阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101020044

感想・レビュー・書評

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  • “尊くて泣ける”仁左衛門×玉三郎の 『ぢいさんばあさん』を今こそ観たい | 今こそ、歌舞伎にハマる!
    https://crea.bunshun.jp/articles/-/35919

    関川夏央「〈没後100年〉27歳で『舞姫』を書いた森鴎外が、53歳で紡いだ大人のための小さな物語『じいさんばあさん』」 連載:50歳からの読書案内|教養|婦人公論.jp
    https://fujinkoron.jp/articles/-/5649

    森鴎外 『阿部一族・舞姫』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/102004/

  • 「舞姫」を読んだのは学生の時以来。豊太郎とエリスの気持ちが当時よりはわかるようになった。この間にベルリンのウンター・デン・リンデンも歩いたので情景描写も鮮明にイメージできる。
    いまの価値観からしたら不可解な豊太郎の振る舞いではあるし、最後の言葉などはその最たるもの。でも時代背景や若者が立身出世を最上位の概念とする当時の考え方からすると違った見方もできる。これだけ読み継がれる理由もその辺りにあるのだろう。

  • 昭和54年8月15日 24刷 再読
    そして、たぶん、これで読了なので覚書多め

    「舞姫」

    1890年 初期の代表作 ドイツ三部作
    前途有望な日本人青年がドイツの踊り子の美少女と恋に落ちる。恋に落ちると同時に彼の生活も荒んで行く。友人に手を差し伸べられ、妊娠中の彼女をドイツに残して帰郷し、自身の生活に決着をつける。

    今でもありそうな恋愛小説。若い頃は、女性を捨て生活を立て直すのも鴎外様だから仕方ないかなと思っていたけど、実際は、日本まで追いかけて来た彼女を、厳しいお母様に叱られて追い返したらしいというちょっとガッカリ感ありでした。

    「うたかたの記」

    1890年 ドイツ三部作一部

    これは読むのが難しくて現代語訳で。
    日本の画学生が、美しく成長した昔会った花売り娘に再会。愛を確かめるも、国王まで巻き込む湖の事故で彼女は没する。
    悲恋の短編ですが、国王絡みの設定が、思い切りがありすぎて、戸惑う。

    「鶏」

    1910年 自身の小倉での経験から
    軍人の小倉での、ご近所物語でいいのかしら。
    ひょうひょうとした主人公と、その回りを取り囲む小倉の人達。

    「かのように」

    神話と歴史 の分離について思考する青年(鴎外さんですよね)
    難解ですが、興味ある主題。文庫だと読みにくいので後日、読み直し。

    「阿部一族」

    1913年 『阿部茶事談』下敷 歴史小説
    乃木大将殉死の批判に対する鴎外の著述

    熊本藩主細川忠利の死去の殉死を認められなかった阿部一族の反旗、絶滅を描く。
    主従関係の重みだけでなく、殉死によるその後の一族の優遇措置、殉死への許可等、現在では理解し難い内容。

    「堺事件」

    1914年 幕末の堺事件を元とした歴史小説

    フランスの水兵の暴挙に対抗した土佐藩歩兵隊。撃ち合いとなりフランス人に死者を出し、その罪を問われる。理不尽な処分に異議を申し立て切腹の許可を得る。くじ引きでの処分者の決定、切腹後の家族への恩恵など、混乱期の日本人の悲哀であるが、日本人・武士としての生き様がある。
    鴎外の当時の西欧強国への批判なのかと思う。

    「余興」

    懇親会へ出向き、浪花節などの余興を楽しんでしんいるふりをする。盛大な拍手までする。そして、憂鬱になる。
    ちょっと、気持ちがわかる。

    「じいさんばあさん」

    1915年大田南畝の随筆「一話一言」より歴史小説

    年配の夫婦『じいさんばあさん』今は二人穏やかに隠居生活を送っている。
    しかし、過去37年間、夫は罪を犯し越前へ。妻は一人家族を守り、武家奉公を続けていた。親をおくり、息子を亡くし、信仰を続けた妻。その人生の最後は、夫と穏やかに暮らす。
    かくありたいという、ばあさんでした。

