侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

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著者 : 芥川龍之介
  • 新潮社 (1968年11月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101025070

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侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 『侏儒の言葉』

    わたしは良心を持っていない。
    わたしは度たび嘘をついた。
    わたしは勿論失敗だった。

    この頃の芥川は眠りにつく床の中でぼんやりと思い返していたのかもしれない。芥川龍之介として生きてきた日々を・・・まるでフィルターがかかったような霧のなかで、どこへ向かうことも諦めたような彼の背中が浮かび上がってくるようです。

    眠りは死よりも愉快である。

    近づく最期にまだ彼自身気づいてはいなかったのかもしれないと思えました。

    『西方の人』
    聖霊というものが、よく目につきました。マリアが戓夜聖霊に感じてクリストを生み落したことから始まります。
    聖霊は必ずしも「聖なるもの」ではない。現実を超えんとし続ける革新的な浪漫精神をもったもの。
    聖霊の子どもだったクリスト。
    そこに芥川の何かこだわりを感じました。

  • 芥川龍之介。先に読んだ『歯車』の中にあった「僕はナポレオンを見つめたまま。僕自身の作品を考え出した。するとまず記憶に浮かんだのは『侏儒の言葉』の中のアフォリズムだった。(殊に『人生は地獄よりも地獄的である』という言葉だった)‥」この一文をきっかけにチョイス。

    芥川が対象(外なる世界)を内なる世界に取り込むために綴るコトバの数々は、広がりと奥行きを芥川の世界に与え、なにより身近に彼を感じさせてくれるが、同時に芥川の抱える根源的な問題を直視することになる。(咀嚼)消化吸収し同化するかのように計らわられる外界との調和は自己との交渉ともいえる。この作業が辛うじて芥川の正気を保ってた時に行われていたとすれば『侏儒の言葉』から『続西方の人』にいたる4篇はまさに「人生は地獄よりも地獄的である」というアフォリズムを本質とした作品群だったといえる。

  •  侏儒の言葉には覚えておきたい言葉も惹かれるフレーズも多くあった。生前に掲載されたものと遺稿に分かれるが、どちらを読んでも文学者としての目指すところや考え方に触れることができるように思えたし、これを読んだ後にその作者の自殺について考えるとなんとなく頷けてしまうのが正直なところ。
     芥川のイエス論である西方の人は、イエス・キリストにも聖書についても知識が乏しい私にはいまいちぴんとこなかった。聖書からの引用も多いし、説いてるのがイエス・キリストの話なので。かといって、当分は聖書を読む気もないのでこのままで放置に決定。またいつか、聖書を読めた際にでも読み直してみたい。

  • 評価が低いのはあくまでもわたしの読解力の無さが因である。
    芥川の生きた時代背景を知らないと理解しがたい。ただ芥川の意外な一面を見せてもらった気はする。ニッと笑わせてくれたりして・・・キリスト様については何せ宗教の事ですからコメントする事は何もございません。あの世は有るのか、無いのかからスタートする話ですから・・・

  • 機知に富んでいて、面白いし、深い。そして、何故か悲しい。ここまで気づいてしまう彼が。

  • 帯に書かれているように、芥川最期の狂気が溢れるような一冊だった。

  • 「侏儒の言葉」
    ここまで人や世界が見てしまうと、そりゃぁ自殺したくもなるわなぁ…という感想。

    「西方の人」
    キリスト教的な前提知識が無きに等しいこともあり、晦渋過ぎて意味が全くわからなかった。

  • 芥川龍之介は作家であり、書家であり、画家であり・・・、哲学者であり・・・、まさに天才でしたね!

  • 2015年10月3日読了。

  • 『侏儒の言葉』の「批評学」は、毎度ニヤニヤしながら読む。

  • 伊坂幸太郎「チルドレン」にある同表題の短編に登場したので、読んでみることにした。冒頭で、彼はこう言う。

       「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を伝えるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。

    言ってみれば、芸人がお題を振られて面白いことを言ってみる、それと同じだ。彼の思想を探ることも人生について考えることもせず、唯楽しむことに努めるべき一つの作品であるのだろう。 しかしそこから、私たちの思想や人生に影響を与えるのだから全くすごい。

  • 『侏儒の言葉』は日常の事柄を別の視点からみた短文を収録してある。ハッとする文章あり。
    『西方の人』は芥川のキリスト観を記述。難解ではあるが、解説が秀逸なため勉強になった。

  • 『チルドレン』(伊坂幸太郎)で引用さてれいた本。

    以下 気に入った文
    文書の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ

    道徳は便宜の異名である。 左側通行と似たものである

    敵意は寒気と選ぶ所はない。適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶対に必要である


    ………
    他にも気に入った文はあります。
    ただほとんど 意味のわからなかったものばかり。知識と経験が足りないなー。

    西方の人は 聖書を読んでから読み直したいと思います。

  • 事をなそうとする人には、逆説が有用な警句を与える
    しかし怠け者には、逆説が言い訳をもたらす
    「侏儒の言葉」は、いろんな意味で芥川的だ
    後世の批評を、ほとんどこれで先取りしてると言っても過言ではあるまい

