ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

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著者 : 太宰治
  • 新潮社 (1950年12月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101006031

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ヴィヨンの妻 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 死にたいという人に限って本当に(自ら)死ぬ人はいないと言うが、本当に死んでしまう人もいると最近、友人に言われた。

    斜陽1度、人間失格2度読んで、それ以後ずいぶんたってからの太宰。太宰を知らないも同然。なので、私には解説や表紙裏のレビューと違い、太宰の文体や表現は太宰の体格のように骨太でエラクしっかりしていると感じる。
    読みながらなぜか啄木の泣きながら書いた短歌を思い浮かべたが、それと比べてもお涙頂戴的なものは感ぜず、力強い。死にたいと書きながら生き生きしているとは何事か。

    人間失格の構想原稿も見つかった今、作家自身のことと思わせる作品もすべては完全なる創作と思えて、なんで死んでしまったんだろうと思う。
    死を求めながら生き続ける道があったらよかったのに。(読者のために)

  • 少し前はこういう文学はなかなか読めない人間だったはずだけど今はさらりと読むことができるようになったなぁと思う。それがどういうことなのかっていうのはよくわからないけれども。

    これから『走れメロス』を扱うにあたって、他に『人間失格』くらいしか読んだことがないのも何だかなぁと思って2冊借りてきてみたうちの1冊。
    「親友交歓」は森見登美彦が太宰作品を集めた『奇想と微笑』で読んだことがあったもの。ラストの「威張るな!」があまりにも突然すぎていっそ清々しくてなんだか「ふふっ」と笑ってしまう。

    「トカトントン」はタイトルは知ってた。そういうことか、という感じだった。いつ自分の耳にも「トカトントン」が聴こえるかとひやひやする。

    他の作品の中では「母」と「ヴィヨンの妻」と「家庭の幸福」が好きというか、印象的でした。その他の作品はなんだかどれも駄目男と不憫だがたくましい妻の物語といった感じで似たり寄ったりかなと。ヴィヨンの妻もそんな話だけど。
    登場する女性はみな不憫な人なのだけど、不幸そうには感じられないのが不思議です。駄目男も憎みきれないのも不思議。

  • とかとんとん、と先日書いてこの本を思い出した。
    読んだことのある物も含まれているが、せっかくなので読んで見ようという気になったのだ。

    作品を書いた時期の位置づけははっきりしないが、何となく話の傾向が似ているので晩年かなと思う。
    酒と遊びで放蕩を繰り返すだめな旦那とそれに慎ましやかに尽くす妻、の構図である。
    己を悪い奴だとわかっていながらも放蕩から手が引けず、周囲からも見放されていることも度々。そんな己を彼は嫌悪している。でも同時に、だからこそ己だけはと愛してやってもいる。だからこそそんなどうしようもない己をけなげに追いかける妻に愛情を見せる場面もある。その描写がまるで近代の漫画であるかのような控えめかつ非常に魅力的な様子で描かれている。


    太宰が好きな男性というのは太宰のこういった部分に特に共感性を抱くのだろうと思った。
    どんなにだめな自分であっても受け入れて愛してくれる人にすがりたい。
    太宰自身が抱いていた物とはそう言った物とは離れた精神的な空虚からあがくための救済策のひとつであっただけのそれだが、抽出してみてみれば、それは男性らしい恋愛のひとつの見本なのだろうと思う。
    自分勝手と取るかロマンチストと取るかは難しいところだけれども。
    近くにこういった太宰らしさを現代的に体現したような夫婦を知っている。とはいえ、現代になるとこういった男性の理想とは女性側の反発が多くてなかなか難しい物だけども、なんて考えたりもする。

  • 哀しさもあるのに、可笑しくて、噴き出してしまうような物語でした。“悲しいひとたちは、よく笑う(p166)”からかもしれません。

    『親友交歓』
    主人公と小学校時代の同級生で「親友」であるという男が訪れます。ほとんど思い出がないのに、酒をひたすら飲まれ、うんざりする気持ちが伝わってきました。