    「寒山拾得」

    1916年 寒山拾得縁起 

    これは高校現代国語の教科書で扱っていて、その縁起のラスト「パパアも文殊なのだが誰も拝みに来ないんだよ。」に、混乱した思い出がありますね。懐かしい。たぶん、この作品から森鴎外を、多少無理して読みましたね。年齢を重ねて、無理して読んでみるっていうのも若さの特権かと思います。

    • moboyokohamaさん
      舞姫

      いや〜、本当に酷い男だなぁって思ってしまいますよね。
      舞姫

      いや〜、本当に酷い男だなぁって思ってしまいますよね。
      2022/02/15
  • 舞姫を読みたくて。
    舞姫だけ読んだ感想です。

    舞姫、高校の現代文の教科書に載っていたなぁ。
    「これのどこが現代だ!」と、当時のわたしは思ったものですが、その感想はアラフォーになった今でも同じです。
    英文を読むときと同じで、全体を通して読んでなんとなく内容をつかむ、というのが精一杯。
    翻訳家でもない私が、英文を一文一文訳そうとするとドツボにはまるあの感覚。全体を通してストーリーをすくいとることができればOK、という低いハードルで読むべき。
    「内容を理解できるか」と、いう点では、むしろ英語で書かれたほうがわかるのでは。

    肝心の内容・感想について。
    堪え性のない私は、もう二度と読むことはないだろうと思うので、自分の備忘録として記しておく。

    日本からドイツに駐在・留学している主人公・豊太郎。
    日本にいる母からも、上司(上官)からも期待され、期待に沿うように生きようと努力してきた。
    豊太郎は、エリスという名の現地の少女と出逢う。その少女は、母と二人で暮らしており、貧しく、劇場の踊り子として働いている。
    出逢ったときのエリスの描写が、とても美しい。主人公は道端で、エリスが声を殺して泣いている姿を見るのだけど、主人公がエリスを見て美しいと惹かれたのだろうことがひしひしと伝わってくるのだ。
    主人公が思わずエリスに声をかけ、僅かな援助をし、二人の交流が始まる。
    貧困ゆえに十分な教育を受けてこなかったエリスに、書や文字を教える豊太郎。
    他方で、エリスとの愛に溺れる豊太郎自身の学び、生活は荒んでいく。
    そんななかでエリスが懐妊。
    豊太郎は、友人相沢から、エリスと別れるように勧められる。このときの相沢の言葉ば妙に詳しく描写されているのが、主人公のズルさ、言い訳に感じた。
    「他者に相談するとき、相談者の中ですでに答えは出ていて、期待通りの答えをもらいたがっている」とはよく言われているが、そういう感じなのかな、と。
    エリスの愛は失いたくない。でもこのままドイツで自堕落な貧しい生活を続ける覚悟もない。自分では決められない・・・そんな豊太郎の気持ちを汲むように、背中を押す相沢。
    宙ぶらりんなとき、相沢が豊太郎に「君のような優秀な男が、いつまで一人の少女に引き止められているのだ。もったいない。俺が上官との間を取り持ってまた復帰できるように取り持つから、さっさと彼女とは別れろよ」なんて言われたら、背中押されるというか、豊太郎には「相沢が勝手に話をすすめ、俺は流された」という言い訳もたつ(エリスからすれば、そんな言い訳はたたないんだけど、あくまでも豊太郎本人の心持ちとして罪悪感が薄れる)。
    結果的に、この物語は、「相沢のせいでエリスはおかしくなりました、相沢は良き友ですが、私は相沢に対して憎しみを持ってます」という主人公の感想(言い訳?)で終わっている。
    「最後に言いたかったこと、これかよー?!」と、びっくりしたよ。
    高校時代の教科書では、抜粋した文章が載せてあったから、どこが最後なのかまで意識していなかったからな。まさかこんな最後の一文とは。
    あくまでも、豊太郎自身は最後までなんも悪いことしていない、という認識なのね・・・。

