硝子戸の中 (新潮文庫)

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著者 : 夏目漱石
  • 新潮社 (1952年7月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010151

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硝子戸の中 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • なんとも優しい気持ちになれる漱石最晩年のエッセイ。こんなのがあるなんて寡聞にして知らなかったなぁ。

     死の前年の1月から2月にかけて朝日新聞に連載したものをまとめたもの。
    ”則天去私”の心境に達していたという晩年、負惜しみ好きの変わり者(漱石)の面影はない。大病を経て、胃潰瘍で自宅療養が長引く頃のエッセイなだけに、穏やかな、少しとぼけた老人然たる趣がある。
     原稿を読んで欲しいという依頼に応じて時間の許す限り読む漱石。でも実は読んで欲しいだけでなく相手はそれを新聞や雑誌に推薦してほしい、あわよくば金になればと持ち込んでくる。それを好意的に読んでやったのになんということだと疲れ果てていく様は、ホントか嘘か実にお茶目でおかしい。
     世間ずれしていない老人っぽい趣がある・・・が、享年が49歳なのだから、まだ47,8の頃の話だ。昔の人はよほど老成していたとも思わせるが、時々のぞく負けん気や大人げない意地っ張り具合も微笑ましい。

     依頼された講演を済ませたら、後日謝礼が届く。それをどうしても受け取れないと来客相手にゴネているのだ(送りつけた相手にではないあたりが可愛い)。 本業(原稿を書くこと)以外のことは好意でやったに過ぎない、相手にその気持ちが通じればそれがなによりの報酬だと。
    ”「もし岩崎とか三井とかいふ大富豪に講演を頼むとした場合に、後から十円の御礼を持つて行くでせうか」”
    と、もはやほとんど屁理屈のような理屈をこねくり回す。聞く方の相手も半ば冗談と思って聞いているのか、
    ”「よく考へて見ませう」と云ったK君はにやにや笑ひながら帰つて行つた。”
     と、ユーモラスに締めくくる。清廉潔白とまでは言わないが、誠実で徳に篤い漱石の人柄が偲ばれるストーリーだ。

     特に、原稿を見て欲しいと訪ねてくる女性客とのやり取りは、まるで見事な短編を読むかの如し。原稿を見て欲しいというのは方便で実は身の上相談。しかもそうとう思い詰めていると察した漱石は、登場人物の去就になぞらえて自分の将来を問うていると察して、その結末について「何方(どちら)にでも書けると答へ」るあたり、なんだろうこの心の機微の微妙やり取りは!と唸らされる。
     そればかりか、、、うーん、この後は是非本書を読んで確かめて欲しい。こんなに心温まる話はちょっとないぞ。

     美しい心や、人への優しさがここまで表れているエッセイにはお目にかかったことがない。しかも新聞に連載したひと月余の日々の中で起きているというのだから、人生を通じどれほどの人に生きる希望を与えたことだろうか。
     時代は第一次世界大戦の頃。日本がおかしな方向へと舵を切っていく(既に切り始めている)頃だ。

    「日本でも其戦争の一小部分を引受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来たるべき総選挙は政治界の人々にとっても大切な問題になってゐる。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、何処でも不景気だ不景気だと零してゐる。」

     その戦争の一部分を引き受ける???‐集団的自衛権発動か?  来たるべき総選挙??? -まさに今年だ。 米が安くなり過ぎ? -TPPのせい? 時代は巡るようで空恐ろしい。

     最後の一文はこう締めくくられる:

    「家も心もひつそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放つて、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)と此稿を書き終わるのである。さうした後で、私は一寸(ちょっと)肱(ひじ)を曲げて、此縁側に一眠り眠る積りである。」

