- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101006055
感想・レビュー・書評
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新潮文庫版は解説が秀逸
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ふと読みたくなる時がある。読んだらなんかちょっと安心する。他人への、人間の世界への恐怖心が鋭く書かれていてドキッとする。結局みんな共感できるから読み続けられてるのかな。狂人になるのだけれど、周りから見ると気のきく明るい人なのがなんとも...
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太宰治の精神世界を覗きこんでるよう。
終始暗く憂鬱な気分だが、最後の一文に、本当に救われた。人間失格で、この世を閉じた太宰さんの心も救われたのかな。救われてほしい。生をかけた名作。 -
なんと言ってもタイトルのパワーがすごいです。
長すぎない物語なので、読みやすいと思います。
なんとも言えない生き辛さには共感。
遊びや酒、女、薬に溺れた主人公は最終的に自分自身に「人間失格」の烙印を押しますが、そんな彼こそが人間らしいとも思います。 -
前からチャレンジしたい本だったけど、なかなか手にする機会がなく、たまたま本屋で小栗旬が表紙になっていた「人間失格」を見つけたので、読んでみました。
分かるような分からないような…。
読んでいてちょっと息が苦しいような気持ちになったり、途中で読むのをやめたくなったりしながら、どうにか読了。読後の気持ちを表すことが難しい。時間をおいてまた読んでみたいです。 -
恥ずかしながら、50歳を過ぎて初めて読んだ。冒頭からの社会との距離感は文学としては代表的なテーマか。ただそこからの展開はかなり特異な人生か。
この人が特にそうなのかしれないが、この時代の作家はロックスターのイメージと重なる。そもそも本人の人生も壮絶でそれ自体が作品ともいえそうだし、その背景が余計に作品を光らせている側面もあるのではないか。
内容は今読んでもかなり過激な感じがする。もっと若い頃に読めば受け止め方も違ったのかもしれないと思うインパクトがあるが、ここから何を感じるか。
50歳過ぎに読むと、最後のスナックのママ?の「天使のような人でした」の回想から「色々あって後悔も多いけど評価してくれてる人もいるかも?だから細かいことは気にせず今この時を一生懸命生きてみたら?」って言われてるような気もしてきます。太宰治もそう言われたかったのかな?と。
文体を見てなんと読点の多い文章なんだろうか、と思ったが意図的に使い分けているようで、見た目の効果も意識した文体とはこの時代でもあったのですね。
村田沙耶香さんの小説の題材にも似たテーマがよく取り上げられてるように思うが、やはり影響を受けているんだろうかな。読書好き、文学好きを自称するならやはりちゃんと読んでおかないといけないな、と改めて思いました。 -
限定カバーが素敵だったので数年ぶりに読みました。
私の人生に於いて欠かせない一冊「人間失格」。
津軽の大地主の生まれである太宰は、生まれもっての裕福な環境で成長していく中で、他者との調和を求めるべくわざとおどけてみせたり道化精神を培っていきます。
貴族の生まれが逆にコンプレックスであり、例えば勉学などで目立つことも好まず、酒や薬に溺れわざと自堕落になることで自分へのハンデを与え、破滅することでしか生きる意味を見い出せなくなっていく様は非常に痛ましくそれでいて美しいとさえ感じました。
私自身似たようなところがあり、やはり道化を演じてしまうところがあるのですが、演じる程に自己を見失っていく感覚はとても苦しいものです。
ある人に「あなたはもっと悪者になったほうがいい。感受性が強すぎる。」と言われたことがあるのですが、
太宰にしても私なんか以上に感受性が強く抽象的な物事を読み解く才能もあるが故、恐ろしく沢山の物事を見てしまい感じなくてもいい苦痛や気にしなくてもいい事を見つけてしまう苦痛に溺れていったのだろうと感じました。
しかし道化を演じながらも酒や薬に溺れ自堕落になり、家族までも崩壊させていく姿は
