1Q84〈BOOK3〉10月‐12月〈後編〉 (新潮文庫)

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著者 : 村上春樹
  • 新潮社 (2012年5月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001647

1Q84〈BOOK3〉10月‐12月〈後編〉 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ボートを川の上流に向かって漕ぐように
    少しずつ進んでいるように見せて、
    少し手を休めて考えていると、気づくとボートは
    また元の場所に戻ってしまう。遅々として進まない場所
    まとまらない思考、見えない足元。

    感覚はとても近くにあるのに、実際の距離は遠く
    他人の夢を見ているような、プルーストの世界と1Q84の世界。

    他動的な何かに運ばれ1Q84に来たわけではなく
    いるべくして自分はここにいるのだと確信を持つ青豆。

    「空気さなぎ」の本によって明文化されることで
    非活性化されたリトル・ピープル。

    本人の意図するところとしてではなく作られた
    列車としての天吾の物語と思考や常識は
    もはや超えてしまったところでの青豆の確信。
    2人にとっての1Q84と猫の町。

    両手を何にも塞がれず、何事に揺らぐこともなく
    ただお互いの存在だけを信じて辿りついた場所が
    ただただ心穏やかで温かくてうれしかった。

    すべては解き明かす必要もなく、穴は塞がれた。
    ただ事実としての現実を知ることより、
    想いがそれを持ち去っていくことも素敵だと思う。
    深く慎重に探してきた道に光が見えて、ドウタとして
    この世に生まれてきたキモチになるラストでした。

    初めての村上作品で、難しいのかなぁ…と
    不安に思いつつの読み始めだったけど
    すごく読みやすく、心情と情景の溶け合った風景が
    すごく想像しやすく、心の中の思いを
    一番伝わりやすい形でコトバという記号を使いながら
    いつの間にか頭の中に言葉を言葉としてでなく
    より深い意味で溶け込ませてくれる力に驚きました。

    言葉の枠を超えていくための言葉。
    村上春樹さんという作家の素晴らしさに出逢えて感激しました。

  • 最後までスッキリしない。
    あんなに重要だと思っていた、ふかえりのその後も描かれていないし、なぜ「さきがけ」がカルト教団のように変貌したのか、すべてリトルピープルの仕業というのか。それにしても、リトルピープルの詳細も不明…
    村上春樹を初めて読んだ私としては、村上作品はこういうものだと納得するべきなのか⁈
    謎が多すぎるけど、何となくハッピーエンドで終わった。

    2015.6.27

  • 「村上春樹 変奏曲」による、「1Q84」 最終読解 

    「彼らは私を必要としているんじゃない。
    必要としているのは、私のお腹の中にいるものだと思う。
    彼らはどこかの時点でそれを知ったのよ」

    「ほうほう」とはやし役のリトルピープルがどこかで声を上げる。

    「彼らは声を聴くものを必要としている。
    つまり、あんたのお腹の中にいる子供が、その<声を聴くもの>ということになるのか?」

    「ほうほう」と残りの六人のリトルピープルがどこかで声を合わせる。


    ここまで長い時間をかけて「村上春樹 変奏曲」にお付き合いいただいたみなさんに対する礼儀として、結論から、言おう。1Q84のQは、「処女懐胎」に収斂する。
     しかし、それが青豆のお腹の中に宿った「小さなもの」だけをあらわしていないから、1Q84の謎はなかなか解けない「Q」になるのだ。実は、この物語は2重に仕組まれた「処女懐胎」の物語なのだ。
     だから、この2重リングの謎を解くには、まずは目の前にある青豆の「処女懐胎」から解明しなければならない。そのために我々は、変奏曲の解釈に従って、小説「1Q84」の四人の主要人物を再配置するところから始める必要がある。