     ちょっと肱を曲げて、というのは有名な肖像写真のあのポーズのようではないか。 日本はまた太平の眠りを覚まされることになるのか。漱石のポーズをとりながら案じてみる。

  • 脳科学者・茂木健一郎さんが、著書『頭は「本の読み方」で磨かれる』の中で、大きく推薦していた夏目漱石の随筆集。淡々と日常が語られるなかに明治の東京の町が自然に浮かんでくる。 中でも、入院中に亡くなってしまった楠緒さんとのエピソードは、「一期一会」という言葉が浮かび考えされられた。

  • 三浦しをんの「しをんのしおり」を読んでいました。
    どうもついていけません、途中で投げ出しました(⌒-⌒;)
    彼女ってこんなに飛んでいましたっけ!?
    随筆なんですが話題が私にはナウイ過ぎて、どうも~

    じゃあ、同じ本の厚さということで、
    夏目漱石の随筆「硝子戸の中」を引っ張りだしました。
    こんなにも違うものでしょうか!
    この両書の時代差は100年ぐらいあるのでしょうか?
    執筆時の年齢差もあるかもしれません、

    漱石のこの本には「死」という言葉がやたらと出てまいります。
    学生時代に読んだ時はなんと陰気臭い本だなという感想がありましたが、
    今の私にはなにかしっくりきます。私も年取ったんですね~


    『「じゃ絶交しよう」などと酔った男が仕舞に云い出した。
    私は「絶交するなら外で遣ってくれ、此処では迷惑だから」と注意した。
    「じゃあ外へ出て絶交しようか」と酔った男が相手に相談持ちかけたが、
    相手が動かないので、とうとうそれぎりになってしまった。』

    もう一つ
    『次の曲り角へ来たとき女は
    「先生に送って頂くのは光栄で御座います」と又云った。
    私は「本当に光栄とおもいますか」と真面目にに尋ねた。
    女は簡単に「思います」とはっきり答えた。
    私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。


    さすがですね~、『生きていらっしゃい』
    これからは、「さすが」という漢字は「漱石」にして、
    「流石」という漢字はローリングストーンズにあてたら如何でしょう(笑)

  • 夏目漱石の随筆集。今で言うエッセイ。
    夏目漱石の人柄がわかり、面白かった。
    兎に角、真面目なのでストレスで胃が悪くなったんじゃないかと思う。

    飼い犬の死、飼い猫の死、知人の死…。
    生と死について、多く語られている。
    以下、一部要約して引用↓
    ○「死は生よりも尊とい」
    然し現在の私は今まのあたりに生きている。私は依然としてこの生に執着しているのである。(P23ー24)
    ○「他の死ぬのは当たり前のように見えますが、自分が死ぬという事だけは到底考えられません」私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもその筈である。死ぬまでは誰しも生きているのだから。(P64ー65)
    漱石の生死の哲学を知り、理解した上で作品を読むとまた感じ方が変わるかもしれない。

    私はまともに読んだのは『こころ』だけなので、まずは再読をしようかな。
    本当は何作品か読んでから、『硝子戸の中』を読む方がよかったかも。作品傾向を分かってから読む方がエッセイって面白いような気がする。理解していない私は、ちょっとおいてかれてる感じがあった(笑)

    ☆あらすじ☆
    硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、直立した電信柱だののほか、これといって数えたてるほどのものはほとんど視野に入ってこない ――。宿痾の胃潰瘍に悩みつつ次々と名作を世に送りだしていた漱石が、終日書斎の硝子戸の中に坐し、頭の動くまま気分の変るまま、静かに人生と社会を語った随想集。著者の哲学と人格が深く織りこまれている。

  • 夏目漱石の、エッセイみたいな本です。
    漱石は、心配性で『こころ』みたいな本も書いていたり、自分の中で生きることについていろいろ考えるところもあったと思うのに、「生きてらっしゃい」と思い切りのよいことを言っていて、漱石の中にはいろいろ葛藤があったのだろうな、と思いました。
    やっぱり、生きていてほしいな、という気持ちが、漱石の背中を押したのだと思います。

