- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101015224
感想・レビュー・書評
-
大学生の頃に読みました。主人公の身勝手さに呆ました。男の責任とは何か?人其々と思うが、人間としての道理を外れてはいけない。
-
昭和46年の作品。学生の頃に話題になった本で読んでいたが、記憶が曖昧なので再読してみた。
読み始めてわかるが、たぶん初読でも、ストーリーがどう運ばれていくか、ある程度予想できる内容になっている。そのわかりやすさが逆に、先へ先へと読み進めさせる原動力になっている。立身出世欲が強い主人公、母親ひとつ手で育てられ、周囲の期待のなか、司法試験合格を当面の目標に見据えている。家庭教師での教え子(登美子)と愛情を持たない関係を続けている。登美子は母親をなくし、父親とその妾と同居する形で、心の荒んだ生活を送っており、主人公だけが心の拠り所となっている。一方、主人公は資産家の叔父さんの援助のもと、司法試験合格が期待され、いずれはその娘(康子)との縁談への思いがある。この二人の女性を軸に、緊張感を伴って進行していく。登美子にも康子にも、愛情をだくことなく、ひたすら自身の社会的成功のため、打算的な考えで均衡をとる主人公。司法試験に合格してからは、康子に収斂すべく進んでいくが、登美子の妊娠という思わぬ事態に直面する。自分勝手な判断が抜け出せない迷路を作り出し、最後のクライマックスへと急降下する。予測される展開ではあるが、最後の刑事の一言が、主人公の誤算を浮き彫りにして余韻を残しつつ、物語が閉じる。 -
うーん何というか、こういう自分の内面と向き合わざるを得ない本を読むと、いつも複雑な読後感を味わうことになる。きっと江藤に感情移入しながら読んでいるからだと思う。彼のエゴや傲慢さや浅はかさや、一方で生真面目さや肝の小ささや。
フィクションとして読んでいたものが、いつの間にか〝自分ならどうだろう、自分も同種の人間かもしれない〟などと考えている自分に気がつき、来し方に思いを馳せていたりする。それがこの本の優れたところなんだろうな、とも思う。 -
江藤賢一郎の行動はエゴイズムそのものだが登美子の行動もまたエゴイズムであった。康子の行動も然り。エゴイズムが概念的思想から実存的暴力に変換されたとき、江藤の敗北は喫したのかもしれない。最後の数ページまでは江藤の身勝手さや自惚れ、過信に憤慨と好奇をしつつも、結末(特に最後の段落)は『羅生門』的な人間の闇と業を感じさせる。
江藤をひとりの青年として捉えた場合、若気の立身出世を夢みる気持ちや優位的な逢瀬、知略の綻びに対する焦りは男性諸君には多少通ずるものがあるかもしれない。(女性には失礼を承知ながら)それを題材に行動と事件に変え、結局は男性の稚拙さや浅はかさを描いているのが何とも面白い。『青春の蹉跌』というタイトルから純文学かと思ったら一流のミステリーであった。★5に近い★4。 -
昭和43年に毎日新聞に連載された作品です。司法試験を志しながらも利己的で打算的な考え方をする主人公の悲劇的な結末を描いています。私が初めてこの本を読んだのは、昭和の終わり頃で当時20代の独身でした。作品のストーリーや主題はわかりやすく、このような青春を過ごすのは不幸だと感じるとともに若い男女の幸福とは何かを考えさせられました。
-
高校生の時、読書感想文を書くために読んだ。
それから30年後、実家にあった文庫本を見つけもう一度読んでみた。
とても衝撃を受けた記憶はあったが、内容は忘れていた。
高校時代の自分は頭脳明晰な江藤に憧れ、エリートに憧れたと思う。
そして「女は怖い」「女で失敗してはいけない」と思った。
高校・大学時代の自分を思い返すと、この小説の影響を受けていたなと思う。
今読み返して思うことは、エゴイズム、未熟さ…
高校生の自分とは違う視点で楽しめたと思う。
高校生時代に自分が引いたアンダーラインに?を感じながら、高校時代の自分と対話しながら読み進めるという不思議な体験ができた。
読書感想文もどんなこと書いたか…
読んでみたい。 -
萩原健一主演の映画を見た後に、気になったので購入、読書。
原作と映画版は似ているが、主人公:江藤賢一郎の性格、殺害方法、結末などが決定的に異なる。映画版に対して、著者:石川達三が不満を持ったのも頷ける。
発表された当時に盛んであった学生運動は、映画の封切時点では収まっていたので主人公をノンポリの性格とすることも納得できなくはないが、今となっては原作の内容のほうが深みを感じる。
また、著者の文体は読みやすく、またすっと中に入ってきたために、一晩で一気に読了。
懐かしいですね。
若い時にありがちな失敗が、見事に書かれていた作品だったと記憶します。
懐かしいですね。
若い時にありがちな失敗が、見事に書かれていた作品だったと記憶します。