堕落論 (新潮文庫)

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著者 : 坂口安吾
  • 新潮社 (2000年5月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101024028

堕落論 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 坂口安吾は、誤読されることが多い。つい最近も、「坂口安吾は反戦だった」「堕落論でそれは述べられている」という文章を目にして、ハテそうだったかと再読してみた。       

    本当に久しぶりに堕落論を読んでみた。学生時代以来、20年以上経つだろうか。     

    読んでいるうちに、反戦云々はどうでもよくなった。むしろ、安吾にとって「堕落」が何を指すのか。そして、「堕落した先にあるものが何か」の方が興味深く思われた。     

    「人間は可憐であり、脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」(堕落論)
                 
    そもそも「堕落」という言葉は佛教用語である。
     【堕落】仏教の語。法心を失いて、俗心に落ちる。
    とのみ『言海』に記述されている。つまり、明治の御代には「堕落」とは、宗教用語であったのだ。      
     

    印度哲学をノイローゼになるまで懸命に勉強した安吾が、この語源を知らぬはずがない。つまり、堕落とは、そもそも「聖なるもの」がなければ存在しえない行為である。ならば、安吾にとって「聖なるもの」がなんであるのか。これは今後の考察のテーマになるだろう。
             
    そしてもうひとつ気づいたこと。     
          
    安吾のいう「堕落」と浄土真宗の教義との方法論的親和性である。「聖なるものから乖離することが『堕落』であるのに、なぜ真宗の教義と親和するのか」「真宗の教義は『堕落』を勧めてはいない」と訝しく思われるかもしれないが、不思議なことに堕落論を読んでいて、そう感じたのだ。      

    浄土真宗の革命的なところは、「南無阿弥陀仏の6字を唱えれば極楽浄土に行ける」との簡易性にあるのではない。それは真宗を徒に誤解させるものだ。真宗の革命的なところは、「南無阿弥陀仏の6字に絶対的に帰依せよ」と迫ったところにある。つまり、すべてを捨てよと迫ったのだ。
       
    これが、財産を捨てよ、名誉を捨てよ、果ては命を捨てよ…といった喜捨を意味するのではないことは何となく理解できる。「何となく理解できる」というのは、残念なことに真宗門徒の身でありながら絶対的に帰依した経験をもたないからだ。おそらく……絶対的な帰依の先にあるものは、鈴木大拙が主張した「東洋的一」に行きつくのではないかと想像だけはしている。

    話を戻す。安吾の言う「堕落」と真宗の教義に方法論的に親和性があると主張したのは前述のとおりである。私の興味が向かうのは、すべてを削いでいったときに残るものは果たしてなんなのか。安吾はどのように考えていたのか。ここである。

    ここも今後のテーマになるだろう。


    いずれにせよ、20年ぶりに読んだ本書はとても貴重な体験になった。ありがたい。

  • 純文学を始め、歴史小説、推理、文芸、エッセイと多彩な領域で活動した、無頼派と呼ばれる作家の一人・坂口安吾のエッセイ。代表作ということで読了。

    日本文学や作家論、戦争理論、人間の欲まで幅広く綴っている。特に戦争に対する考え方は私にとって新しい視点のひとつで唸るものがあった。冷静な視点を持ちながらも言うべきことは強く鋭く主張する姿勢が随所に読み取れて、すごく好感が持てた。
    時間を置いて、また手に取りたい作品。

  •  日本人に必要なのは堕落である、と説く坂口安吾氏の評論文。彼はまず、日本人がどれだけ心変わりを起こしやすい人種であるかを説明し、武士道などの制度は、それを防ぐために作られたのだと話す。制度を実行してきたのはある個人や一部の組織であるけれど、その方法を探り当てたのは、日本人という集団の意志だった。造られた制度は、歴史の中で戦争をも引き起こす。考えることを止め、制度に従った人間たちが戦いに没頭する場所。彼はそこに不思議な美しさを見出した。彼はその素晴らしさを肯定しつつも、やはり人間は思考して老いていく生きものであると考える。堕落を避けることはできず、むしろそれを受け入れてこそ、日本人は救われるのだ、と結論付ける。

