坑夫 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010175

感想・レビュー・書評

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  • 安さんの存在だけフィクションっぽい。

  • 最初に読んだときは、…???
    さっぱり意味がわかりませんでしたが、解説を読んでから読み直すとすらすらと読めるようになりました。

    特別な事件が起こる訳ではありません。
    いま流行りの伏線回収もありません。
    何かの意味や、コスパを求めて読む人には向いていないかもしれません。

    それでも本書を読み終えると何か〈文学〉を読んだという感じで満たされます。

    主人公が〈地獄の三丁目〉で見たものとは?そこで下す決断とは?
    華厳の滝で「立派」に死ぬことなのか、それとも現実社会で生きてゆくことなのか…。

    漱石先生の隠れた名作だと思います。

  • こんな言い方をすると漱石ファンから袋だたきにあいそうですが(ちなみに私もファンのはしくれ…汗)、漱石作品はごく日常の、狭~い人間関係の、じつにグダグタしいことを題材にしているわけです。でも漱石らしい人間観察の中に、文明論やら日本文化と個人主義やら男女関係といったものが暗示されて、決してふにゃふにゃした作品ではありません。それにくわえて、見事な書き出し、細かすぎない程よい描写、手垢のつかない比ゆ、軽妙で面白く読ませる文才が、そこここに光っていて感激です!

    「坑夫」は、漱石作品の中でも小説らしからぬ、わりと平板な異色作だ、と言われているようですが、19歳の育ちのいい、ひ弱な青年が命を絶とうと家出をしたものの、流れに流れて炭坑夫になるという突飛な冒険譚は、ある意味でドラマティックな異色作だと思います。大人になった語り手が、自己探求しながら心情や意識の移ろいを語るさまは、まるでモンテーニュ「エセー」のようで、若さを苦笑まじりに描く愉しい物語に仕上がっていると思います。

    「惜しいことに、当時の自分には自分に対する研究心というものがまるでなかった。只くやしくって、苦くって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済まなくって、世の中が嫌になって、人間が捨て切れないで、居てもたっても居たたまれなくて、むちゃくちゃに歩いて、どてら(*汚いどてら姿のポン引き男)に引っかかって、揚げまんじゅうを喰ったばかりである」

    あるのは傍若無人な若さばかり。社会経験もない、処世術もない、金もない、頼る者もない青年のまるでまとまりのないはちゃめちゃな内面、それでも人間腹が減れば、どんなにハエがたかったまんじゅうでも喰らいついてしまう野性的なシーンは印象的です。一体人間は生きるために食べるのか、それとも食べるために生きているのか? そのような愚にもつかないことを思い、我ながらうんざりして、どれだけ食べても腹は一杯にならず、ひたすらぱくぱく食べていた若いころが……私にもあったな~

    なぜか漱石作品のレビューを書きたくなるのは、なんといっても人間観察の奥深さと卓越した文才(とくに比喩)にひたすら感銘をうけてしまうからでしょうね、たぶん。この作品も一見淡々と進んでいくのですが、そこかしこに漱石の思弁や哲学が満ち溢れ、その表現はやっぱり見事なものです。そしてなんといっても大笑い!

    「世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものが大分ある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろう位に考えているには弱らせられる」

    「一体人間は、自分を四角張った不変体のように思い込みすぎて困るように思う……自分で自分をきゆきゆ云う目にあわせて嬉しがっているのは聞こえない様だ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末ができてくる」

    そういえば、村上春樹の『海辺のカフカ』には、謎めいた図書館司書の中島さんが、自殺念慮を秘めた家出少年カフカ君に『坑夫』を話題にする場面があります。メジャーな漱石作品はほかにも山ほどあるのに……『坑夫』!? 
    15歳のカフカ君を通して、不安定で繊細で危なっかしい青春を振り返りながら自己探求していこうとする村上春樹は、まるで『坑夫』の語り手のようでもあり、モンテーニュのようでもあり。
    こうやって時空をこえた面白い繋がりを空想していると、妙に嬉しくなって独りにんまりしてしまいます。

