川端康成・三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001265

作品紹介・あらすじ

東大在学中の三島由紀夫は、処女小説集『花ざかりの森』を川端康成に送り、昭和20年3月8日付の川端の礼状から、二人の親交が始まる。文学的野心を率直に認めてきた三島は、川端のノーベル賞受賞を機に文面も儀礼的になり、昭和45年、衝撃的な自決の4ヶ月前に出された永訣の手紙で終止符を打つ…「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です」恐るべき文学者の魂の対話。

感想・レビュー・書評

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  • 手紙というのは、それが儀礼以上の個人的なものであればあるほど、その人の輪郭がより鮮明に見えてくる。
    この往復書簡では、どちらかというと、年齢的にも文壇のなかでも若輩であった三島の、必死さ、生真面目さ、そして素直さが印象に残る。
    川端夫妻が入院する際に、何を入院道具として持っていったらいいか列挙した手紙などは、驚くほど細かくまた実際的な内容で、三島の性格が感じ取れる個所である。
    川端は、きっと目を細めて微笑みながら、彼の便りを読んでいただろうと想像する。

    人間には、全幅の信頼を置いて、素のままで飛び込んでいける相手が必要だ。
    三島にとって川端康成という人は、そういう存在としてあり続けていたのだろうと思う。
    川端のノーベル賞受賞後、関係がぎくしゃくしてしまったと言われているが、それでも最期のほうの手紙を読めば、三島の敬愛はやっぱり変わらなかったであろうと思わざるを得ない。

    手紙を書かなくなってしまった昨今だが、メールを書くのにも参考になる大作家どうしのやり取りである。

  • 人の手紙ってワクワクするよね
    序盤、三島由紀夫から川端康成への手紙の「おうちに行きましたがお留守でした」シリーズ多すぎてかわいい

  • この作品は一九九七年十二月新潮社より刊行された。

  • 師弟関係にあった川端康成と三島由紀夫の往復書簡。二十歳の頃の三島由紀夫はとにかく文学への情熱に溢れていて川端康成に熱っぽく語っている。また関係が深まるにつれて三島は自分の悩みや愚痴すらも打ち明けていて、とても川端を信頼しているのが良く伝わってくる。次第に二人は家族ぐるみの付き合いへ発展していく過程も微笑ましい。書簡の最後の方になると、三島の自決を知っているだけに何だか悲しくなってしまう。川端康成のノーベル賞の推薦文を三島由は書いたものの、やはり川端が受賞したのはショックだったらしい(もう自分は受賞できないと悟ったため)。ノーベル賞を受賞した川端も最期はガス自殺を遂げてしまう。何ともやり切れない。また三島由紀夫と川端康成の作品を読みたくなりました。

  • 他人の手紙のやりとりを見るのは後ろめたいような気がするが、文豪二人ともなればやはり読みたいと思う。内容は意外と素朴で身近だ。もっと文学論争のようなものを想像していた。日本語が美しいのは想像どおり。私は以前は三島は天皇崇拝者で右翼で、などとステレオタイプの印象を持っていたが、最近はそんなことないのではないかと思うようになった。お金に夢中になって魂を軽んじる未来の日本人を憂えていた彼は、ご健在だったらこの世をどう思うだろう。三島さん、川端さん、50年後は世界規模の感染症の禍のもとに戦争まで始まりましたよ!!

  • やべーの読んじゃった!!!!!!

    三島由紀夫が21歳、川端康成が47歳の初春から手紙のやりとりが始まるんですけど、最初は三島由紀夫も大学生だから、
    「試験終わりました!」
    とか
    「就職試験落ちちゃいました」
    とか書いてるのね。可愛いかよ。

    大学生らしく、熱い文学論とか語っちゃって、めっちゃ可愛いの。
    もーーーーーー可愛い。

    それがね、どんどん大人の男になっていくの……エモ……
    結婚して、子どもが産まれて……
    人生……

    でも私はあらかじめ、「三島由紀夫は切腹して死ぬ」っていうネタバレをされてるわけですよ。
    読み進めれば読み進めるほど、三島由紀夫の死が近づくわけです。
    ページをめくるごとに断頭台の階段を一歩ずつのぼってるような気分で、情緒がエライことになった。

    三島由紀夫の死の前年。
    196ページに載ってる、昭和44年8月4日付の三島由紀夫から川端康成に宛てた手紙。
    読んでーーーーー!
    ほぼ遺言。つらい。
    きっっつい。なぜ?なぜ死ぬ???