     小説「1Q84」の四人の主要人物とは、天吾、青豆、ふかえり、教団のリーダーである。読解のポイントは、「村上春樹 変奏曲」第1楽章の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と、第2楽章の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の読解を応用して、最終的にこの四人の組み合わせが「1Q84なる世界の、どの部分に、どんな影響を及ぼしたのか」という構造を解明する。
     その上で、第3楽章の「羊をめぐる冒険」と第4楽章の「ねじまき鳥クロニクル」の読解を使って、「この物語の真の主人公とその行動の意味」を解明する。それらすべてを使って、小説「1Q84」に仕掛けられた村上春樹の企みを読解するのだ。

     では、中心人物の組み合わせの検証からはじめよう。「1Q84なる世界」において、天吾と青豆は「世界の終わり」の主役カップルであり、ふかえりとリーダーは「ハードボイルド・ワンダーランド」の主要なカップルである。しかし、四人はこの正規のカップリングとは別の共同作業グループを形成する。それぞれの組み合わせの意味を読解のピンセットでひとつずつめくりながら分析していこう。この組み合わせのなかで、主にストーリーを展開するのは、ふかえりと天吾、青豆とリーダーという、ふたつの組み合わせだ。

     ふかえりと天吾は共同作業として、小説「空気さなぎ」を世に送り出す。「空気さなぎ」はふかえりが企んだ反リトルピープル的モーメントであり、天吾がリライトするなかで細部が立ち上がった世界である。このふかえりと天吾の協働作業によって、リトルピープルが開いた通路とは別の通路が開かれた。この新たな通路が、「ふたつの月の世界」を創出し、そこに青豆を召還することで「ハードボイルド・ワンダーランドの世界」がスリリングに展開されていく。

     それにくらべて、リーダーと青豆の協働作業は、一瞬だった。雷雨の一夜「青豆が苦痛のない死を与えることの見返りに、リーダーが天吾の命を護る」という取引が合意する。
     殺害の瞬間に約束は果たされる。この「ハードボイルド・ワンダーランド」の行動は、実は「世界の終わりの世界」に通じていた。リーダーは、この瞬間に「世界の終わりの世界」において、「滑り台の世界」を現出させたのだ。
     これで「教室の世界」を入口にして「幻想の世界」に彷徨い込んだ青豆と天吾に、出口が与えられた。青豆が命を捧げることで、入口と出口がやっと開通したのだ。

     ストーリー上は見えにくい組み合わせだが、ふかえりと青豆も同じく「一瞬の共同作業」を行なう。ふかえりが天吾に施すオハライのクライマックスの刹那のことだ。その一瞬、ふかえりが介在することで青豆は天吾と多義的に交わる。
     このクライマックスで、ふかえりが「テンゴくん」と繰り返すのは、この交わりが、ふかえりと天吾のものではなく、青豆と天吾のものであったことを示す証拠だ。クライマックスの瞬間において、ふかえりはただの通路にすぎなかった。青豆と天吾は20年の時を経て、ついに結ばれ、同時にリーダー殺害をする。これが「多義的な交わり」の正体なのだ。そして、ふかえりを媒介にして、天吾と青豆は「処女懐胎」を成し遂げる。
     
     第3章の宿題で、ふかえりがマザなのかドウタなのかが不明のままだった。読解を重ねたいまならそれは明快だ。ふかえりは心の影を失ったマザだ。
     リトルピープルは予言していた。「ドウタはマザの代理をつとめる。ドウタはあくまでマザの心の影に過ぎない。マザの世話なしにドウタは完全ではなく、長生きできない。ドウタを失えばマザは心の影をなくすことになる」
     空気さなぎによってマザとドウタに分割された深田絵里子は、マザふかえりになって教団から脱走する。当然、マザの世話を受けていないドウタふかえりは長生きしない。そして、ドウタを失ったマザふかえりは、心の影をなくしてしまった。マザふかえりは「損なわれた存在」なのだ。
     天吾も小松との会話でその事実に気付く。「ドウタなしでは、マザはおそらく一個の完結した存在とは言えないでしょう。僕らが目にしているふかえりがそうであるように、具体的な指摘はできないけど、そこには何らかの要素が欠落しています。それは影を失った人に似ているかもしれない」
     心の影を失ったからこそふかえりは、霊的な存在になったといえる。小説「1Q84」のふかえりのラストシーンは印象的だ。牛河が天吾の監視をするためにアパートの廊下から望遠レンズ越しにふかえりを盗撮しようとする。そのとき、ふかえりは牛河を凝視することだけで、刺し貫く。そして、その行為で牛河を裁くのだ。まるで「最後の審判」のように。牛河はその後、タマルに殺害されるが、タマルは裁きを実行しただけで、実際に牛河を裁いたのはふかえりだ。牛河が主体になっていた隠者と追跡者のゲームは、距離を縮め致死的な渦になっていた。この致死的なゲームの生贄にふかえりは牛河を選んだのだ。それも犠牲になった牛河に恋心を抱かせるというもの、美しい巫女である霊的なふかえりらしい。まさに神々しさが漂う。

