世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

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著者 : 村上春樹
  • 新潮社 (2010年4月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (410ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001586

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)の感想・レビュー・書評

  • 感覚的にいえば、とても心に訴えかけられる話だった。
    だけど、まだ自分の本を読む力のなさも同時に思い知らされた。
    感情の説明もできないし、頭の中がまとまらない。
    少し時間をおいて、もう一度上下とも読み直そうと思います。

  • 上巻に引き続き内容が楽しみに
    期待してしまう。
    読み終わってみるとやはりもっと完結な結果を期待してたのですが・・

  • とても面白かった。生死、アイデンティティー、人生が主題か? 私の少ない語彙では主題が何たるかを表現できないけれど、そんな風に感じた。

    実を言えば、下巻の中盤まではそれほどのめり込んで読んではいなかった。もちろん読み切るほどであるから、面白いと感じてはいたけれど、友人が勧めるほど(私は友人が勧めたから読んだのだ)ではないと感じていた。

    しかし、下巻の中盤以降の勢いには圧倒された。自分ではどうすることもできない運命を納得していく(=受け入れていく)に当たって主人公に漂うある種の諦観、そしてありふれた普通の世界への愛を感じて、圧倒された。

    カタルシスなんだろうか。この筆舌に尽くしがたい読後感は本書以外ではなかなか味わえないものだろう。流石世界の村上春樹と言ったところか。

  • 読了した瞬間は「やっと終った」という感想しかでない。下巻の後半は字を目玉でただ追っているだけという状態になった。
    たとえ読書会があったとしても、今後は村上春樹の小説は読むことないだろうと思う。

  • 春樹作品の中でも特に文学的要素が強いというか、設定や世界観が抽象的で難解だった。

    組織(システム)に所属する計算士である私。組織と敵対し、情報を盗み取ろうとする工場(ファクトリー)の記号士たち。

    一方で「世界の終わり」では壁で囲われた町に入れられた僕が影を切り取られる。そこの町で夢読みとして図書館で古い夢を読まされる。

    最後、私は限られた時間を大切に過ごす。コインランドリーで洗濯をし、煙草を吸い、音楽を聴く。

    ---

    memo

    上巻

    90
    私はつねづねソファー選びにはその人間の品位がにじみ出るものだと――またこれはたぶん偏見だと思うが――確信している。

    94
    私はソファーに対するのと同じようにサンドウィッチに対してもかなり評価の辛い方だと思うが、そのサンドウィッチは私の定めた基準線を軽くクリアしていた。パンは新鮮ではりがあり、よく切れる清潔な包丁でカットされていた。

    145
    「車とは本来こういうもんなんです」

    193
    私の生活は性欲よりむしろ食欲を中心にまわっているようなものだから、それはそれでかまわないの。セックスというのは、私にとってよくできたデザート程度のものなの。


    下巻

    258
    俺はこの前君と会ったときに、この街は不自然で間違っていると言った。そして自然で間違っているなりに完結しているとね。

    300
    たとえ何であるにせよ、何かを信じるというのははっきりとした心の作用だ。

  •  昨日『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(以下『世界の終わり』)を読了し、「春の熊」の興奮とはまた別に、またこの小説が他の一般読者に与えたであろう衝撃とは別に、いかにも個人の秘密めいた範囲でひそひそと発見をした。

     まず前置きとして『世界の終わり』は認識の内部で時を想像することによる、認識外の「時の凍結」を幕引きとしている。こういう言い方をすれば、小説の大団円を語っても差し支えはないと思う。

     主人公は「眠りがきた」と言い人生の幕を降ろすのであるが、この様子と、彼の認識内部の世界としての「世界の終わり」が、私に一点の発見を思わせる。「世界の終わり」というからには忘却と崩壊の最後かと思いきや、そこは完全の均衡が保たれた、永遠の「場」なのだった。

