蓼喰う虫 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101005072

感想・レビュー・書評

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  • ロッキーさんのおすすめで。仮面夫婦の日常が夫目線で語られる。当時の最先端のお洒落風俗を織り交ぜつつ、義理の父達との交際や従弟とのやりとりの中で離婚を先延ばす理由があげられているが‥谷崎自身の声?この結末には脱力、笑ってしまった。

    • ロッキーさん
      111108さん、おはようございます。
      早速読まれたんですね!勧めておいて情けないんですが、脱力の結末が何だったか、思い出せません笑
      家に文...
      111108さん、おはようございます。
      早速読まれたんですね!勧めておいて情けないんですが、脱力の結末が何だったか、思い出せません笑
      家に文庫があったと思うので、近々読み返してみます!
      2022/09/05
    • 111108さん
      ロッキーさん、コメントありがとうございます♪

      以前伺ったロッキーさんの読書メモを思い出しながら読んでいたのですが、細部を楽しんでいるうちに...
      ロッキーさん、コメントありがとうございます♪

      以前伺ったロッキーさんの読書メモを思い出しながら読んでいたのですが、細部を楽しんでいるうちに「あれ?」という感じで‥。思い出せないのももっともだと思います。
      ぜひ再読して確かめてください。
      2022/09/05
    • ロッキーさん
      かつての読書メモが学生時代のものなので、学生と年を重ねてからでは感じ方や着眼点も違うのかも…。
      気になるので再読してみます。
      ありがとうござ...
      かつての読書メモが学生時代のものなので、学生と年を重ねてからでは感じ方や着眼点も違うのかも…。
      気になるので再読してみます。
      ありがとうございます!
      2022/09/05
  • 傷つきたくないし、相手にも傷ついてはほしくない。はっきり言いたくはないけど、こちらの気持ちを察してくれないかな。こっちから決定的な宣告をするほどの意思はないから、そちらで決めてくれないかな。

    全編にのらりくらり漂うそんな気配が、いかにも都会的というか東京的。古典ではあるけども、今の時代にもすごくしっくりくる感覚で驚き。

    人形浄瑠璃や、まるで人形のように老人の趣味に従うお久への要の憧れも繰り返し描かれるが、もう女なんて人形のようだったらいいのに、黙ってついてきてくれよ、と思う無気力な草食系男子の思考という感じで、こちらも今日的だと思った。
    人形芝居がヤジで台無しになるのが、人間はそうはいかないよ、という暗喩のように感じられた。

    前読んだ時はもっと切なさを感じたのだけど、今回は結構俯瞰で読んだ。
    読書の感想って、思ってるよりその時の自分の状況とか精神状態に影響されるものなのかもなあ。
    そして111108さん、この拍子抜けの結末は、またすぐ忘れちゃいそうです笑

    • 111108さん
      ロッキーさん、こんばんは。

      ロッキーさんのレビュー、「そうそう!」と何度も1人うなづきました。人任せにしたい、のらりくらりの気配が都会的・...
      ロッキーさん、こんばんは。

      ロッキーさんのレビュー、「そうそう!」と何度も1人うなづきました。人任せにしたい、のらりくらりの気配が都会的・東京的な感じを醸し出していたんですね。当時の最先端お洒落もその雰囲気を際立たせるスパイス的なものだったのですね。本当に今の時代にもしっくりくる感覚。

      ロッキーさんと同様に私も俯瞰で読んでしまったのかもしれません。切なさはそんなに感じずというか、この主人公に対し常に「おいおい」とツッコミを入れたい気持ちになってたのかも。だから結末にまで「おいおい」となってしまいました。

      『細雪』といい『蓼喰う虫』といい、なぜこんな結末?と不思議でなりません。他もあたってみます!
      2022/09/16
    • ロッキーさん
      111108さん、メッセージありがとうございます!

      個人的な見解ではありますが、共感いただけて嬉しいです!
      私も今回はほぼ切なさ感じず、も...
      111108さん、メッセージありがとうございます!