人間の本質を丸裸にして見せられているような感覚になり、逆に「生」を感じさせるものでもありました。
無頼派でいてデカダン的な生き方は「ダメ人間」ではなく心の底から一生懸命だからこそできる生き方だなと感じました。
きっと誰よりも人を愛して愛されたいと思っていた太宰の生き様は美しいと私は思います。
賢くも生々しい生きることが不器用な人間性、私は好きです。 -
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そっか・・・とてもきれいな「おとぎ話」と言われると、うんうん、と頷けるものがあります。私はまさしく10代のころにこの「人間失格」を読んで、な...そっか・・・とてもきれいな「おとぎ話」と言われると、うんうん、と頷けるものがあります。私はまさしく10代のころにこの「人間失格」を読んで、なんで私のことがこんな風に活字になってるの??と驚いた、典型的な太宰ファンです。
太宰治の道化が哀しくて、恥ずかしくて・・。
大人になってから読む太宰というのもまたいいものですよね。2011/11/11 -
>じゅんさん
コメントどうもありがとうございます。私も高校生のときに読んでいたら、「これは、私だ・・・!!」と衝撃だっただろうなぁ、と思...>じゅんさん
コメントどうもありがとうございます。私も高校生のときに読んでいたら、「これは、私だ・・・!!」と衝撃だっただろうなぁ、と思います。
太宰の道化精神に、「自分が一番わかっているのに、自分じゃどうもできない」ものを感じました。2011/11/11
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中身の濃い小説だとは思うけれど、自分を否定したいのか、肯定してほしいのか、よくわからない。
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ああ。読んでしまった。
表紙カバー裏に太宰の略歴が書かれていて、「戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。」と締めくくられ、文字通りの遺作は、その次のページから、あまりにも有名な一文目に始まり、自己への反省、批判、嫌悪、羞恥、後悔、あらゆる否定に満ち満ちた文章を連ねていく。やっぱり新潮文庫はオシャレだ。
僕は、不思議なことだけれど、この、行間から漂う絶望、「人間」として生きることに対する諦観のようなものたちに対して、居心地の良さのようなものを感じてしまっていた。それはやはり、表面的に「道化」を演じ続ける一方で、内なる空虚を抱える主人公に対し、どうしようもなくシンパシーを感じていたからじゃないかとおもう。それが、人間、なのかもね、みたいな。彼は「廃人」として自らに人間失格の刻印を押している(もしくは押されたと評している)が、酒や薬物の中毒に陥るまでか否かという「程度」の違いであって、根源的にはみな、人間は、「人間」失格なのではないか、とおもってしまう。
読んでしまった、というのは、こうして自己を否定することで人間は純粋で、妥協せずに、「人間」らしくいられる印象を、自分が抱いてしまったからだ。自分の目を通せば、ヒラメや堀木と言ったような周囲の人々よりも、主人公が、よっぽど「人間的」に見えたからだ。こうなってしまっては、自分に自信を持っている人間や、現状に満足しているような人間を見たり、そういった人々の本を読もうとすれば、違和感や疎外感を覚えずにはいられない。おそらく僕は、彼に、感化されてしまったのだ。
解説によれば、太宰をその人にとって特別な存在として位置づけ評価する人々もあれば、その文学を全否定し認めようとしない人々もいるのだそうだ。言うまでもなくそういう意味で自分は前者だろうが、後者のような人々が存在することも確かになあと思う。そういう人たちにとっては、むしろ太宰こそが傲慢な人間に思われるのかもしれない。たぶんだけど、そういう人たちが批判するよりも、太宰を愛読する人が彼の文学の「よさ」を表現するほうが、よっぽどむずかしいんじゃないかとおもう。少なくとも僕は。事実今このレビューでさえ不完全燃焼感でいっぱいだ。もうちょっとこの花火燃えるはずなのに!根っこのほう湿気ちゃってるよ!みたいな。何の話だ。
いつかもう少し大人になったときに、また読み返そうとおもいます。