  • 帯に「村上春樹の『海辺のカフカ』カフカ少年も読んだ名作!」とあるからそんな場面があったんだろうか、忘れたがなるほど相通じるものがある。最近読んだ桐野夏生の『メタボラ』をも思い起こさせる不思議な作品だ。

    といって当然こちらが先。あるものからのがれる逃避行の物語。逃げるってちょっと魅力的。

    だけど「坊ちゃん」がぽっと世の中に家出すれば、だまされてとんでもないところに連れて行かれる。連れて行かれたところが銅銀山の飯場。

    坑道に案内されて地獄を見、抗夫仲間にばかにされ、粗悪な食事がのども通らず、寝れば虫に悩まされる。しかし、そこは教養のある「坊ちゃん」人生が見えてくるからよしよし、というかなあんだ。

    いやいや、この筆の冴え。道理がわかってくる道順が漱石的でただごとではない。やはり一読二読の価値あり。

  • これなんで読み始めたのかなぁと思い出せなかったけど、『海辺のカフカ』で僕と大島さんがこの本について語っていたのだった。
    アンダーグラウンド。

  • 小説なのか紀行文なのか判然としない冒頭だった。
    何やら女性問題を理由に家出した19歳の主人公だが、思考や言動が非常に世間知らずの坊っちゃんで微笑ましい。
    どこか他人任せ・成り行き任せで、人に判断を仰がないと困ってしまう所が若いと感じた。
    長蔵の他に赤毛布と坊主も一緒になるが、道中を共にしただけでその後一切関わりがないのは旅情を感じた。
    シキやジャンボーが上手く想像出来なかったのが惜しい。
    暗くて冷たい坑は密室、無の世界、外界との遮断を連想させ、読んでいる内に異世界から抜けられなくなる恐怖に襲われた。
    坑夫達に揶揄われる場面等、育ちが良いが為に見下されているのは可哀想だと思った。
    結局気管支炎と診断され帳簿係として働くが、坑夫になるよりは適材適所で良い。
    本人も坑で働けないと判ると心底では安心しているように感じた。
    帰京後艶子や澄江とはどうなったのか気になった。

  • 海辺のカフカにつられて。
    淡々と、最初から最後まで客観的で、どこかよそよそしくて、そこそこ残酷で、でも楽観的で。好き。

  • 「坑夫」としての経験がない「自分」の話は落語みたいに聞こえて立て板に水のごとし。
    なんだ?なんだ?全行に教訓めいた心理描写が書き連ねられ、冗談なのか本気なのかと読み進めても一向に鉱山にたどり着かない。
    実に本の半分まで行ってもぜんぜん掘らないのだ。
    なんじゃこりゃ?
    この本の成り立ちをドラマで見てわかっていたので(突然、現れたファンのような若者が自分の体験を漱石先生に語った)、「自分」が人を欺く人になっていく物語ではありませんようにと祈る気持ちで読んだ。

    やっと坑に入っても彼の心の中のお喋りは止まらない。そして、わかった。
    「自分」は「坊ちゃん」だった。
    青くて、真面目。だけどすぐに矛盾を抱え、死ぬつもりと言いながら「死」を思うとドキドキして怖い。かれど真っ直ぐ、不器用に生ようとする「自分」。
    教師をやめた「坊ちゃん」はこんな風に生きたかも?なんて思った。

    これは小説じゃないとしめくくるも十分小説だよ、先生。

  • 実在の人物の経験を基にした作品と聞いた。無知と無鉄砲さ、生死に対しての軽さが、この若さのリアルで、いつの時代も人間というものは変わらないのかもと思わされた。心は固形体じゃないと考えているところなんか、とても共感した。
    暗い坑の中で1人考えるところが印象的だった。
    周りにいくら教えられても、自ら経験していく順序を追わないと答えの出せない気持ちは分かる。この、東京に帰ったという事実だけ淡々と最後語られるところが、主人公が人間を知り社会を知り大人になったということを感じさせる。
    サラッと終わったのに不思議な余韻がある。