     終末におとずれる、永遠かつ完全なる均衡の一点。この瞬間の描写のために、幾人もの芸術家が人生を削った。彼らが今、その一点にたどり着いたのか、僕は知らない。ただ、イギリスの詩人・小説家D.H.Lawrenceがその完全なる一点を描写するために「死の舟」という詩を創作したことは知っている。

     ロレンスはその詩のなかで、死出の旅としての航海を物語り、そのなかに「眠り、夢、忘却、目覚め」という、永遠の一点に到達するまでの道程を描いた。見逃せないことに彼は永遠の一点を、完全なる均衡のとれた瞬間だと述べている。

     以上はロレンスの詩集、手記、論考を勘案したうえで総合的に導きだした一案だということを加え書きさせていただきたい。ともかく大事なことはデュラン・デュランでもなく魂のルフランでもなく、死生観を語るうえで、完全なる一点かつ永遠の瞬間、というものを持ち出す芸術家がその他大勢いるということである。

     しかし問題は「そんなのありえませんが」という冷ややかな目線と、このディジタル・ストーム社会では役に立たないものを見るような、生の世界に充足する人々の態度である。死の世界などない。そう言い切ることのほうが、我々「現実」の認識に生きるものとしては確実な合理性をもっているし、「目の前のガラスを叩けば割れる」などという意識がある以上、それはまさしく必要な認識ルールなのである。

     そんな現実、ハードボイルド・ワンダーランドにおいて村上は、完全なる一点としての永遠の瞬間にたどり着くための「デバイス」そして道程を、あくまでクールに描いたのである。ロレンスがエトルリア文明の墳墓に完全の瞬間を背負わせたのと正反対に、村上はそれを「ダニー・ボーイ」であるとか、ピンクの豊満な女の子であるとか、腕輪とかにのせたのである。

     もっと言えば「リアル」を精密に受容している(であろう)機関である脳をその仕掛けの根幹として、そして肉体の永遠保存をマジックのタネとして、あくまで足取りは軽く、その一点にたどり着いた、いやむしろ最初からその情景をたたえた「場」を提示していたのである。

     そして村上の「完全」は、限定された「場」のうちでの永遠性であったという点において、ある種の固着であると言える。つまり完全であり均衡を保っているからには静謐な停滞状態が保たれねばならず、その条件を「世界の終わり」はそなえている。そういった意味でも、一点の停滞状態でありながら、永遠性をもっているということが描かれた世界なのだ。

     僕はロレンスの完全なる瞬間を「夢のなかでの目覚め」、それも元の世界とは異なる場所への目覚め、というように考えていた。『世界の終わり』の主人公は「眠りがきた」と言い「世界の終わり」へ進入した(と思われる)が、これもまた日常の眠りとは違う眠りへの確信、そして日常の夢とは異なる夢、すなわち認識内部の世界への確信、という点において、フェーズの高まった夢であると言えよう。夢だろうが現実だろうが、それは認識の問題なのである。

     村... 続きを読む

  • 研究者を助けに地下に潜った計算士。研究者の語る計算士の秘密。世界で一人実験に耐えた計算士の秘密。
    影との再開。壁に囲まれた世界からの脱出を試みる僕と影。楽器を求める僕。森の近くに住む男。影との協力で世界の終わりからの脱出に成功しそうな僕。

  • 中欧旅行のお供‥ほぼ帰ってから読んだけど。新刊に影響されたわけでもないけど、久しぶりの村上春樹。
    あー、ちくしょー、面白かったぜ‥ 悔しいけど5かなー、なんで悔しいのかわかんないが。
    んーとー、なんつーか、いちいち額縁に入れて飾っておきたいような絶妙にセンスのある描写と、他の作品にはあんまりない(と記憶している)何なのどうなるのってストーリーの緊張感、両方あったところかな。この、感想に何を書いても蛇足になるあたり、やっぱこの人すごいや でも素直に心からファンです!ってなれないのはよくわかんないけどやっぱちょっとキザっぽいからかな
    きっとアレがアレを暗示してて、とか色々あるんだろーけど、でもそんなんより読んでる時の‥ んー、心がしんとする感じがいい。最後、「えっ!」ってなったけど笑
    悔しいから上巻は4で。

