坑夫 (新潮文庫)

  • 570人登録
  • 3.50評価
    • (35)
    • (48)
    • (116)
    • (11)
    • (1)
  • 61レビュー
著者 : 夏目漱石
  • 新潮社 (2004年9月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010175

坑夫 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • こんな言い方をすると漱石ファンから袋だたきにあいそうですが(ちなみに私もファンのはしくれ…汗)、漱石作品はごく日常の(人間関係の)じつにグダグタしいことを題材にしているわけです。でも漱石らしい人間観察の中に、文明論やら日本文化と個人主義やら男女関係といったものが暗示されて、決してふにゃふにゃした作品ではありません。それにくわえて、見事な書き出し、細かすぎない程よい描写、手垢のつかない比喩、軽妙で面白く読ませる文才がそこここに光っていて感激!

    「坑夫」は、漱石作品の中でも小説らしからぬ、わりと平板な異色作だと言われているようですが、19歳の育ちのいいひ弱な青年が、命を絶とうと家出をしたものの、流れに流れて炭坑夫になるという突飛な冒険譚は、ある意味でなんともドラマティックな異色作だと思います。大人になった語り手が、自己探求しながら心情や意識の移ろいを語るさまは、まるでモンテーニュ「エセー」のようで、若さを苦笑まじりに描く愉しい物語に仕上がっていると思います。

    「惜しいことに、当時の自分には自分に対する研究心というものがまるでなかった。只くやしくって、苦くって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済まなくって、世の中が嫌になって、人間が捨て切れないで、居てもたっても居たたまれなくて、むちゃくちゃに歩いて、どてら(*汚いどてら姿のポン引き男)に引っかかって、揚げまんじゅうを喰ったばかりである」

    あるのは傍若無人な若さばかり。社会経験もない、処世術もない、金もない、頼る者もない青年のまるでまとまりのないはちゃめちゃな内面、それでも人間腹が減れば、どんなにハエがたかったまんじゅうでも喰らいついてしまう野性的なシーンはとても印象的です。一体人間は生きるために食べるのか、それとも食べるために生きているのか? そのような愚にもつかないことを思い、我ながらうんざりして、どれだけ食べても腹は一杯にならず、ひたすらぱくぱく食べていた若いころが……私にもあったな~

    なぜか漱石作品のレビューを書きたくなるのは、なんといっても人間観察の奥深さと卓越した文才(とくに比喩)にひたすら感銘をうけてしまうからでしょうね、たぶん。この作品も一見淡々と進んでいくのですが、そこかしこに漱石の思弁や哲学が満ち溢れ、その表現はやっぱり見事なものです。

    「世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものが大分ある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろう位に考えているには弱らせられる」

    「一体人間は、自分を四角張った不変体のように思い込みすぎて困るように思う……自分で自分をきゆきゆ云う目にあわせて嬉しがっているのは聞こえない様だ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末ができてくる」

    村上春樹の『海辺のカフカ』には、謎めいた図書館司書の中島さんが、自殺念慮を秘めた家出少年カフカ君に『坑夫』を話題にする場面があります。メジャーな漱石作品はほかにも山ほどあるのに……『坑夫』!? 
    15歳のカフカ君を通して、不安定で繊細で危なっかしい青春を振り返りながら自己探求していこうとする村上春樹は、まるで『坑夫』の語り手漱石のようでもあり、はたまたモンテーニュのよう。
    時空をこえた面白い繋がりを空想していると、妙に嬉しくなって、独りにんまりしてしまいます。

  • この小説は漱石を尋ねてきた青年の体験談を元に書いたものだという。
    確かに物語の筋らしいものはなく、伏線が回収されることもない。そもそも何が言いたいのかよく分からない。
    著者ご自身がこれは小説のようで小説ではない、と明言しているのでそうなのだろう。

    だからつまらない、というとそうではなく大変おもしろく読んだ。
    赤茶けた銅山の雰囲気や、飯場で新入りの主人公を坑夫たちが品定めしつつ嘲笑する様や、蒲団で寝るたび南京虫に刺されて飛び起きる描写などは小林多喜二の蟹工船よりおもしろくて読ませる。

