行人 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010120

作品紹介・あらすじ

学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む…。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。

感想・レビュー・書評

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  • 1912年から1913年 朝日新聞

     学問を生きがいとして、余りに理知的すぎる主人公・兄・一郎。
     そんな兄を尊敬し、家族を大切にしているエセ主人公・弟・二郎。

    「友人」「兄」「帰ってから」「塵労」の4章からなる。彼岸過迄の様に、短編を重ねているわけでない。兄一郎が、神経質的な素養から、妻を、弟を、家族を疑い、疎外感と孤立感に苛まれていく。それに、悩まされる家族の葛藤。

    連載半ばで、治療のため、半年程休載していたそうだ。「友人」から「塵労」へのつながりが、どうもね。時折描かれるエピソードの幾つかは面白いが、
    妻を殴りさえした一郎の、追い詰められた精神と言われても、受け入れ難い。殴られた方が、痛いよねえ。平静を装って、殴られているんだよねえ。

    まあ、合わない作品も、あります。

  • 「彼岸過迄」に続き「こゝろ」に繋がる後期3部作の2作目。一郎が惚けるように蟹をいつまでも眺める場面は切なかった。自分はお貞さん寄りの人間で良かった‥‥

  • 夏目漱石(1867-1916)の後期の長編小説、1914年。 所謂後期三部作の二作目で、『こころ』へと続くことになる。

    生きていく人間を苦しめるこの世界の厳粛な事実というのは、根本的にはただ四つだけだと思う。①人間は必ず死ぬということ(有限性)。②人間は時間を戻せないということ(不可逆性)。③人間は他者の内面を知り得ないということ(不可知性)。 ④人間は自己を知るということがいかなる事態かを知り得ないということ(自己関係性)。

    このうち、本作が扱う主題は③の苦悩である。



    他者の気持ちを知ること、他者の気持ちを操作すること。これらは理性の限界を超えている。他者は理性にとって予め到達不可能である。よって、理性によってこれらを叶えることは論理的に不可能である。にもかかわらず、理性はそうした自らの無力を顧みず、虚しくその願いの実現を希求せずにはおれない。理性はかくも僭越なものだ。理性はそうした自らの限界があるにもかかわらず、そんなものは無視して、認識し得ない物事についても何らかの認識を得ようと、越権行為を辞さない。人が何らかの観念を得ると、理性はその観念を対象化し、その観念に関する埒も開かない空語をその観念のまわりにまとわりつかせる。とかく理性は考え過ぎる。ほどほどというのは理性の定義に反するのであって、理性とはそれ自体で極端なものだ。理性の対象化作用は無際限に続く。分不相応であるが(超越)、分不相応であることが当の「分」である(内包)という矛盾。

    「昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、決して前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那々々にぽつぽつ中断されるのです。食事中一分毎に電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。然し中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんは詰まる所二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑の様に朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです」(p358)。

    その果てに見出されるのは、他者の透明な内面ではなくて、他者の内面を強迫的に窃視しようとする支配欲に憑かれた自己の姿、透明を曇らせている当の自己の姿、だけである。透明は、理性の僭越な欲望の中にのみあり、理性の構制そのものによって予め否定されている。こうして、理性は自らの条件によって他者と世界から徹底的に疎外され、エゴイズムと孤独のうちに永久に囚われるしかない。理性の僭越な徹底性が世俗の幸福を無限遠に投げやってしまう。

    では、理性が他者と世界から疎外されてしまう苦悩は、いかに解消することができるのか。この苦悩が理性の対象化作用(それは、作用の対象をオブジェクトレベルに置き、作用の主体をメタレベルに置くという仕方で、自他分離を惹き起こす)からくるとするならば、理性そのものを無化するしかない。理性を無化することによって、自他未分離へ回帰しようとする以外にない。

    「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」(p357)。

    「兄さんは純粋に心の落ち付きを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、凡ての対象というものが悉くなくなって、唯自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有とも無いとも片の付かないものだと云います。偉大なような又微細なようなものだと云います。何とも名の付け様のないものだと云います。即ち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音は則ち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、従って自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、又苦しめられる懸念も起らないのだと云うのです」(p370)。

