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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
みんなの感想・レビュー・書評
愛する人の世界を受け入れるため、人は自分の世界を変えられるのだろうか
忠誠を貫き通す佐助を、屈折しているのではと思いながらも、そのひたむきさは格好よく、羨ましかった
句読点をほとんど使わない文体に、最初こそ戸惑うものの、するすると頭に物語が入ってくるのはさすが大谷崎というところだろう。視覚を失うことで永遠に瞼の下に愛する人の姿を閉じ込め、死ぬまで触覚だけの世界で二人愛し合えることほど、幸せな人生はないだろう。耽美を求めて谷崎を読もうとするならば、痴人の愛を読む前にこの短編を読んでみると良いだろう。
初めての谷崎作品です。文章が美しいとは言われていましたが、本当にその通りでした。日本語の美しさを感じましたし、読んでいてとても気持ちよかったです。句読点が少ないという特徴に初めは読みづらく感じましたが、慣れるとそんなこともなく。佐助の春琴への愛の深さにうっとり。そこまでするか?という理解し難い行動も多々ありましたが、忠実で献身的な振る舞いには、男女の愛を越えた、人間愛のようなものを感じました。春琴はきっと、佐助に愛されて幸せだったのでしょうな。
とにかく文章の描き方がきれいだなって思います
句読点とか何にもないし歴史的仮名遣いだし… 古文まじめにやってて初めてためになりました
国語の先生に勧められて呼んだのですが…読んだ後だとすげえの薦めたなって思います…
佐助の気持ち(行動には絶対表さないけど)分かる気がします
一番の衝撃だったのは目をつぶすシーン 身の毛がよだちました…
谷崎が求めた 愛の至上の姿か…… 一九二三年九月一日、関東地方に起こった大地震は、大多数の死傷者を出す大災害となった。この混乱に乗じて、社会主義者の大杉栄、伊藤野技等や、罪もない朝鮮人を多数殺したりして、天災と人災がいりまじった大災害でもあった。 この大震災のために、東京在住の文化人が関西に移り住んで来たが、その中に谷崎潤一郎もいた。 「春琴抄」が中央公論に発表されたのは、関西に移... 続きを読む »
究極のマゾヒズム小説といってもいいだろう。
盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身の物語が素晴らしい。
春琴が美貌を傷つけられるや否や、面影を脳裏に留めようと、佐助自ら盲目の世界へと足を踏み入れるのなんかは、谷崎のマゾヒズムの精神が垣間見られるが、それが物語を美しい方向へと導いているのが不思議である。
被虐趣味といえば、そうではあるが、官能的であり、美の陶酔の世界がくりひろげられているのだ。
句読点の殆どない、流れるような文体もまた、春琴抄の世界をより引き立てていると思う。
マゾヒズム小説でありながらも、救済の物語ともとれる、不思議な旋律を奏でる作品だ。
盲目の三味線奏者・春琴と彼女に仕える佐助の話。
句読点を大幅に省いた文体が特徴的。
この話を表現するには、この文体がしっくりくる。
愛なのか、美への信仰なのか、献身自体が目的なのか...よく理解できないけれど、衝撃は受けた。
佐助の行動に理解は出来ないが心打たれるものがあった。読了後暫くずっとこの本のことが忘れられなかった。
対象を神格化、偶像化し愛を注ぐ姿勢は、美しくもあり物悲しくもある。春琴との別れの後、佐助は真の幸せを得たのだろう。
語り手についての先行研究を読みたいと思った。私の素性は。私が春琴伝を手に入れ、それからの経緯は。佐助の気持ちを察し、同調し、分析できるのは、私も佐助の如く春琴に焦がれているからではないだろうか。
そして、男性の語りだから、美しく読める気がした。もしも語りが女性だったら、悲哀や憤懣の物語になっていたかもしれない。そういうパロディも面白い。
最高のキャラクター小説!
主人公の春琴の傍若無人っぷりが素晴らしく、前半部分は腹抱えて笑いました。
何が素晴らしいかって、春琴の弟子たちへの罵倒する台詞!