    漱石は、ところどころに人間的な優しさとか悩みとかがあって、そこがいいところだと思います。全体的に。

  • 漱石が死の約一年前に綴った随筆集。

    朝日新聞に、一ヶ月と少しの期間連載されたらしく、
    「私のどうでもよい話が、
    今、この国で起こっている重大なニュースと
    肩をならべるなんてとてもとても・・・。」と
    最初に一応謙遜してみせているが、
    いやいやさすが漱石先生、
    一つ一つの文にきちんと彼しか出せない味わいがある。
    短い文にもプロの「文章家」の仕事が光ってる。

    当時、様々な分野において日本は急激な変化が求められ、
    一般市民の大切な情報源であった
    新聞は、読者の熱狂や不安を煽ったり、
    時に緊張を強いるものだったに違いないが、
    そんな中で漱石先生の書いたエッセイは、
    「この先、わが国はどうなってしまうのか、
    不透明な状況は続き、不安にもなるが、
    このように大変なご時勢であっても、
    人付き合いにああだこうだ悩んだり、
    人間誰しもいつかはやってくる死について考えたり、
    日常生活で起きる雑事に目を留め、心を留め、
    一日一日をコツコツと生きている。
    そんな悪く言えば「ガンコ」、
    よく言えば「揺るがない」人間もいるのだ。」
    といった、ある意味安心感を与えていたのではないかと思う。

    当時の新聞の購読者達も
    「どうでもいい話なんだけど
    ついつい読んじゃうんだよなぁ。」とか
    「これを読まないと一日が終わらないんだよ。」なんて
    人もいたのでは。

  • 大学の講義で「八」を読み、気付けば夢中でノートに書き写していました。文庫を買った今も、その切れ端を捨てられずにいます。漱石の中で一番好きな作品。淡々とうつくしいです。

  • 知人などが死んでいく話も多いが淡々としている。
    自分の歴史を小説にしてほしいと言ってきた女とのやり取りが特に印象に残っている。流れに身を任せて、大切な記憶が薄れていっても平凡でも、生きるほうが適当としたその判断が心を打った。
    平凡でも生きている。悩み尽くし疑い尽くしたが故の平凡なのではないか。
    魂を自由に遊ばせるという表現が、軽やかで好きだ。
    最後、春の景色と心の状態が穏やかに描かれており読んでいて心地よい。満足感が見える。

  • 硝子戸の中(がらすどのうち)とは、漱石が読書したり執筆活動を行ふ書斎のことであります。漱石は次のやうに述べてゐます。



    「いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起つて来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離してゐるこの硝子戸の中へ、時々人が入つて来る。それが又私にとつて思ひ掛けない人で、私の思ひ掛けない事を云つたり為たりする。私は興味に充ちた眼をもつてそれ等の人を迎へたり送つたりした事さへある」「私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思ふ」

    漱石はこんなものは他人には関係なくつまらないだらうとか、ここで自分が書けばより他人が興味を持つ記事が押し退けられるとか、いささか自虐的に言ひ訳してゐますが、恐らく内心は「俺が書く以上、下らぬ物は書くまい。読者よ、まあ期待してくれ」くらゐの自信はあるのでせう。勝手に忖度してゐますが。
    掲載紙は『虞美人草』以降続いてゐる朝日新聞。順番で言ふと、『こころ』と『道草』の間に連載されたことになり、まあ晩年の作品の一つと申せませう。

    漱石には「小品」などと呼ばれる一ジャンルがありますが、この『硝子戸の中』は小品と随筆の中間でせうか。「思ひ出す事など」に比べて肩の力が抜けて、洒脱さが増し、仄かなユウモワさへ感じられるのであります。