    銅山のなかは荒くれ者しかいないと思ったら「こんなとこで働くのは止めな」と優しく諭してくれる親切な坑夫がいたりと職場の関係性がいちいちリアルだった。(職場にいるよね、こういう穏やかで優しい人が一人は必ず。)


    しかし、「坑夫」と銘打ったるのに、主人公は坑夫になって結局働かない。
    えー、羊頭狗肉じゃないか、読後に思ったが、ストーリーの筋らしい筋もなく、なにが言いたいのか分からない小説らしくないこの本にはぴったりなタイトルのような気がして納得した。

  • 新潮文庫に使われているスピンを見ると本書を開けた風がなく、30数年来の積読本であった。『坊ちゃん』にも似た軽妙な文章で、落語に出てくるような大家の若旦那が女性関係でしくじって、当時最下層の仕事と目されていた鉱山労働者に身をやつした回想を心理的考察を交えて綴られたものと読み進めた。しかし解説を読むと、荒井という青年の持ち込み材料であったことを知り、「小説になる気づかいはあるまい」などと放り投げたような表現が妙に気になったことを改めて実感した。また『虞美人草』との構成の対比など夢想だに出来なかった。修行不足だ

  • 久しぶりに漱石を読もうと思い読み易そうなこれを買ってみた。あとがきに寄ると急遽執筆することになった作品とのことで、特にこれといった筋立てもなく追憶として語られる青い煩悶の反復が特徴的。個人としては斯様に悩む時期は専ら過ぎているので強い感心は惹かれず。
    主人公の過去と符合するらしい虞美人草を読んでいたらもう少し他の感想もあったかも。

  • 夏目漱石は面白いと思うものと面白くないものが自分の中ではっきりしているのだけど、坑夫は何年か前に読んだ時はひどくつまらないと思って途中で読むのをやめてしまった作品だった。

    しかし何年かぶりに再読してみて、とても面白かった。
    ストーリーらしきストーリーがないという評判なのだけど、ストーリーらしいストーリーに食傷気味の自分にとっては、逆に興味深かった。

    人間は矛盾に満ちている、という主人公の考え方は、現代のアイデンティティみたいな概念に対するアンチテーゼとして読めた。日記のように淡々と進んで行くが、出てくる登場人物たちがみな生き生きしているように感じた。

    やっぱり、夏目漱石は読みを極めて行きたい作家のひとりだ。

  • あらすじ[編集]
    恋愛関係のもつれから着の身着のまま東京を飛び出した、相当な地位を有つ家の子である19歳の青年。行く宛なく松林をさまよううちにポン引きの長蔵と出会う。自暴自棄になっていた青年は誘われるまま、半ば自殺するつもりで鉱山で坑夫として働くことを承諾する。道すがら奇妙な赤毛布や小僧も加わって四人は鉱山町の飯場に到着する。異様な風体の坑夫たちに絡まれたり、青年を案ずる飯場頭や坑夫の安さんの、東京に帰った方がいいという忠告に感謝しつつも、青年は改めて坑夫になる決心をして、深い坑内へと降りてゆく。そして、物語の結末は唐突に訪れる。坑道に深く降りたった翌日、診療所で健康診断を受けた若者は気管支炎と診断され、坑夫として働けないことが判明する。結局、青年は飯場頭と相談して飯場の帳簿付の仕事を5か月間やり遂げた後、東京へ帰ることになる。
    解説[編集]
    ある日突然[1]、漱石のもとに荒井某という若者が現れて「自分の身の上にこういう材料があるが小説に書いて下さらんか。その報酬を頂いて実は信州へ行きたいのです」という話を持ちかける出来事が起きる。漱石は当初、個人の事情を小説として書きたくないという思いから、むしろ君自身が小説化した方がいいと本人に勧める。しかし、時を同じくして、1908年(明治41年)の元日から『朝日新聞』に掲載予定だった島崎藤村の『春』の執筆がはかどらず、急遽漱石がその穴を埋めることとなる。そこで漱石は若者の申し出を受け入れ、漱石作品としては異色と言える実在の人物の経験を素材としたルポルタージュ的な作品が生まれる。漱石の代表作として名が上がることは稀だが、作品の研究論文は現在に至るまで多数存在する。