      個人的な見解ではありますが、共感いただけて嬉しいです!
      私も今回はほぼ切なさ感じず、もうちょっと頑張れよ!という気持ちが勝ってしまいました。
      あんなにうじうじと引っ張っておいてあの結末は確かに「おいおい」です笑

      『細雪』の結末は、呆気にとられすぎて覚えています!
      谷崎先生に、ラストどうしてこうしたんですかと聞いてみたいくらいです笑
      2022/09/16
  •  久しぶりに読み返しました。実は文庫版ではなくて、全集版です。で、なんというか、すらすら、引っかかりなしで読めてしまって、結構、面白かったのです。考えてみれば、こんな、まあ、どうでもいいような話を、こんなに面白く書ける谷崎という人は、今さらながらに天才だと思いました。

  • 書名の「蓼喰う虫」とは諺である「蓼食う虫も好き好き」の、あんな不味い蓼を食べる虫もいるように好みは人いろいろである、というところから来ているのだろう。
    この物語は大きくは2つの流れになっているようで、主人公の要(かなめ)を中心に、通である義父の人形浄瑠璃好きに付き合っている内にだんだん自分も傾倒していく様子と、もうひとつはこれが本流ですが、妻の美佐子を抱けなくなったのを発展(?)させ、妻には愛人を持たせ、自分は娼婦通いで、将来的に離別するのを前提に仮面夫婦を演じている異常な関係を、両者巧みに場面を移しながら描いていきます。書名からすると、人形浄瑠璃の世界をこんこんと描き、義父自体、人形のような妾・お久を自分色に染め上げている物語の方がその意に直接的ですが、その関係の異常さを解消せずに夫婦のぐだぐだな惰性生活に実のところ浸っている要・美佐子の関係性のことも指しているのでしょうね。
    大阪文楽や淡路の人形浄瑠璃の世界をそれこそ通の道楽さながらに描く様は、谷崎の文芸評論であるとともに谷崎自身の傾倒ぶりも感ぜられ微笑ましい。
    夫婦の機微やそれを察する息子の言動などみっちり細やかな表現は、逆にますますぐだぐだ感を高めていきますが(笑)、実のところのどうしようもない心情が奥ゆかしく(?)読者に伝わってきて、物語の行く末がとても気になりだしますが、これも谷崎らしい非常な余韻をもったラストになって、おいおい!と。(笑)考えるに、これは最早「夫婦」ではなく仮面夫婦だが、しかし相性は「夫婦」としてぴったりというこの異常な関係を、この瞬間においてぴったり切り取り、夫婦である男女間のある心情として永遠に封じ込めたかったのでしょう。放置、あるいは投げっ放しジャーマンを食らうのも好き好きなんですけどね。(笑)

  • 蓼喰う虫もなんとやら。あえて今日読むよ。
    最近はもっぱら"娼婦型"だが、芯は良妻賢母であるはずの妻・美佐子がひらひらと恋人の元へ通うことを公認している夫・要。
    世間様や一人息子のまえでは体裁を弥縫し生活する仮面夫婦、でもそれが二人とも納得尽くのバランスの良い関係性であるんだとしたら、それはそれで有りなんでないかな。
    ゆくゆくは離婚する方向で話し合いはついたものの、じゃあそれはいつになるのか、いざという肝心の一歩を互いに相手任せにしちゃう感じ、いいね。生活だなぁ。
    人形浄瑠璃や着物にまつわる描写が多くて多くて、知識不足ゆえイメージを膨らませるのが難しかった。「閨房の語らい」と書いて夜の夫婦生活を意味するのは、なんか面白くて妙に気に入ったので覚えておきたい。

  • 谷崎本人が、自身の作品で卍と蓼食う虫は好きと言っていたので手を出しました。
    知識がまったくないので、人形浄瑠璃の内容になると読むのにかなり時間がかかりました…。
    夫婦間や子のこと、義父との関係の場面は面白く読めました。

    私にはちょっと難しかったかな。また歳を重ねてから読み直したいです。

  • 谷崎潤一郎のフェミニズムが自分に通じる部分があって、今作も読んでいてしっくりきた。そのフェミニズムの形は現在のLGBTQ運動の高尚な志しに根付いた立派なものなんかでは決してなく、極個人的な生きやすさの為に選択した受動的で頼りないismなのだ。

  • 私の人生の悩みの一つでもある、愛と性欲についての本だ!と思ったので手に取ってみた。あとこの題がいいね( ´-`)調べてみたら「蓼喰う虫も好き好き」という諺があるんだ。勉強になった。