  • クリフトファーノーランは村上春樹のこの20年以上前の小説の影響を受けたんじゃないかと思ってしまう被り方。こっちが後になっちゃったけど。
    シャフリングその他の理屈が全く訳がわからないのに妙に納得して受け入れてしまう。ほんで、ほおー!とか思っちゃう。


    小説はふるければふるいほど良い。
    村上春樹のなかでは1番かな。

  • 10年以上前の欧州一人旅のお供に。車窓からの景色と世界の終わりの景色が重なり、現実と本の世界が繋がった感覚を今でも覚えている。

  • 「君を失うのはとてもつらい。しかし僕は君を愛しているし、大事なのはその心のありようなんだ。それを不自然なものに変形させてまでして、君を手に入れたいとは思わない。それくらいならこの心を抱いたまま君を失う方がまだ耐えることができる」という言葉がすき。愛することは心の作用そのもので、心を失っては、なんら意味を為さない。率直な言葉で、胸に残った。
    読後すぐの感想は、理想的な死って、こういうものかもしれない、ということ。完全な世界を永遠にさまよいながらも、博士の孫娘に解凍してもらえる可能性があるなんて、ロマンがある。
    世界の終わり、という精神世界は、理想的で美しく、哀愁があっていい。弱いものを犠牲にした完全性を受け入れるかどうか、ということを、もっと突き詰めるかと思いきや、そうはならなかった。
    ハードボイルド・ワンダーランドでの冒険はワクワクして読めるし、最期を迎えるまでの過ごし方はとても素敵。人生最後の日がこういうのも、なかなか悪くない。
    世界の終わりで、心を持った僕が、心をなくした図書館の女の子を愛してしまうところも好き。愛しても、心のない彼女が報いてくれることはないというのが切ない。だから、僕が彼女の心を探しあてたところは、ちょっと物足りなかった。
    全体を通して、男の人のロマンが詰まった話だと思った。冒険があり、大人のライフスタイルがあり、魅力的な女性が出てくる。
    また、飲食物やファッション、比喩など、全てが洒落ていて、いい音楽を聴いているみたいな上質な気持ちになることができた。読み終えるのがもったいなかった。面白かったです。

  • 10年以上ぶりに読み直した。春樹すごすぎ。言うまでもなく彼の最高傑作の一つだと思う。

  • 村上春樹さんがみてる世界は私がみてる世界よりも何世紀先を見ているんでしょうか・・・・・。良い作品だということは解ります。これから買いに行って、何回も読んでもっと理解を深めていきたいです。

  • え、そっちに残るの?

    それぞれがベストな選択をしてるんだろうけど、読者としては俯瞰で見てるから残念な気分になる。

  • 設定が現実離れしてる割には内容がスラスラ頭に入りました。
    ハードボイルド側の主人公はやっぱりかっこいいし、とても好きです。
    比喩も独特で、ギザのピラミッドのくだりは特に好きです。
    久しぶりに一冊読み終わって頭の中が空っぽになる気分が味わえました。

  • 身に覚えのないトラブルに巻き込まれた「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公。
    身を隠した科学者を探し出し、その身に人体実験を施されたという事実を告げられます。
    科学者の好奇心は往々にして残酷で迷惑。
    自身の研究欲に周りを巻き込むものです。
    おのおのの持つ道理が異なると、社会の常識は機能しないという世の複雑さへの具体的な描写。

