- Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101024226
感想・レビュー・書評
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唱和30年の、田舎に住む9歳のお転婆娘・新子の日常と成長を描いた作品。
雰囲気としては「となりのトトロ」でしょうか。はっきり言って地味な作品です。なかなかこうした小説を楽しめるという人は、特に若い人には少ないのではないでしょうか。
ただ、子どもを描いた作品にありがちな、「甘ったるさ」はありません。新子が感じている世界はひたすらに無邪気できらきらしているのだけれど、世界の「残酷さ」といったらいいのでしょうか、容赦のなさも同時に描かれており、その対比に私は悲しさを感じます。
他者にやさしく、両目をいっぱいに広げて世界を見る新子が、いずれこうした世界の中で生きていかなくてはならないのかと思うと感傷的になってしまうのですが、それは私自身がそうした世界に立ち向かう勇気が足りていないからなのでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昭和三十年の周防にて暮らす九歳の少女・新子の瑞々しい短編集。
祖父の小太郎とはとある秘密を共有し、クラスメイトのシゲルや喜伊子、妹の光子といった子供達と賑やかに過ごしているが、戦後間もない情勢や大人達の苦々しい境遇が見え隠れする。 -
2017/2/3
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戦争の匂いが消えない日本でのはなしですが、人々のたくましさがたくましく描かれた明るい作品です。それにしても、マイマイがきになります。
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昭和30年で9歳。偶然にもうちの亡くなった父と同じ歳の新子ちゃん。
同時に、私の娘も今9歳。
うちの父も、こんな風景を見ながら子ども時代を過ごしたんだろうか。どんな子どもだったんだろうと、そんな感傷を抱きながら、また、うちの娘もお友達とこんな会話してるんだろうかとか思いながら読んだ。
私とは全然育っている時代・環境が違って、でも子どもたちの関係性とか空気感というのは意外と普遍的だったりするのかもしれない、なぜか懐かしい気持ちになる作品。
私が特に好きだったのは、友達がケンカしてお互いのお父さんを罵った時、新子は父親に言われた「自分の目で見たほうがいい」という言葉を信じて、友達の父親が本当に噂通りの人なのか確かめに行く話だ。
結果的に大人に嘘をつくことになり、親にこっぴどく怒られる新子だけど、理由をうまく説明できなくて家出することになる。
この辺りの新子の気持ちが切なくて、でも親である身として私が新子の母でもついこんな風に叱ってしまうかもと反省させられたり。
最後、誰もが通る「近しい人の死」を9歳なりの感性で受け止める新子に涙が出た。 -
山口の片田舎を舞台にオテンバな主人公、新子が思い感じて考えたり悩んだり…
和製「赤毛のアン」をめざして書いたとのことですがまったくそのとおりな作品。
麦畑や川のせせらぎなど自然の描写が美しいこともモンゴメリの作品に通じます。
おとなの誰もが子供のころ感じたことのある日常が描かれています。
もちろん今のこども達にも新子の暮らしを感じてもらいたい作品です。 -
作者の高樹さんはあとがきでこの物語を書くにあたって、日本版"赤毛のアン"を目指したと語っています。なるほど主人公の新子は9歳、つむじが二つあり、その片方が額の真上にありピンと立つ厄介なクセがあり家族から"マイマイ"と呼ばれていることやおてんばで空想好きな性格など"アン"と似通っています。
そしておじいちゃんの小太郎との秘密のやり取りはアンとマシュウを連想させました。
時代は昭和30年。山口県の自然が豊かな土地柄。今ではお目にかかれない品物や暮らしが蘇ります。私たちの年代にとってはああそう言えば‥と遠い記憶を辿る回想物語のようです。
考えてみれば、子供時代には誰でも心に暖めている物語があります。その意味ではみんなマイマイ新子の世界の住人です。でも、残念なことに大抵の方は忘れてしまっています。 -
時は昭和30年、9歳の新子は、きもちがざわざわすると、額の真上のつむじ(まいまい)が立ち上がる。おてんばで空想好きな新子は毎日がきらめいていて…。
「となりのトトロ」を思い出しました。
その年代を生きていたわけではないけれど、なぜだか懐かしく感じます。 -
「すごくはまって一気に読んだ!」という本ではないけれど、一つ一つのお話が心に響くやさしいものでした。
そして、子どもの頃の言葉にはあらわせない疑問や切なさがたくさんつまっています。
寝る前に、2〜3話読むペースで読み終えました。
昭和30年、私は生まれていないどころか、その年代の日常生活を容易に想像できる程の年齢でもありませんが、それでも新子ちゃんと新子ちゃんをとりまく世界が大好きになりました。
時代は違くとも共感する部分も、「そういえば似た様なことあったな」と思う事もありました。
昭和30年代はまさに古き良き日本の姿なんでしょうね。
人間は便利になればなるほどもっと上、
さらに上を目指してしまうのを改めて感じてしまいます。