    うーん..。最初はまぁ性欲で繋がらない夫婦の内面的な問題点について探っていくものかと思っていたけど、どうも違いそう。途中までもっと重いのが好きだな~っていう感想だったけど、そういう視点ではこの小説の魅力や扱っていることは捉えられなそう。主人公夫婦と、対照的な老人カップル、高夏とルイズの存在、そして 弘(絶対子どものことそんな心配してないでしょ!と思った)がそれぞれどんな印象を与えるのか、もう少し深く考えてみたいものである。
    主人公の名前が要だから、何かずっと要潤で想像してしまった(*´・∀・)

  • 今の時代でもこの様な夫婦はいると思う。
    お互いの心理描写の微妙なバランスを細かく描けており感心した。最後の場面は淡路の人形浄瑠璃のお話が出てくるのだが、私世代から見ると、このサブカルチャーの描写はは 初見のため頭に入りにくかった。
    世の中は色んな人がいます。蓼食う虫も好き好きです。

  • 谷崎の有名作。
    両者合意で「離婚すること」を内々に決めた夫婦が、子供や義父にどう伝えようかとくよくよする話。
    この時代にして、あくまで理性的にかつ公平に?対処しようとする男性主人公の心理が主で、その西洋的な?理性に浄瑠璃などの純和風古典的な価値観がアンチ的に忍び寄ってくる…という趣向は後期谷崎への助走として興味深いが、その情景のみに終わるので作品としての満足感というか、「打ちのめされ感」で言うと、卍とか猫と庄造に比べると今ひとつな感想。

    でも、谷崎は大好きです。

  • "妖しく交錯する"という表現がぴったり当てはまるような内容。
    既婚者だからこそ、この小説を興味深いと思えるのかもしれません。

  • 時代を経てもなんだか今と通じるようなちょっと粋な姿が面白かった。
    子供のことを案じながらも、別れる夫婦だけどでも、お互いのことは思いやれていて壊滅的なわけでもない感じ。

  • 昔の日焼け止めの商品名アンチソラチンなのいいね

  • 文学好きの知人が「谷崎潤一郎の中では『蓼喰う虫』が好きだ」と言っていたので、読んでみた。読後「どうだった?」と聞かれたので、「人形浄瑠璃が見たくなりました」と言ったら、知人も「私も全く同じ感想だった」と。人形浄瑠璃は徳島で『傾城阿波鳴門』を見たことがあるだけなので、要たちが淡路島で見る『朝顔日記』を見てみたいと思った。こんな風に、お重にお弁当を詰めて行って一日中屋外で浄瑠璃見れたら楽しいだろうなぁ。トイレが無いのは困るけど。
    夫婦関係は、まぁそういうこともあろうかなぁという感じであまり心動かされなかった。谷崎の書く男女関係や恋愛のあれこれよりも、作品に表れる谷崎の日本文化に対する目の方が好きだ。

  • 文庫本の裏表紙に著者の私生活を反映した問題作、と書いてあるのが気になって読んでみた。

    物語の冒頭、旦那が出かける前に身支度を妻が手伝ってやるシーン。
    それだけのことなのに、女性の姿態の描写が妙に生々しく、さすがの描写でいきなり引き込まれた。

    世間体を気にして離婚に踏み切れない主人公。
    子供に自分の口から言うのさえ憚れて、従兄の口から子供に伝えてくれないかと思っている。
    妻の父親にもなかなか切り出せない。
    グズグズぶりがなんとも情けない。

    こんなんだから嫁が旦那に魅力を感じず、外で彼氏を作るんだよ!と思ってしまった。

    前編を通して昭和20年代の日本の雰囲気を満喫。
    TVもネットもない時代、娯楽であった文楽、人形浄瑠璃を楽しむシーン満載。
    決してキレイとはいえない芝居小屋でのトイレ事情や裸電球の照明など、芝居好きの私には興味深かった。

