阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101020044

感想・レビュー・書評

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  • “尊くて泣ける”仁左衛門×玉三郎の 『ぢいさんばあさん』を今こそ観たい | 今こそ、歌舞伎にハマる!
    https://crea.bunshun.jp/articles/-/35919

    関川夏央「〈没後100年〉27歳で『舞姫』を書いた森鴎外が、53歳で紡いだ大人のための小さな物語『じいさんばあさん』」 連載:50歳からの読書案内|教養|婦人公論.jp
    https://fujinkoron.jp/articles/-/5649

    森鴎外 『阿部一族・舞姫』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/102004/

  • 舞姫を読みたくて。
    舞姫だけ読んだ感想です。

    舞姫、高校の現代文の教科書に載っていたなぁ。
    「これのどこが現代だ!」と、当時のわたしは思ったものですが、その感想はアラフォーになった今でも同じです。
    英文を読むときと同じで、全体を通して読んでなんとなく内容をつかむ、というのが精一杯。
    翻訳家でもない私が、英文を一文一文訳そうとするとドツボにはまるあの感覚。全体を通してストーリーをすくいとることができればOK、という低いハードルで読むべき。
    「内容を理解できるか」と、いう点では、むしろ英語で書かれたほうがわかるのでは。

    肝心の内容・感想について。
    堪え性のない私は、もう二度と読むことはないだろうと思うので、自分の備忘録として記しておく。

    日本からドイツに駐在・留学している主人公・豊太郎。
    日本にいる母からも、上司(上官)からも期待され、期待に沿うように生きようと努力してきた。
    豊太郎は、エリスという名の現地の少女と出逢う。その少女は、母と二人で暮らしており、貧しく、劇場の踊り子として働いている。
    出逢ったときのエリスの描写が、とても美しい。主人公は道端で、エリスが声を殺して泣いている姿を見るのだけど、主人公がエリスを見て美しいと惹かれたのだろうことがひしひしと伝わってくるのだ。
    主人公が思わずエリスに声をかけ、僅かな援助をし、二人の交流が始まる。
    貧困ゆえに十分な教育を受けてこなかったエリスに、書や文字を教える豊太郎。
    他方で、エリスとの愛に溺れる豊太郎自身の学び、生活は荒んでいく。
    そんななかでエリスが懐妊。
    豊太郎は、友人相沢から、エリスと別れるように勧められる。このときの相沢の言葉ば妙に詳しく描写されているのが、主人公のズルさ、言い訳に感じた。
    「他者に相談するとき、相談者の中ですでに答えは出ていて、期待通りの答えをもらいたがっている」とはよく言われているが、そういう感じなのかな、と。
    エリスの愛は失いたくない。でもこのままドイツで自堕落な貧しい生活を続ける覚悟もない。自分では決められない・・・そんな豊太郎の気持ちを汲むように、背中を押す相沢。
    宙ぶらりんなとき、相沢が豊太郎に「君のような優秀な男が、いつまで一人の少女に引き止められているのだ。もったいない。俺が上官との間を取り持ってまた復帰できるように取り持つから、さっさと彼女とは別れろよ」なんて言われたら、背中押されるというか、豊太郎には「相沢が勝手に話をすすめ、俺は流された」という言い訳もたつ(エリスからすれば、そんな言い訳はたたないんだけど、あくまでも豊太郎本人の心持ちとして罪悪感が薄れる)。
    結果的に、この物語は、「相沢のせいでエリスはおかしくなりました、相沢は良き友ですが、私は相沢に対して憎しみを持ってます」という主人公の感想(言い訳?)で終わっている。
    「最後に言いたかったこと、これかよー?!」と、びっくりしたよ。
    高校時代の教科書では、抜粋した文章が載せてあったから、どこが最後なのかまで意識していなかったからな。まさかこんな最後の一文とは。
    あくまでも、豊太郎自身は最後までなんも悪いことしていない、という認識なのね・・・。

    相沢こそ、何もおかしなことや悪いことはしていないんだけどさ。
    どうしてこういう時代の小説家さんの自伝的小説って、悪くない友を悪者にするのだろうか(人間失格とか)。
    誰かを悪者にして憎まないと耐えられない繊細な心の持ち主が、当時は小説家になっていたということだろうか。
    そう思うと、今の小説家さんたちは大人というか、フラットな人が多いなぁと思う。