  •  安吾のエッセイ集、表題作『堕落論』はちくまの全集(ベスト盤みたいなの)で以前読んだことがあって面白かったんですが、何年も前のことなので再読。やはり面白い。
     新潮版のまとめ方は発表年順、時系列に沿って読めるのでかなり良いと思う。音楽でも文章でも、あるいは絵でも何でも一緒ですが、発表順に見て行くと今までわからなかった点がわかることが多いです。それでいくと最初の『今後の寺院生活に対する私考』と『FARCEに就て』だけちょっと前のものなので、作風が違うしさほど面白くない。その後から面白くなります。
     『堕落論』『続堕落論』『天皇小論』『特攻隊に捧ぐ』『戦争論』なんかは戦後の戦争エッセイで面白いんだけど、今回面白かったのは後半の歴史エッセイのところ。全然知らなかったけど、随筆・純文学・推理小説・歴史もの等、安吾は色んなジャンルの文章を書いててどれも面白いんでびっくりしました。
     また、歴史探偵ものの題材がカトリック宣教師や道鏡だったりと、自分の興味あるところなのがとてもよい。地元だったりするし。地元といえば双葉山の話!新興宗教についても最高に面白い!大本や璽光尊の話が出てきます。

     お正月にタモさんの『戦後70年 ニッポンの肖像』ってやってて、これがめちゃくちゃ面白かったんですが、ゲストで出てた半藤一利は歴史探偵・安吾の弟子なんですよね。
     あと、そこでもオウム真理教について語られてたんですが、僕の考えだと日本人らしさというのは折衷することなんです。神仏習合や七福神などなど・・・諸星大二郎の漫画でも出てきますけど。
     神仏習合を最初にしたのは宇佐神宮と言われてますが、これ双葉山の地元でもあったり。あとケベス祭っていう謎の奇祭があるんですが、ケベスってエビス(夷)のことなんじゃないかなと。
     
     話が脱線しましたが、タモさんが「日本人は前の時代のものを全否定してきた」と言ってて、これどういうことかというと明治維新で江戸時代の文化を蔑ろにした、と。
     TVでは触れられてなかったけど、宗教的にいうと徳川幕府が政治利用してた仏教から、明治になると神仏分離で国家神道の政策になってしまう。戦後になると昭和天皇は人間宣言して宗教的空白ができてしまった、日本人のアイデンティティは完全に破壊されたんじゃないか、と。
     空白ができれば新興宗教に付け込まれる隙もできるわけで、資本主義教と共産主義教の対決がまずあって、どちらも’89~90年頃に崩壊しちゃう。そして学生運動がなくなったあとのしらけ世代(新人類世代)が中学生ぐらいの時(’74年頃)はオカルトブームだったわけで、彼らが20代後半の頃が丁度’89年頃、という流れがある。
     最後のまとめでタモさんが言ってたことは、資本主義と共産主義の良い所を折衷できるのは日本人しかいない・・・というようなことだったんじゃないかなあと。まさに日本人的だと思う。

     で、安吾なんですが新戯作派とか戯作復古って江戸期の戯作の精神ってことらしいし、新興宗教が形になってきたのは明治期だし、天皇も宗教も政治利用されてきたんでどうも全部つながっているようです。
    ※他の人のレビューを読んで追記。堕落論の堕落って聖俗の俗に落ちること、シンダラカミサマヨの逆、俗人として堕ちて生きよということかなと。特攻隊にしろ天皇の人間宣言にしろ。
    新戯作派の精神としても、漢文学や和歌を正統として、聖に対する俗が戯作なので共通してます。

