学生との対話 (新潮文庫)

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著者 : 小林秀雄
制作 : 国民文化研究会  新潮社 
  • 新潮社 (2017年1月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101007113

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学生との対話 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ベルクソンの経験的実在
    本居宣長の大和心
    大事なことを何回も繰り返してる

  • 熱量がある。


    以下引用

    諸君の現在の心の中に生きなければ歴史ではない

    現代のインテリは不思議を不思議とする素直な心を失っています

    信じるというのは、責任をとること

    物知り人を嫌う

  • 約40年ぶりに対面する。あの頃もそうだったが、やはり小林は難しい。自分の頭では一読二読では到底理解できない。なのに、国語の教員をしている…。

  • 1961年から1978年の間、5度学生に対して九州の合宿で講義した記録。学生との真摯な質疑応答が厳しくも優しい。科学について、物理学が数学の姿をとるように、経済学者や社会学者は数学を手本にし過ぎるので誤りが出る。それぞれの個性に準じて、科学精神を用いればよい。なるほど。2017.5.18

  •  僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知るということです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知るということです。僕は知っても、諸君は知らない、そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです。現代は非常に無責任な時代だといわれます。今日のインテリというのは実に無責任です。例えば、韓国の或る青年を救えという。責任を取るのですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるのですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任は取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐ろしい。恐ろしいものが、集団的になった時に表に現れる。

     偉い人の仕事を見ると、まず初めに仕事を好むことが土台になっている。その仕事に没頭できるか、できないかが、最初の問題です。科学の仕事は物事をはっきりと知ることにあるが、その知識を我がものとする喜びを感じていなければ、知識が信念に育つ事はあるまいし、逆に喜びがいつも実感できていれば、科学者はその信念に生きるでしょう。

     君に実感として湧いてこない理想を、私が君に与えることはできない。孔子が「噴せざれば啓せず」と言ったように、あなた自身が憤することが大切だ。理想というものは、人から教わるものではない。参考にするものはいくらでもあるが、理想に火をつけるのは君だろう? 孔子は続けて「悱せざれば発せず」とも言っています。口でうまく言えず、もぐもぐさせているくらいでなければ、導いてやらないというのです。こういう教育はだんだん少なくなったが、原理としては、これが亡びることはない。だから、君の質問には、僕は答えられない。いまどういう理想をもったらいか、ああ、それはこうだよということは言えない。君が発明したまえ。学問には必ず自得しなければならないものがあるのだ。

     人間を考える時、人間の精神というものを考えなければならない。精神を考える時、どうしても科学の方法ではできない。その人と交わるしかないんだ。つまり、その人の身になってみるということだね。だから、考えるためには非常に大きな想像力が要ります。

     想像力、イマジネーションというのは、空想力、ファンタジーとはまるで違う。でたらめなことを空想するのが空想力だね。だが、想像力には、必ず理性というものがありますよ。想像力の中には理性も感情も直感もみんな働いている。そういう充実した心の動きを想像力というのだな。

     自分の本当の姿が見附けたかったら、自分というものを一切見失うまで、自己解析をつづける事。中途で止めるなら、初めからしない方が有益である。途中で見附ける自分の姿はみんな影に過ぎない……。そして、自分というものを一切見失う点、ここに確定的な線がひかれている様に思う。こちら側には何物もない、向こう側には他人だけがいる。自分は定かな性格を全く持っていない。同時に、他人はめいめい確固たる性格であり、実態である様に見える。こういう奇妙な風景に接して、はじめて他人というものが自分を映してくれる唯一の歪んでいない鏡だと合点する。

  • 時代的には学生運動の後で、30代にもピンとこないこともかかれています。今の学生に理解されるのでしょうか?

  • 考えるとは、人と交わること。信ずるとは、責任を取ること。

  • もし、自分がこの場にいたら、きっとお腹の調子がおかしくなったり、呼吸が変なことになってしまっただろうな。という空気感さえ伝わってくる。

    「現代思想について」
    「常識について」
    「文学の雑感」
    「信ずることと知ること」

    の講義後に行われた対話集。

    印象に残ったのは、科学と心理の話。
    科学とは物と物の関係性を解明することだが、それは人がどう良く生きるか、心とはどのような性質を持っているかということとは無関係である。

    本居宣長と「もののあはれ」の話。

    それから、質問の仕方について。
    これは『人間の建設』でもそうだが、良い質問をするよう求める。
    学生の幾つかの質問には、遠慮なくぶった切っているものもある(笑)
    抽象的であるとか、本質をまず捉え違っているとか。。。

    批評について。
    まさか、褒めることという帰結に結びつくとは。

    「調べて、古えに関する知識を得たのではない。古えの口ぶり、手ぶりがまざまざと目に見えるようになった、そこまで行った人なのです。……なぜなら、諸君の現在の心の中にあるのだから、歴史をよく知るという事は、諸君が自分自身をよく知るということと全く同じことなのです。」

    「だから、考えるということは、自分が身を以て
    相手と交わるということです。宣長の言によると、考えるとはつきあうという意味です。ある対象を向うに話して、こちらで観察するという意味ではありません。考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。」

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学生との対話 (新潮文庫)の作品紹介

さあ、何でも聞いて下さい――。小林秀雄は昭和36年から53年にかけて、雲仙、阿蘇など九州各地で五度、全国から集った学生達に講義をし、終了後一時間程、質疑に応えていた。学生の鋭い問いに、時には厳しく、時には悩みながら、しかし一貫して誠実に応じた。本書はその伝説の講義の文字起こし二編、決定稿一編、そして質疑応答のすべてを収録。小林の学生に対する優しい視線が胸を打つ一巻。

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