和解 (新潮文庫)

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著者 : 志賀直哉
  • 新潮社 (1949年12月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101030012

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和解 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 父子の確執と和解をテーマとした短編?私小説。
    男は父親と対峙・葛藤してこそ一人前なので(カッコいい!笑)、少し期待をこめて読んだのですが、葛藤と和解にいたる心境について、私小説ならではの肝心の内面の部分の深みが足りない気がして(むしろイジイジしているきらいすらある)、短編(中編?)ということもあり、少し物足りませんでした。また、代名詞の多用と、短フレーズの文体、場面描写の唐突感なども状況をわかりづらいものにした一因だったような気もします。
    ですが、本書の構成は、諍い→長女の死→次女の誕生→和解と、見事な三角形になっており、盛り上げから着地にいたるまでの描写がきれいですね。特に、長女の死と次女の誕生の場面は生々しく、本物語の両柱として主人公の心情の変化をリアルに転換させているところは面白かったです。それに、祖母、義母、妻、妹たちといった周囲の女性陣も、父子の諍いに一喜一憂し、和解に向けてやきもきする立場がとても良い。

  • 志賀直哉。どうせなら志賀直哉についてちょっと勉強しよう。

    「和解」が書かれたのは、1917年。大正6年。
    高田瑞穂『現代小説』(学燈社、1963年)
    志賀直哉は白樺派で、白樺派とは、愛と人道を唱え、自然を絶対に肯定し確信しようとするいわゆる自我主義の立場に立つもの。

    三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫、2000年。)
    自然主義の分岐点から、二つのタイプの私小説が生まれた。一つ目は達観型、つまり、自然の深さを認識できるくらいの教養をもっている書き手が、その認識を誇示するタイプ。もう一つは、ひたすら自虐的なもの。達観型の私小説は、志賀直哉で頂点に達する。(むしろ、志賀直哉しかいない)
    20世紀の文学とは、19世紀に確立された近代小説の三点セットから、いかに脱出するかという試みの連続であったが、その一つの試みが、志賀直哉の、私小説。

    志賀直哉は、ロマンチックな要素を徹底的にそぎ落としていく。これはまったく新しい試みであり、非常に実験小説的であった。志賀直哉の作品には、小説なのかエッセイなのかよくわからない、ジャンルをクロスオーバーさせるような作品があり、これが新しかった。ふつうの小説ではなく、エッセイでもない、ただの断片のようなもの、そういった、スタイルそのものの破壊につながるような方向に、あたらしい文学の可能性がある。


    志賀直哉のスタイルは、当時としては圧倒的に新鮮だったので、ブームとなった。が、センスの必要なことだったので、誰も真似ができなかった。


    ーーーーーーーーーーーー

    さて、「和解」。以下、文庫のあらすじ。
    主人公順吉は父の京都来遊に面会を拒絶し、長女の誕生とその死をめぐって父の処置を憎んだ。しかし、次女に祖母の名をかりて命名したころから、父への気持も少しずつほぐれ、祖母や義母の不断の好意も身にしみ、ついに父と快い和解をとげた……。
    肉親関係からくる免れがたい複雑な感情の葛藤に、人間性に徹する洞察力をもって対処し、簡勁端的な手法によって描写した傑作中編。

    とか、Wikipediaは、
    父と不和になっていた作者を「順吉」に置き換えて、次第に和解していく経過をたどる私小説。確執に至った経緯や原因は書かれていないが、同様の内容を含んだ作品に、『大津順吉』『或る男、其姉の死』がある。
    この作品を発表した年の8月に、父との和解が成立している。