    妻の父親は50代後半だというのに、やたら老人という描写。人生100年時代となった今でいうと70代位でしょうか。

  • 裏表紙の簡単なあらすじを見てどんなものかと思ったが、文章美しく、心理描写に優れている谷崎潤一郎の世界にすぐに入ってしまいました。
    性的不和の夫婦が段取りを踏んで離婚に向かっていけるよう取り決めをすると言う様な話はこの作品が書かれた時代には衝撃的ではなかったか。
    別れたあとの妻とその恋人の幸せを願う一方、1人になる自分を想像した時の心情など、あれこれ思う気持ちの表現が巧み過ぎる。
    文楽の世界が描かれているのも物語に色彩を与えている素晴らしいところ。

  • 初めての谷崎潤一郎。

    解説では谷崎潤一郎の作品でも異色を放つという。

    人物、心理、風景、関係、動作などの描写は言うまでもなく小説の重要な要素だが、そのいずれにも偏らない、バランスの取れた、いいようによっては特徴のない作品と感じる。

    さらに、筋立てはシンプル。
    矢が的に向かって素直に放たれるように、起伏の隙間を縫う。

    有島や三島などではぐっと唸らされる場面に出くわすが、それもない。

    ただこの作品は情緒のみ特徴とする。
    ここに出てくるひとたちの情緒がこの作品に通底する出汁となり、読み応えを与えるのかもしれない。

  • 妻を肉体的にも精神的にも愛しきれない夫とそんな夫から愛されたい反面本当の恋を知った妻が、これからの人生をどうするか踏み切れないでいる話。
    何か大きな事件や進展があるでもなく、どちらかから、はたまた誰かが2人の関係に見切りをつけてくれないかと他力本願な2人を描いている。
    別れを切り出されたい、自分が悪いのはわかっている、お互い似たもの同士だからこそ踏ん切りがつかなくていつまでもうじうじ言い訳ばかり。
    じれったいと思う人が多いかもしれないけど、個人的には特に夫に共感ができるなあと。
    愛はないし一緒いても仕方がないと分かってても、いざ別れを切り出すと涙が溢れてくる、だけど避けては通れないけど、できることなら先延ばしにしていたい。
    一時の感情で娼婦のところへ行くけれど、結局はそちらにも踏ん切りはつかなくて…。
    なんだか本当に人間らしさがぎゅっと詰まってるような印象でした。

    途中の人形と女性を照らし合わせる描写もフェミニズムの象徴なのかな、その辺よくわからないけど。
    理想の女性像、たしかに芸達者でお料理もできて気の利く肌の白い女性は男性の理想なのかな、女性的にも素敵だなぁとは思うけど。

    2020.12.11 読了

  • 性的不調和が原因で、離婚しようとするが、なかなか踏み切れない夫婦を描いた作品。
    今のように簡単に踏み出せないのは、当時の世間の目が大いに関係している。
    妻の立場を思うと、こんな夫は嫌だ!と言いたくなる。自分に性的な魅力を感じてくれず、また他の男のもとへ通うのも助長されるのだから。しかし、なかなか夫を攻めきれないのは長年寄り添ってきて情がなかったわけでは無かったからであろう。しかし、妻は夫に素直になることができないのは可哀想だと感じた。

    スッキリしない終わり方、と言われればそうなのだが、当然なのではないかと感じた。最初から曖昧な関係、曖昧な心持ちの夫婦だったのだ。それが、最後に綺麗に収集される方が違和感がある。きっと夫婦は別れ、それぞれの道を歩むのだろう。しかし、そこまで描く必要もない。一貫した終わり方だと感じた。

  • どこの夫婦にも多少はありそうな不和が比較的若い時期に訪れた悲劇ではあるが、夫婦感の感情の起伏をとても繊細に丁寧に描いており、また表現がうつくしい。
    嫁の父が中を取り持とうとしているが読みのほうが遠ざける原因が目かけのお久にあることとか、はっきりと描かれてはいないが根深い感情があると察しつつ考えさせられる。
    淡路に三人で人形浄瑠璃観覧に行くところは本筋ではないけれど情景が浮かぶようでとても楽しい。夫のかなめの感情はルイズやお久を慕っていることが終盤に明かされいよいよ興味深い展開に。
    最後に父娘二人ででかけ、嫁が泊まりを了承した意外な展開から、残された要とお久の風呂場や寝床での描写などの後に突如終わる展開が何故かとても印象深い。

  •  妻が外に愛人を持つことを夫が容認する仮面夫婦。「別れよう」と心に決めながらも、決断できない様子、ゆらゆらする心情は、理屈っぽい読者(と従弟)を苛立たせるが、そう簡単に割り切れぬのが人間というものなのだろう。

