村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001456

作品紹介・あらすじ

村上春樹が語るアメリカ体験や'60年代学生紛争、オウム事件と阪神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、一人一人が独自の「物語」を生きることの重要さを訴える。「個人は日本歴史といかに結びつくか」から「結婚生活の勘どころ」まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする。

感想・レビュー・書評

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  • いわばふたりとも完璧に「上がった」人。「もはやもがく必要がない」。親しみやすそうと思わせながら存分に権威を享受している。
    と、皮肉な目線も持ってしまうが、結構示唆的な対談。
    というか春樹論はかなりこれがベースになる。
    「春樹自身による春樹認識」として。

    源氏物語、漱石、大江健三郎、村上龍、と日本文学の流れを着実に意識している。
    アフォリズム、デタッチメント、コミットメント、と自身を細分化するなんて、暗中模索の作家では不可能で、かなり意識的に描き続けてきた作家だ(それが石原千秋いわく自己神話化)。
    「ねじまき鳥クロニクル」は受け入れられるの時間がかかる、というアーティスト的な言い方をしているが、自身で深めていくのに時間がかかる、自分はこのテーマを続けていくという表面でもあるだろう。
    小説のよさは、対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ(あるいは個人的営為)だ、という。まさにそのとおりとひざを打つ。

  • 個人と社会、死などのテーマの談義として、あるいはねじまき鳥クロニクルの一つの解説として非常に面白く読める。
    村上作品の初期はデタッチメント、ねじまき鳥からコミットメントに変遷した理由が分かったような気がする。村上春樹が好きな人は是非読んでほしい。

  • 心理学者の方は、確固とした強い心を持っているのではないかと思っていたけれども、映画の登場人物に感情移入して批評なんてできない、と言っていたのが印象的だった。
    二人とも全ての事象の本質を決めつけずに、様々な角度からものを考えていくスタイルが似ており、村上春樹の鋭い提案?を、河合隼雄が優しく包み込み、すーっと滑らかに結論づけていくようなイメージだった。

  • 数週間前に近所の本屋で衝動買いした文庫本。
    薄くて字が大きくて、対談本なので、今日の往復の電車でアレっと言う間に読了。。。

    臨床心理学者(であり文筆家であり文化庁長官もやった)河合隼雄さんと、小説家の村上春樹さんの対談本です。

    すっごく読みやすかったです。
    村上春樹さんのファン(特に「ねじまき鳥クロニクル」。いっぱい言及されています)、あるいは河合隼雄さんのホンをとりあえず試してみたくて、村上春樹さんのことが割と好きなヒト。
    には、おすすめです。

    僕の買った興味は後者で、
    「河合隼雄さんというヒトのホンを読んでみよう。コレは入り易そうだ」
    というものでした。
    で、僕にとっては、うーん、まあまあ・・・という本でした。

    対談の中身が、まあ、要するに村上春樹さんの仕事、っていうかんじなんですよ。
    河合隼雄さんが聞き手に回っている、というせいなのか、出版サイドの狙いなのか、ふたりの関係がそういう会話内容で楽しく成立しているのか、そこのところは分かりませんが。
    つまり、率直な印象は、「村上春樹さんヨイショ本」になってるんですね。
    村上春樹さんが村上春樹的な人生論や価値観を、村下春樹さんの著作に関連しながら述べます。
    それに河合隼雄さんが、相槌を打って同意しながら補足したり、解説したりするんですが、ほぼ、賛同して賞賛する。でもって、ふたりでもって、<世間の、あるいは日本の、一般社会の常識の旧弊さ、分かっていない部分>の、悪口を言うんですね(笑)。なんとなくそう読めちゃう。あんまり上品じゃないですね。

    河合隼雄さんの発言だけを抽出して読んでいけば、ナカナカ面白いところもあるんですよ。
    なんだけど、正直、前に読んだ『父親の力 母親の力』とかなりカブるんですよね。『父親の力 母親の力』の方が、ソレだったら面白かったですね。

    村上春樹さんのファンのヒトには割とタマラナイ本だと思います。

    僕も昔は好きだったんですけどね。今になってみると、あまりに巨大な存在になってしまったゆえか分かりませんが、ある種の非常にひねくれたカタチのマッチョイズムみたいなものもあるし、やっぱり、すぐに「アメリカでは」とか言うんですよね(笑)。そこのあたり、正直、ワカラナイ。分からないというか、面白いと思わないんですよね。
    翻訳家としては今でも大好きだし、文章とかうまいなあと思うし。
    ただなんだか、まあだからアレだけ孤高的な作家活動ができるんだろうけど、「この人、自分大好きなんだろうなあ」ってたまに白けて、笑えちゃうんですよね・・・。まあそのへんは。

    ただ、言ってることは、至極もっともだと思ったり、そういう考え方が基本であってほしいなあ、ということも多いんですよ。
    良い意味での個人主義であり、オウム事件や阪神大震災の頃の本なんで、今一度政治や社会に向き合わなくてはならないのでは、という意識だったり。
    ただそこに深い思索が必要だよね、行動主義だけではイヤだよね、という言葉であったり。