    と書いてある。

    ーーーーーーーーーーーー

    自分としては、表現がすごく綺麗だなと思った。特に死を思わせるところ。よかったところを引用します。
    ・泣きようが著しく変になった。「あっは。あっは。」と云う風な泣方だった。
    ・筋肉が総て緩んでいた。死んだ兎を抱いて行くような感じがした。
    ・カンフルは胸に射した。仕舞には小さい胸に射す場所がなくなった程一杯に絆創膏が貼られて了った。
    ・そしてそうしている内に赤児はもう息をしなくなった。赤児の口と鼻から黒いどろどろの液体が湧き出すように流れ出した。それが青白くなった両の頬を幅広く項の方へ流れ落ちた。
    ・自分の赤児が出来るまでは赤児はどれもこれも同じに見えていたが、妹の児を見ると自分の死んだ赤児とは全く異なっていた。
    ・祖母は前からの姿勢で下を向いたまま、煙管の吸口を銜えて黙っていた。祖母の唇は震えていた。
    自分はその時、赤児の死で祖母に不愉快を感じた自分を恥じた。
    ・自分は祖母の事が気にかかった。自分は今まで祖母の顎の外れた事は知らなかった。顎の外れる事、それは別に心配な事はない筈だと思った。然し祖母の肉体もいよいよ毀れ物らしくなったという気が何となく淋しい気をさした。
    ・勝気で潔癖でそういう事には殊に締のいい祖母はかなり悪い病気の時でも室内で用便する事を厭がった。
    ・母は女中に湯を持って来さして身体の下の方を叮嚀に浄めた。
    ・一番困... 続きを読む

  • まさに「和解」。それっきゃない。

    読んだと思っていたら読んでいなくて、最後までするっと行きました。

    身内との仲違い。
    友人でもなく、同僚でもなく、身近にいる人だからこそ「和解」の機会は幾らでもあるはずなのに、それが出来ない。かといって、無視や放置もできない。

    ずっと胸で燻り続ける父と息子。
    ある意味では身近にある「モヤモヤ」をこんなに情的に、細かに、言語化できることに脱帽した。

  • 志賀直哉は人間だった…。
    とても繊細な人だった。神経質ともいう。
    山手線に引かれたこと結構トラウマになってた。

    慧ちゃんのシーンは他の人の書いた文だったら途中で集中力が続かなくなって飽きていたかもしれないけれど志賀直哉の細かい描写とリアルで実況されているみたいで引き込まれたままだった。

  •  今のところ、志賀直哉の作品はこれが一番好き。

  • 2017/2/28
    主人公の順吉とその父との不仲が解消されていく過程を描いた話。タイトルが「和解」となっているから結末は見えているのだけれど、そこに至るまでの過程がすごく人間味があるというか、感情がありのままに表現されているというか、そんな感じを受けた。もともと順吉と父が家庭内のちょっとしたいざこざから不仲になってしまい、さらには生まれてきた赤子の死をきっかけにその亀裂が決定的なものになってしまう。不仲を解消するまでの順吉の気持ちの葛藤やそれに関係して描かれる周囲の人々の様子など、とてもリアルであり、当時の人々はこういう風に生活していたんだろうかという想像がとても容易にできるし、その情景が浮かんでくる。赤子が死んでしまうところの緊迫した様子、また、るめこが誕生する時の緊迫した様子、生まれるまでの様子はまさにリアリティがあった。すごく不仲な時間が長かった割には、和解した後の展開は以外とあっさりしているような気もする。最後の安岡章太郎の解説にもあったが、このリアルさは、やはり志賀直哉自身の経験から描かれたものだそうで、城の崎にてや、他の作品の中身にも関係しているという。志賀直哉自身は、結婚や、足尾鉱毒事件の様子を視察することを父に反対されたことがきっかけで不仲になったとあったが、その経験に乗せてこうした小説を生み出せるのは凄いとしか言いようがない。主人公の順吉も、自分が小説を書くためにはそのネタとして父とは不仲な方が都合がいいみたいな描写もあったが、それも彼の体験や経験から来てるものだろう。

  • 順吉くんは父親との関係がぎくしやくしてゐます。はつきり言へば不仲であります。かつて足尾銅山の鉱毒事件を調べやうと行動を起こした順吉くん。しかし父親は、今ふうに言へば財界人。足尾銅山の経営者とも浅からぬ関係があり、そんな問題をほじくる息子を立場上許すことが出来ませんでした。まあそれが元で父子の間に溝が出来たやうです。尤もこれは順吉くん側の言ひ分ですが。

    そんな状態ですので、順吉くんは父のゐる麻布の実家から出て、我孫子に妻と赤子とともに生活してゐます。順吉くんは祖母に顔を見せる為に、父のゐぬ間にこつそりと麻布の家に行つたりする。この行為が、更に父の態度を硬化させてゐます。周囲は、二人の反目を悲しく思ひ、何とか和解をして欲しいと願つてゐます。しかし順吉くんは、その解決のために、赤子を利用せんと考へる周囲の空気に反駁するのです。その心持は分かりますね。
    しかし、この赤子の運命は......