     結末は描かれない。主人公が妻の老父の妾(いかにも日本的な美しさを湛えた女性)に心惹かれる様子がなんとなく書かれ、あっけなく幕切れが訪れる。別れたのか、それとも別れなかったのか、そこは大して重要ではないのかも。ハイカラなもの、日本的なもの、その両方が多く描かれる中で、終局は日本的なものに原点回帰したことが根底にあるテーマなのかも知れない。注釈の多さが読み進める上で苦労にもなったが、当時の文化芸能の片鱗が見えておもしろかった。

     娼婦型と母婦型。娼婦型の女は男を引きつける「女性らしい」肉体を持ち、母婦型の女は控えめな「女性らしい」精神を持つ、ということなのかなと思った。どちらも「女性らしい」なら、女性はその逆説の中で生きなければならないということなのかも知れない。そしてそれは、現在も変わらず女性につきまとう逆説なのかも。

  • 主人公の要と美佐子は仮面夫婦。妻に恋人があることを夫が容認している。それどころか、元はといえば要が美佐子を女として愛せなくなったことが原因であるため、むしろ妻にそういう存在があると知って要は安堵したほどだ。それでももう二人の間には小学生の息子もいるし、美佐子は要があれといえばあれとわかる世界に唯一の女でもあり、これが夫婦でなくて何であろうという一組の男女なのだ。この二人が、お互い理性では離婚しようと思ってそういう話し合いをしているのだが、二人そろって決断が苦手な人間で、できることなら自分は棄てられるほうでありたいと思っているので、まったく煮え切らずにずるずると仮面夫婦(正確には、何事かを察知している息子も含めた、仮面家族)を続けている。

    執筆当時は、これだけでけっこうアバンギャルドだったのでしょうか(とはいっても谷崎作品全体からみれば変態度低いのだと思いますが)。
    今だとなんとなく、22時からのドラマにありそうな、ゴロウちゃんと尾野真千子とかがやってそうな、そんな感じ。

    さて、この家族がどうなることか…
    という話かと思いきや。

    美佐子の父、つまり要から見ると義父である老人は、生まれ育ちは(要・美佐子同様)東京でありながら、老いてから関西に住みすっかり関西好きになってしまったという、谷崎自身の投影のような人。京女であるお久という若い妾を囲っていて、芸事や料理や立ち居振舞いなどあれこれ自分好みに仕込んでいる。この老人が作中、文楽とか、家の作りとか、暮らしぶりとか、なんやかんやと哲学を語るのだが、内容は陰翳礼賛と重なる。

    要は、どこかこの老人の生き方に惹かれている自分に気づいていて、口では面倒だ、仕方ないなどといいながら、老人とお久の淡路巡礼の旅に付いていく始末。

    だんだん、要と老人の話になっていきます。

    老人が持論を唱えたり要が色々考えたりしているのが続いてだれてきたころに、少しはっとさせる秘密が出てきたりして、いい感じに起・承・転ときたところで、こう来るとは……
    やられたぜ。

  • 谷崎潤一郎の作品にしてはさらっとした作品だなぁと思ったのが第一印象であった。
    様々な提案をしておきながらも、結局何も変わろうとしない登場人物たちが妙にリアルで、意味もなくだらだら会話している場面が何故か好き。

  • 主人公と、そのオルターエゴとも言える老人の美的感覚があるところでだんだんと交差してくるところが面白い。

    人に何かの美的感覚を教え込むところから教育ははじまるのだけれども、小説のタイトル通り蓼喰ふ虫も好きずき、良いか悪いかは受けとる側の時期と機嫌次第のところも大きいのでありまして、はいそうですかという具合にはみんな自分の美的感覚を人に合わせることはできない。

    老人の文楽趣味にしたところで玄人ぶって高尚ではあるように見せてはいるけれども、上方びいきではない人にとってはなんてことない退屈な人形芝居である。でもだんだんとその良さが分かってくるのもまた面白いところ。人の好きにはそれぞれ生理や系譜があるのでそう簡単にはいくまいよと谷崎が笑う姿が浮かぶような気がする。

