々にあろうが、不眠は一要因かもしれない。
    ・信吾が、ネクタイの結び方を忘れた、という終盤の挿話が、印象的。40年毎朝行ってきたことができなくなるって、恐怖。しかしこの場でただひとりで驚くのではなく、息子の嫁や自分の妻に構ってもらった挙句(にもかかわらず)、すでに死んだ妻の姉がネクタイを結んでくれた記憶を、大事に大事に思い出すあたり、……ただの老いでは、ない。ひたすら美的なものを美しいと言い、身内ですら器量が醜いものは醜いとしか思えない、いまふうにいえばサイコパスな気質が、作者にはあったのだろう。
    ・凡人に言わせれば、鬼畜! でもそれが面白い!!

  • 後ちょっとで著作権フリーになるところだったけど、法改正で青空文庫化が大きく遅れ、読まずに待っていた三島、川端、内田百閒と言ったところを今更に入手、少しずつ読んでます。
    三島由紀夫も川端康成も文章が美しく染みますが、特に誰かが殺される訳ではありません笑、戦後の時代の家族間の心情が細やかに伝わる物語です。
    国語の試験問題をたくさん作れそうなポイントがあって色々と考えさせられる。もちろん自分では気づけるわけはないのだけど、既にあちこちで公開されているので、考察を知るのも楽しいです。
    繰り返し読み味わう愉しさを教えてくれる作品ということだと思う。

  •  そこはかとなく漂う老いと死の予感を、行間から立ち昇らせる文章。「悲しい」ものをただ「悲しい」と書かれても「ああそうですか」となり、野暮ったくて仕方ないですし、過剰に難解であったり、くどくど書かれても想像を働かせる余地がなくなって困ります。
     その点、簡素な文で、心情や情景を掬い上げる著者の筆運びは、到底凡人になしえる芸当ではなく、閑寂の境地すら窺わせます。
     
     終戦直後の昭和20年代後半の鎌倉。深夜ふと響いてくる「山の音」を死の予告と恐れながら、尾形信吾(62)の胸には昔憧れた人の美しいイメージが消えない。同居している息子の嫁・菊子の可憐な姿に若々しい恋心を揺さぶられ…。

     どこにでもありそうな、家庭の風景。劇的な展開が主題をなしているわけではありませんが、忍び来る死への恐怖や、嫁・菊子への、道ならぬ恋慕が、それとは言わずに描出されています。老妻・保子や、愛人と不倫する奔放な息子・修一、若く美しい嫁の菊子、夫のもとから出戻った娘・房子たちが抱えるもの悲しさも、言葉の端々や、ちょっとした動作から、陰翳ぶかく捉え、読者に得も言われぬ感情を喚起させます。

  • 学生時代読んだ時には思わなかったけれど、今回再読して、老いてもなお失われない男の業を、全編通じて感じた。
    信吾が、自分を妊娠させてくる心配もない、言ってしまえば戦力外なお年寄りということもあって、菊子は気楽に懐いているように思われる(そもそも夫の父だし)。
    しかし、信吾は菊子に新宿御苑に待ち合わせに誘われて、カップルが多いのにどぎまぎしてしまう。いまだに女の美醜にめちゃくちゃ言及するし、若い娘の夢も見る。
    あちこちから死の音が聞こえてきてもなお、男にはいつまでも現役の意識があるものなのかなあと思う。それとも、高校生くらいの、女子のことばかり考えていた頃に、老いて感覚が戻っていくのか。
    戦後の日本の家の窮屈な暗さの中で、それは良くも悪くも、男の支えだったのだろう。

  • 川端康成はどうも好きになれなくて。時代もあるかと思いますし、私の薄い読解もあると思いますが、どうも女性蔑視というか、男性目線がいやらしいというか、男上・女下にしか感じられなくて…
    最後まで読んだ川端康成は、これが初めてで、やっぱり上記の気持ちを再確認した。ただ、戦後10年ぐらいの当時の世相を、冷静に著しているだけなのかもしれないが。
    現代まで続く、日本の家族崩壊の始まりを、クールに叙事詩的に描いたという点は、まぁ良かった。

  • 面白かった。
    ホームドラマが繰り広げられる中に、叶わなかった憧れや戦争によってもたらされた無常感や、老いへの不安などが直接言及されないまでも描かれている。それらの心象は全編に渡って低く鳴っている「山の音」にも託されている。

    信吾は、亡くなった義理の姉への恋心を菊子に持ってしまっていたところを、「菊子を自由にしてやること」で断ち切ることで信吾の物語は終わる。
    義理の姉への恋心が、綺麗に整えられたモミジの盆栽で表現されているあたり、その恋心はもはや対象を失った観念的なものだったのだと思う。
    それは最後に菊子たちと故郷の山のモミジを見に行こうというあたりとうまく対応して、菊子への思いが観念的な恋心の錯覚から、生きた家族愛のようなものに変わったようである。

    修一の、新しい命を命と思わないような自暴自棄ぶりからは、修一が戦争で何か無常感のようなものを心に塗りつけられてしまったような感じがした。

    ともかくも、戦後に生きる家族という場を利用して、失われてしまったものへの愛しさや哀しさを心の奥底に持ち続ける日本人的な感性を描いた小説だと思った。

    失われてしまったものに特別感傷的になって表に出しやすくて浸りやすいのは男の常なのかもしれない。それに対してこの小説の女性は男性よりも逆境に強くてパワフルだった。

  • はじめての川端康成。2002年ノルウェーブッククラブ「世界最高の文学100冊」源氏物語と共に日本から選ばれた。戦後まもなく鎌倉を舞台に、家長の60才過ぎの目を通して妻の亡くなった姉への淡い恋心が若い嫁に蘇ったり揺れ動く家族を情景豊かに描いてます。

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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