  •  足尾への調査出張を前に久しぶりの再読。さいきん再評価の声が多い作だが、こんなに面白かったか、という印象。いつか演習か講読の授業で取り上げてみたい。
     新潮文庫版の巻末解説は三好行雄が書いている。作中の「自分」が出奔するきっかけとなった二人の少女との関係が『虞美人草』のそれと酷似することから、『坑夫』は前作『虞美人草』に対する自己批評として書かれたのではないか、という指摘はいまだ古びていない。

     「自己」という意識の揺動をできるかぎり微分化して描きながら、「わたし」の一貫性・連続性への懐疑、「主体」「主観」のあやうさに言及していく部分はもちろんだが、それ以上に興味深かったのが、足尾銅山内部の状況がかなり詳細に描かれていたこと。飯場制度や病院、「自分」の仕事としてあてがわれた「帳付け」など、日露戦争後の足尾銅山の状況と比べてみたい気持ちにさせられる。1907年には足尾で暴動が起こっているが、1908年発表のこのテクストにはそうしたキナ臭い雰囲気は感じられない。漱石が書かなかったことをふくめ、一度きちんと分析する必要があるテクストだ。

  • 十九ばかりの育ちのいい青年が、東京の裕福な両親のもとを出奔。家出の道中、人買い手配師の男から「抗夫になると稼げるぞ」と口説かれ、銅山に向かう。足尾銅山がモデルと言われているが、「ヤマ」の暮らしと坑内労働のディテールが実に興味深い。いかつい容貌の抗夫の男たちが寝起きする飯場の長屋。時に胎内くぐりのようにしてようやく進む狭い坑内。深く深く降りてゆく暗黒の地底世界。未知の異世界を垣間見せてくれる面白さに満ちている。一種のルポルタージュを読むような面白さがある。それもそのはず、この小説、実は「聞き書き」らしい。漱石の自宅に一時期滞在していた青年が語った実体験をベースにしているという。
    「虞美人草」や「草枕」と読みついで、それらの理想主義、形而上学に飽いていたこともあり、具体的なリアリズムで描かれる本作に、心地よさを感じた。
    八番坑あたりの地の底で、青年は、知性と品性を備えたひとりの坑夫に出会い、お前の来るところじゃないヤマを降りろ、と諭される。男の優しさ、度量の大きさが、心に残る。

    ところで、ある日、本作を、電車内でビートルズの軽快な楽曲を聴きながら読んでいた。意外としっくりきてハッとした。で、思い至った。陰鬱で不安な雲行きをイメージしつつ読んでいたが、実は意外に、のびのび軽快に描かれた小説かもしれない。

    「 もう少しで地獄の三丁目だぞ 」
    「 マジかよ… 」 (♪You Can‘t Do That )

     …てな具合に。コミカルな青春小説としても読める気がした。

  • 題材もストーリーも漱石らしくない。面白くないかと言えばそんなこともないけど、シーンの一つ一つがやたら長くて冗長なので長さの割に飽きてくる。異色作ってのは確かにそのとおりだと思う。

  • (心理的に)地下に潜っている身として、深く共感させられる語りが随所に出てきます。青年の外的体験と漱石の内的体験が重なり合って生まれた作品だと、私にはそう感じられます。

  • 「小説の様に拵えたものじゃないから、小説の様に面白くはない。」

    しかしそんな欠陥を、漱石特有の精確な心理描写と飄々としたユーモアでねじ伏せてしまった異色作、いや意欲作と呼びたい。

    「……壁へ頭を打けて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろう位の疳癪が起った。」
    こういう屁理屈っぽい笑いのセンスはさすが!

