春琴抄 (新潮文庫)

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著者 : 谷崎潤一郎
  • 新潮社 (1951年2月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (106ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005041

春琴抄 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 盲目の美少女・春琴のドSぶりが凄いです。虫歯で苦しむ佐助の顔をおりゃーと蹴ったあたりなどは思わず笑ってしまいました。(笑)ぶったり、蹴ったり、撥で殴るのも日常茶飯事。それでも付いていくのは盲目の美少女であり芸道の達人というカリスマ性と、幼少期から主従・師弟関係にあるという、三つ子の魂百まで、というやつでしょうかね?
    いや、殴られるのは嫌ですが、こういう美少女なら自分も佐助のようにマッサージだの三助だの性のお付き合いだのはやってもいいかなという妄想を持ってみたりして・・・。(笑)
    もはや、愛だの夫婦だのという言葉すら陳腐と思えるほどの佐助の献身ぶりには、いちいち微笑ましく感じてしまいましたが(笑)、本当の意味でのドMに開眼したのは、やはりあの出来事の後、お師匠様・春琴と精神的にも繋がった瞬間でしょうね!ひたすらその瞬間を待ちわびて、そしてその境地に至った佐助の幸福感を谷崎はさまざまな角度から懇切に描写していて、何か妙に納得させられました。
    切れ目のない文章は最初読みづらかったのですが、慣れれば論理的かつ綺麗な表現がまた心地よく、主人公の内面にあまり立ち入らず状況だけの描写が逆に、谷崎の造り上げた精神的な美の境地のあり様を最初はしんみりと、しかし振り返れば強烈に読者の心に浸透させている感じがします。あと、場面設定の色彩感覚や音感覚にも優れた作品であり、雲雀を求めて天高く見上げる春琴の姿などはとても映像的!で美しいですね。
    精神世界の美に陶酔したい方にはお薦めの一作です。しかし、くれぐれも真似はしないように。いや、三助くらいなら・・・。(笑)

  • これが"耽美派"というやつなのですね。 主人公の出会いと別れまで、ほぼ日常生活を淡々と描いているに過ぎないながら、愛のみに生きる姿の究極が描かれている。子どもも生まれてしまうのに、愛の結晶という認識もまるでなく二人の世界。へぇー?!というしかない。 愛の果てに心中を図るようなことがなくよかった。個人的に。 解説に-潤一郎は道徳的に健康である・・・中略-健全ではない-と書かれてる。スゴイ納得。 読点のほぼない文体なのに淀みなく美しい。

  • 谷崎が求めた 愛の至上の姿か……

     一九二三年九月一日、関東地方に起こった大地震は、大多数の死傷者を出す大災害となった。この混乱に乗じて、社会主義者の大杉栄、伊藤野技等や、罪もない朝鮮人を多数殺したりして、天災と人災がいりまじった大災害でもあった。
     この大震災のために、東京在住の文化人が関西に移り住んで来たが、その中に谷崎潤一郎もいた。
     「春琴抄」が中央公論に発表されたのは、関西に移り住んで十年目である。この作品は、谷崎文学中、最高傑作と呼ばれ、何度か舞台化、映画化されできたのでご存知の読者も多いだろう。
     物語は、下寺町を通りかかった作者が、春琴の墓参りに立ち寄ったところから始まる。
     椿の木かげに鵙屋家代々の墓が並んでいるが、琴女の墓らしいものは見あたらない。寺男に問うと「それならあれにありますのがそれかも分かりませぬ」と急な坂路へ連れで行く。

    実話と信じで墓探す人も

     <知っての通り下寺町の東側のうしろには生国魂神社のある高台が聳えているので、今いう急な坂路は寺の境内からその高台へつづく斜面なのであるが、そこは大阪にはちょっと珍しい樹木の繁った場所であって琴女の墓はその斜面の中腹を平らにしたささやかな空地に建っていた>
    作者中の春琴は音楽の天才で、美貌に恵まれた冨家の娘だが、不幸にして幼時に失明、それも手伝ってか、わがままで傲慢な娘として描かれる。その春琴に幼少の時から丁唯として琴の稽古へ行く手引きをつとめ、春琴への恋慕と崇拝の念に導かれその弟子になった佐助が、生涯を通じで春琴に献身するのが、この物語の骨子であるが、その佐助の墓石は、死後にも師弟の礼をつくして、少し離れた場所に春琴の半分くらいの大きさで控えていた。
     小説中、二人の墓は格好の場所に、生前の様子をしのばせるように設置されているが、谷崎が手にいれて「春琴抄」を書くもととなったと書かれている小冊子「鵙屋春琴抄」は、作者の創作上のフィクションであって、実際には春琴の墓などない。しかし、谷崎の書き方がうまいため、実在の話だと信じた者が、ちょくちょく、寺へ墓のありかをたずねでくるという。

