- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101020020
感想・レビュー・書評
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時は明治。田舎の裕福な家庭に育ったぼんぼんの小泉純一は、上京し小説家を志していた。東京では同郷の小説家や、美術学校に通うかつての同級生の瀬戸、文学を愛好する医学生の大村などとの交わりで次第に東京にも慣れ始めていたが、ある日、劇場で出会った美貌の若き「未亡人」坂井夫人に誘われるまま彼女の豪邸を訪問し、そこで「男」になるのであった・・・。
この物語自体、特にどうという進展がなく、ひたすら主人公が出歩き交流してその時々に考えた様子を描いているだけなのですが、何ともいえなく味わい深い雰囲気を持った作品でした。主人公が訪れる小説家の部屋や、文学会の様子、同郷会の宴会、街々の風景など「明治」という空気を感じさせる「場」の雰囲気がとても良く、そして、そこに登場する遊び慣れた瀬戸や、西洋文学に造詣が深い大村、それに愛なく純一を虜にする坂井夫人といった様々な人物要素の対立軸で、田舎から出てきたぼんぼんの精神を涵養させていく様子はある意味「律儀」な展開の面白さであり、その鴎外特有の和洋をとりまぜた硬質な文体と相まって、なかなかコクのある香りを発散させていました。時折挿入される西洋文学や哲学の評論や引用なども、この雰囲気を盛り上げるのに一役も二役も買っています。
最後は「精神」の修練と愛なき「性欲」の対立項という「青年」ならではの葛藤と展開になり、その衝動と知性に揺れる描写はなかなか面白いものでありましたが、それが「青年」の「文学」に昇華された様もみてみたかった。
それにしても、借家の知人の令嬢で微妙に迫ってくる「お雪」といい、宴会後にこっそりと名刺を渡してきた16才の美しい芸者「おちゃら」といい、箱根旅館の女中の中でも一番美しい「お絹」の微妙な干渉といい、そして誘惑され速攻落とされた美貌の「坂井夫人」といい、「精神」を磨き「文学」を志す!なんていってられないほど羨ましい境遇ですね。(笑) -
「利他的個人主義」‥‥。こういう類の蒼さは忘れたくない。
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昭和54年2月15日 52刷 再読
時代は明治後期、作家志望の青年小泉純一が、上京して東京の友人、作家らに関わりながら、成長していく青春小説。
装丁の絵が同じで感動。というか、三四郎より青年の読者の方が少ないのでしょうか。
初めて読んだ当時、夏目漱石の「三四郎」に影響を受けて書いた事は知らなかった。続けて読むと、確かに似ています。青年の小泉君の方が、話の流れから美形でちょっと裕福でモテてしまう事はわかりました。
青春日記の様相なので、凄く面白いとはいかないですが、当時の青年の歳上女性への恋心、歳上女性に振り回される様子など、「三四郎」とセットで当時の青春を知る文化遺産だと思います。
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美青年、小泉純一が可愛すぎる。
小説家への溌剌とした思いとプライドから上京して上手く生活が回っていたのに。
坂井夫人の妖艶さに当てられて、彷徨。
そうだよね、恋って怖いもんだよね。
未亡人なんぞに負けるものか、と意気込むのだけど、ぐるぐると負のスパイラル。
近付きたい、でも、近付いてはいけない、でもでも、なんだ思わせぶりなその仕草はー!
といったところです。
読むべき所は様々あるのだけれど。
純一の初々しい恋の駆け引き具合にきゅんときてしまう。男をも魅了してしまう笑顔ってどんなもんだー! -
青年というからには、若さとか情熱とか燃え上がるような恋とかいうものを想定しがちだが、そこはやっぱり鴎外翁。理性的でストイックな主人公に仕上がってます。
ただ、純一(主人公)の青年らしい拙さは、「(芸術のために)恋に憧れているけれど、恋を始めるきっかけが解らないよね」というところかな。
あるきっかけで知り合った美人の後家さんに弄ばれ?て、この恋?に飛び込んで良いのかどうか、途惑っている。
しかも、恋愛の手本をヨーロッパ小説に求めているところなんて、いかにも初々しい理想の高さがうかがえる。
その美貌から、作中何度か恋愛フラグが立っているのに、同性(大村さん)までもが、この美貌とかわゆい笑顔にめろめろになって、「もしかして俺、ホモかも」とか思っちゃうのに、
恋愛に対してイマイチ上手く立ち回れない(理想やら理性やら未熟さから掣肘されて)、
そんな不器用な、『青年』の物語でした。
ただこの純一という青年、あと5年も東京で暮らせば、さぞや立派なプレイボーイになることでしょう(笑)
そのころまでに、立派な文芸作品を書き上げられているかどうかは・・・わかりませんがww -
粗筋だけ辿れば身も蓋もない。作家を志す青年が未亡人にフラれ、逆恨みから何か小説が書けそうだと着想を得る。注解がなければ進まないフランス語句で飾った文章も当初は腹立たしいが、読むうちに心地いい緊張が生まれる。これが漱石の三四郎と並ぶ教養小説の双璧と称される所以か。
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鷗外の作品は、読者の洞察が必要、とドナルド・キーン氏が述べている。
ただ、短編だと、その洞察がいい具合に効いてくるのだが、長編だと散漫になるきらいがあるだろうか。
ところどころに当時の反自然主義文学の匂いがするし、性に対する抑制的な表現も、その表れなのだろう。
鷗外らしく、ところどころに哲学的、思想的なエッセンスが埋め込まれており、それを噛みしめながら読むのがいい。
以下抜粋~
・(日記について)「人間はいろいろなものに縛られているから、自分をまで縛らなくても好いじゃないか」
・「利己主義の側はニイチェの悪い一面が代表している。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるという思想だ。人と人とがお互いにそいつを遣り合えば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論をまたない。利他的個人主義はそうではない。」 -
恋愛それは時に苦しめ、まようものである。
そしてこの小説にはフランス作家、芸術家が記載されている
また思想面をみても奥深さを感じた
また再読したい -
作家を志して状況した小泉純一。著名な作家を訪ねたり、知り合った医大生・大村と友人付き合いをしながら日々を過ごす中で板井未亡人と出会う。未亡人の謎めいた目に惹き付けられるのを感じながら、しかしそれを赦さないと自尊心が己を制す。フランス文学を読み、色々な人間と会う中で何者でもなかった彼の自己が少しずつ形作られ、板井未亡人に一種の失望を覚えた時「今こそ何か書けそうな気がする」作家への第一歩たる確信を得る。純一の中で何かが終わり、始まったのだ。それは迷い揺れ動く青年期の終焉、大人と言われるものの入口に立つこと。本書はとくにかくフランス語が多くて注解を見ながら読み進めましたが、なかなか難物でした。解説には本作は「教養小説」「発展小説」とのこと。知らない言葉や四字熟語も多く、浅学の私には勉強になりました。
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森鴎外ってクソ頭良いんだろうなって思わせる作品。よく「あーなんて言えばいんだろう」ってなる脳みそのモヤモヤした物を綺麗に言葉で表現している。さすがです。
若さがうらやましい!
若さがうらやましい!