     本来、深田保と深田絵里子という親子であるはずのリーダーとふかえりの組み合わせは、実はこの「1Q84なる世界」では、一度も交差しない。物語の前史として、パシヴァとレシヴァの関係を結んだと書かれているだけだ。しかし、正面にみえないからこそ、リーダーとふかえりの組み合わせの意味は大きい。
     教団の内部では、パシヴァとレシヴァの関係において、リーダーとドウタやマザたちが何度も、多義的に交わり、「処女懐胎」の奇蹟を起こそうとしていた。それはなぜか
     この読解に来て、我々はついにリトルピープルの最終目的を知るのだ。リトルピープルは、自分たちの声を届ける預言者を選び、その人物を通して世界を支配する。しかし、リトルピープルは深田保を預言者にした直後から、処女懐胎をさせる多義的な交わりを強要する。それはなぜか。
     リーダーだけでは、不足だからだ。預言者は二人必要だったのだ。リトルピープルの<声を聴くシステム>を完成させるためには、ふたりの預言者が必要なのだ。ひとつはパシヴァになる存在であり、もうひとりは処女懐胎の末に産まれてくる存在である。パシヴァは先に生まれ、究極の救済者が出現することを予言し、処女懐胎の奇跡を認定するのが役割だ。
     それは、キリスト教における洗礼者ヨハネとイエス・キリストの関係である。洗礼者ヨハネは、前駆者とされる。前駆の意味は旧約と新約の峻別による。ヨハネは旧約の最後を告げるものであり旧世界に属する。ヨハネによって洗礼されたイエスが新約の新世界を創造する。つまり、ヨハネ役のリーダーは露払いに過ぎず、処女懐胎の末に生まれてくる「小さなもの」こそ、リトルピープルが求める本命の創造主だったのだ。
     そう考えれば、リーダーがつくった教団の名前が「さきがけ」というのは意味が深い。リトルピープルの本命はパシヴァであるリーダーではなく、処女懐胎の奇蹟の果てに来る「小さなもの」なのだ。その人物こそ、リトルピープルの本当の使者になる存在であり、教団はそのための「さきがけ」だったのだ。

     しかし、教団内部での処女懐胎は実現しなかった。その方法に間違いがあったからだ。処女懐胎に必要なのは、パシヴァとレシヴァだけでなく、心の影を失ったマザと「決意」を胸に秘めた男女の3人だったのだ。この3人の組み合わせがあって、処女懐胎が成し遂げられる。
     周囲はその秘密を知らない。社会の無理解に囲まれた「秘儀」、その秘密を巡る追撃、もしくは無理解ゆえの「排斥」、これが「処女懐胎」をめぐる構造だ。
     それ故に、この秘蹟を行なった3人は狙われる。天吾は「猫の町」で、青豆は「1Q84年の世界」で、ふかえりは「ハードボイルド・ワンダーランド」で、いろいろな追撃者に狙われる。