    死の際に居る人間の文章といえば芥川龍之介の『歯車』が「わーーーー!!!!」って感じだったんですけど、それ振りに「ああ、死ぬ。この人死ぬんだ。」って感覚を味わった。

    読んでーーーー!!!!
    みんな読んでーーーー!!!!!
    巻末の佐伯彰一さんと川端香男里さんの対談もすんごかった。濃厚。

    本の最後に、川端康成・三島由紀夫両名の年譜が並べられてんの見てボロッボロ泣いた。

  • 「川端康成・三島由紀夫往復書簡」川端康成・三島由紀夫著、新潮文庫、2000.11.01
    255p ¥460 C0195 (2021.06.21読了)(2007.01.14購入)

    【目次】
    はじめに・佐伯彰一
    川端康成・三島由紀夫 往復書簡
    恐るべき計画家・三島由紀夫 …佐伯彰一・川端香男里
    ノーベル賞推薦文(三島由紀夫)
    略年譜

    ☆関連図書(既読)
    ・川端康成
    「雪国」川端康成著、新潮文庫、1947.07.16
    「伊豆の踊り子」川端康成著、新潮文庫、1950.08.20
    「花のワルツ」川端康成著、新潮文庫、1951.08.10
    「千羽鶴」川端康成著、新潮文庫、1955.02.28
    「眠れる美女」川端康成著、新潮文庫、1967.11.25
    「古都」川端康成著、新潮文庫、1968.08.25
    「美しい日本の私」川端康成著・サイデンステッカー訳、講談社現代新書、1969.03.16
    ・三島由紀夫
    「仮面の告白」三島由紀夫著、新潮文庫、1950.06.25
    「愛の渇き」三島由紀夫著、新潮文庫、1952.03.31
    「潮騒」三島由紀夫著、新潮文庫、1955.12.25
    「金閣寺」三島由紀夫著、新潮文庫、1960.09.15
    「午後の曳航」三島由紀夫著、新潮文庫、1968.07.15
    「青の時代」三島由紀夫著、新潮文庫、1971.07.15
    「癩王のテラス」三島由紀夫著、中公文庫、1975.08.10
    「春の雪 豊饒の海(一)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.07.30
    「奔馬 豊饒の海(二)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.08.30
    「暁の寺 豊饒の海(三)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.10.30
    「天人五衰 豊饒の海(四)」三島由紀夫著、新潮文庫、1977.11.30
    「美と共同体と東大闘争」三島由紀夫・東大全共闘著、角川文庫、2000.07.25
    「三島由紀夫「以後」」宮崎正弘著、並木書房、1999.10.01
    「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01

    (アマゾンより)
    昭和二十年(三島由紀夫二十歳、川端康成四十六歳)から始まり、
    昭和四十五年まで交わされた二十五年に渡る九十余通の往復書簡を収録。
    東大在学中の三島由紀夫は、処女小説集『花ざかりの森』を川端康成に送り、昭和二十年三月八日付の川端の礼状をもって、二人の親交が始まった。文学的野心を率直に認(したた)めてきた三島は、川端のノーベル賞受賞を機に文面も儀礼的になり、昭和四十五年、衝撃的な自決の四ヶ月前に出された永訣の手紙で終止符を打つ……。
    「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です」(三島) 「老衰もぬかりなくとりついてゐる事です」(川端)
    恐るべき文学者の魂の対話。注釈、対比年表を付す。

  • 激烈な討論をしているかと予想していたが、チケットをお送りします、とか、御身お大事に、とか、日常を思わせるところがあった。

    年表を見れば、川端は1899年生まれ、三島は大正14年生まれで、それぞれ年号と年齢の対応が分かりやすい。

    三島が自決することが書いてあるかと思ったが、目立って書いていなかった。捨てられた手紙もあったらしいことは解説にある。

    私の稚拙な考えで、作家はずっと家にいると思っていたが、ニューヨークに行ったりもしていたらしい。三島は川端より年少であるため、若い頃は川端に尊敬の念を示す一方的な立場だったが、年を重ねる毎に、対等な立場になっていくのが読み取れる。

  • 小説家の熱気が伝わってくる逸品。美しいものを追求しようとする巨人二人のなんとも言えない熱い掛け合い。久しぶりに川端氏の作品を再読しようという気持ちになった。

  • 最初は三島由紀夫からの熱烈で率直なアプローチ、仲が深まったあとは、それぞれに贈り物をしたり、海外渡航をすすめたり、身体をいたわったり、お互いの仕事を評価したりと。川端康成のノーベル賞受賞後は、三島が儀礼的になったというのを読んだことがあるが、そうは感じ取れなかった。やりとりは減ったかもしれないけれど、のちの三島事件を予告するような内容に、家族の評判を守っていただけるのは川端先生しかいないという切実な叫びのような内容。よっぽどの信頼関係がないとそこまでは書けないのではないかという思い。

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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