    相沢こそ、何もおかしなことや悪いことはしていないんだけどさ。
    どうしてこういう時代の小説家さんの自伝的小説って、悪くない友を悪者にするのだろうか(人間失格とか)。
    誰かを悪者にして憎まないと耐えられない繊細な心の持ち主が、当時は小説家になっていたということだろうか。
    そう思うと、今の小説家さんたちは大人というか、フラットな人が多いなぁと思う。

    少し前に読んだ「中野のお父さん」に、「現代の価値観を当時(俳句が読まれた当時)の価値観に当てはめるのは無粋だ」ということが書いてあった。
    「舞姫」についても、令和の私の価値観を、舞姫の時代(明治時代)に当てはめるのは、とっても無粋なことだろう。
    男尊女卑の時代。日本からドイツに留学するほどの秀才男子が日本でどれだけ期待され価値があるものとされていたのか、現代では想像もつかないほどだ。
    ただ、やはりエリスはかわいそうだと私は思う。
    現代なら、「私は分不相応で、もともと私が一緒になれるような相手じゃない」みたいに思うのもしれないけど、エリスはきっと、学もなく教養もなく、生きることに必死で、恋愛については子どものように純粋な少女だったのだろうと思う。実際に16,7歳だろう。
    そのような少女に、分不相応だと自覚しろというのは無理があるだろう。

    現代的価値観の私としては、どんなことがあっても、エリスには赤ちゃんとともに力強く生きていってほしいと思う。
    そして、現代においても、10代、20代の若い女性が精神的に不安定になる原因は、男絡みであることが圧倒的に多い、ということ。
    明治時代(おそらく明治時代よりもっと前から)から変わらぬその営みが、女性として悲しくもありました。
    しかし一方で、若者にアンケートをとると「恋愛、結婚に興味がないです」と回答する割合が増えているらしい。それって、ある意味人類が進化しているのかな、と思ったりもする。

    それと、「舞姫」という題名のわりに、エリスが踊っている姿のほぼ描写はないよね。私が読み落としたのかな。
    高校生の私は、「舞姫って、劇場で踊る美しい現地の少女の姿を見て、青年が恋に落ちる話」と思っていたのだけど、それは違ったわけだ。
    実際に二人が出逢ったのは道端だし。エリスは踊ってたわけではなく門によりかかって泣いてただけだし。
    ただ、もしこの本が「舞姫」という題名じゃなかったら明治時代から現在まで読み継がれる名作にはなってないんじゃないかと思う。
    それくらい「舞姫」という言葉は、美しくて、人の興味をそそり、耽美的で心を惹きつける力がある。

  • 【舞姫】
    高3の現代文の教科書に載っていた作品。もう覚えていないような気がする…と思いながら、1年後にまた読んでみた。すると、『「幾階か持ちて行くべき。」と鑼の如く叫びし馭丁』のところで、不意に先生の声が蘇り、一人で笑ってしまった。

    私は、舞姫のテーマは、①恋愛・②孤独・③自我の芽生え・④青春の苦さだと思う。

    ①始めは豊太郎のひどさにばかり目が行ったが、実際、彼は罪を犯したわけではない。エリスとは、結婚したのではなく付き合っていただけだ。一方の申し出で別れが生じて当然の関係だし、付き合うのも行為も同棲も双方の合意とすると、豊太郎を一方的に責められない。そもそも、2人の関係性は、始めから対等なものではなかった。エリスの立場の弱さが、豊太郎への不安と依存を生んだ。カップルに文化の違い、生活レベルの違い、学の違いがあると、大変そうだ。国際結婚や婚前の同棲など、現代でも、成就が困難な部類に入る恋愛だっただろう。

