それから (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010052

感想・レビュー・書評

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  • この小説を読むと、恋の恐ろしさを痛感します。代助が実家から斡旋される結婚や、他の恋愛(社交界に出入りしていたのだから、それなりの出会いもあったはず)ではなく、なぜ、3年前に友人に斡旋した女性(三千代)への愛を貫き通したのでしょうか。実家や世間から断絶されてまでの愛とは一体・・・。しかしまあ、代助に三千代を上げる平岡も平岡かな。三千代を愛していないのなら、平岡も三千代も幸せにはなれないはずなのに。三千代を愛していないのに、世間体を保つため(?)、ちゃっかりと代助の実家に代助の奇行を報告している(新聞社勤めなのだから文章はうまかっただろう)のも抜け目がないというかなんというか。この小説で、幸せになった人はいたのでしょうか?代助も最後はどこまでも電車に乗って行こうとし(自分の選んだ選択の結果からの逃避?)、三千代もどうやら不治の病気だし、実家は代助と絶縁するし、平岡も妻を奪われるし。愛を貫くことで、これだけの代償が生じうるのだから、恋愛や結婚にはリスクがあるのかなあ。

  • 前半は途中飽きることがあったが、後半から一気に引きこまれた。主人公・代助の変化が面白い。三千代への愛が彼をこんなにも突き動かすのか、と圧倒された。最後の「赤」の描写が怖い。狂気を感じる。
    三千代と会った後、百合の花をまき散らした場面が綺麗だった。月の光で白く光る花弁や百合の匂いが映画のワンシーンのように脳裏に浮かんだ。
    明治時代の東京の風景がところどころに描かれていて興味深かった。資生堂や丸善って当時からあったんだなあ。

  • 漱石先生、前期三部作の第三作。

    学校を卒業して以来、親のお金で暮らし続け、その上、“パン”のために働く周りの同世代たちを小馬鹿にしている高等遊民の代助。屈折した自意識を抱えるために、世の中に入り込もうとせず、常に上から世の中を見つめ、自分だけが真理を解しているような態度や言説を繰り返す。

    こんな人が自分の周りにいたら絶対嫌われていると思う、典型的なタイプ。

    だのに、なぜか代助に心を惹かれてしまうのは、それでも彼が自分には嘘をついていないという点であると推察する。代助自身も告白しているように、そんなひん曲がった性格を持ちながらも三千代への愛においては、実に裏表なくストレートに突き進む。三千代への愛だけはほんものだと胸をはって言えたのだと思う。

    しかし、世間ではその行為は徳義に反しており、最後は悲劇的な結末を予感させるなんともおそろしい表現で終わる。

    世の中に対して諦感の念しか持たなかった代助が、愛にだけは固執しそして身を滅ぼさんとする様はまさに人間の本性だし、エゴだし、だからこそ感情移入出来るし、代助に同情さえするのだと思う。

    どうしようもない人間でありながら、現代の人間が抱えざるを得ない影を漂わせ、共感を呼ぶように書いてしまうのは、さすが漱石先生、ということになるのです。

  • 働く者からしたらただの屁理屈にしか聞こえない「高尚な精神」を言い訳として悠々自適に暮らす、現代でいうニートの代助。授業のグループワークで友人が代助に「ひねくれクソニート」というあだ名を付けていた…
    それまで淡々と、飄々と生きていた代助だったが、三千代への愛を自覚してからは激しい苦悩に襲われる。その苦しい心理を非常に細かく丁寧に、言葉を尽くして書いている。色彩の描写が印象的で、特に最後の赤、赤、赤の所は読んでいるこちらも頭がぐるぐるしてくるようだった。また、所々に漱石自身を思わせる描写があった。
    物語というより、代助の思想や感情が大半を占める本。
    彼は「それから」どうなったのだろう。

  • 夏目漱石3部作の2作目。
    不倫を題材にしたこのシリーズで、一番主人公が苦悩する話ではないかと思う。
    現代の私たちが読むと、ただのありふれた不倫小説だが、当時では斬新だtたのだろうと推測する。好き嫌いは別として、やっぱり夏目漱石の文章力はすごいと思った。

    122p 大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった、。文明は我らをして、孤立せしめるもの。
    には、現代に生きる私たちにも、覚えのある痛い一言である。

  • 純情と体裁の対立、と見た
    父、兄、平岡は、世間体や常識を重んじる人達である
    現在の価値観とそぐうものであるかはさておきとして、彼らの理屈も分からなくはない
    対して、代助と三千代は純粋である
    たとえ、世間がどうであろうと自分の信じたことを進む
    それは一種の刹那的な言動であり、そのことが後々の彼らを地獄に落とすこともある
    それでも、彼らは自分の思いを貫こうとする
    どちらにも良い悪いはない、ただただ、この二項対立の深みに物語ごとはまっていってしまった

  • いやあおもしろい。実におもしろい。これほどおもしろいとは思っていなかった。1回目は30歳代で読んでいると思う。20年以上たって、また違ったおもしろみを味わうことができたのだろうか。ストーリーだけではなく、ところどころに出てくる漱石の哲学もおもしろい。P.150にある。「歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を持って、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる。」これはコンサマトリーではないか。学びたいから学ぶ。10年ほど前から、このことばを知って、ずっと使っている。こういう自分自身の経験があるからこそ、同じ作品に対する受け留め方も大いに変わってくるのだろう。柄谷行人の解説には、「姦通」とある。たしかに、夫のある女性を好きになり、奪おうとするのだから「姦通」であるのか。しかし、漱石には性的な描写が一切ないので、「姦通」ということばから得るイメージとは程遠い。他にも同じような設定があったかどうか「こころ」以外では覚えていないが、友人と同じ女性を好きになるという経験が漱石にはあったのだろうか。小説だから単なる想像の世界だろうか。僕には、幸いなことか、そういう経験はない。妻には、どうやらそういう経験が、あるらしい。

  • やっぱ夏目漱石好きだな。
    門読まなきゃ!

  • 明治期のニート、なかなか賢そうだったし読んでいて面白かった

  • 主人公の恵まれた境遇が羨ましく、抱えている悩みは恵まれているからこそ持てるものでしかない、と嫉妬してしまいました。けれどもそうだからこそ面白い、というか興味深い。三四郎よりこちらの方が個人的には好きです。次は門を読む予定ですが、どんな内容か楽しみです。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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