ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101006031

感想・レビュー・書評

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  • 『親友交歓』は、ウーワこんな人ほんとにいたらきっついなぁと笑いながら読めて面白かった。
    『トカトントン』も好き。

    それ以降の話は、だいたい放蕩三昧の父とそれを耐えて健気に振る舞う妻と家庭と…いう話ばかりだった。
    どれも読みやすいし面白いけど、どうにも腹が立つ。
    女の立場からみればこれらの話に出てくる夫は本当にろくでもない以外のなにものでもなく、なんやかんやとご託を並べたところで私が妻の立場であれば、「知らねーよ。自分は女だの酒だのに逃げられていいけど、こっちは逃げ場なんて一瞬もなく子供の面倒見て家事やってるのに、俺は辛い、子供よりも親が大事、じゃねーよ!!!!」とキレてつっかかってしまいそうである。
    でも、これらの話に出てくる妻はそんなことは言わない。思ってても言わない。
    結局そういうのが理想の女性、妻なのだろうか。
    自分はたいして協力も理解もしてくれようとしないのに、自分のことは大事にしてほしい、家庭のことはやってほしいなんてそんな都合のいい話あるか。

    …などとかなりイライラさせられたものの、私にもこの夫の言い分はわからないでもない。
    私も、周りや家族にもっとこうしなければならない、こうあるのが理想であってそれ通りに出来ない自分は出来損ないだ、などと自己嫌悪に陥ることがよくあるからだ。
    だから、やりもしないしできもしないことをこうやってつらつら考えて落ち込むことの辛さもまたわかる。
    やりたくても精神的、肉体的に病んでいたりなど、理由があってどうしてもできない場合もあるし、その場合理屈はわかっているけど体や思想がちゃんと思うように動いてくれず、余計に辛くなるんだろうということもわかる。

    ただやっぱり第三者目線でこうして読んでみると、『そんなこと言ってないで気にするなら改善しろよ!ちゃんとやれよ!やらないしできないならもう気にしなければ!?』と思ってなぜか前向きになれたので、そう思わせてくれたことにはすごく感謝したい。

  • 太宰後期の短篇集。
    「親友交歓」のブラックユーモアは太宰らしく面白かったです。
    終戦直後を舞台とした家族の描写が多く、この頃には道化が慢性化して表面的には穏やかに明るいけれど、頽廃的な生活や恋での破滅から「死」という革命へ急速に進行している印象を受けました。
    考えても答えは出ませんが、もしも戦争という生を絶望視させる時代でなく華族や地主や百姓などの社会的地位の格差が緩和し、
    酒も煙草もコンビニで手軽に買えて衣服を売らずとも生きていける現代に太宰が生まれていたら..とどうしても考えてしまう短篇集でした。

  • つい先日、某所で『こころ』と『人間失格』どちらが好きか、というアンケートがあったが、あれはとても難しい問だと思うのです。
    ストーリーとして記憶に残っているのは間違いなく『こころ』の方で、あれは本当に完成された、これ以上ない一作です。
    対して『人間失格』はといえば、正直、この『ヴィヨンの妻』と同様、私にはほとんど読後に物語としての記憶がなく、あらすじさえ「はて」とページをめくり直さざるをえない。
    というのも、私にとっては、「あれも太宰、これも太宰、みんな太宰」なのです。
    はっきりとストーリーが残る訳ではないけれど、太宰への情と理解が読むほどに深くなっていく。
    だから、あの問は、私にとっては「『こころ』という一作品と、太宰治、どちらが好きか」と問われているのと同義で、「比較対象おかしくない?」となってしまう。
    いずれの作家も、どんなにプロットを練ろうとどこかしらに作家自身が紛れ込んでしまうものだと思うけれど、それにしたって、ヴィヨンの妻でさえ、「妻だけど、これも太宰だ」と感じてしまうのは、我ながら、いかがなものか…