    『トカトントン』
    トカトントンという音からのがれられない男からの手紙です。トカトントン。

    『父』
    子と妻をおいて、お金を持ってお酒を飲みに行ってしまい、それを“義のため”という、どうしようもない父の話です。

    『母』
    主人公が港町の或る旅館に一泊した際に接した、きれいな声をした年増の女中の話でした。

    『ヴィヨンの妻』
    家にあまり帰らないうえ、お店からお金を盗んでしまった夫がいても、そのお店で働くことになり夫に逢えるのが幸福と言える椿屋のさっちゃんは、強い女性だと思いました。

    『おさん』
    女の人と心中した、たましいの、抜けたひとのような夫でした。

    『家庭の幸福』
    主人公は、からだ具合を悪くして、寝床でラジオを聞いていました。ラジオから役人のヘラヘラ笑いを聞き、「家庭の幸福」についての小説を空想します。“家庭の幸福は諸悪の本(もと)。(p188)”

    『桜桃』
    “子供より親が大事、と思いたい。(p190)”父の話でした。

  • 私はやっぱり純文学は苦手だと思った。
    暗いし、読みにくいし、なんかな、
    太宰治が書く手紙は好き
    だからトカトントンが一番入り込みやすくて面白かった。

  • 表題作はじめ全8編を収録。特に心に残ったのは以下の諸編。
    『親友交歓』は、津軽に帰郷した「私」のもとに突然上がりこんで来た「小学校時代の同級生」との顛末。男は酒肴を要求。秘蔵のウイスキーをガブガブ飲む。さらには、お前のカカを呼べ、俺に酌をさせろ、等と強要。なんともずうずうしい男。「私」は、生涯忘れない苦い記憶、と言うのだが、どこかしらユーモアも滲んでいて、痛快な感じもある。津軽を舞台にした作品のなかでは少々毛色が違っていて、なんとも面白い。

    『トカトントン』。これまた太宰の他作品に似たものは無く、異色の存在感を示す作。(太宰の)小説の読者だという青年からの手紙という型式の書簡体小説。8月15日、その青年は兵舎の前で整列し、厳粛な気持ちで敗戦の現実を受け止めつつあった、ところが、どこからか聞こえてきた「トカトントン」という金槌の音に、つき物が落ちたように、それまで心身を染めていた軍国主義が抜け落ち、ぽかんとした心持になったという。さらに、青年は、その後も、何かに一所懸命に取り組もうとした時など、きまって「トカトントン」という音がどこからか幻聴のように聞こえて、物事に向きあうやる気が消失するのだという。敗戦後のある種の虚無感を描いたものか。呑気のようだが、ある種の鋭さを感じさせ、強く印象に残る短編である。

    『父』、『ヴィヨンの妻』これらは恐らく三鷹時代の作。三鷹を舞台にし、その頃の生活に材をとった作品のようだ。

    『父』。父とはつまり太宰自身のことで、どうしようもない「父」の有様を描く小品。なんとも、人でなしの父である。ある日妻は、風邪をひいて辛いので、今日だけは、配給の行列に代りに並んでくれまいか、と「父」に懇願。しかし「父」たる私は、飲み代を懐手にして家を出る。しかも、飲み屋の近くで、寒空に並んでいる妻と遭遇するのだ。あまりのもの哀しさ、人でなしぶりに、笑ってしまった。太宰のひとでなし名場面のベスト3に入るように思う。

    『母』。これまた、見事な短編である。津軽に帰郷していたとき、太宰は、文学青年の小川君の実家である海辺の旅館で饗応されそこに泊まる。その夜、休暇中の若き航空兵の泊まる隣室から、男女の会話が筒抜けに聞こえてくる。太宰は、そのやりとりに息をのむ。太宰の明るい突っ込みを織り交ぜつつも、もの哀しい小景が心に残る。