    閑話休題。
    それはそれとして、本筋と関係なく、「へー」と思って、かつ納得したのは、村上春樹さんが、初期の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」のことを、デタッチメント、まあ世の中から切り離れたい的な感覚の作品だ、とおっしゃっていたこと。「羊をめぐる冒険」から、どうコミット、まあ世の中や社会と向き合えるか、関われるか、というつもりで書いた、と。

    で、僕は、再読していませんが、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」がいちばん好きなんですよね(笑)。村上春樹さんの小説の中で。
    それはすごくなんだか納得したのは、ただタンに自分の好みなんですが、

    「あー、なるほど、僕は村上春樹さんが、世の中とか社会から離れようとする身振りにすごく共感した、あるいはするンだけど。
    村上春樹さんが世の中とか社会に向き合って関わっていこうとする様子、あるいはこう関わるべき、こう関わりたい、という想いに、なんとなく共感できないのかなあ」

    というコトでした。
    良いとか悪いとかではなく。
    そのあたりはすごく納得で。さすが作者さん(笑)。

    まあ、本としては、正直、テーマも曖昧というか(笑)。
    題名が正直だと思うんですが、村上春樹さんと河合隼雄さんという巨匠ふたりの共演にしては、おふたりの「タレント本」でしかないっていうか。

    「ルパンvs.ホームズ」よりか、「831」とか「パスカヴィル家の犬」の方が面白いし。
    「座頭市と用心棒」よりか、「座頭市」と「用心棒」の方が面白いし。

    もともとは岩波書店から出てるんで。
    まあ岩波さんとしては、「コレはまあ、売れるための本」という認識だったのでは・・・と意地悪くちょっと思ってしまいました(笑)

    でもすっごく読みやすいですよ。
    村上春樹さんのファン(特に「ねじまき鳥クロニクル」僕は読んでないんですが・・・)、あるいは河合隼雄さんのホンをとりあえず試してみたくて、村上春樹さんのことが割と好きなヒト。には、超・おすすめです!

  • デタッチメントの確立の先に深い意味でのアタッチメントがある。完全なデタッチメントを目指そうとしても人間はそこまで強くない。かといってアタッチメントの割合を高くしていって人に依存するようになると長続きしない。羊4部作やノルウェイの森で語られ続けてきたテーマだけに共感するものがあった。

  • 『ねじまき鳥クロニクル』を書き上げた村上春樹が
    心理学者の河合隼雄と対談したもの

    とても観念的な内容なのでじっくり読まないと理解できない
    さらにお互いが補足したいことをフットノートに上下段に加えているので
    とても読みづらいというか 
    読みたいのだけど対談内容を集中して読みたいのにそちらも気になる

    『ねじまき鳥クロニクル』について書かれてあるところが多く
    再読したくなってしまった
    2巻で完結とするか3巻で完結とするか読者に委ねている

    前書きが村上春樹
    後書きが河合隼雄

  • 今から25年前の対談だけど十分面白く読める。
    印象に残ったのは、河合さんが、映画を見ても批評ということが出来ない、主人公はあの時ああやったらよかったなとかそういうことしか浮かばないんですと言われた所。
    心理療法家の方に分析めいたことは失礼だけど、この人はとても強く人に感情移入する性質を持っておられたのだと思った。

  • 村上春樹氏と心理学者である河合隼雄氏との対談。村上氏自身のコミットメントが強く生じたオウム事件や阪神大震災まもない時期、名作『ねじまき鳥クロニクル』を書き上げた時期ということもあり、談話内容はなかなかに興味深い。おふたりの話は高度で非常に観念的であり哲学的でもあるので、読者側で反芻して咀嚼する必要があるがおふたりの思考は深いところで繋がりあっているのがよくわかる。箱庭療法に対する日米の違いのエピソード(言語的左脳的な米と、非言語的右脳的な日)は、文学や心理など目に見えない「魂」といった類を扱う者らの文化論として示唆に富む。

    特に関心を惹かれたのは村上氏のアメリカでの大学講義の話であった。『ねじまき鳥クロニクル』の見解を「一読者としての見解」として紹介すると、アメリカでは「お前が作者なんだから作者の意図だろう」と突っ込まれるのに対して、日本だとすんなり受け入れられる。村上氏らしいスタンスだが、解釈が難しい作品だけに、私もやっぱり後者の気分(そもそも解釈する必要があるのかという意見も日本ならあるかもしれない)。

    後書きが河合隼雄氏なのも面白い。

  • 再読

  • 村上春樹と河合隼雄の対談。私は『ねじまき鳥クロニクル』を読んだことがないので、なんとも言えないのだけれど、村上作品をもっと読んでみたくなった。

    もともと河合隼雄は敬愛する方で、彼の社会を見る目にはうなずかされたり、開眼させられたりしてきたけれど、この対談も同じだった。村上春樹の小説家としての心理的葛藤も語られていて、興味深かった。

    村上作品は少ししか読んでいないけれど、それでも私が常々抱いている想いへの答えのようなものも述べられていて、時宜にかなった本との出逢いだったと思う。

    読みやすいけれど、深い内容の本。

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