    「僕[一郎]は明かに絶対の境地を認めている。然し僕の世界観が明かになればなる程、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂闊なのだ。僕は矛盾なのだ。然し迂闊と知り矛盾と知りながら、依然として藻掻いている。僕は馬鹿だ。人間としての君[H]は遥に僕よりも偉大だ」(p372-373)。

    しかし、こんな破壊的な仕方によってしかこの苦悩を解消できないとするならば、これは人間が決して克服し得ない宿命なのではないか。



    自己の内に他者を見出し、自己を他者と不可分とみなす「分人」主義の考えは、こうした近代に典型的な論理的苦悩を組み替えてしまう可能性があるかもしれない。

  • 漱石の作品のなかで一番のお気に入り。
    タイトルの‘コウジン’という音の響きもいい。
    主人公の一郎。多知多解、頭脳明晰過ぎて、であるがゆえに妻や親族や周りとの調和が取れない孤独で苦悩深い知識人。彼の姿を同僚のHと弟の二郎の視点で語られる。

    一郎の孤絶が読んでいて辛い。実際、似た人を身近に知っているし苦しむ姿を見たことがある。その人は残念だが亡くなってしまった。あの人は「行人」を読んだだろうか、と読後にふと思った。そんな体験があるのでなおさらこの作品が胸に響いてきた。

  • 家族との関係、結婚についてや、夫婦関係、友達などが描かれていて読み応えがあった。
    生きていく上で、人間関係は外せないけど、不器用でうまく人と関われない人もいる。私も得意ではない。
    この本の登場人物の兄さんは、不器用で真面目で知識人だ。頭はいいけど、人との付き合いが苦手。考えすぎてしまって不安になってしまう。1+1=2のように答えの出るものや予測がつくことはいいけど、人のこころなんてわからない。こうしたらこうするだろうって、期待するから裏切られる。むしろ何も考えないで、期待しないで、意外な答えが返ってきても、あー、そうきましたか。ぐらいに柔軟に考えた方が人付き合いってしやすい。

  • 何事も考えに考え抜いて、それでも行動を起こさない一郎と、
    「女は鉢植えのようなもの。誰か来て動かしてくれない以上、立枯れになるまで
     じっとしている外ない」
    と言う感情主義で情熱的な直。
    そんな彼女がストレートな愛情表現をしない一郎に満足するはずもなく、
    捻れた態度をとるばかり。

    直が二郎と一夜を共にしたのに、何も行動を起こさない彼に焦れて、
    暗闇の中わざと帯を解く音など聞かせて誘惑したのは、
    鉢植えのような自分をどこか遠くへ連れ出して欲しかっただけで、
    別段二郎でなくてもよかったのだろう。
    ともあれ、これほど相性の悪い女を妻にしたことが、
    一郎にとってそもそもの不幸の始まりだった。

    思索ばかりで実行力のないことが、自分の不幸の根源だと一郎は分かっているが、
    (実行に伴う)自意識を捨てることができない。
    そして、ぐるぐると思考の螺旋に迷い込み、とうとう狂気の淵へと辿り着く。

    心が体を支配するのではなく、体が脳(心)を支配しているということが
    近年明らかになってきたようだが、
    そのような人間の本質を見抜いていた漱石はさすが。
    それにしても「何か大変なことが起こるぞ」という餌をしじゅうちらつかせ、
    読者にぞくぞくする期待を持たせるのが上手い書き手である。

  • 漱石作品の中で、学生の頃に読み損ねてしまった一冊でした。晩年あたりの作品は、漱石の心身の病気なども相まって暗澹とした作品が多いけど、登場人物の心理描写はこまやかですし、手垢のつかない美しい比喩、卓越した文才には唸ってしまいます。

    漱石はやはり古い文士だな~とつくづく思いました。
    とくにこの作品は、明治時代の夫婦関係、男と女、女の置かれた社会状況などが如実に描かれていて、読んでいても痛々しいほど。

