村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1998年12月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001456

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • もう二十年近く前の対談で、話題にのぼっているのは阪神大震災とオウムの地下鉄サリン事件。でも本質的な議論は時が過ぎても色褪せない刺激を持つことを再確認。とりわけ本書の最後にとりあげられる暴力性の問題は、2017年の現在、改めて問い直されなければならないのではないだろうか。

  • 村上春樹と河合隼雄の対談。私は『ねじまき鳥クロニクル』を読んだことがないので、なんとも言えないのだけれど、村上作品をもっと読んでみたくなった。

    もともと河合隼雄は敬愛する方で、彼の社会を見る目にはうなずかされたり、開眼させられたりしてきたけれど、この対談も同じだった。村上春樹の小説家としての心理的葛藤も語られていて、興味深かった。

    村上作品は少ししか読んでいないけれど、それでも私が常々抱いている想いへの答えのようなものも述べられていて、時宜にかなった本との出逢いだったと思う。

    読みやすいけれど、深い内容の本。

  • 村上春樹のエッセイや対談ものは初めてなのだけど、読むならまずは河合隼雄と決めていた。

    デタッチメント(関わりのないこと)からコミットメント(関わること)に変遷してきた村上春樹の作品観を追う所から始まる。

    作品解説としては時期的に『ねじまき鳥クロニクル』を挙げていることが多かったので、私も自分のしょうもないレビューを振り返りつつ読んでみた。

    村上春樹の言葉の中で印象に残ったのが、「コミットメントというのは何かというと、人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような「あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれた」という部分。

    決して、ベタベタとひっついていることが繋がりではなくて、自分の奥深く、考えの奥深くに進んでいったときにぶつかる繋がり方。
    日本人は歴史とぶつかることが多いというけれど、本当にそうだと思う。

    また、そこまでの労力を以ってして誰かと関わるなら、それは本当に伴侶レベルの人ではないと無理だなあ、とか思ってしまう自分がいる。

    日本人にとってベタベタしたコミットメントから離れようとしても、まだまだそこに暴力が存在している。けれど、社会的な在り方としては村上春樹の言うようなコミットメントを考えていくべき時に来ているんじゃないかな、と感じた。

    これを読むと、ちょっとだけ外国の風に当たりたくなる。

    単なる感想の羅列になったが、面白かった。

  • 癒しで検索するとこの本が上の方に出てきます。

    村上「河合さんと向かい合っていろんな話をしていると、頭の中のむずむずがほぐれていくような不思議な優しい感覚があった。「癒し」というと大げさかもしれないけれど、息がすっと抜けた。」
    ★単なる治癒ではない、「癒し」がここに見られる。

    村上:ノンフィクションを書くために「人の話をいっぱい聞くことによって自分がある意味で癒されたいという感覚もあるのです」・・・★これもそう

    河合:源氏物語を書いたのは「紫式部だって、やっぱり自分を癒すためでしょう」
    河合:「そういう人(患者)にお会いすることによって、僕の病も癒されているということがたいへんおおいと思います」
    ★河合隼雄はほとんど治癒の意味で「癒し」を使っている。

    村上「小説を書くことによって自分が癒されるということはあるわけですが、それはもちろん同時に読者を癒すものでなくてはならない」
    村上「読者のある部分を、多かれ少なかれ治癒するということ」が「うまくいけば、その作用がもう一度作者にフィードバックしてくるという感覚があります。それによってまた自分が励まされ癒されるという感覚があります。おおくの作家はそれを『手応え』と呼んでいます」
    ★と言いながら、最後には以下のようにも言っている。

    村上「僕が自分の小説に求めているのは、誰かを癒すことでもなく、誰かに癒されることでもない」・・・?
    村上:小説を書くことは「『癒し』を目的とする作業ではない。癒しとはつまり心を鎮めることであり、僕が小説を通してやりたいと思っていいるのは、人々の心を公正に喚起することなのだ」
    ・・・・???
    ★一体全体どっちなんだと言いたくなる。小説は作者も読者も癒すが、それだけではない、もっと遠くの目的があるのだということかな。

    ――――――――――――
    中井久夫(精神科医)「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収
    作家にとって「創造が癒しであるとして、その治癒像がどうなるかという問題である」
    「文体獲得によって初めて創作行為は癒しとなり得ると考える」
    「創作活動が結果的に破壊あるいは癒しをもたらす」
    ★定義は見あたらないが、・・・面白そうな人だ。