    少し前に読んだ「中野のお父さん」に、「現代の価値観を当時(俳句が読まれた当時)の価値観に当てはめるのは無粋だ」ということが書いてあった。
    「舞姫」についても、令和の私の価値観を、舞姫の時代(明治時代)に当てはめるのは、とっても無粋なことだろう。
    男尊女卑の時代。日本からドイツに留学するほどの秀才男子が日本でどれだけ期待され価値があるものとされていたのか、現代では想像もつかないほどだ。
    ただ、やはりエリスはかわいそうだと私は思う。
    現代なら、「私は分不相応で、もともと私が一緒になれるような相手じゃない」みたいに思うのもしれないけど、エリスはきっと、学もなく教養もなく、生きることに必死で、恋愛については子どものように純粋な少女だったのだろうと思う。実際に16,7歳だろう。
    そのような少女に、分不相応だと自覚しろというのは無理があるだろう。

    現代的価値観の私としては、どんなことがあっても、エリスには赤ちゃんとともに力強く生きていってほしいと思う。
    そして、現代においても、10代、20代の若い女性が精神的に不安定になる原因は、男絡みであることが圧倒的に多い、ということ。
    明治時代(おそらく明治時代よりもっと前から)から変わらぬその営みが、女性として悲しくもありました。
    しかし一方で、若者にアンケートをとると「恋愛、結婚に興味がないです」と回答する割合が増えているらしい。それって、ある意味人類が進化しているのかな、と思ったりもする。

    それと、「舞姫」という題名のわりに、エリスが踊っている姿のほぼ描写はないよね。私が読み落としたのかな。
    高校生の私は、「舞姫って、劇場で踊る美しい現地の少女の姿を見て、青年が恋に落ちる話」と思っていたのだけど、それは違ったわけだ。
    実際に二人が出逢ったのは道端だし。エリスは踊ってたわけではなく門によりかかって泣いてただけだし。
    ただ、もしこの本が「舞姫」という題名じゃなかったら明治時代から現在まで読み継がれる名作にはなってないんじゃないかと思う。
    それくらい「舞姫」という言葉は、美しくて、人の興味をそそり、耽美的で心を惹きつける力がある。

  • 初めて森鴎外の作品に触れた。

    舞姫。途中はがんばれ青年、と応援したのも束の間、最後はなんとも愚かな結末であり、その時代背景もあるだろうが、なぜそっちにいってしまったんだ、ともどかしい気持ちを抑えられなかった。

    阿部一族は、ああ自分は絶対阿部側の人間だな、と思った。でも、子どもらに迷惑かけたくないから名誉なき自死はしないで自分だけ苦しもうとなるかもしれない。それで病むんだろうけど。自分だけ。

    そのほか、「かのように」の葛藤も、「鶏」の滑稽さもとてもおもしろかった。こんな作品を書いているんだと正直驚いた。歴史ものはちょっとよくわからんが、森鴎外といえばドイツ、または医学、みたいなイメージを勝手に持っていたので、沢山の歴史ものがあることにそもそも驚いた。

  • ダイヤモンド・オンラインに書評を書きました。→ https://diamond.jp/articles/-/275100

  • 2021.1.8

  • 「舞姫」
    作者のドイツ留学体験をベースにした作品
    主人公は自らの意志によって人生を切り開こうとするのだが
    結局は、故郷のしがらみを捨てきれず
    愛した女を裏切り、ついに発狂させてしまう
    そのことで自分を責める彼は
    例えばそれを「新生」などと言って居直ることもできぬまま
    助けてくれた親友のことを密かに恨みつつ
    帰国の途につくのだった
    良くも悪くもサムライというかな

    「うたかたの記」
    過去の出会いが運命的な恋となって
    まさにいま成就しようとした、そのとき
    さらに過去から不幸の使者が甦り
    すべてを水の泡に帰す

    なお、日本における言文一致運動はすでに進んでいたのだが
    ここまでのロマン主義的なアイロニーは
    すべて文語調で書かれている
    鴎外じしんは、坪内逍遥との没理想論争を経て
    アイロニーを脱するようにも思われたが
    形としては現実に屈していく

    「鶏」
    日清戦争が終わって九州小倉に赴任してきた参謀の話
    変わり者の個人主義者である
    生活のことを下男下女に丸投げしており
    米だの味噌だの卵だのを着服されてるにもかかわらず
    まるで気にとめようともしない
    彼にとっては、人も馬も鶏も同じく他者なのだ
    それは恐らく国家主義への屈従がもたらす一種の諦念であろうが