    しかし、何でも選べる時代であるからこそ、「好き」と「べき」の折り合いをどう付けて行くのか、という観点から見れば、教訓になる小説であると思った。

    もっと派手で倒錯した谷崎っぽい世界観が好きな人は多いと思うので、ぱっとしない作品かもしれないが、個人的には関西に生まれ育った者として耳にしたことのあるフレーズの数々がちりばめられているこの作品、そしてこの作品をとおして伝えようとする「女性観」「美的感覚」が僕は好きです。

    女性の権利を云々言う方々からすれば、女性の内面や外面をモノのように扱うことに強く嫌悪感を感じるのだろうけども、それは理想の男性像云々の話にしてもどっこいどっこいでありまして、結局は好きか嫌いかという無理強いできない好みの話になってしまうわけです。

    合わなくても、好みが違っても、どこかで繋がらなければならないときもある、それを切ることに未練を感じることもある。こういう捉え方の方が、なんでも割り切る考え方よりも僕は好きですね。

  • あからさまな変態はでてこない谷崎。人形のような操られ(舅の)愛人と、浮気妻を対比した女性観と読むのがストレートだろ?が、語り役はゆとりかっ!?てほどめんどいこと避けまくりの中年だし、色ボケ爺はうざいし、正しくはダメ男のハナシだと思うのね。

  • 理想の別れ方

    と言ってしまえば簡単だけど、
    この別れ方を出来る夫婦はそう居ないと思う。

    12年連れ添ったということ自体に
    大きな愛が育まれており
    男女の情愛は欠落していても
    切れない絆がある。


    心に残った一節

    『要にとって女というものは神であるか玩具であるかのいづれか』
    そして要にとって妻とはそのどちらにも属さない。。。

    男にしか分からんことだな。と言いつつ、
    女である私はその『妻』に分類されがちな
    女であるということが何となく分かるこの頃。。。

  • 離婚を決めた夫婦が子や義父にどう伝えるかひたすら悩みつつ、浄瑠璃見てダラダラする話。この時代の離婚は大変そうだなあと思いつつ、浄瑠璃部分になかなか興味がわかずちょっと退屈でした。

  • 初読時はまだ高校生だったので、仮面夫婦の心情を丁寧につづったこの物語をとても退屈に感じていたのを覚えている。
    二十代後半になって、所帯こそ持っていないが、男女間の感情の機微みたいなものも、だんだんわかるようになってきたので、再読して少し印象が変わった。
    斯波夫婦はとても都会的な感性の持ち主で、全方位に悪い印象を持たれないように立ち回ろうとしている。それは自分達に対してもそうで、とっくに冷え切った関係にあるのに、はっきりした別離の悲しみを感じたくないあまりにズルズルと先延ばしにして、結局作中でも問題はまったく動いていないと言える。
    要は作中で女性崇拝者と表現されているが、人形のようなお久や、房事のみの関係のルイズ、そして夫婦の語らいなどなくなった美佐子、それぞれに情念を抱いており、現代の感覚的には、むしろ女性を侮辱しているようにも感じられる。そのときどきに着る服を選ぶように隣に置く女を考えているように自分は感じた。別段フェミニストというわけでもないのだが。なぜだろう。
    高校生のころは、退屈な上に尻切れトンボで、四割くらいは文楽の話で、なにがよいのだろうと思ったものだが、これも谷崎の持ち味と感じられるほどには大人になれたらしい。

  • 面白くないわけじゃないんだけど、あまりにも静。
    序盤引き込まれるんだけどな、結局これからのところを見せてもらえないからか、文学的にはこれでいいんだろうけどストーリー的にはどうしてもドロドロ展開とかそういうの望んじゃった感あるから、え、これで終わり?感。

    あとは単純に価値観の問題。わかるよ、夫婦の微妙な感覚、子供への気遣い。
    でも大事なことだからこそ高夏に任してほっとしてなんかいないで、両親が子供にきちんと正面から向き合ってほしいなって思っちゃう親心。

    妻が〜みたいな感じで進んどきながら夫が風俗通ってたこと詳しく話すのはわりかし最後の方になってからで、何となく男の狡さ?みたいなの感じてもうた。
    本作全体の量に対して、謎の3人メンツで浄瑠璃見るとこちょっと長すぎかな?笑

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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