    表題が『和解』なので、読者はきつと、最後には和解するのだらうなと予想するでせう。その通りなのですが、和解が成る瞬間といふのは、案外呆気ない。読者は「さあもうすぐ感動の和解シーンだな。もうこちらは泣く準備が出来てゐるぜ、カモーン」と待ち構へてゐるでせうが......あ、あんまり余計な事は言はぬやうにしませう。

    志賀直哉氏の文章と言へば、過剰な装飾がなく贅肉が削ぎ落されて、含蓄を含んだストイックなものといふイメエヂでせうか。谷崎読本でも褒めてゐましたね。
    本作でもスィンプルな文章が並んでゐます。お陰で文末が「~た」「~た」「~た」の連続で、単調な印象を受けます。得意の「不快だつた」も健在。食べ物に例へるなら、「特に美味しいものではないが、一度食べると病みつきになる」類ひのものでせうか。何しろ、「小説の神様」ですから、神様がツマラヌ物を書く筈がない......と書いて、我ながら毒が含まれてゐるなと反省。

    ところで、本作でも出てきますが、赤子をあやす時に「おお誰が誰が」などと申します。わたくしの周囲でも、年配女性が昔よく発してゐました。どういふ意味なのでせうか。誰がお前を泣かせたといふ意味ですかね。「おお誰が誰が」

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-683.html

  • 文書は短く読みやすい。
    父親との対立を描いたお話。第一子での死産の父親の対処の仕方が原因でこじれる。が、第二子が生まれてからは少しずつ関係が良くなっていく。

  • 志賀直哉はなんというか気分に忠実な人だったらしい
    短編は上手いと思うんだけど
    それが私小説になると、実にとっちらかった印象に変わる
    この「和解」をして、私小説の完成と見る意見もあるようだが
    たしかにこの主観に忠実な書き方は
    自然主義(自然科学主義)とは一線を画するものである

    「和解」のタイトル通り、これは作者が父親との長い不和を経て
    和解に至るまでを書いた私小説作品である
    生まれたばかりの子供を死なせてしまう描写が戦慄的なのは
    その前段階において
    首がすわらない赤子に良くないから列車にのせてはいけないという
    医者の忠告があったにもかかわらず
    祖母に請われるまま
    わが子を実家に連れて帰らせたという描写があるからだ
    そうしたのは、孫の存在を父と子の関係修復に利用する意図が見えて
    むかついたからであるのにほかならないだろう
    しかも恐ろしいことに、その後和解に至るまでの心の流れが
    いまいちはっきりしない
    芥川龍之介なら、「羅生門」に書いた下人の
    善悪にゆれ動く精神性を超越した何かをそこに感じて
    恐れ、また憧れもするだろうが

    現実とロマンを混同するあまり、曇りがちな心の目が
    わが子の死と、第二子の誕生を経て
    開いたのだと見ることもできるだろうか?
    そうであるにしても、問題の多い作品だと僕は思った

  • その名の通り、父との和解を書いた小品。多くの人が経験するだろう親との衝突、そして、些細なきっかけなはずなのに長引きこじれ修復が難しい状況。意地と意地のぶつかり合いといえばそれまでだが、意地をはっている当人には如何ともしがたい。
    それが調和の方向に再び解けていく時も、はじまりと同じように些細なところからだ。
    そういったことが、美しく描かれている。

  • 父と子の確執と和解を描いた内容だが、これがよく分からない。
    中編ほどの長さで、読みやすい文体と構成であっという間に読めるのだが、著者自身がモデルの主人公がなぜ父と不和なのか、その理由が(小説を読む限り)まず分からない。
    しかし、なにが確執の原因か分からないまま物語は進み、終盤にとにかく息子は父親に謝る。父と子の間で和解に至ったことを知った母親や祖母は涙を流しながら「おめでとう」と子の手を握って喜ぶ。