    自己を無にし春琴を愛した佐助

     この作品の圧巻は、何といっても、就寝中煮え湯を顔に浴びせられ、醜い火傷を負った春琴の変貌を再び見まいとして、佐助自身もまた盲目になるべく自分の眼を針で突く場面であろう。
    それは愛する人の変貌を見たくないのではなく、見ることによって愛する人の心が傷つくのをおそれたためである。相手(春琴)の存在のため、自分を犠牲にしつくす佐助の人生に、谷崎は愛の至上の姿を見出したかったのだろうか。
     地下鉄谷町線の谷九から西へ歩いて真言阪を上がると、そこが生国魂神社である。高台から、数知れないビルが立ち並ぶ大阪の町を見下ろしているとふと、春琴と佐助の墓が、今も変わらぬ師弟の契りを語りあって二つ並んでいるかのような気がしてくる。
     夕陽の沈みゆくころ、上町台地ぞいに源聖寺坂、学園坂、口縄阪、愛染坂、清水坂などを散策し、夕陽ケ丘へ抜けるコースは、風情ある夕涼みに最適である。

  • 佐助が目を針でつく場面は声をあげそうになりぐらい身体が痛くなった。
    本当にこれは「愛」なのか。

  • タイトル通り、架空の伝記である「鵙屋春琴伝」を作者(≒谷崎)が当時を知る人間からの聞き書きも加えてまとめたという体裁をとっている。

    三味線の師匠春琴の生涯を、彼女に献身的に仕え続けた奉公人佐助との関係を中心に描いた谷崎中期の傑作と言ったところでしょうか。この作品の目立つ特徴は、まず、改行がないこと、そして句読点が、ここに入れると文章の調子が整うという箇所以外には入れていないこと、かと思います。
    にもかかわらず、読みにくさよりも文章のリズムが先んじて読み手に入ってきて、名文と思わせる。修飾を省き、簡明な文章であるのに美文に昇華されている。

    断定を避ける文が殆どを占めるのも大いに技巧的。結末なんて「読者諸賢は首肯せらるるや否や」であるから、語り手は材料を並べるだけ並べて読み手に感じ方を任せている、ようにも捉えることができるのだが、断定を避けているからといって曖昧な文章なのではなく、断定を避けてる文章にもかかわらず、言うことはぶれていない。
    つまり、読み手はやんわりと語り手の意図する方向に誘導されているのである。これはかなり巧妙で、気が付けば読み手は物語世界に引きこまれている。

    僕としては、作品内全体の背後に流れている、「でも本当のところは春琴と佐助にしかわからないよ、ともすると本人たちにもわからないのかもしれないよ」という語り手からのメッセージがあるんじゃないかと思ってにやにやするのである。


    似た趣向を持つ『盲目物語』が、献身を最後の最後で己の欲望のための献身に変えてしまったことで堕落した物語とするならば、『春琴抄』は春琴を想う献身が極まり無比なる愛に昇華した作品なんじゃないかと自分のなかでは大分熱く考えている。
    文庫の後ろには初めの佐助の献身は被虐趣味だったなんて書いてあるけれども、この作品に被虐趣味は一度も登場していないと思う。

    授業で、若いころの春琴が、あれほど佐助を日用品同然にしか考えていなかったのに、佐助と肉体関係に及んで子を産んだのはなぜかと先生に訊いたら、曰く、

    「それは私も疑問だったんですけどね、何回か読んでいるうちに気づきました、本文にちゃんと書いてあるんですね、ほらここ、『春琴の佐助を見ること生理的必要品以上に出でなかったであろう乎多分意識的にはそうであったかと思われる』とあるでしょう、女性にも当然性欲はありますから、春琴は盲目で、あれほど日常的に佐助と触れあっていたわけですから、つまりそういうことなんでしょう。だから産まれた子供にも何の関心もないんですね」