    笑顔の写真を断る話、愛犬ヘクトーの話、相談に来た女に「それなら死なずに生きていらつしやい」と語る話、友人Oと再会した話、自分の書いたものを読んでほしいといふ女性に「正直にならなけば駄目ですよ」と諭す話(漱石はかういふ、見知らぬ人からの依頼になるたけ応へやうとしてゐます。真面目で律儀であります)、播州の岩崎なる困つた人の話(漱石は随分我慢をしてゐます)、若い女の珍妙な相談に乗る話、母の思ひ出話(漱石は実の父母を祖父母として育てられた)、「病気は継続中です」といふフレーズに欧州の戦争を想起する話、太田南畝の書物を25銭で買つたが、安すぎるから返してくれと頼まれる話(漱石は本のみ返して代金は受け取らなかつた)、世の中の人々との交渉について悩み考察する話、学生相手に講演した時の反応についての話(本当に漱石は誠実で真面目な人だなあと思ひます。かかる人だから胃弱になるのか)等等......漱石の筆にかかると、大して変哲のない硝子戸の中に於ける出来事も無限の広がりを見せます。

    かと言つて、無理矢理本作に寓意を求める必要もございますまい。野暮といふものです。何より文章そのものを味はふのが一番であります。(多分意図的に)平易な語や言ひ廻しを採用し、当時の新聞読者に対する配慮がなされてゐますので、現代人が読んでも難解な事は全くございません。わたくしのお気に入りの一冊と申せませう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-718.html

  • 晩年の夏目漱石の随筆。死についての随筆が多い。太田達人との会話を契機に、美しい破滅や死 から 生への執着や則天去私へ 心境の変化が起きていると思う

    タイトルの意味は 狭い硝子戸の中にいる漱石の身近な出来事を筆に随って書いた本ということ

  • 「私は凡ての人間を、毎日々々恥を掻く為に生まれてきたものだとさえ考えることさえある」と綴っているが、凡ての人間とまでは言わなくても、殆どの人間は恥を感じることなく生きているように感じる。俺が感じている生き辛さの正体はまさしく生きていることが恥ずかしいという実感である。硝子戸の外に出ると、他(ひと)との交わりが意識の上に昇ってきて、他と話している自分の表情や発する言葉、全ての交わりがぎこちなく感じられて、生きていることが恥ずかしいと感じるのである。

  • 茂木健一郎氏お勧め本
    古典は苦手なのだが、「心が美しいというのは、どういうことかを知りたいときは、この本を読むべき」と言われれば読んでみようと思う。
    エッセイなのかな?その当時の生活がどんな感じだったのかが伝わってくると言う意味では良いが、改めて思ったのがこの話の中に「私にとっての特別なもの」を見つけられないのだろう。
    当時の人の感覚の違いが、共感できず自分ごとに出来ない、距離を感じてしまう。

    #茂木健一郎氏お勧め本

  • 本作は、朝日新聞に連載された随筆である。三十九篇ある。読みながら、いま、現代に、この随筆が連載されていたら、それを読むのはなんと贅沢な楽しみだったことだろう、と思う。

    早稲田の自宅。縁側がとりまくようにしてあり、硝子戸が巡っている書斎で、静かに、徒然なる思いを綴る。
    やさしく、やわらかい文章で、心地よい。
    素材が難しすぎることもなく、だけど、筆者漱石の上質な教養が滲んでいる。
    初めて漱石の作品に親しむひとには、決して「倫敦塔・幻影の盾」ではなく、この「硝子戸の中」から読み始めることを勧めたい。

    少年時代に過ごした家やその周囲の思い出を書いたものも幾つかある。漱石の少年時代には、江戸の頃の風情が残っていたようだ。遠い日の思い出のため、おぼろげで曖昧な記憶になっているらしく、その茫っとした感じもまた、味わいがある。

    書斎から見える小さな庭の、季節の表情なども、さらりと書かれていて、やさしい趣がある。

    まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。 (中略)
    私は、硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終わるのである。
    そうした後で、私は一寸肘を曲げて、この縁側に一眠り眠る積である。
    (三十九)