  • なんだこれは。面白くないぞ。

  • 家でのゴタゴタから逃げ出した十九の男が主人公。道で会ったおっさんに坑夫をすすめられそのまま山まで行っちゃう。
    印象的なのは人間に性格みたいなものはなく、わりと流されるようなところがあると書いてるところ。人間はあてにならない。まあ、あんまり人を「こうだ!」と決めつけるのは難しいということかな…

  • 漱石が他人の体験談を小説化したルポルタージュのような作品。女性関係が原因で家出した青年がポン引きに誘われて、鉱山に連れて行かれ坑内に入るまでが長い。途中で出会う赤毛布の男や坑夫の安さんなどが、その後どうなったかが気になった。

  • どうやら誰かの実体験にもとづいた作品のようだが、漱石らしい「社会問題化するネタ」がまったく存在しない。一人の青年が私生活で自滅し、場末の飯場に辿りついて、そのままなし崩し的に坑夫体験をしていく。ただそれだけ。青年の没落エピソードに時代背景を感じるところは読み物としては面白いが、漱石の作品として見ると残念感が否めない。

  • 虚栄心(みえをはりたがる心)というのがいたるところに現れる。自分はこんなところにとまるような人間ではない。こんなふとんで寝るような人間ではない。こんなおはしですくい取れないようなご飯を食べる人間ではない。死ぬつもりで家を出てきて、途中「坑夫」
    にならないかと誘われてついてきた。「そんな細い体でこの仕事がつとまるか」と皆にバカにされる。18歳。まだ世の中のことを何も知らない。そんな主人公が、虚栄心を捨てることができず、思い悩みながらも何とかこの生活になじんでいこうとする。そのひさんな世界にも、ちょっと都会風の考え方をした人もいる。罪を犯して、人目を忍んで山に入ってきた。出るに出られぬ事情がある。そこにひかれる主人公。夏目漱石の小説は本当にしんきくさい。現在のテレビドラマなどからすると考えられない。200ページくらいの間に、3日くらいしか進んでいない。そのかわり、その時どきの気分をていねいに描いている。ところで私にも虚栄心が捨てきれない時代があった。「何でお前らにそこまで言われなあかんねん」なんて思うこともあった。でも今はもう腹を立てることもなくなった。(興奮して怒っているように見えるのはお芝居なんだな・・・迫真の演技でしょう・・・)少しは大人になったのかなあ。夏目漱石は大好きな作家の一人です。(中学生の)皆さんも「三四郎」あたりから読んでみてくださいね。

  • 今の自分自身に似ているところがあったな。時代が悪いのか、自分が悪いのか⁉︎

  • たとえば読書家のいたずら好きの友人から、

    「ねえ知ってた?これはね、村上春樹(伊坂幸太郎)が試みに、旧字体で書いた物語なんだよ」

    そういわれて本気で信じたくなるほど、不思議な抜け感のある物語。
    なんだろ。なんか似てんだよなこれ。
    そう思いながら読むのだけど、わかりそうでわからない。だってこのはなし、なかなか前に進まない。
    要領を得ない人のはなしみたいに、
    話の起点があやふやで、しかも情報が後ででてくる。かとおもうと大切な情報はあやふや。情報のでてくる時系列が明らかにおかしい。

    なんせ、主人公の名前は徹頭徹尾、出てこない。
    書き出しがいきなり、「さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生はえていていっこう要領を得ない。こっちがいくらあるいたって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松とにらめっこをしている方が増しだ」
    って。要領えないのはあんただろ!である。

    主人公が家を出た事情が明かされるのは中盤以降。(いや、これが序盤にあればもっと感情移入できたのに)
    しかも家を出た理由はどうも女性関係なのだが、それも最初はものすごく持って回った説明で煙に巻かれる。「事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女の傍そばにまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲まわりに親がある。親類がある。世間が万遍なく取り捲まいている。ところが第一の少女が自分に対して丸くなったり、四角になったりする。すると何かの因縁で自分も丸くなったり四角になったりしなくっちゃならなくなる。しかし自分はそう丸くなったり四角になったりしては、第二の少女に対して済まない約束をもって生れて来た人間である」て。わからんわからん。