  • 夫婦の「井戸掘り」。「ねじまき鳥クロニクル」を読んでみたくなった。

  • 数週間前に近所の本屋で衝動買いした文庫本。
    薄くて字が大きくて、対談本なので、今日の往復の電車でアレっと言う間に読了。。。

    臨床心理学者(であり文筆家であり文化庁長官もやった)河合隼雄さんと、小説家の村上春樹さんの対談本です。

    すっごく読みやすかったです。
    村上春樹さんのファン(特に「ねじまき鳥クロニクル」。いっぱい言及されています)、あるいは河合隼雄さんのホンをとりあえず試してみたくて、村上春樹さんのことが割と好きなヒト。
    には、おすすめです。

    僕の買った興味は後者で、
    「河合隼雄さんというヒトのホンを読んでみよう。コレは入り易そうだ」
    というものでした。
    で、僕にとっては、うーん、まあまあ・・・という本でした。

    対談の中身が、まあ、要するに村上春樹さんの仕事、っていうかんじなんですよ。
    河合隼雄さんが聞き手に回っている、というせいなのか、出版サイドの狙いなのか、ふたりの関係がそういう会話内容で楽しく成立しているのか、そこのところは分かりませんが。
    つまり、率直な印象は、「村上春樹さんヨイショ本」になってるんですね。
    村上春樹さんが村上春樹的な人生論や価値観を、村下春樹さんの著作に関連しながら述べます。
    それに河合隼雄さんが、相槌を打って同意しながら補足したり、解説したりするんですが、ほぼ、賛同して賞賛する。でもって、ふたりでもって、<世間の、あるいは日本の、一般社会の常識の旧弊さ、分かっていない部分>の、悪口を言うんですね(笑)。なんとなくそう読めちゃう。あんまり上品じゃないですね。

    河合隼雄さんの発言だけを抽出して読んでいけば、ナカナカ面白いところもあるんですよ。
    なんだけど、正直、前に読んだ『父親の力 母親の力』とかなりカブるんですよね。『父親の力 母親の力』の方が、ソレだったら面白かったですね。

    村上春樹さんのファンのヒトには割とタマラナイ本だと思います。

    僕も昔は好きだったんですけどね。今になってみると、あまりに巨大な存在になってしまったゆえか分かりませんが、ある種の非常にひねくれたカタチのマッチョイズムみたいなものもあるし、やっぱり、すぐに「アメリカでは」とか言うんですよね(笑)。そこのあたり、正直、ワカラナイ。分からないというか、面白いと思わないんですよね。
    翻訳家としては今でも大好きだし、文章とかうまいなあと思うし。
    ただなんだか、まあだからアレだけ孤高的な作家活動ができるんだろうけど、「この人、自分大好きなんだろうなあ」ってたまに白けて、笑えちゃうんですよね・・・。まあそのへんは。

    ただ、言ってることは、至極もっともだと思ったり、そういう考え方が基本であってほしいなあ、ということも多いんですよ。
    良い意味での個人主義であり、オウム事件や阪神大震災の頃の本なんで、今一度政治や社会に向き合わなくてはならないのでは、という意識だったり。
    ただそこに深い思索が必要だよね、行動主義だけではイヤだよね、という言葉であったり。

    閑話休題。
    それはそれとして、本筋と関係なく、「へー」と思って、かつ納得したのは、村上春樹さんが、初期の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」のことを、デタッチメント、まあ世の中から切り離れたい的な感覚の作品だ、とおっしゃっていたこと。「羊をめぐる冒険」から、どうコミット、まあ世の中や社会と向き合えるか、関われるか、というつもりで書いた、と。

    で、僕は、再読していませんが、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」がいちばん好きなんですよね(笑)。村上春樹さんの小説の中で。
    それはすごくなんだか納得したのは、ただタンに自分の好みなんですが、

    「あー、なるほど、僕は村上春樹さんが、世の中とか社会から離れようとする身振りにすごく共感した、あるいはするンだけど。
    村上春樹さんが世の中とか社会に向き合って関わっていこうとする様子、あるいはこう関わるべき、こう関わりたい、という想いに、なんとなく共感できないのかなあ」

    というコトでした。
    良いとか悪いとかではなく。
    そのあたりはすごく納得で。さすが作者さん(笑)。

    まあ、本としては、正直、テーマも曖昧というか(笑)。
    題名が正直だと思うんですが、村上春樹さんと河合隼雄さんという巨匠ふたりの共演にしては、おふたりの「タレント本」でしかないっていうか。

    「ルパンvs.ホームズ」よりか、「831」とか「パスカヴィル家の犬」の方が面白いし。
    「座頭市と用心棒」よりか、「座頭市」と「用心棒」の方が面白いし。

    もともとは岩波書店から出てるんで。
    まあ岩波さんとしては、「コレはまあ、売れるための本」という認識だったのでは・・・と意地悪くちょっと思ってしまいました(笑)

    でもすっごく読みやすいですよ。
    村上春樹さんのファン(特に「ねじまき鳥クロニクル」僕は読んでないんですが・・・)、あるいは河合隼雄さんのホンをとりあえず試してみたくて、村上春樹さんのことが割と好きなヒト。には、超・おすすめです!