     この「1Q84なる世界」は、この追撃をめぐる多層的な舞台だ。さながら夢の中の夢を描いた映画「インセプション」のように、世界観の上に世界観が積み重なっている。
     ふかえりが立ち上げた「空気さなぎ」の世界の上に、天吾がリライトして「ふたつの月がある世界」が重なる。そこに天吾が青豆を転移させたことで「ハードボイルド・ワンダーランド」が始まり、ふたりは同時に「世界の終わり」で「教室の世界」を再構築する。そこで、多義的な交わりをして、約束を思い出したふたりは、処女懐胎を成し遂げて、小さなものをかかえながら、敵から隠れ、出口を捜してさまよう。天吾は「猫の町」に隠れ、青豆は「1Q84年」に隠れる。リーダーが最後の奇蹟として「世界の終わり」に「滑り台の世界」を創る。
     こうした屋上に屋上を重ねる世界観の多層性こそが「1Q84」の最大の特長である。では、なぜこのような複雑な多層構造が必要だったのか? その読解が「1Q84なる世界」の最大の謎なのだ。そこには、作家・村上春樹が挑戦した大いなる冒険が仕込まれている。
     そのことに現実味がわかない読者には、つぎのように言うしかない。この多層性の企みの果てが、新潮社から出版された「小説 1Q84」であり、多層構造の影響は、いままさにあなたの手元にまで、及んでいる。すこしは我が事としてギョッとしてくれただろうか。
     これは「ネバーエンディングストリー」の「終わらない本」と同じように現実世界にまで影響を及ぼす物語の企てなのだ。「1Q84」は、村上春樹が作家人生をかけた遠大な冒険だった。村上春樹は多層化する世界を構築することで、「あるもの」を復活させようと企てたのだ。

    以降は、別の機会に記載します

  • やっと読み終えることができました。
    母が既に全巻持っていたから最後まで読めたものの、自分で買ってまで揃えるようなことはしなかったでしょう。

    2巻あたりまでは私が想像していたよりは比較的読みやすかったし、面白かったとも思います。
    それ以降はちょっと胸焼け。
    天吾にも青豆にも共感出来ず、二人の純愛だかなんだかしりませんがそういうものにも興味持てず。
    タマルとふかえりには好感持てましたが、なんといってもメインのおふたりに全く関心が無いのでどうしようもないですよね。
    勝手にやってれば、って感じでした。

    説明不足とか消化不良とかいった意見もありましたが、私は文庫で3冊ぐらいにまとめて欲しかった。
    あの比喩表現は確率で言えば20個あるうちの1個くらいは良かったのでそこだけ残してあとは省けばいいんじゃないかとさえ思いました。

    村上作品はこれ入れて3作品しか読んでませんが、やはり自分には合わないと確信したので、そういう意味では読んで良かったと思います。

    2013.05.13

  • 物語としては面白い。心に残る言葉もある。でも、どの登場人物にも感情移入できなかった。村上作品の主要な登場人物は、過去に心の傷を負い、そしてその傷に過剰に自覚的というケースが多い。でも一方で、市井の普通の人物が重要な役割を担っていたり、魅力的だったりもする。私は後者に感情移入しながら、村上ワールドに入り込んでいく。「海辺のカフカ」では星野君がその役割だった。
    今回も星野君を探しながら読み進めていく。長い話だからいつかは現れるだろう、とゆったりと構えながら。でも、結局、最後まで現れなかった。過去のトラウマに囚われて、深く誰かを求めている人物ばかり。高い壁をめぐらせる村上ワールドに入るための水先案内人がいない。外側から覗き見る。出口は塞がれてしまっているようだ。

  • 風邪ひき寝込みの週末に一気に読み切り。

    アクションもの、推理小説、新興宗教を題材にした現代社会モノ、いろんな要素が詰まってはいるが、結局は長い別離の末に成就した単純な恋愛小説に思える。物語の大半を占める暗殺やら文学の受賞やらは、主人公二人が巡り合うためのおぜん立てともいえる。まあ、筋に関しては読み手次第なのでなんとも言えないのだけれど。