    ② 現実から逃避し続け、楽しいところだけ享受し、面倒なところは人に始末させ…って、豊太郎だけいいとこどりではないかと思っていたけれど、むしろ逆かもしれない。豊太郎は、孤独だ。当時の日本人の男性には、仕事と家があっただろう。しかし、豊太郎は出世街道を絶たれ、両親も失ってしまった。加えて、他責的な考え方のために、身の回りにいる人すべてを親しく感じられていない。留学生仲間に対しても、エリスに対しても、相沢健吉に対しても、彼は自分を開けなかった。

    ③豊太郎は、優柔不断だ。私は、それは彼に「自分の意志で選択する」という概念がなかったからだと考える。明治前期のこの時代、「あなたの人生なのだから、あなたがどうしたいかは自分で考えて。」などと言ってくれる人は、誰もいなかっただろう。日本にいれば、国のため・家のために生きる価値観しか知り得なかったはずだ。ところが、ヨーロッパに行き、「自分が」下す選択が「自分の」人生を決めるという経験をする。無数の場合がありながら、自分が選んだ道・タイミングが積み重なり、一つの人生になることを知る。つまり、自分という存在、「自我」に初めて目が開けたのだ。『舞姫』は、国と家によって敷かれたレールに選択の判断を依拠してきた豊太郎が、その両方を失って初めて、「自由」の中から「自立(自分で選択)」を迫られた物語なのだと思う。ただ、豊太郎が結局エリスを捨てて官途を選んだのは、自分の意志(実際に、自分で選択)だったのか、家と国の力から逃れられなかった結果だったのか。ここは気になる。

    ④「初めて」自立を迫られたのだから、今回は上手く対処できなかった。豊太郎は初めての挫折を自覚し、苦々しく思い返しているのだろう。しかし、彼の葛藤を生んだのは、単に若気の至りという側面もあった気がする。座学にばかり励んできた豊太郎が、異国の地で初めて解き放たれ、可愛い女の子に恋をし、上手くやりくりできず、黒歴史を作った。真面目で不器用な一青年からは、若さと青さが滲み出ている。言わば、遅めの青春だ。豊太郎には、未来が残されているから、これからも前に進まねばならない。この回顧は、そのための一つの転機となったのだと思う。


    『舞姫』の素晴らしさ

    この短さ、登場人物の少なさ、簡潔さで、これだけの要素を伝えられるのはすごい。

    豊太郎として、濁った心情さえも脚色せずに、ありのままを客観的に捉えて描写する力があったからこそ成立した作品だと思った。(人のせいにしたくなるのも、人間の弱さであり自然な感情!それを美談にすり変えず、素直に表現したのが良いと思う。)

    【うたかたの記】
    「うたかた」とは、注釈によると、「水の泡。はかなく、消えやすいもののたとえ。」らしい。もちろん、マリイのことだろう。ビールの泡も、さりげなく「うたかた」を表しているなんてお洒落。

    森鴎外のお嬢さんが「茉莉さん」だから、マリイと聞いた時点で「おっ」と思ったけれど、関係があるかはわからなかった。

    森鴎外自身のドイツ滞在期間が短かったからなのかな、マリイとの関係もエリスとの関係(『舞姫』)も、はかなく描かれていた。日本人の古典的な感覚「無常感」と、ドイツの風景・文化の融合だと思う。

  • 初めて森鴎外の作品に触れた。

    舞姫。途中はがんばれ青年、と応援したのも束の間、最後はなんとも愚かな結末であり、その時代背景もあるだろうが、なぜそっちにいってしまったんだ、ともどかしい気持ちを抑えられなかった。

    阿部一族は、ああ自分は絶対阿部側の人間だな、と思った。でも、子どもらに迷惑かけたくないから名誉なき自死はしないで自分だけ苦しもうとなるかもしれない。それで病むんだろうけど。自分だけ。