    『ヴィヨンの妻』は、「妻」の告白体の小説。その夫は当然ながら太宰らしき人でなしの男。中野の小料理屋の夫婦が、妻のもとに飲み代の請求にやってくる。(夫は)3年間一銭も払わずに飲み続けていて、困り果てているという。3年前、店にふらりと現れたときから語り起こすのだが、曰く『魔物がひとの家にはじめて現れる時には、あんなひっそりした、ういういしいみたいな姿をしているものなのでしょうか。』。このひと言、なんとも傑作ではないか。その後、妻は、夫の積年の飲み代を返すため、その小料理で働き始めるのであった…。

    『おさん』。これはどうやら妻の名前らしい。やはり、妻の告白体小説。ダメダメな夫との日々を、女言葉で回顧する。おもろうてやがて悲し…、な小景が描かれる。粋、だけどなんとも切ない台詞…。 「昼の酒は、酔うねえ」とか、「エキスキュウズ、ミイ」 とか…。 

    『桜桃』 妻と子を残して、家を飛び出し、飲み屋に飛び込む。桜桃が出る。こんなぜいたくで美味な果実、家に持ち帰ったら子供がよろこぶだろうな、と思う。

  • 「ヴィヨンの妻」
    飲んべえでほとんど家に帰ってこない亭主とその妻のお話。面白いがろくなもんじゃないね。

  • 短編集でいずれの話も、家庭が絡んでくる。主人公が母だったり父だったり、また子どもも出てきたり。どの話にもどこか、闇が潜んでいる、家庭に潜むドス黒い闇、この辺は家庭を持ってから読むと分かるんだろうな。いかんせんまだ私は、23の若造で結婚、家庭などは全く想像出来ないので、これはどういうことだ?、と思う場面が多々あった。この辺はまた家庭を持って、何十年後とかに読み返してみたい。
    1つ1つの話が短いので、太宰を初めて読んでみるかな、という初心者にもオススメ。いってみれば、太宰の試食コーナーである。話は決して明るくなく憂鬱であるが、ユーモアもあるので楽しめる。こんな中からどれか1つでも気になったのがあれば、そこから太宰に入っていくのもいいだろう。

    個人的に、好きなのは「トカトントン」。人生の要所で、トカトントンという幻聴に悩まされる小説家の主人公。小説のアイデアを考えながら銭湯に浸かってるときにトカトントン、局員相手とのキャッチボール中にトカトントン、女性とのデート中にトカトントン(これは幻聴ではない)。とにかく主人公はことあるごとに、またよりによってうまくいきそうな時に、このトカトントンという幻聴が聞こえ、現実がどうでもよくなりしらけてしまう。
    これはなんかちょっと分かるなーと共感した。なにか物事の最中に、急にふと別の何かを考えてしまい急にしらけてしまう。どうでもよくなってしまう。トカトントンという音ではないが、このトカトントンの代わりのようなものが不意に日常生活に襲ってくることがある。私だけでなく、きっと誰もが日常生活で、自分なりのトカトントンが聞こえているはずである。
    劇中の最後で、主人公がどうしたら幻聴が鳴り止むか、を憧れの小説家に手紙で聞くのだが、返ってきた答えはこうだ。

    p.63
    「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ」

    マタイ10章? うーむ、これまた難しい...どうやら私の、トカトントン、はしばらく鳴り止みそうもない。

  • どれも面白い。純粋に。
    太宰治、というと構えてしまうのは、『太宰治が好き』と言うと中二病っぽいから、と思うことがまさに中二病なんだけど、そもそも中二病っていう言葉は思考停止だよ、と考えることも中二病、リングワンデリング。
    母が強い話が多い。主人公(父)が下というより、母が上だから下にならざるを得ないというか。太宰は妻、ひいては母にずっと後ろめたかったのかなあ。