  • この小説は漱石を尋ねてきた青年の体験談を元に書いたものだという。
    確かに物語の筋らしいものはなく、伏線が回収されることもない。そもそも何が言いたいのかよく分からない。
    著者ご自身がこれは小説のようで小説ではない、と明言しているのでそうなのだろう。

    だからつまらない、というとそうではなく大変おもしろく読んだ。
    赤茶けた銅山の雰囲気や、飯場で新入りの主人公を坑夫たちが品定めしつつ嘲笑する様や、蒲団で寝るたび南京虫に刺されて飛び起きる描写などは小林多喜二の蟹工船よりおもしろくて読ませる。

    銅山のなかは荒くれ者しかいないと思ったら「こんなとこで働くのは止めな」と優しく諭してくれる親切な坑夫がいたりと職場の関係性がいちいちリアルだった。(職場にいるよね、こういう穏やかで優しい人が一人は必ず。)


    しかし、「坑夫」と銘打ったるのに、主人公は坑夫になって結局働かない。
    えー、羊頭狗肉じゃないか、読後に思ったが、ストーリーの筋らしい筋もなく、なにが言いたいのか分からない小説らしくないこの本にはぴったりなタイトルのような気がして納得した。

  • 鉱山に辿り着くまでは読んでる方も骨が折れたが、地獄に着いたらめくるめく餓鬼地獄が展開!痩せ我慢にもほどがある!明治は生き地獄だなぁ

  • なーんにも起こらないんだけど、起きている。
    漱石の描写の全てが好き。
    時間をかけて、のんびり読みたい1作。

  • 前作の『虞美人草』とは打って変わって、生々しい現実が牙を剥くような、異様なおぞましさを放つ作品でした。

    恋愛事件のために東京の家を出奔した主人公の19歳の青年は、周旋屋の長蔵に誘われるまま坑夫になる決心をし、栃木の足尾銅山に向かう。途中、周旋屋から勧誘された"赤毛布(あかげっと)"や"小僧"も加わり、奇妙な行程を経た末銅山にたどり着く。
    飯場にひとり放り出された青年は、異様な風体の坑夫たちに嚇かされたり嘲弄されたりしながらも、地獄の坑内深くへ降りて行く…。
    漱石の許を訪れた未知の青年の告白をもとに、小説らしい構成を意図的に排して描いたルポルタージュ的異色作。

    『虞美人草』の直接的な続編ではないものの、恋愛事件がきっかけで出奔している点は『虞美人草』の小野を想起させます。
    また、主人公が自らの育ちの良さを自嘲するあたり、『坊っちゃん』の変奏のようでもあります。
    しかし、紋切り型だった前作の人物造形とは異なり、本作の主人公が血肉の通った、揺れ動く人物として描かれているのが印象的。
    周到に用意された舞台のような『虞美人草』に対し、容赦のない現実をつきつける『坑夫』は、好対照をなしているように感じます。
    むしろ、前作を批判的に描き、乗り越えようとした「続編」と呼ぶこともできそうです。

  • ある若者の体験談を夏目漱石が小説にしたんだそうだ。

  • 読了

  • 底辺へ向かう人間の意識の流れを読み続けるのでもろに思考促迫を食らったような感覚になる。戻った方が良いのは百も承知だけど戻ったところで何もない、進んでも地獄が待っている。焦燥感のような虚無感のような凄まじいやるせなさ。それでも進むのが人間というもので、その歩みにある種の強さを感じるものの、やはり一層大きな虚無主義に襲われてしまい、人生のなんたるかを思い知らされるようだ。