    そんなよくわからない青年が、東京から歩いてやってきて、どてらの男性に声をかけられるのだ。タイトルにあるんだから坑夫になるのね?と思っていると、まあ、延々とまんじゅうを食べるわ坑夫についてあれやこれやら考え込むわ、電車に乗るののらないの、どてらが他の人を誘うのをみては自分と扱いが変わらないのに拗ねるの、まあ、まどろっこしくも進まない。

    これ、新聞に掲載されていたと言うけど、毎朝これを読まされたらもう、さっさと進んでー!と、叫んじゃいそうだ。

    洒脱さのない、迂遠な、ベッドシーンのない、ひたすらぼわっと進む前半は、なるほど村上春樹。(と、思っていたんだってあたしってばかだなあ)

    後半は、坑夫の生活?と、ついに炭鉱に入るシーンだが、これが意外にも(失礼)内情のくどい描写が暗くて臭そうで湿っぽそうな雰囲気とうまくあっていて、一気に読めた。
    でも、あまりにも長い長い独白と、めんどくさいセンパイ坑夫?とのやりとりの平坦さにちょっと気を抜いたら、目の前のセンパイがいい人にすり替わってて(いやあたしが読み飛ばしすぎたんだけど)ついでに主人公は気管支炎と診断されて、あらっ!と言う間に終わってた。

    なんか、人を食った話だなあ。という印象。まあでも、思えば村上春樹のエンディングだって、ちゃんちゃん大団円でもないからなあ、なんて、いつまで騙されているのかこのバカオロカ。ではある。

    でも、感想まで印象を引きずって、こんな風にぼわっととりとめなく終わるのだ。ま、そんなのもいいではないか。だれも、やれやれなんて、言わないだろう。ね。


    あ、今思ったけど、ギリギリ、安部公房でもいけるかも。

  • 未だ『蟹工船』を読んでいないのだが、『坑夫』もその一種なのかもしれない、と考える。
    いわゆる、プロレタリア文学と言うことである。
    しかし、時代的なずれを指摘するのは別として、何ともまぁ猫センセイにそれは似合わぬものである。
    まぁも、結局それとは全く違ったものだったと読み終わった今では思うのだが。
    本作は思考のドミノ的な要因を抽出しての実験的作品で、書き方がいつもの漱石風ではない。帯にもルポとあった。
    やはり漱石にはそういった実社会めいたものはふさわしくないのだ。
    もっと内面的な部分の考察を深めて欲しい。って私は個人的には思う。



    なぜか無性に読みたくなった。漱石が読みたくなった。しかし未読の作品って存外少ない。それで、不意に思い出したのが本作だった。当然読んだことはないし、内容も知らぬが存在が異様に印象的な作品だった。
    元々炭坑と言うものに、昭和的な黄昏を私は想像しがちで、結構好きだった。とはいえ、『青春の門』とかを読んでなどの理由ではなく、土門拳の炭坑の生活を収めた写真集を何かで見てカルチャーショックに近い驚きを得たことが、ただ引きずっているのだと思う。
    しかし文章ではない、視覚的な記憶は、今回はいい影響を与えたのだろうと思う。本に登場する情景にかなりの現実味を与えてくれた。
    物語は、漱石の元に訪れた青年の実際の経験を描いている。
    人間関係というか、社会での生活に疲れ、死のうとしていた青年が斡旋業者の男の言葉に乗っかって坑夫になるというものだ。訪れた青年としては人生に疲れたというその変遷を題材にして欲しかったようだが、漱石は他人の個人的な出来事は書きたくないという事で、彼が提供した中でも他者を巻きこむことの少ない坑夫になったくだりを題材としていただき、この小説となったようだ。
    そういった思惑があるので、かるーい話の流れとなり、漱石らしい重さを排したユーモアと皮肉を混じえた描き方がされている。このおかげで描かれる炭坑での生活の陰惨さがいい具合に緩和されているのだが、私は視覚的記憶を持っているので変に捉えてしまい、プロレタリアなんてくそまじめに一瞬勘違いしてしまったのだ。
    しかし、当然にもそこは主眼ではない。だいたい本作では、坑夫として実際に働くのは一瞬の出来事で、ページの半分は炭坑に着くまでの道程が主人公の思考とともに長々と描かれるし、その後も働きぶりでなく、体験といえるレベルで物語は始末がつけられる。まぁそうだ個人的な事情には首を突っ込みたくないのだから仕方がない。
    ならば何なんだ、といえば、今回は解説が読み解く上で非常に参考になった。そこに出ていた言葉を借りての“動機(モチーフ)の解剖”がこの小説のメインなのだ。
    それは論理的な解剖、言い換えれば解釈ではなく、その作用の実態への理解に近い。主人公は無性格などと己のことを言っているが、いわば軟体動物のように自由に変化し場面に合わせてしまう。理はない、確かにそうだ。彼の言うとおり性格なんて小説家がラベリングするもので私達はそれを意識して操作なんてなかなかしない。それを前提に人間らしいともいえる思考の道を至極丁寧に書いている。それがくどくどしいとも感じられる、らしからぬ文章の理由で、解剖なのだ。道のりをまんべんなく眺めている。
    これはなかなか面白かった。斬新というより正しいなっと私も感じたのだ。こういうひもときの挑戦って己から遠いからあえて出来たのだろう。
    結局少し趣は違うがいつもの漱石らしい人に焦点を当てた物語なのだと私は思う。ただ、“坑夫”という題名を聞いての印象ともと題材の扱いがなんだかおざなりで、物語の全体を眺めると物足りないと感じてしまうかもしれないが。