  • 「親友交歓」 … 困ったちゃん、現る。酔っ払いにうんざりしつつも徹底分析。この状況を“孤独”と表現したのはすごい。

    「トカトントン」 … これは戦後復興の槌音? ようやく訪れた自由の波にうまく乗れない人だって、きっといた。

    「父」 … 寒空の下、子どもを背負った身重の妻は、15kgの米を運ぶ。それを尻目に女性と遊びに出かける“私”。普通の幸せをこうも恐れるのは、なぜだろう。

    「母」 … 親近感というか、緊張感というか、同い年の思いとは複雑だ。

    「ヴィヨンの妻」 … この夫にして、この妻あり。ちょっと見は淑やかそうな奥さんが、想定外に図々しい。お店、乗っ取りそう。

    「おさん」 … フランス革命 (夫) vs 心中天網島 (妻)。奥さんの怒りの沸点が高すぎる。家族について言及しない遺書にワナワナした。

    「家庭の幸福」 … 戸籍係の津島氏は絵に描いたようなマイホームパパ。早く帰宅したかったばっかりに、悲劇は起きる? ラストの一文が強烈だった。

    「桜桃」 … 子どもたちに食べさせたらどんなに喜ぶだろう、と思いながら女性宅で食べる桜桃。それは、おいしくないでしょう。

  • 表題作を含む7作品が収録されているがどの作品も太宰治らしさが出ていて、とても良かった。なかでも『トカトントン』『父』がお気に入りである。どの作品も等身大の太宰を描いてるのではないかと勘繰ってしまう。

  • 太宰最晩の作品集。桜桃は絶筆らしい。家族に対する絶望と、しかしそれでも持ち続けた新しい家族に対する希望。その辺が描かれている。

    ・ヴィヨンの妻
    太宰的な流れ、投げ出されるようなゴチャッとした結末。いつも背景にラジオのノイズが流れているような、そんな印象を彼の作品には持ってしまう。ダメな男と、こなれた妻。深く考えたもんが負けだよ、といわれてしまうような、軽快さと深刻さがある。ただこれは嘘ではないから、頭を抱える。

    ・トカトントン
    金槌で釘を打つ音、トカトントン。戦後の失望と、人生に対する仄暗い欲望と、舞い上がる砂ぼこりをも弛緩させ地に落とすよな響き。ある学生が、憧れる作家先生に自身の人生の悩みを書にしたためる。それがこのトカトントン。なにも手に付かない。要するに集中できない。つみあげたものが、ずるりと滑る。緊張がカタルシスを前に、ゆるむ。私はどうしてしまったんでしょうという具合。
     結論はイエスの言葉。

    ・親友交歓
    これも青空文庫。盗人猛々しい、友だとも、この表現が当てはまってしまっては、分を越えていることのほかはない。太宰の作品で主人公に感情移入することはほとんどないが、これはさすがに、主人公に同情せざるをえない。しかし、我がこうなっていないかと、ひやひやと思いを巡らせたりもしましたが、今の人間ここまでずうずうしくなること自体が奇跡のようなものです。完全にではなくても、少しの交わりの中でも、こういった分を過ぎる行いがないことを戒めつつ。

    ・父
    青空文庫にて。冒頭は旧約聖書のアブラハムとイサクの有名な物語。息子を殺してまで神に従おうとするアブラハムの義。義とは男には言い訳のようなものであると。自分の子供をほっといてまで賭け事に向かう男。

    「義。義とは?
     その解明はできないけれども、しかし、アブラハムは、ひとり子を殺さんとし、宗吾郎は子わかれの場を演じ、私は意地になって地獄にはまり込まなければならぬ、その義とは、義とは、ああやりきれない男性の、哀しい弱点に似ている。」

    13/7/21

  • 晩年の作品。まとめて読むととてもおもしろいことがわかった。同じような家庭が違った視点で描かれていて、読んでいて変奏していくような感覚。
    ヴィヨンの妻、おさん辺りが気に入ったかな。

    おさんのような女の気持ちを描いた太宰という作家のすごさ、と同時に気持ち悪さ。
    すべてはサービス精神と何度もいっているけど。
    どの人物も口からで任せばかり。だからテンポがよい。