    「西方の人」「続西方の人」
    芥川は若いころから聖書を愛読していたらしい
    しかし、キリスト教の信徒というわけではなかった
    彼が愛したのは、あくまでイエス・キリストとその物語で
    「悲しき天才」としてのキリストに、どうものめりこんでいたフシがある
    …しかし悲しき天才ということで言うならば
    たとえば、イエスに洗礼を与えたバプテズマのヨハネも悲しき天才だったし
    芥川に言わせれば、ゴルゴダにおいてイエスを罵った盗賊や
    殺戮者バラバも同じく悲しき天才だった
    キリストとは、世界変革の可能性を持って生まれ
    それゆえに世間から葬られてきた「悲しき天才」たちのことであり
    それは歴史上に何人も存在すると芥川は言う
    それら多くのキリストたちと、イエスをはっきり区別するのは
    マリアの存在であると言えるだろう
    すなわち、処女の母親である
    イエスは、マリアにとって必ずしも「愛の結晶」ではなかった
    なにせ、行為もなにもなく、いつのまにか身ごもっていた子供なのであるから
    そしてまた、自らを聖霊の子と自覚したイエスは、両親に対して冷たい態度を隠さない
    そのようなイエスの家庭環境に
    芥川が、自らの複雑な少年時代を重ね合わせたとしても、まったく不思議はあるまい
    イエスを「古代のジャアナリスト」と呼ぶに至っては、もう完全になりきっている
    しかしその夜郎自大にも見える語りは
    芥川自身の、生きてゆくむなしさを吐露しているようでもあるのだった

  • 「道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与えたる損害は完全なる良心の麻痺である」(修身:p11)

    「軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振りを喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云う必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似ているのは喇叭や軍歌に鼓舞されれば、何の為に戦うかも問わず、欣然と敵に当ることである。
    この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなった者ではない。勲章も―わたしには実際に不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」(小児:p19)

    「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」(処世術:p99)

    「わたしは金銭に冷淡だった。勿論食うだけには困らなかったから」(わたし:p120)

  • 侏儒の言葉
    伊坂幸太郎のチルドレンとモダンタイムスで引用されてたので読んだ
    或仕合せ者、或夜の感想、批評学、可能、言葉、悲劇…等々ハッとさせられながら読んだ。

  • スミスの本棚で紹介されてたから購入してみた。
    でも、私には言葉づかいが難しくてわからなかった。

  • 芥川龍之介さん、ものすごい口悪い。

    例えば、「小児」の項(言葉遣いは意訳)――
     軍人は子どもに近い。英雄らしい身振りで喜んだり、栄光を好んだりするのは特に。機械的な訓練を大事にしたり、動物的な勇気を重んじたりするのも小学校だけに見られるこの。殺戮を何とも思わないところなんかはもう子どもとしか言いようがない。特に子どもにそっくりなのは、ラッパとか軍歌とかに鼓舞されれば、なんのために戦うかも考えずに喜んで敵に挑むところ。
     だから、軍人が誇っているものだって必ず子どものおもちゃにそっくりだ。派手に飾った鎧兜なんて成人の趣味にあうものじゃない。勲章だって・・・本当に不思議だと思う。酔ってるわけでもないのに、どうして勲章なんかを付けて歩けるんだろう?

  • 「侏儒の言葉」は芥川龍之介の箴言集。短く鋭く、皮肉をきかせながら、この世の真実を突いていきます。その中で篠田桃紅さんにとって、とても大切な一節があります。それは...

    続きはこちら→
    annex ~篠田 桃紅~:スミスの本棚:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京  http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/blog/smith/2013/07/post150791.html

  • 芥川らしい諧謔も散見するが、その中に狭量と言うべきかストイックと言うべきか、自己に対する絶望感がありありと見受けられて、読み進めるのはおもしろくもありつつ少々息苦しい。

  • ビアスの悪魔の辞典より、こちらのほうがアイロニーに富んでいる気が。特に「西方の人」はキリスト教への疑問と皮肉てんこもり。多分宗教を信仰に依らず理性的に解読しようとするとこうなるのだと思う。個人的に共感するが、幸せになりにくい思考回路だとも思う。批判的精神は必ず自己にも向かうからだ。

  • 一つのワードに対する心が見える。この本を用いて友人と語り合おうことなら一週間は保つ。

  • 火星や制欲や宇宙や子供や様々な事柄について縦横無尽に語りつくし、、、、語りつくして死を決意したのかな、、と思わせた一冊でした。

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侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)の作品紹介

眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい-。鋭敏な頭脳と表現力を無尽に駆使し、世に溢れる偽善や欺瞞を嘲る。死に取り憑かれた鬼才の懐疑的な顔つきと厭世的な精神を鮮烈に伝えるアフォリズム(『侏儒の言葉』)。自らの人生を聖者キリストに重ね、感情を移入して自己の悲しさ、あるいは苦痛を訴える(『西方の人』)。自殺の直前に執筆された芥川文学の総決算。

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