    「どんな人のとこに行こうと、嫁にいけば、女は夫のために邪(よこしま)になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたかわからない。自分が悪くした妻から幸福を求めるのは押(おし)が強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損なわれた女からは要求できるものじゃないよ」

    神経症気味の一郎のこういったセリフが、作品中でいくつも散見され、これは少々物議を醸すだろうな~とヒヤヒヤしながら読了すると、やはり、宮本百合子(1899~1951)が痛烈な批評をしていました。

    「夫婦関係における夫と妻との位置のへだたりが、妻を奴隷的なものに追い込み、夫に対して自然を失わせ、「弱者としての人間的堕落の象徴」たる欺瞞性を身につけるに至る事情を、漱石は十分認識していない。もし夫のために邪になり、女が欺瞞に満ちたものになるならば、その考えを深く追求するべきでった。二郎に向かった時のお直の自然な感情の流露を、ただでない男への自覚されない自然性、夫への欺瞞の裏返ったものとして扱っているところに、漱石のリアリズムの限界がある」

    なかなか核心を突いた批評だな~と興味深く読んだのですが、果たして漱石はどこまで考えていたのかわかりませんが。男の見栄や軟弱さ、勇気のなさから己をさらけ出すこともできず悶々とし、結果、もっとも身近な女にさえ理解されない、という憐れな一郎の自虐的吐露のようにも思えます。確かに、妻を萎えさせてしまう夫というのはいますよね(もちろん、その逆もあるでしょうけど…笑)。

    男性の作者に時代の古さも相俟って、低い身分や地位にとどめられた女性の心理描写が浅く、リアリズムに欠けるのは仕方ないのかもしれません。この作品がこれから50年先、100年先まで果たして読み継がれているのか不安は残ります。でも、そういった限界を突破し、女も男も人間自体の天然な内奥の描写に挑戦しようとしたのが、もしかすると遺作「明暗」だったのかもしれない……と勝手な想像をしながら、これはこれで楽しく読了です。

    • 弁護士Kさん
       最初に読んだのは高校生の頃。年を経て再読し、若い頃にどれほどわかっていなかったかを痛感させられた作品のひとつです。
       宮本百合子の批評、...
       最初に読んだのは高校生の頃。年を経て再読し、若い頃にどれほどわかっていなかったかを痛感させられた作品のひとつです。
       宮本百合子の批評、とても興味深く読みました。しかし、「夫のために邪になり、女が欺瞞に満ちたものになる」とか、「二郎に向かった時のお直の自然な感情の流露を、ただでない男への自覚されない自然性、夫への欺瞞の裏返ったものとして扱っている」というのは、漱石が女性をそのように描いているということではなく、一郎が直をそのように捉えているということですよね。漱石が描いているのは、直という女性をそのように捉えてしまう、そのようにしか捉えられない一郎の姿なのではないでしょうか。それは一郎だけの問題ではなく、自分も含めた当時の知識人男性の一面を描き出したものかもしれないのですが、それにしても、宮本百合子の批評は、作中人物と作者を無造作に重ね併せ過ぎているように感じられます(ここだけ読めば、の話ですが)。
       ところで、この作品には、「女性の心理描写」は存在しないというのがぼくの印象です。漱石の作品で、「女性の心理描写」がなされているのは、『虞美人草』と『明暗』以外、記憶にありません。
       アテナイエさんが「女性の心理描写」といっているのは、直の言葉や振る舞いに表現された心理、という意味でしょうか。そういう「心理描写」もあり得るかもしれませんが、この作品で描かれているのは、むしろ、直の言葉や振る舞いからその心を推し量ろうとする一郎や二郎の迷走であって、ぼくは、その迷走ぶりに、時代を超えたリアリティを感じるのです。
      2017/08/10
    • アテナイエさん
      弁護士Kさん、とても興味深いコメントをいただきありがとうございます!

      私は、この作品を読んでみて全体にあらわれた直の言動、とりわけその...
      弁護士Kさん、とても興味深いコメントをいただきありがとうございます!

