門 (新潮文庫)

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著者 : 夏目漱石
  • 新潮社 (1986年11月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010069

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門 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • すげぇぇぇぇ。夏目漱石ってすげぇぇ! と、思った一冊。
    私は漱石のいい読者ではなく、「漱石で一番好きな本は?」と聞かれたなら、「うーん、『夢十夜』かなぁ?」ぐらいしか答えられないような人間であった。
    この本を手に取ったのも、『三四郎』『それから』は読んでいるのに、そう言えば『門』は読んでいなかったなぁ、というおかしな貧乏性がきっかけだった。

    それがいやはや、どうしたことだろう。読めば読むほど、え、漱石ってこんなに凄い作家だったんだ、やばい、私全然漱石の本を読めていなかったんだ、と過去の自分の読書を疑いたくなったのである。
    なんという生きることのナイーブさ、そして日常というものの怠惰さ。脆くて柔くて甘えているのに、図太くてそっけなくて突き放している。
    自分自身ですらままならないのに、自分一人では生きていけない。社会では生きていけないと思っているのに、社会がないと生きていけない。

    つまりこれ、膨大にして矮小な、圧倒的にして視野狭窄な、矛盾。普段は何気なく過ごしている、あるいは見ないふりをしている「矛盾」というものを、漱石は実に丁寧に、それこそ悲しくなるくらいリアルに描いている。
    その手腕のなんというブレのなさ、確実さ。凄すぎる。常人じゃない。何しろ、物語にどんな事件らしい事件も起こらないのである。むしろ、主人公が体験した一番の山場(切迫シーン)は、もう遠い過去へと過ぎ去っているのだ。
    それなのに、漱石はその淡々と過ぎ去るだけの、あまりに怠惰で茫漠とした日常を、あくまで堅実に着々と書く。そこには妥協も安定もない。ぐらぐらとして脆弱で、哀しいセンチメンタルな気持ちを、一切の同情を切り捨てて書く。

    これじゃ、漱石が神経症に悩まされたのも当然だ。こんなに微に入り細を穿って人間を描写する目と頭と腕があるんだもの。そして、そんなものを書く自分にどんな甘えも許していないんだもの。辛いに決まっている。
    少なくとも、この本を読んで私は漱石のことをそう思ったのだった。

  • 三部作でこれだけ読んでなかった。
    「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないでも済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」
    怖ろしいなぁ。
    「それから」もえらく現代的だなあと感心したけど「門」はまさにここ数年の日本という感じ。
    格差やみじめさに耐えられなくなって思い悩み、過去の自分の負債が首を擡げ、どうしようもなくなったら仏門をたたく。
    最近仏教系の本多いでしょう。
    これからの日本は仏教的なイベントがはやるでしょうねというとある人の言葉を思い出した。
    明確なノルマやゴールがない。自己実現や生きがいという度量衡が崩れて向う最終地点のようなね。

  • 夏目漱石を読むときには、当時の明治の時代背景を重ね合わせながら、
    その時代に生きる人々の思いを知ろうとする。

    「門」についていえば、京大出の官僚で、ある意味では社会の成功者であるはずの主人公の宗助が、混沌とした社会の荒波に敢えて波風立てず、妻の御米と寄り添いながら生きていく。その時代とは?
    ただし、彼の精神は不安定であり、決して満足しない。宗教(座禅)への傾倒も試みるも、その精神を満たすことにはならない。

    御米(妻)は親友の安井の前妻であり、その裏切りに悩みながらも、その安井は冒険者として新しい生き方を探し求めており(それもまた新時代の生き方)、宗助は、その生き方も気になる。混沌とした時代に冒険する側とそれを傍観する側のコントラス。
    また、大家の坂井は旧幕時代から続く裕福な家庭で、ある意味では旧体制のノスタルジーを醸し出す。

    叔父や実弟との関係は血縁関係が希薄になる世相を示し、子供ができない御米との関係もそれを暗示する。

    最後は、御米と二人の世界に閉じこむことになるのだが、御米に全ての心を開くわけでなく、どこかで個人主義的な生き方となり、明治の時代に生きることの難しさを伝えようとしているのだろうか。

    ストーリーとしては淡々と進むのだが、夏目漱石の表現力が、ストーリーをうまく脚色しており、その技量の素晴らしさに感嘆させられる。

  • 漱石の小説の中では一番好きかもしれません。夫婦の距離感がなんか好き。

  • 『三四郎』『それから』『門』に登場する三四郎、代助、宗助は、かなり多くの点で、自身と一致する部分があります。

    もっと若い時期に薦められて読んでいたら、あるいは人生が変わっていたかも知れません。
    代助・宗助のような過ちは冒さないよう、その香りのする道を迂回して通ることもできたでしょう。