    漱石先生だと毎回何か引用しているので今回もお気に入りを一つ。


    【この一面に曇った世界が苦痛であって、この苦痛をどきんと... 続きを読む

  • ボンボンが色恋沙汰に疲れ、坑夫になろうとする話。
    『虞美人草』を下地にしている、っていう背景があるらしいので、関連させて読むとさらに深まるかも。

    結局主人公は坑夫にならずに帰ってくる。「ここまで引っ張っといてならないんかい!」と思わずつっこんでしまった。心理描写も他の漱石作品と比べたらあっさりに感じる。

    けれど炭坑に向かう道のりの怪しさや、坑道内の息が詰まりそうな雰囲気が幻想的かつリアルに映像として迫ってくる文章なのは流石漱石。坑夫達が生きる世界が生々しく「こんな現実もあったんだ」と、なんだか『闇金ウシジマ君』を読んだ時のような気持ちになった。
    社会の裏部分を覗きたい人にオススメ。

  • お坊っちゃまの社会科見学シリーズ土方派遣編。

    いつになっても始まらない小説だが、曰く「小説ですらない」のだから仕方ない。
    道中も穴の中の出来事もきっとどうでもいいし、
    結局どちらにしろ実りはなかったんだからどんなバランスだろうと構いやしないんだろう。

    人に薦められるかっていうとかなり厳しいが、
    程度は様々あれど同じような落ちかけ寸前の若者(?)は多くいるだろうから読んどけばいいんじゃないか。虚しさがしみる。

  • 漱石せんせ~の作品の中ではわりと異色?かも。

    どうでもいいけれど、なんか、ハエのたかった饅頭を週巡行がムシャムシャ食べるシーンがみょうに印象的だったw

  • 読んでいてひたすら息苦しかったことを覚えています。
    読み進めていくと本当に苦しくなってきます。
    中編小説なのに、なかなか読み終わらなくて結構時間が掛かってしまいました。
    この小説は、主人公が最後まで何も変わらないことが主題なのかなぁと思いました。

  • 肉体労働の仕事に就くか否かで迷ってて、少しでも参考になるかと思って読んだ。


    坑夫になる前の心境、なってからの心境。
    なってはみたが、辞めたくなる心境。

    漱石も言っているが、人間の心とは変わりやすいものだ。

  • 非常に意識の部分で共感できる部分が多い作品

全61件中 1 - 25件を表示

坑夫 (新潮文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

坑夫 (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

坑夫 (新潮文庫)の文庫

坑夫 (新潮文庫)の文庫

坑夫 (新潮文庫)のKindle版

ツイートする