    スタンダールやツルゲーネフの作品をドストエフスキーと比較して語っているところに、著者の文学的好みが表れており、興味深いです。
    しかし下巻も、暴力性を感じさせる表現が目につきます。
    また、彼と一緒に科学者の元へと向かう娘が、逃げ道を不自然に詳しすぎ。
    学校に行かなかったため、世間知らずながら、祖父である科学者に英才教育を受け、馬に乗れ銃を使いこなせるというスーパーガールです。

    あまり人付き合いをしない、友人のいない主人公と関わるのは、毎回女性。
    村上作品の常なるパターンです。
    これを男性にしてみるような挑戦はしないのだろうかと考えます。
    真実を求める逃避行の相手を少女ではなく少年に。
    すると、必ずもれなくついてくる性的色合いがなくなると思うのですが、そうすると著者独特のカラーが消えてしまうのでしょうか。

    科学者と会ったのちには、あれほど恐れていた組織はほとんど登場せず、話の流れにも関係なくなっています。
    やみくろも危害は加えず、その存在で主人公たちを脅すだけ。
    思ったより恐怖は尻つぼみでした。
    主人公が自分の消滅を諦めて受け入れたことで、生き抜くために恐怖との闘いをする必要が無くなったということかもしれません。

    現実世界での死が、彼のもとに訪れますが、その描写は悲しくはありません。
    巻き込まれ型の完全な被害者なのに、死を受け入れるという点は八方塞がりのようではありますが、現実的なエンディングであり、自主的に逃避行を行ったところから、完全なる受け身の存在ではなかったという人生意義が生まれています。
    死を受け入れ、終わりを迎えるにあたり、ドタバタだった彼の生活がようやく静けさに満ちてきます。
    ゆったりとした落ち着いた終焉。

    下巻での、2つの世界を結ぶキーワードは、手風琴と「ダニーボーイ」の歌でした。
    「世界の終り」の主人公は、切り離された自分の人格=影に、互いが生き延びる方法を持ちかけられ、秘密裏のうちに逃避へ向けて動きだします。
    影と切り離され、徐々に記憶が薄れていく主人公。
    自分の分身と切り離されるというところで『ライラの冒険』のダイモンを連想しました。

    心を手放したことで、感情にかき乱されることなく、穏やかに淡々と暮らす人々。
    もはや失われつつある心を手繰り寄せたきっかけは、音楽でした。
    手風琴とはアコーディオンのことだったんですね。
    手風琴をつまびきながら、忘れかけていた「ダニー・ボーイ」を思い出し歌ったシーンは感動的です。
    音楽が存在しない街、何が欠けているのか分からない住民、という設定に、伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』を思い出します。

    ラストシーンが不可解で、しばらく頭を悩ませました。
    主人公「僕」は影と一緒に町から逃げ出すことをやめ、影だけ壁の外へ逃がします。
    僕の選択は本当に正しかったのでしょうか?
    「自分が作った世界なので、ここに残って責任を果たす」という残る理由が、的を得ていません。

    影を生かしたことで、僕の心は死なずに済みます。
    しかし、心を持った人が街の中(正確には追放されるため、森の中)で暮らすのは、かなりつらいことではないでしょうか。
    心を失った図書館の女性と、どこまで愛を育めるものでしょうか。

    しかも、これまでの自分の記憶は失われるのです。
    それは、今までの過去からの決別という... 続きを読む

  • 2つのまったく別のものに見えていた世界が最後に(なんとなくだけど)つながって、面白かった。
    結局ハッピーエンドだったのか、なんなのか・・。
    結末が見たい。
    影がかわいそうだった。

  • 個人的村上春樹唯一無二の傑作。

  • これだけの大作を、頭の中で巡らせることができる人が日本にはいるのか…ということに、素直に感動しました。
    緻密な設定で、的確な表現で、しかし堅苦しくはない。

    村上春樹の作品は音楽を重要なものとして扱うことが多い。
    この作品においては、音楽の無い世界「世界の終り」で、初めて音楽が奏でられるシーンがある。唄でつながる二つの世界…なんと素敵な設定だろう。