  • わたしと安吾を出会わせてくれた
    大学の図書館に感謝。

    表題作のみならず、すべての作品に流れる
    安吾イズムにしびれる。
    あけすけで、真正直で。好きです、安吾。

  • 戦後の倫理観について説いた評論です。少し古い本なので今の価値観と異なる部分も多くありますが、ありのままであれというのは難しいけれどそうありたいとねがいます。

    九州大学
    ニックネーム:入江良太郎

  • この本は坂口安吾が60年以上前に書いた作品であり、終戦間もない当時の世の中に衝撃的なインパクトを与えたと言われている。作品自体は古典的な古臭さは感じられず読み終えた後に何とも言い難い不思議な余韻を残す本である。この作品の主題である「生きよ堕ちよ」とは、「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」彼のいう堕落とは、社会の常識やシステム、そしてあらゆるしがらみから自由になり、本来の自分の姿を鏡に映し深く考え抜く必要があると教えている。そして、さらに言わせて貰えば、混迷の度を深めるこの国のもまた、人間同様に現在の社会システムをもう一度きちっと壊し堕ち切る必要があると言えるのではないのか。その為には私達が長年に渡り脳に染みつき固めてしまった思考回路の垢を、この切れ味鋭い刃物を使い、きれいさっぱりと削ぎ落としてみる必要があると思うのだが…

  • ・堕落論
    "堕落"という意味を取りちがえてはいけない。
    書かれたのが戦後直後で、坂口は天皇なり貞操なり理想を追い求めてばっかりの時代から、現実を直視した生活に移行しろ(=堕落)、と主張している。
    戦中は大欺瞞
    でもいくら戦後とはいえ、ここまでずけずけ書いて大丈夫だったのかとびっくりした。

    何しろ戦後直後だからモロに反動で書いてて、過激すぎるとか現代では納得しにくい個所も多々。


    ・デカダン文学論
    日本の文化は実質的な便利を下品としてきたのを、奇天烈と一蹴。
    便利に生活できるのが最高じゃないか。プラグマティズムか。

    でも、形式美っていうのもある。と私は思う。
    形式を愉しむ、それが茶道だったり祭事だったりする。
    美味しいお茶を飲めればいいってわけじゃなくて、
    どういう風に振る舞うと、お茶だけでなく心を落ち着かせて一期一会を感じて……というのが考えられた末のあの形だ。
    西洋料理のマナーが例で出てくるけど、
    あれもマナーを守って上品に食事することに場を愉しむ意義が含まれてる。
    "特別感"は美につながるものだ。


    ・青春論
    一般に、青春=失われた美しさ だという。即ち過去。
    坂口は、現実の中に奇蹟を追う(=現実の中に美を見出す) という。
    私は、生きてる実感があるその時 だと思う。

    坂口はこれを書いてる時点(たぶん40歳ぐらい)で
    いつ自分に青春があったのか分からないし70なってもそんなに変わってないんじゃないか
    と言ってる点で私とは異なる。

    面白かったのが、

    「女の人には秘密が多い。男が何の秘密も意識せずに過ごしている同じ生活の中に、
    女の人は微妙な秘密を見出している。~このような微妙な心、秘密な匂いをひとつひとつ
    意識しながら生活している女の人にとっては、一時間一時間が抱きしめたいように大切であろう。」

    あらよく分かってる(笑)
    男の方がよっぽど受動のように見える。
    まぁでもいつもこんな風なわけではなくて、
    こんな風に生きているときには生きてる実感があって青春と呼べる時期。




    ほかにもいろんな小論が入ってます。
    全体的に現代とは相容れないので★3つにしました。
    でも面白い個所はいろいろあった。

  • 僕は高校時代にこの本を読んで救われた。堕落論というと「堕落しろ」みたいに誤解をされることもあるけど、そういった本ではないので一読を。たしか当時の坂口安吾は破産して、家に机とバットとグローブしかないようなどん底状態。この本は彼自身に向けてのメッセージでもあるんだろうけれど、どんなどん底には出口はあるとこの本は教えた。本当に感謝してもしきれない。

  • もったないなくて全部は読めない!

    安吾の表現の的確さ、っていうか素敵さに惚れた!
    芸術論の当たりなんかもう、頭あがりませんわ

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単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい-誰もが無頼派と呼んで怪しまぬ安吾は、誰よりも冷徹に時代をねめつけ、誰よりも自由に歴史を嗤い、そして誰よりも言葉について文学について疑い続けた作家だった。どうしても書かねばならぬことを、ただその必要にのみ応じて書きつくすという強靱な意志の軌跡を、新たな視点と詳細な年譜によって辿る決定版評論集。

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