    しかし、もしそうしてしまっていたら、この三作品を今のような気持ちで味わうことはできなかったのでしょう。

    私は宗助と御米の苦しみを理解することができます。また、ふたりの生活のある種の善さを感じることもできます。

    人生と読書体験は、どちらが先ということなく、相互に影響しあうようだな、と深く感じ入るに至った一冊でした。

  • 柄谷行人さんが解説の中で使っていた「互いに通じ合うことの出来ない微妙な溝」って表現になるほどと思わされた。それが宗助から漂う孤独感だったり世の中や自分を一歩引いたように見つめてる第三者的な姿勢につながるのかなと。

    『三四郎』『それから』を読んだら、より深く味わえるんだろう。読まねば。

  • 3部作の中では「門」が一番好きです。
    陰鬱としてますが、文章がとにかく美しい。
    中盤、夫婦の関係を描いたシーンに震えました。
    あの表現力…思わず何回か読み返してしまいました。

  • 1911年の小説。
    夏目漱石と言えば、日本文学を代表する文豪であり、明治と共に生きた知識人として近代的国民国家「日本」が形成されていくことにまつわる苦難をあまりの理知故に捉えそれを主題とした作家であり、兎にも角にも偉人である。という一般常識にわたしは囚われすぎていたのかもしれない。「それから」を読んだとき、ああこれはわたしかもしれない、という圧倒的共感及び恐怖心を覚え、そしてわたしの内面を的確に捉えた端正な日本語、新聞に連載していただけあって目が離せなくなるような話の筋の面白さに感嘆し、ずいぶん遠いところにいる気がしていた漱石が一気に「日本文学史の重要人物」から「わたしの好きな作家」になりました。で、意気込んで「門」に読み進め、やはりようやくわたしは漱石を自分に引き寄せて読むようになったのだと確信。今更だけどこんにちは漱石。

    「三四郎」はすこし前のわたし、「それから」は今のわたし、では「門」は未来のわたしなのかなあ。「それから」を彩る狂気はここでは感じられず、狂わぬまま苦しまねば成らない人間の苦しみが描かれていたという意味で、「門」はさらに近いのかもしれない。やっぱりものすごく面白くて、日本語が素晴らしくて、主人公はわたしだった。わたしだって悟りという魅力的な言葉に惹かれてずっと宗教を希求してきたし、それでもどこにも辿り着けず諦観を感じてきたし、門の前で立ち尽くす宗助はほんとうにわたしだとおもった。小説全体を通して流れる静かな諦観と、倦怠と、だからこそ逆説的に成り立つ透明な幸福が、とてもすきです。おはなしのことを言うと、弟は昔の主人公で、坂井はありえたかもしれない主人公のひとつの未来であり、もはや戻らない時間に阻まれどうしようもなく隔たった過去と未来がその眼前にあり続ける宗助、分身のようで結局のところ他人である御米、こういったものすべてがおそらく一生立ち尽くすであろう宗助の悲哀を物語るようで、なんかもう漱石は天才だし、どうしようもなくかなしい。「それから」を読んだ後は追いつめられたような気持ちであったけれども、「門」はただ嘆息。たちつくす。

  • 日常が淡々と積み重ねられていく。特に大きなこともなく、それでいて突然参禅するなんてことも起きて。
    だからといってその後何か起きるかというとまったくなにも起きないのだから、よくわからんものである。

  • 世間とは深い関わりを持たずに身を寄せ合って生きてきた、宗助と御米(およね)。つましく節倹した生活を送るなか、学生という身の宗助の弟・小六が二人のもとに越してくる。

    物語の前半部分は、この小六の学費をいかにして捻出するかという生活的な問題に、宗助達2人があれこれ思い悩むことに終始しています。


    そして物語が進み、宗助と御米の過去が明らかになると、読者はこの作品が『それから』や『こころ』のように三角関係を描いたものであったと分かるのです。

    三角関係を克服したうえに成り立つ夫婦であることの罪悪感が、宗助と御米の生活に影を落とし、世間から隠れなければならない独特の暗さと疎外感を生み出しています。

    宗助夫妻の後ろ暗い過去に触れたところで、宗助の友人であり御米のかつての男である安井という人物が、2人の身近に現れることになるのですが…。


    題名『門』とは、安井の登場に怖じ気づいた宗助が、家を離れ身を寄せた禅寺の『門』を表すのでしょう。
    この作品は言ってしまえば、自分が恋人を奪った男に会いたくないが為に、禅寺へ駆け込む…というだけの話なのです。