    また一つ冒険を終えたような気分。

  • ご存知、春樹の代表的な作品。
    「世界の終り」という物語と「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語が同時進行していく。奇数章がハードボイルドで、偶数章が世界の終わり。
    「ハードボイルドワンダーランド」の主人公は「私」で計算士という仕事をしている。

    「世界の終わり」の主人公は「僕」。僕と僕の影は引き離され、壁に囲まれた世界で生活している。影が死んでしまうことで、人は心をなくし、「完全」となる。(影=心なのかな?)
    「ハードボイルド」の私は死を覚悟し、それに向かって動くが、
    僕と影は「世界の終わり」の街から脱出を試みて、
    出口であろう、川にとびこもうとする。
    しかし、ぎりぎりのところで僕は森に残ることを決め、影と別離する。
    そしてワンダーランドの私の意識は消失してしまう。

    もし、僕が森に残らずに、影(心)とともに脱出を成功させていたら、「私」は死ななかったのだろうか?
    「世界の終わり」と『ハードボイルドワンダーランド」が
    『ダニー・ボーイ』でリンクしたときはぞくっとした。
    忘れた頃にまた読み返したい。

    村上春樹の小説はあれこれ理由など考えずにフィーリングで読むのや一番だと思う。

  • 電車通勤の時間を利用して読んだ。

    なんとなくで読んでしかないけれど、世界の終わりというテーマと村上春樹がよく描く人や社会との関わりにあまり主体的でない男の心情変化が良い化学反応を起こして、死とは何か生きるとは何かを読者に考えさせる作品になっていると感じた。
    合っているかは分からない。あるいはね。

  • 食わず嫌いしていた村上春樹を初めて読んだ。最初は抵抗が強かったがだんだん慣れた。ファンがいう独特な面白さもなんとなく理解できた。どこか哲学的だった。ファンタジーでありながら、日常の見え方を少し変えるような物語。


  • ハードボイルド:第1の世界:主人公の現実世界

    第2の世界:主人公の無意識の世界:シャッフルするときに利用

    世界の終わり:第3の世界:博士が作った主人公の第2の世界

    回路が第1に戻せなくなって、主人公は第3の世界で生き続ける。(脳は生きている状態。夢の世界で生き続けるイメージ。)
    ただ、影が戻ったってことは、心(マインド)は彼のままであり続けるのかと。

    第3の世界で生き続ける主人公はいずれ、彼女と過ごしたり音楽などに触れ、第3の世界で心(マインド)を取り戻すことができて、第3の世界(無意識の世界)を意識的に行き来できるようになるのではないかと想像しています。



    自分で無意識に選択していることって、ほかの人に影響されて作った世界の中で選択していると思う。

    身近に別世界があったりしたら、、
    この世界は偽物で本物は別にあるとしたら、、
    見えているものは全てが正しくはないのでは、、
    想像してしまうから脅威に思うのでは、、
    など、この本を読みながら色々考えてしまいました。


  • 2つのパラレルワールドの物語。
    一角獣が住む、壁で閉ざされた「世界の終わり」
    計算士と記号士、組織(システム)と工場(ファクトリー)が争う「ハードボイルド・ワンダーランド」
    2つの世界を関連付けるメタファーがズキズキと心を刺激します。
    いつも村上春樹の描く男性主人公がたまらなく好きだが、ハードボイルド・ワンダーランド側の主人公は、いつもと少し違う雰囲気で、新しい一面を見た気がしました。

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)の作品紹介

の意識の核に思考回路を組み込んだ老博士と再会したは、回路の秘密を聞いて愕然とする。私の知らない内に世界は始まり、知らない内に終わろうとしているのだ。残された時間はわずか。の行く先は永遠の生か、それとも死か?そして又、"世界の終り"の街からは脱出できるのか?同時進行する二つの物語を結ぶ、意外な結末。村上春樹のメッセージが、君に届くか?

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