    そのほか、「かのように」の葛藤も、「鶏」の滑稽さもとてもおもしろかった。こんな作品を書いているんだと正直驚いた。歴史ものはちょっとよくわからんが、森鴎外といえばドイツ、または医学、みたいなイメージを勝手に持っていたので、沢山の歴史ものがあることにそもそも驚いた。

  • 森鴎外の代表作の1つだが、これまた難読。個人的には山椒大夫・高瀬舟の方が面白い。

  • 削ぎ落とされた文体、本当に美しいと感じます。
    実は昭和25年発行、32年印刷版(旧仮名、旧字体)を実家の棚から見つけて読みました。直ぐに頭の中で変換できないせいかゆっくり読むこととなり、却ってじっくり味わうこととなりました。作家が書いた筈の文字で読む体験、貴重かもしれないと実感。

  • 図書館より。

    『舞姫』『うたかたの記』は擬古文で書かれているので、とっつきにくいのですがリズムがよいのでその分では読みやすいかな?といっても現代語訳がないのがつらいところ…『舞姫』はエリスの存在がとてもかわいらしくいじらしいです。

    現代語で書かれた作品では始めのうちはセリフのない場面での一段落が長くて苦労したのですが、慣れてきてからはあまり気にならなくなりました。殉死を描いた歴史小説『阿部一族』『堺事件』が印象に残りました。

  • 再読と初読を含めて森鴎外を読んでみた。
    率直な感想は、鴎外をどうしても漱石と比べてしまう。漱石にはユーモアやしゃれがある。小説で垣間見せるその諧謔が魅力のひとつである。一方の鴎外は自然科学者のような思考と分析で人物から事の詳細を突き詰めて書く。どこまでも真面目で、その生真面目さが作家の背骨であり本質かもしれない。

    以下、気に入った作品をいくつか。

    「舞姫」。ドイツ留学したエリート官僚の豊太郎と劇団女優エリスとの出逢いと別れ。主人公は出世のため恋人を捨てた意志薄弱な青年と言われるが、恋人と離れるよう奔走した友人を「されど我脳裏に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」と評する最後の一文に豊太郎の強烈なエゴを感じた。
    いま読むと文語体の読み下しが難しい。古語・難語が多々あって、面倒だなぁと思いつつも調べながら読まねばならなかった。けど、出世の話にふらふらし出した豊太郎の姿に、奴はエリスを裏切るな・・、と思い、終盤に、やはりな…、と下衆な根性丸出しで、古語もほったらかしで一気に読んだ。それほど惹き込まれる。


    「かのように」。神や仏は存在するのか。問い詰めれば、それは存在しない虚構かもしれない。が、あたかも存在する"かのように”振る舞う。そうすることで心の安寧が得られ、社会秩序が保たれる。人の世に虚構(物語)がなぜ必要か。なぜ在るのか問うた思想小説で当時の鴎外の懊悩を覗いたような気分で簡潔にして素晴らしかった。


    「阿部一族」。封建秩序への反抗と救済が殉死を端に発する阿部一族の悲劇を通して描かれる。それが主題かもしれないが、鴎外のその筆致にまず目が行った。
    殉死は主君への忠義を強調しそれのみで語られる。が、鴎外は逆の面も描き出す。周囲の同調圧力や世間体によって家来を死に追い込む封建制度下の殉死。そのメカニズムと力学を淡々と綴った文章は、自然科学者が事象を観察した経過報告のようである。冷徹な眼による客観的な描写は小説とはいえどこか冷たい。


    「寒山拾得」。宗教に対して、道を求める人と、無関心の人と、分からぬがゆえに盲目的に崇拝する人の三種類が世の中にいると鴎外はいう。一見、権威に対する盲目的な尊敬が孕む滑稽と愚劣を描いたお話だが、実は宗教と信仰の本質を衝いた小話ではないか。しかし、その文章はニヒリズムが滲む。

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著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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