  • (個人的)漱石再読月間の7。15作品の半ばまで来ました。

    異色作。
    地獄のような最底辺の話で、「それから」の高等遊民の世界が好きな私にとって、これは胸つき八丁。
    後半の地底も辛いが、そこに到着するまでの山越えがキツい。主人公がまだ今までいた世界と別れる踏ん切りがつかないところがその要因かと。

    この後は何回も読んだ作品群なので楽勝かと。

  • 学も富もある立場から一夜にして坑夫という最底辺に堕落した主人公を通し、人間の内面を描く。時代設定は100年以上も昔になるが、自らの置かれた環境の有り難みが感じられる。

  • 読み終えました。

  • それなりの家に生まれて学問も修めていた青年が
    言い寄ってくる女と、許嫁との三角関係に苦しんだあげく
    死にたくなって、そこを逃げ出してしまう
    ところが死に場所を探すうちにだんだん死ぬ気も萎えてきた
    そんな折、ぽん引きのおっちゃんに引っ掛けられて
    鉱山労働者になる決心をする
    安易なわりにプライドの高い彼は
    何度も引き返すチャンスを与えられながら
    その誘惑をことごとく跳ね返し
    ついには居直り者のふてぶてしさを手に入れる

    「虞美人草」に続く、夏目漱石の新聞連載第二弾
    ただしこれは、「春」の執筆が進まない島崎藤村の穴埋めとして
    急遽書き下ろされたもの
    いちおう教養小説としての体裁をつけており
    また、前作「虞美人草」とのテーマ関連をにおわせてもいるが
    基本的には、人に聞いた話をそのまま出したような形である
    人間は時々で考えが変わるものだという無責任主義を掲げ
    むしろ反・教養小説としての完成を試みているが
    しかし最終的に主人公は
    一個の刹那主義者として自己規定するに至った
    自己規定があるからこそ、こんな告白を小説家相手にするわけで
    だからまあその点、失敗作と言うべきなんだろう
    反・教養小説(つまり堕落だ)の試みは
    芥川龍之介の「羅生門」へ受け継がれたように思う

  • 足尾鉱山の現地レポートとしてよむと
    とても価値がある。

  • 村上春樹さんの本の中に出てきたので読んだ。

  • 漱石ファンからは支持されていると帯にあった。特に余韻もなく、普通に起伏なく盛り上がらず終わるので、それがいいという向きにはいいのかもしれない。それが故にあまり後まで残らないと感じた。

  • 2017.12

  • 新潮文庫に使われているスピンを見ると本書を開けた風がなく、30数年来の積読本であった。『坊ちゃん』にも似た軽妙な文章で、落語に出てくるような大家の若旦那が女性関係でしくじって、当時最下層の仕事と目されていた鉱山労働者に身をやつした回想を心理的考察を交えて綴られたものと読み進めた。しかし解説を読むと、荒井という青年の持ち込み材料であったことを知り、「小説になる気づかいはあるまい」などと放り投げたような表現が妙に気になったことを改めて実感した。また『虞美人草』との構成の対比など夢想だに出来なかった。修行不足だ

  • 久しぶりに漱石を読もうと思い読み易そうなこれを買ってみた。あとがきに寄ると急遽執筆することになった作品とのことで、特にこれといった筋立てもなく追憶として語られる青い煩悶の反復が特徴的。個人としては斯様に悩む時期は専ら過ぎているので強い感心は惹かれず。
    主人公の過去と符合するらしい虞美人草を読んでいたらもう少し他の感想もあったかも。

  • 夏目漱石は面白いと思うものと面白くないものが自分の中ではっきりしているのだけど、坑夫は何年か前に読んだ時はひどくつまらないと思って途中で読むのをやめてしまった作品だった。

    しかし何年かぶりに再読してみて、とても面白かった。
    ストーリーらしきストーリーがないという評判なのだけど、ストーリーらしいストーリーに食傷気味の自分にとっては、逆に興味深かった。

    人間は矛盾に満ちている、という主人公の考え方は、現代のアイデンティティみたいな概念に対するアンチテーゼとして読めた。日記のように淡々と進んで行くが、出てくる登場人物たちがみな生き生きしているように感じた。