  • ことごとくのだめ男と、健気な妻がたくさん出てくる短編集。
    太宰は、妻というもの、こうであってほしかったのかしら。女性からみても、すごいなあ、いい妻だなあと思うのだけど、一方で現実はこんなに冷徹にはなれないでしょうという感じ。

    「ヴィヨンの妻」は本当に名作だなあ。終盤での一つの事件が、こんなにもあっけなく描かれて、最後の一言
    「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ」
    がものすごい力を発揮する。

    太宰はやっぱりすごいのだと圧倒される一冊でした。

  • 暗さ9割、ユーモア1割。

    太宰が死ぬまでの一年半に書かれた短編集。
    書かれた順に納められているようだ。
    入り口は割と入りやすいのに、先に進むにつれて、暗くなっていく。
    今なら何とでも言えるが、当時、「太宰は自殺するのではないか??」って思う人々はいなかったのだろうか?

    表題作より、「トカトントン」のやり場のない恐怖に身震いした。
    何をやっても、クライマックスで、正体不明の音が聞こえて、全てが灰燼と化す様をユーモアに描いたこの作品。オイラが映画監督なら、この作品を映像化したいと思った。物語の山場にとりかかった作家が、銭湯の湯船につかりながら天井を眺めていたら、トカトントン~♪の音が聞こえ、興奮が一気にひいて、お湯と戯れる裸の男になりさがるくだりが、おかしくも悲しい。最高のシーンになりそうだ。

    最近、文芸作品が多いな。

  • なんという終末感!そして年末感。
    ダメ、ダメすぎる。
    わかっているのにさらに自分で追いつめる。
    見栄を張る、酒を飲む、涙も枯れて笑うしかない。

    家庭を通しているせいか、今まで一冊読めなかった太宰をついに一気読み。
    テンポがよくてばかばかしい。
    全編に溢れる「俺はダメだって自分でわかってるけど愛してほしいの!こんなにみんなのこと大事に思ってるけど、どうしても裏腹な態度とっちゃうの!それも自覚してるから苦しいの!つらーい!」感。

    これ読んで笑えるんだから、私も随分と余裕が出たもんだな。
    そういうバロメーターかもしれない。

  • 太宰作品の中で一,二を争う面白さ(私の中で).
    収録された作品全て素晴らしいです.
    これも初版が古いものを所持していたので少し内容が異なるかもしれませんが,こちらを登録しました.

  • 大人になってから太宰を読んで思うのは、実は思うほどネガティブではなく、むしろいたるところにユーモアのセンスが感じられるところ。本作は晩年の短編集ですが、どれもほぼ主人公は作者自身を投影したと思しき駄目な男。でもその描写は、自虐的諧謔とでも言いましょうか、むしろ開き直りのようなものが感じられて、いっそ笑ってしまいたくなるような駄目さ。一周まわって、いっそポジティブ。太宰は大人になってから読んだほうがいいですね。

  • 2012.06.23 読了。
    「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」の8編を収録した短編集。
    今まで読んだ太宰作品の中で一番面白かったかも。他の作品よりかは軽めな印象。家族、家庭のお話が中心。「ヴィヨンの妻」「トカトントン」「桜桃」が好きかな。「親友交歓」には作者の狙い通り(?)イライラさせられた。

    太宰作品は暗く、そして一筋の希望すらない。
    自分にはしっくりきそうで来ないんだよなぁ。

  • 太宰治は陰鬱な作品ばかりなのかと思ったら、意外にひょうきんでおもしろいものもあるのだなぁと思った。これは短編集だが、どの作品にも彼の病的な精神状態が克明に記されているが、やはりおもしろいものはおもしろい。まさにギリギリの精神状態で机に向かっていたことが伝わってくる。

  • そんな妻(女)には私はなれない。
    ただ、生きてればいいのよと最後の言葉。
    強い人だ。

  • 映画化きっかけに、久しぶりに読みました。
    中学生のときに読んだのと、人妻になって読むのとでは、そりゃ印象はちがいます。
    男の人は不幸なんだね。

