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この作品からのみんなの引用
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あなた方は兄さんが傍のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせている様ですが、自分が幸福でないものに、他を幸福にする力がある筈がありません。
― 388ページ -
「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行った後のお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」「一体どんな人の所へ嫁に行ったのかね?」と私が途中で聞きました。「どんな人の所へ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕が既に僕の妻をどの位悪くしたか分からない。自分が悪くした妻から幸福を求めるのは押が強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損なわれた女からは要求できるものじゃないよ」
― 386ページ -
兄さんは何にも拘泥していない自然の顔をみると感謝したくなる程嬉しいと私に明言した事があるのです。それは自分が幸福に生れた以上、他を幸福にすることも出来ると云うのと同じ意味ではありませんか。
― 385ページ
みんなの感想・レビュー・書評
Hさんからの手紙で明らかになる一郎の根源的な悩みを読んでいると、100年も前に書かれた小説とは思えない。『人間の不安は科学から来る。進んで止まることを知らない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船と、何処まで行っても休ませてくれない。何処まで伴われて行かれるか分からない。実に恐ろしい』。一郎のこのセリフ、完全に2010年代に生きる私たちに向けて語られているんじゃな... 続きを読む »
個人的には三沢が好きでした。一郎の苦悩は少しわかる気がする。読んでるとどうしても一郎や直にばかり目がいっちゃうけど、登場人物の多様な生き方そのものにこの「行人」ってタイトルがついてる気がします。
他人にこころを開かない一郎の姿を周りの人からのことばで綴っています。
考えに考えを重ねながら、それが一層周囲との感覚の断絶につながり、深い孤独にはまってゆく一郎のくるしみが痛いほど伝わってきました。
文学も哲学も知らない自分でも味わうことが出来ました。
名作だと思います。
漱石の小説を読んでいると、良く出会う言葉があります。それは「真面目」という言葉。真っすぐか、誠実か、嘘偽りはないか、正面から向き合っているか。自らに、他者に、何度も問いかける漱石の姿が見える。
あまりにも明晰な知性を持つが故にどうしようもない孤独に堕ちていく一郎。他の心を信じられない。他人のことを完全に理解するのなんて不可能で、みんなその寂しさをそれぞれ自分なりに消化して、誤摩化して、馴らして、どうかにか生きているのに。真面目に苦しんでしまう一郎が哀しくて愛おしい。ぐっすりねむって、そうしてぜんぶ忘れてしまえればいいのにね。
漱石の小説を人に薦めるときはこれにしてます。漱石の作品の中では比較的事件性もあるし,(草枕や虞美人草なんかと比べてだが)文章が軽妙で読みやすい。
「あの山は僕の所有だ」などの言い回しも単純に読めば滑稽でちょっと笑ってしまう。
これ以上の感想はもう何度か読まないと何ともいえないので,また読みたい。
8月11日読了。精神を病んだ未亡人への思慕に一人悦に入る友人、嫁との不仲に思い悩む兄や家族の間で悩みつつも気楽に生きる主人公・二郎の生活。漱石自身が近代日本の中で感じていたであろう居心地悪さ・思想と実践が伴わない歯がゆさ・女性への畏怖みたいなものが大いに投影されているようで読み応えはあるが、寸止めの連続というか?何か起こるぞ起こるぞ不幸がくるぞくるぞと脅かしつつも結局何も起こらない、というこの展開は甚だ尻の座りが悪い。もとは新聞連載小説だというからそのせいかもしれないが・・・。近代の人間とは、自分で「テキトーに生きよう」と思えばいくらでも生きられるし、「人生は不幸だ」と思ってしまえば他人のアドバイスくらいではその負の連鎖を振り切ることはできない、というものなのか。
「西洋文明の“非人間的な加速”」という言葉に導かれ出逢った一冊。
時のことをずっと考えている。
時間の概念が狂ってる。これを取り戻すことを誰かがやらなくてはならない。それから、本当に大切なことを言葉にできない息苦しさを抱えたまま、社会は本当によい方向に向かうのだろうか・・・。
そういう思いがずっと心を巡っている。
『こころ』よりもこちらの作品のほうが、個人的に好きです。読んだ後、胸がぐっと締め付けられる思いがしました。
斉藤孝氏の著作の影響で、それまでほとんど読んだことの無かった小説を読むようになり初期に買った本。
小説に関してはいわゆる「文学」と括られる古典的なものしか読まないんですが、これは色々考えさせられる本。
ただ、文体が古いのでまた折をみて読み返さないとしっかり記憶に残って無い点もあり。(これは自分の能力不足)
学問だけを生きがいとしていへり一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることか出来ない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることが出来ず、弟•二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻と一晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。
先生をもうちょっと訳分からなくしたのが兄さん。
あらすじには、「人間の寂寞とした姿とその原因を追究した作品」とあったが、まさしくその通りで、それが徐々に感じ取れるようになったところで、ストップ。読むの終了。
たぶん、全部読んだら暗くなる。
p.128
「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない。信じるものだ」
p.365
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
漱石のつきつめた「エゴイズム」とは何か。・・・ここまでくると、彼は「エゴイズム オタク」でしょう。
漱石が悩みまくった利己心の問題に比べれば、我々の悩みなんて、悩みのうちに入りません。
(院生アルバイトスタッフ)
後期3部作のふたつめ。
人は人の心をどこまで理解できるのだろうか。
考えても考えても答えの出ない問題を、それでも考え続ける男の話。

【あらすじ】
学者である長野一郎は妻を愛しながら、妻が本当に自分を愛しているのか疑いが晴れない。 一郎はその人間不信による、神経症、不眠症に陥り、彼の精神は荒廃と混迷を極め、次第に彼の人間不信は自...