  • 漱石がこれまでの人生や出会いを線香花火の散り菊(最後の玉)に映し出して眺めているような、静かで優しい随筆集でした。

    飼い犬や親戚・知人の「死」。不愉快にさせる人物や自宅を訪ねてくる女性、昔からの友達との「交」。幼少から青年期の「記憶」などが綴られています。

    宿痾に悩まされながらも「誠実に生きてきた方なのだなあ」と感じ、漱石に対するイメージが変わりました。

    『私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終わるのである』(p.121)の一文に、何かを吹っ切った漱石の清々しい姿が見えました。

  • 全編穏やかで静かな文体ながら、内容は死を意識したものや、今は亡き人々の思い出が多い。
    中でも飼い犬のヘクトーの死は印象的。意外にも猫よりも犬が好きだったらしい。
    また夏目先生ともなると、さすがに様々な人から勝手なお願いをされることが多かったのだなと改めて知った。
    子供のころの思い出、両親とのこと、母への想いなども知ることが出来て、興味深かった。

  • 夏目漱石の、随筆としては最後の物ということだ。
    “随筆としては”ということわり書きは、その後に「道草」と「明暗」が書かれているからということ。

    風邪で寝込んで、硝子戸の中から外を見ている…という心持なのだが、内容は、今見ている物というより、回顧録に近い。
    とりとめない。

    写真に撮られるときに笑わなくてはいけないことへの抵抗感。
    ヘクトーという名の犬の事。猫が有名になったけど、本当は犬の方が好きなのだと知人に漏らす。
    身の上話をする女。
    作品を見て欲しいという人たち。実は「どこかに掲載して欲しい」つてを求めているのが真実。
    厚かましく、しつこい依頼をする男(頭おかしいな。漱石先生かわいそう)
    好意で行ったつもりの講演に対しての金銭の御礼についての考察。
    哲学的なことを言う女。
    子供のころに住んだ家。
    養子に出された過去。
    名主の家だったから玄関が立派だった実家。

    漱石は気難しくて、家族は戦々恐々としていたというのを読んだことがあるけれど、なるほど面倒くさい人であったようだ。
    ただ、文章をモノする人は皆面倒くさいとは思うのだけれど。

    お金に対して潔癖で見栄っ張り。
    というか、確固とした信念がある。
    みみっちいのは嫌だから払うけど、後でそのことにずっとこだわっている。
    隠れ吝嗇?

    人との接し方にも悩む。
    居丈高にするべきかへりくだるべきか。

    講演の意味が分からなかったと一人の学生が言ったというのを伝聞しては落ち込み、(多分、理系だったから?)
    別の学校の講演で「分からない事があったら家までいらっしゃい」と言い添えたら大いに反響があって(文系だったから?)喜び…

    つまり、ある意味小心な人柄で、こまやかだったのだろう。
    胃潰瘍で命を落とすというのも、さもありなんである。

    2016年は、漱石生誕100年であり、没後50年の記念の年だった。

  • 初読時のような感興は得られず。
    寧ろ、奥歯に物が挟まったような言い方、悟ったふり、今風に言えば天然ぶっているような。
    好きではある。

  • 漱石晩年のエッセイ集。解説に、朝日新聞で39回に渡って掲載されたとあったけれど、ほぼ毎日こんな贅沢なエッセイを読めたなんて!その当時の朝日新聞での漱石の地位は病気ばかりしている落ち目の小説家という位置だったともあったけれど(ヒドイ)。やっと訪れた読みたい気持ちを噛み締めて注釈ページを手繰りつつじっくり読んだ。
    ドラマ「夏目漱石の妻」の影響でその時代と漱石像がイメージしやすかった。
    今現在の年の瀬感と被って、解説にもある孤愁感を感じずにはいられなかった。でも前を向きつつ振り返っているっていう感じなのでネガティブ感はない。
    一遍一遍がとても丁寧に深く言葉で表してあるので、時にはめんどくさい人と思ったり、関わった人とのやり取りの掘り下げ様に流石と唸ったり。六編や十八編三十一編が好き。最後の三十九編目は特に夏目漱石という感じでとても好き。
    想像していた以上に人との関わりが多い人だったのだなと思った。

