- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001456
感想・レビュー・書評
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村上春樹作品は今まで1作しか読んだことなく、これまでストーリーテリング=小説と思っていた私には、何が何なのかよくわからず終わってた。大きく今見方が変わった気がする。
心のタガが少し外れた。
生きるとは自分の物語をつくること、につながった。
2016.6.12
もっとずっと読んでいたい対談だった。お二人の対話で話題は全然関係ないのだが、自分の深い部分が癒やされていくという感覚がある。
最初に読んだ時から今までの間に村上春樹の本は随分読んだ。
夫婦とは井戸堀りというのと暴力性についての項が響いた。
2023.10.7詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
村上春樹のデビュー以降の心持ちの変化が本人から述べられているのが興味深かった。
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お二人の対談集。
村上さんの,繊細で,大胆で,思いもよらない世界の切り取り方が,本当に面白い。
コミットメントを求めつつ,そのうまいやり方が分からない日本。デタッチメントを求めつつ,それだけでは満たされない日本。この人の表現する「井戸掘り」というのは,自分のイドや超自我にアタッチし,自我を再編成し続ける行為のことなんだろうと思う。 -
村上春樹「職業としての小説家」の20年前。作家としてターニングポイントとも言える「ねじまき鳥」の直後にあたる。河合隼雄について、小説作法についての変遷がわかる。それにしても河合隼雄はあくまでカウンセラー、気づけば村上春樹をカウンセリングしているかのよう。
面白かった視点メモ
書くことがいかに体力を使うか。壁抜けや井戸を掘ること。
作者が物語を全部わかっているわけではない。書いてからわかることがある
普遍性をいかに生きるかが個性。ある人はカウンセラーに、ある人は小説家に。 -
■書名
書名:村上春樹、河合隼雄に会いにいく
著者:河合 隼雄、村上 春樹
■概要
村上春樹が語るアメリカ体験や’60年代学生紛争、オウム事件と阪
神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、
一人一人が独自の「物語」を生きることの重要さを訴える。
「個人は日本歴史といかに結びつくか」から「結婚生活の勘どころ」
まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、
いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする。
(From amazon)
■感想
自分にとって面白い部分が多かった対談でした。
ですが、少し同じことを違う言葉で話して冗長感を感じました。
お二人とも自分を持っているから、対話しているようで、実は
会話になっていない部分もあったように思いますが、それでも
よく分からない抽象的な次元で会話しているな~と感じました。
心理学者と村上春樹さんは相性が悪そうに思いますが、この二人
に関しては、お互いがお互いを否定しないので、会話がスムーズ
に流れていきますね。
これ、二流の心理学者だと、もう村上さんが嫌になる感じが読んで
いて浮かびます。
そういう意味で絶妙な組み合わせだと感じます。
話している内容は、今の若い人、年寄りの人の両方に当てはまる
普遍的な日本人論という感じです。
お互いの日本人の価値観、日本人の姿を話して浮き彫りにしていく
作業をしています。
ここの記載が正しいわけでは無いですが、思い当たることも結構
書いてあり、なるほどね~と読む事が出来ました。
最終的には、結局だからなんだ?という部分に落ち着くのですが、
それは読み手が頑張って自分なりに考えればいい事ですからね。
答えを求める本では無く、対談を楽しむ本だと思います。
何かの答えを求めて読むと、恐らく幻滅しますのでご注意を。
というか、このレベルの本で答えを見つけられる人って、そもそも
自分で自分なりの答えを作れる人だと思いますけどね^^;
■自分がこの作品のPOPを作るとしたら?(最大5行)
心理学者と作家の対談が楽しめます。
村上さんの作品を紐解く本ではなく、二人の考えを共有する過程
を楽しむ本です。
■気になった点
・日本人は、個人の自由と言いながら、みんなが集まると、個人の
自由を許さなくなるのが面白いです。
(「おまえ付き合い悪い」とかは典型的なものです。)
・自分のしている事が誰かに害を加えているかもしれないという
事は、常に考えるべきだと思います。
・苦痛の無い正しさは意味の無い正しさだと思います。
・人間は弱いものですから(笑) -
コミットメントとデタッチメントは世代共通の課題。
まわりから、自分の意見を引き出されてるのがわかりやすい。 -
もうずいぶん前の本だけど面白かった。人間には「暴力」を求める(?)性質が元々あるっていう話とか。「人に暴力をふるってはいけません」っていうスローガンはごもっともなんだけど、それだけじゃ何か足りないんだよね。
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阪神淡路大震災とオウムサリン事件があった1995年
わたしは大学生で、混沌としている日本を見つめつつ
バブルの余韻も引きづりながら、勉強もそこそこに、遊んでばかりいました。20年経ってこの本に出会ったのですが、あのころの自分は、コミットするものを手探りで探していたのかなと振り返って今、ふと思うのです。 -
時間をおいてもう一回読み返したい。