    漱石が描く三角関係は必ずしも、幸せな結末を生むものではありません。

    ある日、鶯が鳴いたのを『ようやく春になった』と喜ぶ御米に対して、『しかし、またすぐに冬がくる』と言ってみせた宗助。

    『こころ』の中では先生が妻に隠れて自殺したように、本作では物語の最後まで、夫婦である宗助と御米の間には避けられない隔たりがあることを示しているのです。

  • 漱石初期の三部作の最後となるこの作品。
    おそらくこの作品が一番重いだろう。
    通低音となっているのが「罪悪感」。
    友の妻を奪うという行為。
    個人としての倫理だけではなく、周りを含め社会としての背信感を抱えながら生きていかなくてはならない。
    そんな主人公が行き着く先にあるもの、それが「門」なのである。

  • 【あらすじ】
    不倫ゆえ全てを失った主人公は貧乏ながら妻と日常を過ごしていた。しかし主人公宗助はやりたいことが出来ない不自由さとかつての友人を裏切ってしまった罪悪感に悩む。

    ある日妻の夫であった安井の消息を知った宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、なにも悟れず帰ってくる

    【感想】
    全体的に暗く、何も起こらず終わる。
    最後の宗助の一言から
    今後も、何も起こらないことが分かった。
    希望もないけど絶望もない切なさ。

    しかし宗助には奥さんがいる。

  • 初期三部作最後の作品。
    暗いですね。

    今の自分のテンションと微妙に重なって、ある意味満喫できましたが、ちょっと辛すぎる気もしました。

    問題は自分の中にあるというか、この主人公の宗助って考え方を変えたら恵まれてる状況なのに、本人が悪い方に考えちゃうからそれが良くないって話にも思えます。

    しかし、それがリアルなんですよね。

    夏目漱石を読んでいて何度も感じたけど現代的な悩みを書いていると思いました。

  • のんびりと読んだ。

    主題は『それから』のそれからに他ならないと言うのは確かなのだが、現代とあわせると事情は少々異なると言えるだろう。つまり代助が不倫し勘当されたのは30歳の時分であり、一方この物語の宗助が同じことをし、されたのは大学生の時分である。

    宗助は役所に勤めているが、他方で果たして『それから』の代助が、仮に今生きていたとして、30台で高学歴だが職歴ナシという悲惨な身分から、仕事を見つけることが出来るだろうか。果たして代助はその後宗助のような人生を送ることが出来たのだろうか。
    …このような考えは話の本筋と大きく外れた詰まらないものであるが、今と明治時代の齟齬を見出す一つのヒントになりはしないだろうか。

    …ところがかつて代助のような生活をし、今宗助のようにひっそりと生きている人間はここにいる。自分語りになってしまい、前の段落とともにレビューの質を落とすことになり残念には思うが、そんなわけで、僕はこの宗助に非常に感情移入できたのだ。その日暮らしとは少々違うものの、将来を諦め切って今を細々と生きていく人間の様子が、この小説には主に前半で丹念に丁寧に描かれている。そして僕は今まさにそう言う生活をしている。

    さて、本質的なレビューに入ろう。
    漱石の小説は『それから』や『こころ』などのように、前半は主人公達の生き様が長く描かれ(起)、後半のクライマックスで一気に承転結を迎える、と言うようなものが多いが、この小説もその例に漏れない。僕は、起承転結はそれぞれが同じくらいの分量にまとまっているべきだと考えてしまうのだが、どうもそれは単なる素人の考えに過ぎないらしい。

    上で書いたように将来を諦め切って細々と暮らす人が延々と描かれているわけなので、明るくはない。しかしそこには何か居心地の良さが感じられる。この居心地の良さを退屈と感じてしまう人は多いだろう。それは何故か。若いからだ。未来に希望を持っているからだ。僕はそう考える。この本をそこそこ有名な現役の高校生や大学生等が読んでも、あまり共感は得られないだろう。将来のある人間が、将来はないがつつましく生きている人間の描写を延々と読まされたって、ピンとくるものはないはずだ。

    しかしそう言った人には(そうはなって欲しくないが)、宗助のように何らかの方法でレールから道を外し、ひっそりと暮らさざるを得ない身分になってしまった時に、ぜひもう一度読んで欲しい。読後感が全く違っているはずだ。しかしそれは境遇の変化によるもので、決して己の成長が引き起こした変化ではない。しかしそう言う小説もあっていいではないか。