  • 晩年の漱石の日常との対話。
    うちでもなかでもない、開け放し。

    書き始めの頃はさておき、ただの雑記めいた随筆に留まらず、中盤以降は毛色を変え、逡巡しながらも末尾に思い切って口を開く、あからさまに自身の出生の秘密を、さらに幼少から青年期までの生きて来た証しの鍵になる記憶を綴り出す。
    その痛切な生い立ちと裏腹に、文体は流石で、見事なまでにいたって美しい。
    硝子戸の中で閉ざした心を、密かな、でもかつてない大変な覚悟とともに開け放つその道程。人が、残酷な宿命のようなものを受け入れる瞬間を見る時の胸中を思い出す、言いようのない締め付けられるような気持ち。

    この頃、漱石は迫り来る死を意識していたのか、死生観、生きるという時間への観念も織り込まれてる。命と時間との関連性。

    最後の章は、凪いだ海を眺めてる時の思いとリンクした。長閑なのに切なく、あたたかいのに淋しい。「孤愁」という言葉、すごく近いかも。
    何気なく始めたために返って心の最深部に、いとも容易くスッと到達してしまうことがある。届く時って、そんなものなのかもしれない。

  • 【人の心の機微をここまで美しく表現できるのか】
    大正4年、夏目漱石が亡くなる前年に「朝日新聞」に39回に渡って連載された、最後のまとまった随筆です。漱石が自身のことや日常のことを語ること自体珍しく、晩年に病で自宅療養がちだった漱石をたずねて来る人々との交流を通して、心のやりとりや漱石の心の揺れ動きが大変細やかに描写されています。特筆すべきは、たとえそのやり取りが気持ちの良いものだったとしても、不満や後悔の残るものだったとしても、なお美しいと感じさせる文章でしょう。自身や登場人物の微細な心の動きの“表現”そのものに美しさを感じます。

    語られるエピソードからは漱石の人となりも見え隠れします。短冊や詩を書いてよこせと横柄に頼んでくる読者にいらいらしながらも何度も応える彼のお人よしな性格。恋愛に関する女性の人生の痛みに心から寄り添い、それでも生きるように諭す真摯な姿勢。複雑な家庭環境の中で、祖父母だと思っていた人たちが実は父母であることを、こっそり教えてくれた下女への感謝の思い。ある高校の講演で聴衆の一人から「難しくてわからない」と言われ憤慨しつつ、後々他の生徒が講演内容を実践するための教えを請いにやってくると、そのひたむきさに心を打たれる純粋さ。
    巻末の解説でも述べられていることですが、全編を通してみると、漱石が人との物理的、人間的な交流をこえて、心の琴線の触れ合いのようなものを求めていたように思えてなりません。そして、それがなかなかに頻繁に叶うことでもない故に、また自身の中にも不器用で愚かな思いがあることも知っているために、葛藤や苦しみも多かったことが窺えます。巻末、漱石自身も「私の罪は、もしそれを罪と言いえるならば、すこぶる明るい処からばかり移されていただろう」と評し、自分の愚かさの面を自身が思うほどには書ききれていないことを告白しています。
    また、漱石の死生観も窺い知ることができます。「死は生よりも尊い」としながらも、それでもなお今日を生きていく他なく、そうやって「生きる」という範囲の中でこそ、人はあらゆることを選択していくべきだ、と語られます。

    最後の第39回は、心の描写から漱石の日常の描写に切り替えられ、何気ない日曜朝の風景をここまで美しく描けるのか、と正直驚きました。春の訪れとともに、葛藤の先を見出したかのように硝子戸が開け放たれる様は、まさに清々しい、の一言です。人の心を感じたくなったとき、静かに穏やかな時間の中で、ゆっくりとページを捲りたい一冊です。