    「かのように」
    例えば、神の存在証明を科学的に行うことは不可能である
    しかし人間は
    あたかも、神が存在する「かのように」ふるまって生きている
    そのことがむしろ社会を円滑に廻しているのであれば
    嘘でも神を信じることは正しいのである
    人は白黒つけたがるもので
    神がいるかいないかという議論にこだわり
    いらぬ争いを生み出したりもするが
    あたかも~である「かのように」生きる姿勢が普遍なら
    平和は守られるのだ
    そんな思想を抱いてドイツ留学から帰ってきた主人公は
    しかし、他者との軋轢によって平和が壊れることを恐れるあまり
    茶番のような人間関係しか築けないのだった

    「阿部一族」
    あまり気の利く家臣を持つと
    なんだか馬鹿にされてる気がして、つい反発心を抱いてしまう
    それこそ甘えというものだが
    殿様に対してはそれを諫める者がいない
    それでまあ
    その家臣が家中全体のスケープゴートを担わされてしまうわけだ
    乃木大将の殉死事件に触発された作品とされているが
    実のところ、これはイジメの話である
    読後感は非常にやりきれない

    「堺事件」
    幕末のころ、堺の町にフランス船員が上陸し
    狼藉を働いたことがあった
    土佐藩の兵士たちがこれを取り押さえようとして銃撃戦を行い
    フランス人が何人か死んだ
    当然、重大な外交問題へと発展して
    銃撃にかかわった兵士たち二十人が切腹することになった
    切腹の当日は酒を振る舞われ
    会場となった寺の見物を楽しんだ後、夕方から順番に腹を切っていった
    立ち合いのフランス公使は
    集団自殺の凄惨な現場に耐えかねて逃げだした
    爽やかなユーモアのある話ですね

    「余興」
    語り手は人に群れるのが嫌いな男
    しかし、つきあいでやむなく同郷人の会合に出ていった
    するとその余興に、いま売れてる人気の浪曲師が出てきたのだが
    語り手には教養人としての誇りがあるもので
    聞きながら粗ばかり探してしまった
    それでも、終わったら周りに合わせて拍手をしている
    そんな自分は大人だなあ、なんてことを思って安心していたら
    宴会中、酌の芸者に馬鹿にされているような気がして
    大人げない態度をとってしまう

    「じいさんばあさん」
    隠居屋敷の老夫婦は年甲斐もなく仲むつまじい
    なぜそんなに仲がよいのだろうか
    小説は過去をさかのぼり
    二人の若い頃から現在に至るまでを俯瞰していった
    「歴史離れ」のロマンスである
    ここにきて、初期のロマン主義に折り合いがついたとも言えよう
    意地の悪い見方をすれば
    互いに互いの姿を見ているのではなく
    ひとつのロマンを並び見ているわけだが

    「寒山拾得」
    現世に姿をあらわした文殊菩薩と普賢菩薩は
    それぞれ乞食坊主の姿をしていた
    つまりどういうことかというと
    軽蔑こそすれ、信仰の対象にはならないということである
    しかし、社会規範では仏を測れないし
    またそうであればこそ奇跡もおきるのであろう

  • 日本語がうまい。無駄口がない。単純なものへの蔑視と憧れがないまぜになっている。歴史物のクールさも良いが、「かのように」や「余興」のようなエッセイに近いものも面白い。

  •  高校時代に現代文の授業で読んだ『舞姫』を久しぶりに読みたくなり手に取った。きちんと森鷗外を読むのは高校以来だと思う。

    ◆舞姫
     ドイツへ留学した官吏の太田豊太郎は、踊り子のエリスと出会い、心を奪われる。その後、豊太郎は仲間の讒言によって免職されてしまうが、友人である相沢謙吉の仲立ちにより復職への道が開ける。妊娠していたエリスは、豊太郎が帰国するという話を知って発狂する。
     明治23年に発表された鷗外最初の小説。『うたかたの記』、『文づかい』とともに、擬古文で書かれた初期三部作の一つ。
     高校時代に読んだときは、妊娠しているエリスを見捨てて出世のために日本へ帰国する豊太郎をひどい男だと思った。しかし、今回は出口汪氏の『早わかり文学史』を読んでからだったため、また異なる読み方をすることができた。
     出口氏は、日本に自我(近代的自我)という概念を初めて持ち込んだのが森鷗外の『舞姫』だったという。自我とは集団から個人を切り離そうとするもので、この動きを直接起こしたのが浪漫主義だ。封建時代には自我という意識はなく、集団の中に自分という意識が入り込んで、個人と集団との区別はまだなかった。
     この自我という意識に目覚めながら、一方では自我を潰されていくのが豊太郎である。時代に潰された、ということもできる。豊太郎は「棄て難きはエリスが愛」と思っていて、エリスを見捨てて帰国するかどうかについて、その意志は曖昧なままである。しかし、豊太郎の知らないところで、相沢謙吉が大臣にその帰国についての話をつけてしまい、狂言回しの役割を演じたため、豊太郎は帰国することとなる。この相沢は、「学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかかづらひて、目的なき生活をなすべき」と考える典型的な封建人だ。そして、豊太郎が思い悩んだあげく意識不明になっている間に、相沢がエリスに豊太郎の帰国のことを話し、エリスは発狂することとなる。「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」という最後の部分に、豊太郎の感情がよく表れている。
     豊太郎は鷗外そのもので、鷗外にとってエリスは一生忘れられない存在だったといわれることがある。鷗外は、心の奥底でエリスへの想いを抱きながらも、表面上はそれを押し殺し、家や国家を背負って生きようとしたのだろう。鷗外は強靭な精神力を持つ人物だった。
     なお、鷗外がドイツから帰国した後には、実際にエリスが追いかけてきた「エリス事件」が起こっている。