  • 書店で、遠藤周作の書籍を探していたが見つからず、ふと「太宰は人間失格だけじゃない」というキャッチコピーにわかってるよと思いながらも、あまり読んでいなかったことにふと気付き、手にとってみることに。3つの印象的な文章に出会った。

    この人たちが、一等をとったって二等をとったって、世間はそれにはほとんど興味を感じないのに、それでも生命懸けで、ラストヘビーなんかやっているのです。別に、この駅伝競走によって、所謂文化国家を建設しようという理想を持っているわけでもないでしょうし、また、理想も何もないのに、それでも、おていさいから、そんな理想を口にして走って、以て世間の人たちにほめられようなどとも思っていないでしょう。また、将来大マラソン家になろうという野心もなく、どうせ田舎の駆けっくらで、タイムも何も問題にならん事は、よく知っているでしょうし、家へ帰っても、その家族の者たちに手柄話などする気もなく、かえってお父さんに叱られはせぬかと心配して、けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめられなくてもいいんです。ただ、走ってみたいのです。無報酬の行為です。幼時の危ない木登りには、まだ柿の実を取って食おうという欲がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情勢だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったりあってしまったのです。(P.60 トカトントン)

    →“その時の空虚な気分”を表現するために、これほどまでに流暢な文章を一気に書いたんだろうか、それとも何度も推敲を重ねて書きあげたのあろうか。この一端を見るだけでも、繊細な作家ということが自分の中で改めて感じた。もちろん、この文章に表現されている彼なりの「空虚」への視点も何かと乾いて世間を見ているような、人間も観察しているような気がして、独特さを感じずにはいられなかった。どことなく、違和感を感じないでもないが・・・



    私は、あなたに、いっそ思われていないほうが、あなたに嫌われ、憎まれていたほうが、かえって気持ちがさっぱりして助かるのです。私の事をそれほど思ってくださりながら、他の人を抱きしめているあなたの姿が、私を地獄につき落としてしまうのです。
    (P.164 おさん)

    →これはどうしようもない主人公の妻のセリフである。どこまで本当のことを書いているのかわからないが、こんな奥さんの気持ちをここまで考えることができるということが単純に驚きに感じる。この書籍の後半はほとんど家庭を顧みないしょうもない男が描写されているわけだが、果たして彼はこれを知りながらそんなことをしているのか。いっそ全く妻を考えずに、他の女を愛しているのか。どちらにしろ、恐ろしいことだと思うが、その中に一つ可能性を示す著者の幅が印象的。


    所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当たり、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。曰く、家庭の幸福は諸悪の本。(P,188 家庭の幸福)

    →こう断言できる作家は世界にそうそう多くはいないのではないか。あまりに断言するあまり、その結論をうすうす感じながらもキョトンとしてしまった。たしかに、仕事やその他課外的な活動を優先するときには、家庭の一部と代替にしなければならない時や場面が来るであろう。自分だってそのように考える時はある。でも著者のように考えるのが怖いから、必死に仕事と家庭での両者における幸福を確立しようと考え、動き回る。多少、どちらかに「犠牲」(表現が過激だが・・・)が出たとしても、頭の中ではそれは起こっていないとなだめようとする気持ちが働いてしまう。でも著者は... 続きを読む

  • ヴィヨンの妻、やはり好きな作品だ。荒れた時代とダメな男と絶望とユーモア。

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ヴィヨンの妻 (新潮文庫)の作品紹介

新生への希望と、戦争を経験しても毫も変らぬ現実への絶望感との間を揺れ動きながら、命がけで新しい倫理を求めようとした晩年の文学的総決算ともいえる代表的短編集。家庭のエゴイズムを憎悪しつつ、新しい家庭への夢を文学へと完璧に昇華させた表題作、ほか『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『おさん』『家庭の幸福』絶筆『桜桃』、いずれも死の予感に彩られた作品である。

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