    • くろねこ・ぷぅさん
      >「妻だけど、これも太宰だ」
      イイと思います♪
      フローベールはボヴァリー夫人を書いて、ボヴァリー夫人は自分自身であると語ったそうです。(...
      >「妻だけど、これも太宰だ」
      イイと思います♪
      フローベールはボヴァリー夫人を書いて、ボヴァリー夫人は自分自身であると語ったそうです。(あとがきによります)
      おんなじカンジですね。
      2017/12/01
  • 死にたいという人に限って本当に(自ら)死ぬ人はいないと言うが、本当に死んでしまう人もいると最近、友人に言われた。

    斜陽1度、人間失格2度読んで、それ以後ずいぶんたってからの太宰。太宰を知らないも同然。なので、私には解説や表紙裏のレビューと違い、太宰の文体や表現は太宰の体格のように骨太でエラクしっかりしていると感じる。
    読みながらなぜか啄木の泣きながら書いた短歌を思い浮かべたが、それと比べてもお涙頂戴的なものは感ぜず、力強い。死にたいと書きながら生き生きしているとは何事か。

    人間失格の構想原稿も見つかった今、作家自身のことと思わせる作品もすべては完全なる創作と思えて、なんで死んでしまったんだろうと思う。
    死を求めながら生き続ける道があったらよかったのに。(読者のために)

  • はからずも6/19の桜桃忌に読んでた。運命感じる笑

  • テーマとしては「男はくだらない」のように感じました作中で出てくる女性はどの方も我慢強く器が広いです。太宰治の女性はどういったものかが現れてるなの思いました。
    そして僕が今から感想を熱心に書こうと決めた途端に「トカトントン」と...
    ああこれでは感想を書く気になれません....

  • 太宰治の晩年の短編が収められている1冊。
    『親友交歓』は諧謔が含まれている作品で比較的明るい雰囲気だが、疎開先から帰ってからの作品は陰を感じるような作風となっていった。
    家庭のエゴイズムを追求したが、一方で新しい家庭の夢を追ってもいる。その作者の葛藤、苦痛を感じることの出来る作品群。
    これらの作風と太宰治の自殺とを関連させるのは別ではあるが、心の内を垣間見ることができ、この作品群を読むことで、作者の気持ちを共に感じることが出来たように思った。
    『おさん』苦しむ夫と妻がこれからどうなるのかと気持ちが高まっているところに、結末は夫の自殺。一気にガックリきてしまった。
    『家庭の幸福』では作中に「玉川上水での自殺」について書かれている部分があった。当たり前だが太宰治が生きている時に書いた作品なのに、なぜ「玉川上水」なのか?恐怖と不思議な感情が一気に押し寄せてきた。

  • 現代ではあまりお目にかかれない破天荒な主人公。
    とっくに愛想をつかされても仕方がないのに、何処か憎めないキャラクターである。
    何だか羨ましくもある。
    これはこれで二人は幸せなんだろうな。 
    ほんのりと暖かみも感じます。

  • 言いたい気持ちは、分からないでもない。
    ひかる言葉もある。が、私には太宰が分からぬのかなぁ。

  • 太宰治という人がとにかく気になる作品だった
    作家自身が浮かび上がってくるような作品に思えたが、解説を読んでこれはあくまでフィクションであることは忘れてはならないとも思った
    女性の目線から書かれた作品は自分を客観視して皮肉っているのか…
    文章のそこかしこに漂う悶え苦しむ心の動きが、完全ではないが何となく見えた気がした

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著者プロフィール

1909年〈明治42年〉6月19日-1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。本名は津島 修治。1930年東京大学仏文科に入学、中退。
自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦前から戦後にかけて作品を次々に発表した。主な作品に「走れメロス」「お伽草子」「人間失格」がある。没落した華族の女性を主人公にした「斜陽」はベストセラーとなる。典型的な自己破滅型の私小説作家であった。1948年6月13日に愛人であった山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

「2022年 『太宰治大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

太宰治の作品

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