  • 村上春樹と河合隼雄の、この風通しの良い感じ。明晰な知性と、人生をきちんと生きてきたひとの持つ寛容さ。ほんとうに大好き。

    自衛隊と平和憲法の矛盾についての河合先生のお言葉はもう、目からうろこ。あらかじめ矛盾をはらんだ存在としての人間を肯定し、ものの見方を問い直す姿勢に、加藤典洋の「敗戦後論」を読んでいて感じたもやもやがすっと消えた。
    矛盾をはらんだ存在としての人間、つまりひとは誤り得ることがほとんど運命づけられているという認識。
    日本の戦後について、60年代の学生運動についてのお話で、本質的な暴力性という話が出てきます。正しいことをしている、正しいことを成すために暴力を用いるのだ、という考えは単純であり、思想を超えた本質的な暴力性への認識がなければうまくいかない。わたしたちは自らの中の暴力性を考慮にいれて行動すべきである、ということ。自覚が大切なんだなあと思いました。自分自身をできるだけ正しく認識するための努力を怠ってはいけない。

    このお二人のお話は、物語の効力であったり、一見するとリアルさに欠けるような議題でも、なんというかリアルなんですね。それはこの二人がきちんと現実を、ノンフィクションを生きたうえでフィクションを捉えているからだと思います。

    で、耳が痛いなあと思ったことがふたつ。

    ・生きた人間でないものにエロス(求めること)を向けることは一概に良い悪いと判断出来ることではなく、結局はその人がどういう生き方をしていくかという問題である。ただ、自分が何をしているか、自分のしていることがだれに害を与えるかについて常に考えておくべき。個人の責任の問題として。
    ・苦痛の無い正しさに意味はない。苦痛の引き受け方。何はともあれまず行動、ではなく、どうすればその正しさを自分自身のものとして身につけられるか考えなければならない。

    わたしはこのお二人の言葉を読んでいると背筋が伸びるんです。気を張るという意味ではなく、人生にゆるく寄り添いながら、自分の道を探す。誠実さと正しさを持つべき場所をしっかり持つ。そんなことを思います。

  • ちょうど、ねじまきクロニクルを書き終わった後くらいの対談。村上春樹がニューヨークに住んでいたとき、河合隼雄をたずねたらしい。ほぼ編集なしむき出しの対談とのことである。深い話がたくさんあった。でも、対談集って難しい。結構読み終わると大部分忘れている。文に起こされていたとしても、会話って忘れやすいものなのかもしれない。その中でも印象に残っていたのは、欧米人と日本人との言葉に対する認識の違い。徹底的に言語化する欧米に対してあいまいさや言葉にできない何かを持っている日本人。とかく、欧米的なものを是としがちな昨今にあってあいまいさの肯定は力強かった。

  • 村上春樹氏が「ねじまき鳥クロニクル」を書き終えた直後の対談。ねじまき鳥は高校生の頃に読んで印象深い物語だったので、その話が度々出てきてその当時の自分を思い出した。頭の記憶と言うよりは、この中で村上氏が言っているように身体のリズムが思い出させたのだろう。この本自体も昔読んだような気がするが、当時はあまりピンと来なかった。けれども病院で働くようになって、臨床の仕事を何年もやるようになると河合隼雄氏の言っていることが響いてくる。そういうことがあるのだ、ということに共感する。欄外にある書く対談内容の個別の意見は読みにくい。それ以外はとても興味深い対談。

  • 村上春樹さんの本を読むようになったのはかなり大人になってからですが、その世界観に学生時代学んでいた事(社会学)が重なりあう気がしていました。
    河合隼雄さんとの対談の中で、まさにそれらが語られていたし、この方が小説を書かれるモチベーションの部分が、子どもの頃好きだった吉本ばななさんとも重なり、後に吉本さん自身も村上春樹ファンだと知り、とても納得がいきました。
    河合隼雄さんは、その後、吉本ばななさんとも対談されています。

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村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)の作品紹介

村上春樹が語るアメリカ体験や'60年代学生紛争、オウム事件と阪神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、一人一人が独自の「物語」を生きることの重要さを訴える。「個人は日本歴史といかに結びつくか」から「結婚生活の勘どころ」まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする。

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