    巻末解説には『恋とはすなわち常に三角関係の形を取るものだ』と言うようなことが6ページにわたり書かれていた。僕はそれを違うだろうと思いつつ読んだわけだが、僕のように読むか否かはこれも人次第だろう。

  • 十年以上前に読んだときに気に入つたこの小説の『何もおこらなさ』が十年以上経つた今になつて普遍的なものに思えてならないのであつた。

  • 9/29
    三部作最後。
    何が起こるわけでもなく、何が解決されるわけでもなく。
    この平坦がたまらない。

  • ドラマティックな設定(『それから』ですね)とコントラストを成すように、
    どこまでも純朴で飾り気のない愛で結ばれる夫婦の姿が、
    際立つように描かれています。あまりにも、素敵すぎます。。
    ・・・個人的には、これが小説の最高峰だなぁ。

  • これでもか、というくらい徹底的に、
    侘しい二人。
    侘しさが透明な水のようにたまっていき、
    その深い底のほうにいる二人も、
    だんだん透明になって消えてしまいそう。
    赤く燃えた後の燃えカスの黒、
    というよりは、
    もう何色に染まることもない透明さ。
    この透明さを感じさせる文章が美しく、
    気持ちのいいところもあった。

  • この本は痛いところを突いてくる。
    半分まで読んでもどこにも幸せが見えてこなくて、宗助が御米を大事にしているのが分かるけど、2人の生活はとても寂しく感じ、外界から切り離されたみたいな、世捨て人みたいな、不思議な孤独を感じるのは何故かと思っていたが、2人で罪を背負ったのだと後半で納得した。直接の言葉を使わずに2人の生活の空気感がどうしてこうも表現できるのだろう。
    門のところの記述は誰もが通る道なのかもしれない。不幸な人というが、幸福なだけの人も少ないはずだ。
    自分で切り開けない人もいる、でも流れに身を任せるという方法もあると教えてくれているような終わり方だと受け取った。答えを出せないことも多いが、すべてを窮屈にして思いつめることもないと思えた。
    寒い冬から春になるその時期の暖かくゆるんでゆく様を、家庭の状況に重ねてあると感じた。そこで宗助がじきまた冬になると答え、2人の罪はなくならないことを思い出させる。
    けれども良い時もあれば悪い時もあり、四季が巡るのと同じように物事も巡るということ、著者は言いたいのではないだろうかとふと思った。

  • 三部作の最後、『それから』のそれから生きる夫婦の、互いに過去を悔いる中で進行する物語。後半で宗助が禅寺へ行くが、安井との事を悔悛することも悟りに至ることもできずに帰宅する段を読んだ時、日本人の宗教観の限界を感じた。もしこれが基督教に生きる者ならば、教会で懺悔をすることで気持ちがリセットされてしまうかも。安井は宗助の参禅の間に蒙古に帰り、御米は引き起こされたかも知れない嵐を知らずに夫・宗助を迎えた。結びにこの夫婦に訪れたのは、暖かい陽だまりのような日常だった。

  • 柄谷行人の解説も含めて 素晴らしい。日常を強く感じた。三角関係後の中高年夫婦のモノクロな日常、妻と溝がある日常、何も起こらないけど何も解決しない日常、それでも生きていける日常、諦めと忍耐と運命に従う日常

    この夫婦に 子供がいれば 日常が大きく変わったのに と思った。全体的に モノクロな雰囲気だが、たまに出てくる ランプや灯が 描かれるシーンに 明るさや転回を感じた

  • 宗助と御米の犯した罪の詳細は語られず、罪の結果である淋しい生活が延々と語られる。文体が印象的。一文が長い。宗助と御米の会話のリズム。

  • 親友の妻と略奪婚をした主人公は、その罪悪感から逃れられず、世間から一線を置き妻と二人ひっそりと暮らしている。
    ある日、その親友の現況を知ることになり、動揺した彼は禅寺の門をたたくが悟りは得られない・・・というお話です。

    ひっそりとした起伏のない日常を描いた作品で、そんななか二人きりで生きていくしかない、とおもいあっている慎ましやかな夫婦の姿がほほえましくもありじれったくもあり、現代との感覚の違いに少々驚きながら読みました。
    また、傍からは分からない主人公の気持ちの揺れが繊細に描かれていて、禅寺に頼ったもののそれも中途半端に終わってしまう、でもそんな悩める様も現代人に通じるものを感じました。自分探しの旅、とかね(笑)。
    時代に関係なく人は悩むし、諦めながら生きているのです・・・

    最後に、この主人公をあらわした絶妙な一文をご紹介しておきます。。
    「彼は門(=禅寺の門)を通る人ではなかった。また門を通らないですむ人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」

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