    女性の性処理とか谷崎流石に極まっていると感動してしまった。
    春琴と佐助の間には子供が総じて四人産まれているのだけれど、どれも養子に出されている。ここも佐助の愛が献身的かつ真実のものである所以で、愛がある肉体関係の結果として子供が出来、それを愛する、というのではなく、肉体関係によって生じる愛には、佐助は全く関心がない。春琴に尽くす献身さこそが佐助の愛であり、であるからこそ、春琴と佐助の愛はプラトニックなのである。
    肉体関係がない恋愛のみをプラトニックというのではなく、肉体関係に依存しない、観念の恋愛をプラトニックと呼ぶのである。

  • 簡単に言えばマゾヒスト文学。

    全盲で琴の達人で、超美人だけどめっちゃわがままの春琴先生に、弟子の佐助がいじわるされたりぶたれたりしながらも愛を捧げる話。

    佐助と春琴さんの恋愛は少し倒錯してますが、描かれた人間の弱さや佐助の忠義が美しく、読んでいて気持ちいいです。

    次は刺青かな。

  • 再読。

    盲目の美女春琴と、彼女を敬愛する丁稚であり弟子、佐助。
    春琴の美と性質が此れ程際立つのは、佐助という「盲目的信者」のお陰である。

    春琴もまた、その存在がいて己が成り立つことを本能的に悟っている。
    女であることを感じ、盲目という弱みを美に換えてゆく狡さを持ちながら、月日という抗い難い流れの中で「自身」を見つめることはきっと恐怖であっただろう。

    利太郎の復讐は、神が二度目に与えた罰であったのかもしれないが、結果的に春琴は恐怖から脱することが出来たのではないだろうか。

    終始、地味な存在である佐助だが、彼女を救うという点で誰にも真似の出来ない立ち位置を築く。
    ただ、それが非常なマゾヒズムを伴うところに谷崎イズムが感じられて素敵だと思うのだ。

    恋や愛は、純であることよりも歪であることの方が色香を伴う。

    その中で、雲雀だけが爽やかに見え。
    歪の中にある、純を感じさせてくれる。

  • 恋は人を盲目にするという
    谷崎潤一郎は恋を芝居に例え、芝居には筋書きが必要であると論じた
    そして、すぐれた筋書きもまた、人を盲目にするものだ

    「春琴抄」は、春琴という女の「美しさ」を永遠とするために
    自ら目を潰す男の物語
    春琴は、その行為を知って始めて「うれしい」ともらす
    とてつもないツンデレだ
    このような小説が、男尊女卑はなはだしき昭和8年の軍国日本において
    キワモノ以上の扱いを受けることはなかったであろう
    しかし、これを天皇と日本男児の関係性に置き換えることは容易だ
    ちなみに
    明治時代以前において、天皇の顔を見ることはタブー視されていたらしい
    やはりこういったところに
    芥川龍之介の予知した「不安」の正体を見出すことができるのである
    谷崎と芥川は、小説における筋書きの価値をめぐって論争を展開していたのだ

  • 高校の図書室で見つけた。今思えば、教科書以外で初めて読んだ古典文学だったかも。
    薄くてこれなら自分でも読めそう、という不純な動機ではあったけど、いざ読んでみたらものすごかった。SM小説だよこれ!
    相手の欠点が自分の悦びに昇華されるなんて、まあ愛の形としては究極なのかもしれませんが。

  • 句読点が極端に少なく最初は難儀しましたが、慣れてくると、浄瑠璃のように流れる言葉の旋律に、読まされてしまいました。言葉の一つ一つが美しく、行間から匂い立つエロスに魅了され、気がついたらあっという間に読み終わっていました。梅花の幹を春琴に撫でさせるシーンや、佐助が春琴の小さな足を誉め語るシーンなど、エロとフェチが散りばめてあって、盲目の二人の拙いやり取りの間に交わされる情など、まさに耽美。下手なエロ小説より余程妄想を駆り立てられて、谷崎って変態だったんだなぁってしみじみ思える作品でした。大好きです。

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