    ◆うたかたの記
     ドイツに留学している日本の画学生・巨勢は、ミュンヘンのカフェでマリイと再会する。マリイはかつて巨勢が助けた花売り娘で、巨勢はその面影が忘れられず、自作のローレライのモデルとしていた。作中でマリイは次のようにいう。
    「英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくて愜はぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言をも待たず。……狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。狂人にならでもよき国王は、狂人になりぬと聞く、それも悲し。」

    ◆鶏
     石田小介は少佐参謀として小倉に着任した。石田は雌雄の鶏を飼うこととなったが、別当の虎吉も自分で鶏を買ってきて一緒に飼うこととなった。そして虎吉は、石田の鶏の産んだ卵まで、自分の鶏のものだと言い出すのだった。また、下女の時は、石田が出勤すると毎日風呂敷包みを持って家のものを持ち出すのだった。このような微妙な軋轢が、善悪ではなく、石田と田舎の人々との価値観の相違によるものとして描かれる。

    ◆かのように
     子爵家に生まれた五条秀麿は、文科大学を立派に卒業した。しかし、国史の研究を真面目にしようとするあまり神経衰弱になっていた。というのも、神話を歴史の中でどのように位置づけるかについて八方塞がりになっていたのであった。そして、秀麿はファイヒンガーの『かのようにの哲学』を参照して、次のようにいうのだった。
    「人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ちかのようにが土台に横わっているのだね。」
     すなわち、神や義務は事実として証拠立てられないが、それが「あるかのように」みなすことで社会生活は成り立っているということが説かれる。

    ◆阿部一族
    「殉死にはいつどうして極まったともなく、自然に掟が出来ている。どれ程殿様を大切に思えばと云って、誰でも勝手に殉死が出来るものでは無い。泰平の世の江戸参勤のお供、いざ戦争と云う時の陣中へのお供と同じ事で、死天の山三途の川のお供をするにも是非殿様のお許を得なくてはならない。その許もないのに死んでは、それは犬死である。武士は名聞が大切だから、犬死はしない。」
     肥後藩主細川忠利の病状が悪化し、老臣の阿部弥一右衛門は殉死の許可を乞う。しかし、その許可を得られないまま、忠利は死去した。このため、弥一右衛門はその後も以前どおり勤務していたが、家中から命を惜しんでいると誹謗が出るようになったため、切腹を遂げる。この遺命に背いた殉死が阿部一族の悲劇を招く。
     明治45年、明治天皇崩御の際に乃木希典が殉死、当時はその是非をめぐる議論が盛んだった。『阿部一族』はこうした当時の世相を反映した作品とされる。また、この事件以降、鷗外は歴史小説を書くこととなる。鷗外の歴史小説は、「歴史其儘」(『阿部一族』など)と「歴史離れ」(『山椒大夫』など)に分類される。
     本作は、理不尽な状況に対して武士の面目を立てるため、意地を貫く姿を描いたものだ。鷗外は歴史小説において、運命の中で最後まで自分に与えられた使命や立場を貫いて生きる人間像を数多く描いた。そして、歴史や運命の中で自己の立場や使命を冷静に引き受ける態度を諦念と呼び、これに人間の生きる道を求めたとされる。