  • 先生は当初から「ウチ」とよんでいたそうですが「硝子戸の中」の「中」は「ナカ」か「ウチ」か?ナカと読んでいたけど「ウチ」がイイように思えてきた。
    美しい硝子(あくまでも漱石が生きた時代の)の向こう側に漱石が座している姿が見えてくる。


    この作品は漱石の人となりが静かに如実に表れ、小供の時から感受性豊かな人だとわかる。
    「猫」でのくしゃみ先生は動物に関心がないように思えるがこれを読むとどうして、関心がなければ書かないんだと気付く。

    猫や犬をとても慈しんでいるのが分かるし、犬は自分の代わりに病気を引き受けた感じがあるし、猫は自分の病状と共に変化していたり、

    瞑想から想像の世界へ心を開放する姿はまるでファンタジー世界の住人で、しかもいろいろな相談や質問に答えていたりと良き先生でもあった。そんな人だってわかって嬉しくなった。

  • 閉じこもった室内で色々回想している。
    小説というよりはエッセイです。
    味がある。

  •  明治の文豪、夏目漱石の最後の随想集。大正4年1月13日から2月23日まで、『朝日新聞』に掲載された39編の小品文の集まりである。

     『こゝろ』が紙面で連載されたのが大正3年4月20日から8月11日まで。その後、同年9月中旬から10月下旬にかけて、4度目の胃潰瘍で床に臥す。小回復後、『私の個人主義』という講演を11月25日に行い、翌年に本小品群を発表する。その後、同年に『道草』を、翌大正5年には『明暗』を執筆し、同年11月9日に胃潰瘍悪化のため、49歳で没した。

     つまり、本作は夏目漱石が死去する前年に書かれたものであり、晩年の漱石の飾らない心情が吐露されている。特に高校国語教科書必掲の『こゝろ』執筆から約1年後というのは興味深い。
     病気のため硝子戸の中から世間を眺め、心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書きつけているため、それぞれの文章にさしたる繋がりもなく、明確なメッセージもない。しかし連載終了間近の(三十六)では兄のことに、そして(三十七、三十八)では母千枝のことにそれぞれ言及している。最後は家族、そして生みの母へと帰着するのだ。
     また注目すべきは最終編(三十九)。晩年、漱石が目指したと言われる境地「則天去私」の出発点がここにあるように私には感じられた。
    「自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中で眠る小供に過ぎなかった。」
     自分の愚かさを自覚し、自然という揺籃に身を委ねる。

    文豪・夏目漱石が身近に感じられる随筆集である。

  •  神奈川県立近代文学館で漱石の企画展をやっていたので、行きの電車の中で読んだ。横浜、遠かったわぁ。

     少しその企画展の感想が混ざってしまうが、漱石ほどの作家が、わざわざよく知らない人の小説の添削をしてあげたり、短冊に俳句を書いて返送してあげていた、ということに驚く。なんとなく、神経質で気難しそうなイメージがあったけれど、けっこう気さくなところもあったらしい。とりわけ、文学を志す若者には親切だったのではないか、という風に思った。

     私は中でも雑誌「ニコニコ」の写真の話が好きだ。本人は、笑顔に修整したように見えたということを書いていたけれど、私は自然と笑っていたんじゃないか、と勝手に思っている。(上記の企画展で、その写真も展示されていた。笑っている漱石の写真はそれだけらしい)
     『硝子戸の中』は小説ではなく随想集で、漱石の日常や人となりを思わせる。
     もちろん多少の脚色は加えられているだろう。それがどの辺りなのか、想像するのも楽しい。
     何を大げさに書いたのか、ごまかしたのか、書かずに隠したのか、本当に書いた人のすがたが現れるのは、そういうところだと思うからだ。

  • 漱石を身近な人に感じる。若い頃に読んだのではそのように感じはしなかっただろう。老いていく私にとってはタイムリーに読めた。

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