どんな男でも動物以下に貶められてしまうような言葉のパワーに圧倒です。こんなに面白い小説だとは思いませんでした。
ところが、後半から物語は一転。
ある事件をきっかけに、それまで物語の地下を静かに流れていた愛のマグマが一気に吹き出します。
愛の本質をぐーっとえぐり出す本格的な恋愛物語へ加速度を増します!
前半の抑えがきいているのか、一挙に読ませるあたりは見事。
感想としては、愛に溺れたい男性であれば、こういう盲目・倒錯的な愛に生きたいと思うだろうなということ。
私自身も、かなり憧れます。
私の変態性の原点かもしれない。
耽美って一言では表せない。春琴と佐助の2人の関係に心をもっていかれる。あぁ、信奉ってこういうことなんだ、って思った。佐助は春琴の事を愛してるわけじゃなくて、きっと神様みたいにあがめている。
そんじゃそこらのラノベなんかよりずっと萌える小説だとおもう。そんなこと言うと怒られるかもしれないけど。
裕福な薬種商の家に生まれた鵙屋春琴と、累代より鵙家に奉公する家に生まれた佐助との主従とも恋仲ともつかぬ曖昧な関係が、ある事件によって展開の余儀を迫られる。夜中何者かによって春琴の顔に熱湯瓶が投じられ、その端麗で高雅な容姿が無残にも傷つけられたのだ!かつての春琴の美貌を久遠の記憶へとすべく、佐助は自らの目に針を刺す…。美の観念の官能的な陶酔を覚えるには印象的な作品だが、心理描写が希薄であり、内面世界への肉薄が十分になせれちないということで3つ星評価。
愛の形と読む方がいらっしゃいますが、これは弟子プレイの本だ!と思ってしまったワタシが居る…。メイドカフェの逆バージョンみたいな。主人公?佐助が自分のフェチを満たすために、目玉に針刺す所までやっちまったと。
弟子プレイ、目玉に針ぶっ刺してまで同じ世界に生きたいとか全てのお世話をしたいとまでは流石に思わんが、その気持わからんでもない。会社で師匠師匠言っていたり、才能に惚れた人にお仕えしたい願望が結構根深くあるような気がした。体力の限界まで働いても、その方の下で働いていたら全然辛くないとか。そういう自分の変な趣向を具現化していただいたよーなw
全般的に小説は苦手だけれども、谷崎潤一郎は比較的読める、と最近思い出してきた。断じて変態ではないと思うし、足フェチでもないけど。
文体について。
読点を思いっきり削った文章には、踏み込んだなーという印象。
春琴、佐助の、世間の目なんか差し置いて閉じこもった世界観が浮き出てきます。
文章のなまめかしさは、さすが。
幸せについて。
佐助は幸福だと思う。社会的に成功してる人なんか足元に及ばない幸福さで満たされてると思う。
でも春琴は・・?
春琴こそ、傍目には幸せぽいけど、内実はわかんねーな。選択肢のなかった人生にみえる。
積み重ねる積み重ねる句読点も無く押し寄せるかの様に言葉を積み重ねる。まるで息継ぎする事を拒否するかのように連なる言葉の水脈を追う行為は、佐助が春琴に身も心も捧げたのと同様なマゾヒズム的快楽が篭められている。ある意味、この文体こそが本書の内容全てを表しているようなものかもしれない。深みに嵌れば嵌るほど盲目にそう盲目なまでにその言葉に沈んでいく。日本語で書かれた文章の中でも、恐ろし程に精緻化された美意識が結晶化された一冊。
男女の悲哀と信愛。うわべだけの想いを凌駕する沈黙と暗闇の世界。それを解することができるのは、同じく、光を断った二人だからこそ。
日本純文学の恋物語。

春琴と佐助、2人の思いはいわゆる愛情と言う言葉を越えて互いに同化しようとしているまでに見えます。谷崎が描いた異常な性愛の分野のひとつです。





