ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101020037

感想・レビュー・書評

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  • 2013.6.16読了 青空文庫

    金井君の性の目覚めまでを語る自叙伝という形式。結局目覚めてないし(笑)
    名作は私には高尚すぎてわかんないのかな…

  • ヰタ・セクスアリス=Vita Sexualis。ラテン語で「性欲的生活」の意味。
    大学の哲学講師・金井が自己の半生を振り返って書く、「性欲」に関する記述に特化した回顧録という体裁をとっている。大筋では鷗外の体験に基づき、事実と虚構が混淆となって描かれた作品である。

    あえて一言で言えば“童貞日記”。が、金井の手にかかれば、童貞にありがちな、妄想に耽る悶々とした日々……というのはどこ吹く風である。金井(=鷗外)は、ただ淡々と、自らの性欲的生活を客観的かつ科学的に記述していくのみである。そこにこの小説特有の諧謔があって笑える。当時の書生の習俗も垣間見られて興味深い。

    鷗外の精神構造が金井のそれと同じだというならば、鷗外が『舞姫』のような、女性への慈愛の感じられない作品を著したのも、うなずけるというものだ。

    文体は鷗外の美文ときた。短いが“珠玉”と称するにふさわしい優れた小説だった。

  • これで発禁かあ…
    やっぱり男子校の描写がまずいのかなあ?

  • 現代のネット某所で言うところの「おまえら」がここにすでにいるのである。

  • 森鴎外の文学は古典文法を用いていて読みにくいイメージを勝手に抱いていたのですが、この本はとても読みやすい。現代文学を読んでいるかのようにすらすらと読めて驚いた。内容は至ってシンプルで、哲学者が自分の性欲の歴史を六歳の頃からめぐって書いていくもの。その筋の単純さがまた読みやすさの理由かと。また、手記の内容自体がとても面白く、当時の日本の学生の様子や民俗のあり方などが事細かに書かれていてとても興味深い。作中の哲学者は明らかに森鴎外が自身をベースに書いているとは思いますが、学生時代のその勉学の励み方たるや、本当に頭が下がる思いがした。シンプルで単純な仕組みの本ですが、だからといって森鴎外の思想までもが単純なわけではなく、この本の裏に脈々と流れるのは、人生は性欲だけではないという思想であり、最後まで読むとやはりといっては失礼ですが、その力強い表現力に圧倒される。愉快でとっつきやすくとても不思議な本だった。森鴎外という大文豪の名前から敬遠しがちだったけれども、これからは古典系にも挑戦してみようかなと思います。

  • 金井くんが小さい頃に近所の母子が嫁入り前に、と眺めていたエロ本?が見えた経験に始まり、性にまつわる体験?とかを書いたもの。別に、際どいことも書いてないし、正直、現代からするとたわいないことなんだけど、どうやらこれが載った雑誌は発禁?になったらしい。昔も今もあんま変わらないんだな〜なんて。
    ただ、金井くんは鴎外をモデルにしてるっぽいけど、どんだけ神童やねん‼って突っ込みたい(笑)

  • 「ユーモア小説だったの?」

    哲学者の金井湛(しずか)君は、人の書かないものを書こうと、自分自身の性欲に関する歴史を綴ることを決意する。6歳の時、故郷である家の後家さんに「人物の姿勢が非常に複雑になっている」絵を見せられた体験に始まる、幼年期から青年期にいたるまでの、文字通り抜き差しならぬ性体験。

    当時の掲載紙「スバル」は発禁となったとあり、もっと思いつめた話なのかと思っていましたが、さにあらず。地元の学校の木戸の番所のじいさんに「あんたあ お父さまとおっ母さまと夜何をするか知っておりんさるかあ」と冷やかされるとこなんか、夜の父母には何か秘密があるらしいと感じながらも、子供心にそこには触れていけない何かを感じ「そんなことを言ったじいさんが非道く憎い」と憤慨する、湛くん(実は鴎外くん?)です。

    まあ今の感覚からすれば健康的で全うな性的成長の記録に思えるわけですが、東京の学校の男子ばかりの寄宿舎では、うぶでおとなしめの彼は、当時はまだ珍しいことではなかったかもしれない男色系の学生に穴(ケツ)を狙われ布団に押し込められたりしています。彼がこのことを父親に話すと、びっくりするかと思いきや「うむ。そんな奴がおる。これからは気を附けんといかん。」-て。さすがは江戸時代生まれのパパだ…。

    肝心の湛くんの初体験はといえば、女というものを知らぬままとうとう20歳を迎え学校を卒業します。新聞に原稿を寄せたお礼にと招かれた宴席のあと、お約束のように人力車で吉原へ運ばれる。一度は逃げることを試みるも失敗し、妙な負けじ魂が働いてついにかの不夜城の門をくぐることになります。いよいよ女を目の前にして要領を得ない湛くんは、妓楼の婆さんの巧みな誘導でさっさと足袋を脱がされ床に横たえられる…

    で、どうだったか?興味は尽きませんが、これ以上は語られていない。これは片手落ちというものでは~?やはりこれ以上を書くことは時代が許さなかったのか。思えば湛くん、恋愛というものを経験していません。このあたりの感情を抜きに書いていくと、性欲というのは純粋にその行為や言動だけが浮かび上がってきて、妙にユーモラスなものになっちゃうんですね。

  • 男子高…

  • 思いのほか読みやすい。

  • これがポルノか否かは読み手の判断に委ねられる様に思う。そんな表面的な事よりも、明治から現在の平成に至る移り往く世情に焦点を當てると興味は尽きない。歴史に意思は無く、作為の下歴史は生まれる…言葉一つとっても日本人の参考書的意味あいを強く感じた。

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著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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