    ◆堺事件
     鳥羽伏見の戦いの後、土佐藩が堺を警備することとなった。この堺において、フランス水兵が上陸、狼藉のうえ一斉射撃してきたため、土佐藩兵との間で銃撃戦となった。この事件に対して、フランス公使は土佐藩の部隊を指揮した士官二名、兵卒二十名の処刑を要求した。処刑される兵卒は籤引によって決められた。兵卒たちは死の覚悟はできていたが、不名誉な犯罪者としての処刑は承服できなかった。このため、上役に対し、「兵卒が隊長の命令に依って働らくには、理も非理もござりませぬ。隊長が撃てと号令せられたから、我々は撃ちました。命令のある度に、一人一人理非を考えたら、戦争はできますまい」と訴えた。こうして、切腹と士分への取り立てが認められることとなった。
     堺・妙国寺が切腹の場所と定められた。一人目の箕浦猪之吉は、「フランス人共聴け。己は汝等のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男児の切腹を好く見て置け」と言った。そして、「箕浦は衣服をくつろげ、短刀を逆手に取って、左の脇腹へ深く突き立て、三寸切り下げ、右へ引き廻して、又三寸切り上げた。刃が深く入ったので、創口は広く開いた。箕浦は短刀を棄てて、右手を創に挿し込んで、大網を摑んで引き出しつつ、フランス人を睨み付けた」。その後、二人目、三人目と切腹は続けられた。この間、臨検の席に着いていたフランコ公使は、驚愕と畏怖の念に襲われ、不安に堪えない様子で立ったり座ったりしていたが、ついに十二人目のときに突然席を立ち、艦艇へ帰ってしまった。こうして残った兵卒の切腹は中止となり、その後フランス公使から助命嘆願がされることとなった。

    ◆余興
     私は同郷人の懇親会に出席した。そこでは幹事の畑少将が大好きな浪花節が余興として披露されたが、私には苦痛な時間が流れた。しかし、私は先輩に対する敬意を忘れてはならぬと思うので、「死を決して堅坐」していた。このような私の姿を見た若い芸者は、私を浪花節の愛好者かと誤解したため、私はその勘違いに一瞬いらっとした。しかし、他者の無理解に対する自身の不寛容を悟って反省し、次のように思うのだった。
    「己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然としていなくてはならない。」

    ◆じいさんばあさん
     江戸の大名の屋敷の中に隠居所が作られ、そこへ爺いさんと婆あさんが住みだした。二人の仲の良さは無類であった。この夫婦はある事情により、長い間離れて暮らすことを余儀なくされていたのだった。

    ◆寒山拾得
     唐の貞観の頃、閭丘胤という官吏がいた。台州の主簿となった閭は、天台の国清寺を訪ねた。閭は長安に居た頃、その頭痛を豊干という僧に治してもらったことがあった。この豊干が国清寺の者で、さらに豊干が言うには、この寺の拾得は普賢で、寒山は文殊であるというのだった。しかし、閭が国清寺に行ってみると、どうも様子が違うのであった。作中では次のように述べられている。
    「全体世の中の人の、道とか宗教とか云うものに対する態度に三通りある。自分の職業に気を取られて、唯営々役々と年月を送っている人は、道と云うものを顧みない。これは読書人でも同じ事である。勿論書を読んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。しかしそうまで考えないでも、日々の務だけは弁じて行かれよう。これは全く無頓着な人である。次に著意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事を抛つこともあれば、日々の務は怠らずに、断えず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督教に入っても同じ事である。こう云う人が深く這入り込むと日々の務が即ち道そのものになってしまう。約めて言えばこれは皆道を求める人である。この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道と云うものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だと云うわけでもなく、さればと云って自ら進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念め、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して云って見ると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、偶それをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。」

  • 救いがない

  • 阿部一族
    又七郎が阿部家と懇意にしていて妻を見舞いにもやりながら討ち入りには自ら猪一番に飛び込んでいくという観念がわからない。
    また弥五兵衛も飛び込んできた又七郎と相対して当然としているのがわからない。
    お上に忠実であるならば匿う必要もないがわざわざ自ら討ち入らずとも黙っていてもよかったと思う。
    しかしわからないと感じるのは時代が違うだけのこと
    なぜか納得できてしまうこの感覚はやはり日本人だからか

    堺事件
    これもまた日本人だからか
    もちろん切腹できるはずもなく、さらに大網を引っ張り出すなんてもってのほかだけれどもこの盲目、妄信、神風の思想は日本人そのものであると合点する
    しかし当然自分たちも腹を切るつもりの九人が切らせてもらえず、流刑になり、士分にも取り立ててもらえないままに死んでいくのを可哀想と思うのはおかしいだろうか

    かのように
    最後の議論がいい
    まったく違う二人が誇張も冷笑もなく互いを認めながら真剣に戦わせる様は美しい

著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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