道草 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010144

作品紹介・あらすじ

海外留学から帰って大学の教師になった健三は、長い時間をかけて完成する目的で一大著作に取りかかっている。その彼の前に、十五、六年前に縁が切れたはずの養父島田が現われ、金をせびる。養父ばかりか、姉や兄、事業に失敗した妻お住の父までが、健三にまつわりつき、金銭問題で悩ませる。その上、夫婦はお互いを理解できずに暮している毎日。近代知識人の苦悩を描く漱石の自伝的小説。

感想・レビュー・書評

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  • 夫婦の距離感のリアル。

  • 漱石の文学は一面的に読むものではない、この小説でも多面的に考えさせられる。

    このことがひどく気になった。

    主人公「健三」は大勢のきょうだいの末っ子で生まれてすぐ養子に出され、それが「健三」の精神的放浪になり、行き場所を失うのにつながり、本人が悩むとはなんてことだろう。

    昔は家名を残すために養子縁組が多かっただろうし、子どもがない夫婦が寂しさのためもらい子しただろうが、「健三」の養子先は将来めんどうを(働いて)みてもらうがためもらったのだ。それでは子どもが道具ではないか。

    養家先の不都合で9歳ぐらいの時に実家へ帰されたけれど、籍は養家先に20歳過ぎまであり、吝嗇な養父、養母の後難を恐れ、実父がそれまでの養育費を払い証文まで交すすさまじさ。

    その実父もいらなかった子が返ってくるなんて、という態度なのだからたまらない。

    三つ子の魂百までも、精神的苦しみは性格をゆがめる。

    もう結婚して娘も3人いる主人公、その養父母に、きょうだいに、妻の父に金銭的にたかられるのだ。しかも夫婦の関係がうまくなく、錯綜した悩みに襲われる。

    悩みに悩む主人公を、こんなに追い詰めてどうしようというのだろうと、怖気づいてしまった。『道草』なんて題はとんでもない。


    全くこの通りではないだろうが漱石の自伝的作品という、なんとつらい人生だったのだろうね。

    しかも、これがために文豪になったかも知れず皮肉なものだ。

  • 25年前(大学生時代)に読んだときは、何か暗い小説だなと思った程度。漱石作品の中でもかなり下のほうにランクされていたはず。
    それが「道草」執筆時の漱石とほぼ同年齢になって再読してみたところ…。あまりに身につまされ涙が止まりません(苦笑)。
    この小説が味わえるようになったことを喜ぶべきか悲しむべきか。
    そんなこと自分じゃ分かるわけないです。
    次は明暗を再読しようと思っています。

  •  かつての養父と出会ってしまうところから物語は始まるのであるが、どうして健三は彼の出現を不安に思うのかが徐々にわかってくる。さすが夏目漱石、配偶者、幼い養子から見た養父と養母、姉とその夫比田、兄、それぞれの描写は凄いと感心させられる。
     健三はたいした稼ぎもないのであるが、その健三にお金をせびる人達と健三はそれを断りきれない。貨幣経済が進展した明治時代の世相が透けて見える。

  • 形を変えて繰り返されるもの、というようなニュアンスの言葉と、いつまで経っても同じ輪を回る夫婦との関係性が印象的でした。
    夏目漱石の作品は、本当に繊細です。小難しい事を書いている訳ではないのに、心の在り方や人の気持ちの向き方の複雑さや、単純さを本当に細やかに描いていると思います。
    子育て中&仕事へ向かう途中にずっと読んでいたので、また時期がきたらじっくり読みたい。

  • (個人的)漱石再読月間の14。
    残すは未完の『明暗』のみ。

    「小説として発表された自伝」とされている。非道い親族たちで、何故漱石が、お金がなくてツライ話ばかりを書いているかが明らかになる。楽しいことのひとつもない話。


    漱石先生が神経症でひどい人だったということはよく知られていることではありますが、
    親族、家族、胃潰瘍、神経衰弱の問題なしに、長生きしてもっとたくさん書いてほしかった。
    ここまで再読してきて本当にそう思う。

    せめて、明暗はもう少し先まで読みたかったなぁ。大好きなんですよ、『明暗』。読み返すの何回目だろう。

  • 人間関係の描写が生々しく実にリアル。面白い。妻とのやりとりはすれ違いはあるものの、漱石さんの優しさを感じられる場面もあり、ホッとする。

  • 解説が非常にわかりやすかった。
    内容は、まったくもうな主人公と妻の言葉足らずの間柄に肉親だけにストレートな思いのたけ、でもそれももちろん心の中だけに留めて、と、とても歯がゆい聞いてて嫌になっちゃう人物なのに、ついつい読み進めてしまう。
    面白いんだよなぁ。

  • この作品は漱石の自伝的小説であるが自伝ではない。このことは新潮文庫版の注解でも忠告されている。しかしそのことを留意していても、いつの間にか健三が漱石に読み替えられていることに気付く。この作品にはそれだけのリアリズムがあり、「余裕派」と称された漱石の前中期の作品とは一線を画した陰鬱さがあり、その眼差しは常に過去を向いている。「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起ったことは何時までも続くのさ」という作品末尾の健三の言葉は、世間の軽佻浮薄な生き方を軽蔑しながら知識人としての精神的な独立を希求した過去と、軽蔑したはずの人々とのしがらみの中で藻掻きながら自分と過去との不可分な繋がりを自覚しつつある現在との、鋭い対照を映している。それを聞いた細君は生まれたばかりの赤ん坊を抱き「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰ゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」と接吻する。彼は未だに孤独である。

  • 夏目漱石の自伝的小説。親族に無心され続ける中での思いがまとまっている。以下、印象的な文。
    ・(兄へ)「みんな自業自得だと云えば、まぁそんなものさね」これが今の彼の折々他人に洩らす述懐になる位彼は怠け者であった。
    ・「みんな金が欲しいのだ。いや、金しか欲しくないのだ」こう考えてみると、自分が今まで何をして来たのか解らなくなった。
    ・彼は金持ちになるか、偉くなるか、二つのうち何方かに中途半端な自分を片付けたくなった。然し今から金持ちになるのは迂闊な彼にとってもう遅かった。偉くなろうとすれば又色々なわずらいが邪魔をした。そのわずらいの種をよくよく調べてみると、矢っ張り金のないのが大原因になっていた。
    ・「このおれをまたセビリに来る奴がいるんだから非道い」
    ・もしあの憐れな御婆さんが善人であったなら、私は泣くことが出来たろう。泣けないまでも、相手の心をもっと満足させることが出来たろう。零落した昔しの養い親を引き取って死水を取って遣る事も出来たろう。
    ・「単に夫という名前が付いているからと云うだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を有った人間になって自分の前に出て来るがいい。夫という肩書などは無くっても構わないから」
    ・「女だから馬鹿にするのではない。馬鹿だから馬鹿にするのだ、尊敬されたければ尊敬されるだけの人格を備えるがいい」
    ・ことによると己の方が不人情なのかもしれない
    ・金より外に人間の価値を定めるものは、彼女に取って、広い世界に一つも見当たらないらしかった。
    ・「私の頭も悪いかも知れませんけれども、中身のない空っぽの理屈で捻じ伏せられるのは嫌いですよ」
    ・「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない、一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
    ・「御父さまの仰る事は何だかちっとも分りゃしないわね」

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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