    登場人物がすべて姓名で指示され、メタファーも昔に比べると極端ではない。具体的なので読みやすい。古い話だが、三部作なんて主要人物は「僕」とか「鼠」だったし、結局何が言いたかった分からないのに比べると、相当読みやすい。もはや瑞々しい感性とはかけ離れてしまった、社会まみれの年寄りには助かる。

    ただ、村上モノにはつきもののドぎつい官能描写が多く、電車で読んでたりすると、ちょっと恥ずかしい。ベストセラーだったはずだが、皆さんその辺どのように処理していたのでしょう・・・(会社でも女の子が「読みましたよ」なんて言うんだけど)

  • 時々、現実世界と並行世界の境界がわからなくなってしまいそうだった。時間の経過とともに登場人物の感情や状況が交わっていって面白かったが、さらに続きがあっても良いような気がする。それとも、それはあとには置いていけない秘密なのか。

  • とても読みやすい文章でさらさらと通り抜けて行く感じでした。
    他の方も書いてあるように物足りなさであったり主要人物のその後がどうなったかも書かれてはないが、私達が今生きている世界もはっきりとした結末がないまま、そのまま流されて行く事もある。
    青豆と天吾、小さなものが試練を乗り越えて生きていければよいと思いました。

  • 壮大なLoveStoryでした。
    第三巻位から物語のスピードが段々と早くなってきて、村上春樹の描くパラレルワールドに深く入り込んでしまいます。
    まるで彼の描く蜘蛛の糸に絡め取られる様に…。
    天吾編と青豆編、片方が佳境に入ると、続きが早く読みたくていても立ってもいられなくなる。
    そして、交互にやって来る幾つかの事件のヤマと緊張感。その巧みな展開は禁じられた薬物の様な中毒性を帯びていますw(゚o゚)w
    第四巻で一つの大きなクライマックスを迎えたあと、物語は微妙に性格を変え、追う者と追われるものとが逆転し、もう一人の追跡者の章が加わりそこに新たな緊張感が生まれる。非常に良質なエンターテイメントですね。
    この作品はセクシャルな表現も多く、また世の中の善と悪やモラルについて読者に観念的に問いかけている様に思い、映像化が難しい作品だと思いますが、やはりそこは読み手がそれぞれの頭の中で1Q84年=猫の町を思い描いて村上ワールドの余韻に浸りたいものです。

  • やっと6冊の文庫本を読み終えました。

    う〜ん、なんともいえない読後感。
    勿論、結末には希望がある、夢がある。
    でも、ここまでの長い道のりを歩んで来た身としては、もう少し欲しくなるところ。
    細かな疑問は随所に残っている。
    ただ、この小説の中で、幾度となく繰り返されたように、『知る必要のないこと』『言葉で説明されてもわからないこと』なんだと理解するしかない。
    マザとドウタについて、リトルピープルについて、様々な見解があると他の方々のレビューやブログをみていて感じます。

    それらを熟考することに意味があるような気がする。
    これはただのファンタジーではなく、
    現実世界に通ずる世界の一つだと仮定するとだけれど。
    その作業が殊更苦手な私としては、
    このような作品はあまり得意ではないのだけれど。
    それでも、読み進めずにはいられなかった、そんな作品でした。

    ただ、これは複数の読者が思っていると思うけど、
    セックスシーンの多さには驚いた。
    現在の象徴といってしまえばそれまでだけど、
    それが現実世界を感じさせる効果はあったけど、理解できないシーンも中にはあったので。

    暫くは読後感を味わおうと思います。

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1Q84〈BOOK3〉10月‐12月〈後編〉 (新潮文庫)の作品紹介

その誰かは、そこにあるものが本当にあることを確認するために、彼の幅広い手をいっそう強く握りしめた。長く滑らかな指、そして強い芯を持っている。青豆、と天吾は思った。しかし声には出さなかった。彼はその手を記憶していた。──青豆と天吾、二人は「物語」の深い森を抜けてめぐり逢い、その手を結び合わせることができるのか。ひとつきりの月が浮かぶ夜空に向かって……。

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