    やっぱり、夏目漱石は読みを極めて行きたい作家のひとりだ。

  • あらすじ[編集]
    恋愛関係のもつれから着の身着のまま東京を飛び出した、相当な地位を有つ家の子である19歳の青年。行く宛なく松林をさまよううちにポン引きの長蔵と出会う。自暴自棄になっていた青年は誘われるまま、半ば自殺するつもりで鉱山で坑夫として働くことを承諾する。道すがら奇妙な赤毛布や小僧も加わって四人は鉱山町の飯場に到着する。異様な風体の坑夫たちに絡まれたり、青年を案ずる飯場頭や坑夫の安さんの、東京に帰った方がいいという忠告に感謝しつつも、青年は改めて坑夫になる決心をして、深い坑内へと降りてゆく。そして、物語の結末は唐突に訪れる。坑道に深く降りたった翌日、診療所で健康診断を受けた若者は気管支炎と診断され、坑夫として働けないことが判明する。結局、青年は飯場頭と相談して飯場の帳簿付の仕事を5か月間やり遂げた後、東京へ帰ることになる。
    解説[編集]
    ある日突然[1]、漱石のもとに荒井某という若者が現れて「自分の身の上にこういう材料があるが小説に書いて下さらんか。その報酬を頂いて実は信州へ行きたいのです」という話を持ちかける出来事が起きる。漱石は当初、個人の事情を小説として書きたくないという思いから、むしろ君自身が小説化した方がいいと本人に勧める。しかし、時を同じくして、1908年(明治41年)の元日から『朝日新聞』に掲載予定だった島崎藤村の『春』の執筆がはかどらず、急遽漱石がその穴を埋めることとなる。そこで漱石は若者の申し出を受け入れ、漱石作品としては異色と言える実在の人物の経験を素材としたルポルタージュ的な作品が生まれる。漱石の代表作として名が上がることは稀だが、作品の研究論文は現在に至るまで多数存在する。

  • 十九ばかりの育ちのいい青年が、東京の裕福な両親のもとを出奔。家出の道中、人買い手配師の男から「抗夫になると稼げるぞ」と口説かれ、銅山に向かう。足尾銅山がモデルと言われているが、「ヤマ」の暮らしと坑内労働のディテールが実に興味深い。いかつい容貌の抗夫の男たちが寝起きする飯場の長屋。時に胎内くぐりのようにしてようやく進む狭い坑内。深く深く降りてゆく暗黒の地底世界。未知の異世界を垣間見せてくれる面白さに満ちている。一種のルポルタージュを読むような面白さがある。それもそのはず、この小説、実は「聞き書き」らしい。漱石の自宅に一時期滞在していた青年が語った実体験をベースにしているという。
    「虞美人草」や「草枕」と読みついで、それらの理想主義、形而上学に飽いていたこともあり、具体的なリアリズムで描かれる本作に、心地よさを感じた。
    八番坑あたりの地の底で、青年は、知性と品性を備えたひとりの坑夫に出会い、お前の来るところじゃないヤマを降りろ、と諭される。男の優しさ、度量の大きさが、心に残る。

    ところで、ある日、本作を、電車内でビートルズの軽快な楽曲を聴きながら読んでいた。意外としっくりきてハッとした。で、思い至った。陰鬱で不安な雲行きをイメージしつつ読んでいたが、実は意外に、のびのび軽快に描かれた小説かもしれない。

    「 もう少しで地獄の三丁目だぞ 」
    「 マジかよ… 」 (♪You Can‘t Do That )

     …てな具合に。コミカルな青春小説としても読める気がした。

  • 題材もストーリーも漱石らしくない。面白くないかと言えばそんなこともないけど、シーンの一つ一つがやたら長くて冗長なので長さの割に飽きてくる。異色作ってのは確かにそのとおりだと思う。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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