侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101025070

作品紹介・あらすじ

眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい-。鋭敏な頭脳と表現力を無尽に駆使し、世に溢れる偽善や欺瞞を嘲る。死に取り憑かれた鬼才の懐疑的な顔つきと厭世的な精神を鮮烈に伝えるアフォリズム(『侏儒の言葉』)。自らの人生を聖者キリストに重ね、感情を移入して自己の悲しさ、あるいは苦痛を訴える(『西方の人』)。自殺の直前に執筆された芥川文学の総決算。

感想・レビュー・書評

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  • 「唯ぼんやりした不安」に至るまで。

  • 『侏儒の言葉』

    わたしは良心を持っていない。
    わたしは度たび嘘をついた。
    わたしは勿論失敗だった。

    この頃の芥川は眠りにつく床の中でぼんやりと思い返していたのかもしれない。芥川龍之介として生きてきた日々を・・・まるでフィルターがかかったような霧のなかで、どこへ向かうことも諦めたような彼の背中が浮かび上がってくるようです。

    眠りは死よりも愉快である。

    近づく最期にまだ彼自身気づいてはいなかったのかもしれないと思えました。

    『西方の人』
    聖霊というものが、よく目につきました。マリアが戓夜聖霊に感じてクリストを生み落したことから始まります。
    聖霊は必ずしも「聖なるもの」ではない。現実を超えんとし続ける革新的な浪漫精神をもったもの。
    聖霊の子どもだったクリスト。
    そこに芥川の何かこだわりを感じました。

  • (「星」より)
    『死は何処へ行っても常に生を孕んでいる。』

    (「小児」より)
    『軍人は小児に近いものである。』『殊に小児と似ているのは喇叭や軍歌に鼓舞されれば、何の為に戦うかも問わず、欣然と的に当ることである。』

  • 『侏儒の言葉』と『西方の人』ともに短かい文言で芥川が批評していく作品である。
    両作品で芥川が指摘しているポイントは円環性とそれへの矛盾である。また理性に基づかない自然なものを強調している点もある。『侏儒の言葉』において、第一の点では、あることを行っている人が自分にそれが還ってくる(円環性)そしてそれに気づかない(矛盾)を鋭い文言で指摘する。例えば、よく批評する人は自分が批評されることを恐れる。また神は絶対で死ぬことはないが、芥川は神が自殺できないことを哀れんでいる。第二の点では最終的に判断するものは個人の好悪であり理性ではないと述べられる。
    上記の二点は『西方の人』にも受け継がれ、キリストが他人を理解することはできたが自分を理解することができなかった(円環性)が主張される。しかし、キリストはジャーナリストとなり人々の自然な心に訴えかけることができた。預言者という立場を確立したのである。
    人生を喩えている文章が面白い。人生はマッチ箱のようなもの。大切に扱う必要がないと感じる一方、大切に扱う必要もある。また人生は落丁の多い本のようなものである。一部分ではなしていないし間違いも多い。しかし全体をなしている。

  • ★3.5
    "人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である。"
    "弱者とは友人を恐れぬ代わりに、敵を恐れるものである。この故に又至る処に架空の敵ばかり発見するものである。"

  • めっちゃ好き
    皮肉ってるけどユーモアで自分のツボだった。

    人生 瑣事 可能 二宮尊徳 が記憶してる限り、好きだったなぁ。

    定期的に読むことで、グッとくる部分がまた発見できそうや

  • 30数年ぶりに読んだ。
    僕は芥川龍之介の経験することのなかった年齢を生きているわけだが、それでもはっとするような言葉がいくつもある。若い頃こうした作品に心奪われたのも、よく分かる気がする。

  • 芥川龍之介。先に読んだ『歯車』の中にあった「僕はナポレオンを見つめたまま。僕自身の作品を考え出した。するとまず記憶に浮かんだのは『侏儒の言葉』の中のアフォリズムだった。(殊に『人生は地獄よりも地獄的である』という言葉だった)‥」この一文をきっかけにチョイス。

    芥川が対象(外なる世界)を内なる世界に取り込むために綴るコトバの数々は、広がりと奥行きを芥川の世界に与え、なにより身近に彼を感じさせてくれるが、同時に芥川の抱える根源的な問題を直視することになる。(咀嚼)消化吸収し同化するかのように計らわられる外界との調和は自己との交渉ともいえる。この作業が辛うじて芥川の正気を保ってた時に行われていたとすれば『侏儒の言葉』から『続西方の人』にいたる4篇はまさに「人生は地獄よりも地獄的である」というアフォリズムを本質とした作品群だったといえる。

  • 青年期には一度はアフォリズムにかぶれるべきだ。皮肉や諧謔、矛盾と撞着、ウィットやユーモアを学ぶ機会を大人は与えてくれないからだ。それなのに、大学入試ではそれらを解するかどうかを試してくる。

    2006年 京都大学の評論「『曖昧さ』の芸術」(茂木健一郎)で、科学的でない言葉を批判する意味で「そんなものは『お話』であって、意味がない」の「お話」はどういうことか、という設問があるが、これなどは「お話」の「お」に込められた揶揄のニュアンスがわかるかどうかがポイントなのだから、気づけなければ厳しい。難関大に合格できるかどうかは、実はこんな能力の有無が大きく関係する。皮肉を解する力は、読解力としては高度なのだ。

    アフォリズムとは、「物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句」の意味で、「警句」「箴言」もほぼ同じ。この本からまずは穏便なものを紹介する。「人生――人生は一箱のマッチ箱に似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である」。もう少し毒のあるものを。「天才 ―― 天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である」。「醜聞」とはスキャンダルのこと。若い歌舞伎役者たちもまたこの例か。

    この本は、箴言集としては、まず読んでおきたい一冊。芥川の知性の鋭さとその底に見える人間愛に感化されてほしい。この他にも、有名な『悪魔の辞典』(ビアス)が、毒が効いていておすすめ。(K)
    紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2010年12月掲載

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著者プロフィール

1892年(明治25)3月1日東京生れ。日本の小説家。東京帝大大学中から創作を始める。作品の多くは短編小説である。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材を取ったものが多い。また、『蜘蛛の糸』『杜子春』など児童向け作品も書いている。1927年(昭和2)7月24日没。

「2021年 『芥川龍之介大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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