      私は、この作品を読んでみて全体にあらわれた直の言動、とりわけその行動が直の内面をよく表しているな~と感じました。一見すると、性悪とうけとられる(かねない)直なのですが、なぜ直がそのような言動をたびたび繰り返しているのかをもう少し作者は引いた姿勢や目線で丁寧に詰めて描写したほうが、よりリアリティが増したのではないか、というのがおそらく宮本百合子の言いたかったこと、あるいは少々辛辣な叱咤激励ではないかしらん、とも感じました。

      レビューにも書いたのですが、果たして漱石はどこまで考えていたのかわかりませんね。少々可哀そうな一郎の自虐的吐露のようにも思えますし、まさに弁護士Kさんが言われるように、一郎の迷走という点でも、なかなか面白い作品だと感じました(^^♪

      その後の作品、「明暗」では、多くの女性の心理描写が言動あわせて、こってりとなされていて(それはときにしたたかであり、狡猾であり、醜くいものであり、悲哀にみちたものであり……)、じつに男女(人間)の心理がよくあらわれ、リアリティに溢れていて、抜群に面白くなっていますね!
      2017/08/10
  • 私は、色々読んで、漱石の妻が嫌いだ。
    この本を読んでいくにつれて、漱石が自分の妻と(浮気という観点ではないが)、心がちっとも通じている気がしなくて苦しかったんのかなーと同情を感じてきた。

    この話は、後期三部作と言われる彼岸過迄から確かに続いている。彼岸過迄の須永と今回の行人の兄さんが似ている。
    二人とも、最も身近な存在の女性の”本当の気持ち”を求めて、袋小路に迷い込む。
    しかし、1作目の須永はが悩むのは少し複雑な事情がある関係の二人の恋愛関係が軸で、それ以外の要素もあるが、細かい気持ちの描写を読むと、それは恋だねとかわいく思える部分もあった。
    ところが、今回の兄さんは、気持ちの読みにくい妻への疑いを通して、家族、ひいては長年の親友に対しても疑いの心を持ってしまって、もっと重症だ。

    とはいえ、気持ちは分かるので、読んでいて悲しく切なくなる。
    それに、兄さんが決して、悪い人なわけではなく、ただまじめで、ものをいい加減にすませることができなくて、人間関係が不器用なだけで、程度の違いはあれ、誰にでも身につまされるところはあると思うので、より救われない気がする。

    行人というタイトルの意味も調べた。勝手に、行動する人という意味かと思ったが、修行者などの意味もある単語らしい。
    奥が深い。

    また、引用したが、兄さんは人の心を解ろうとして、弟の僕は分かるもんかと使っている漢字が違うのも興味深い。
    すでにここからして、同じわかるという認識であろうと会話しているが、実のところか分かり合えていないということを伝えているんだろうか?
    兄さんの使う解るは解剖して細かいとこまでの解る、弟の分かるはあぁ、悲しいんだなーとかそういったレベルの分かるを意味しているのではないだろうかと思った。

    これがさらに進行したのが、こころで。こちらへ向けて、3部作はどんどんと不幸度が増していく。

    こういった心の襞を解剖して、たくさんの人生の出来事をわかりやすく例として示してくれるのが、暗くてしんどいが、読める作品として仕上がっていて、さすが文豪だと思った。

  • 漱石の、いわゆる「後期」作品達の中で、僕の「一番好き」な作品です。

    未読の方、是非、味わってください。

  • 二郎の目を通して伝わってくる、兄の苦悩と孤独。
    それを思うと、やるせない気持ちになる。
    何となくそれを感じていたからこそ、もう少し親しい言葉を掛けてあげて下さいと、嫂に言ったのかも知れないけど…夫婦間のことって二人にしか分からないこともあるから…

    何と言うか、上手く言えないんだけど、読むのに体力を使う小説だった。でも、面白かった。

    兄はこの後どうなるんだろう。
    兄の苦悩の孤独を思えば、Hさんの言うように、このまま目が覚めなかったら、永久に幸福なのかも知れない。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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