    いい話だなあー、と一瞬読んでいるこちらも思う。
    が、そもそもなぜ父と子は喧嘩していたのか。その経緯と理由が全く不明なまま話は進む。当然、不和の理由が分からないゆえに和解に至った根拠も分からない。
    つまり徹頭徹尾、父子間のゴタゴタは主人公の気分の問題じゃないのか、と思いたくなるし、おそらくそういうことなんだろう。それが志賀直哉らしいというか、なんというか・・・。

    では、小説としてつまらないのかというと、そうではなく、面白く読んだ。親族間の確執や不和の根本は感情のもつれや気分の問題である場合が多い。気分の問題なので、非論理的で合理的な根拠や理由があるわけでなく、ないがゆえに、些細なことで喧嘩になったり、あるいは宥和に至ったりする。
    私も父親と仲が悪いので、志賀直哉が描いたこの小説を身につまされる思いで読んだ。

  • 心持がころころ変わりゆく様をそのまま正直に書く、志賀の文体に内容が非常にコミットしており、主題である和解に帰結するその完成度が素晴らしい。

  • この小説は。志賀直哉の有名な作品の一つ「田園の憂鬱」の文庫版です。

  • 父からのメールをきっかけに、久しぶりに志賀直哉を読んだ
    うん、この時代って、こんな風だったよなぁって
    なんだか、懐かしい

  • 「私」の気分で話が進んでいく志賀直哉らしい作品でした。語り方が一方的で読者が置いていかれる部分が多いですね。

  • 文章において、この人の作品は、よい文がおおいのでお手本にされることが多いと聞く。久々にこれまで手にしなかった作品をということで、この本を手に取ったが、いかんせん、自分の感覚とはちょっとずれており、あまり共感できなかった。
    読み手の感受性が劣化しているのかもしれないなぁ。。。。
    現行の表紙は、熊谷守一です。最高です。

  • この話に関わらず、文章のきれいさに圧倒される。自分もこういうわかりやすく、伝わりやすく、きれいな文章を書いてみたい。

  • 和解したシーンがすごく好き(M.M)

  • 主人公があまりに自分勝手に妻に当たる。父親との不和は事情があるのだろうが、そこに妻も巻き込んでおいて、すまないの気持ちは全くない。昔の男はこれで許されてたのかと思うと驚く。

  • 家族の形態や関係は千差万別であり、一概に良し悪しを語る事はできないが、総じて厄介であるのだろうと思う。本作は題名から「父子に葛藤があり、和解するのだろう」という想像はつくのだが、葛藤の原因が何なのかが全くわからない(これは読後に解説でやっとわかるのだが、それもどうなんだろうという感じ)ので、読みながら「?」が離れない。反目しているのだから父子関係の描写が少なくなるのは仕方ないとしても、そこは回想シーン等々で浮き上がらせるべきではないか?あまりにも心情描写が足りない。
    結局は自分の子供が死んだり、新たに生まれたり、祖母の死期が迫ったりと縦関係にいろいろと変化がある中、自分の父子関係もなんとかしようという気になったという事なのだろうが、一般的には家族関係の和解というのはレアケースで、珍しいパターンだとは言える。が、それにしても相変わらずの日記風などうでもいい日常のダラダラをした文章が、このような中篇になると冗長さを増してきて、現代人が読むにはかなり退屈すると思われる。今は家族をテーマにした短編(ブログ)がネット上に溢れているし、本作よりも面白いのもたくさんあるし。

  • 読んでいてあまりにも描写が生々しく、途中読むのをやめそうになってしまった。(特に赤子が死ぬ辺り)
    父親と和解をする期間があまりにも短くて唐突。あれだけ不愉快だと思っていた主人公はどうして父親と和解しようと思ったのか。
    中編小説なのに謎が多過ぎる。

  • 積年の親子の対立と、子の誕生を契機とした氷解。その背景や年譜を巻末の解説で読むとより理解が深まった。

  • 志賀直哉は旅行中に尾道で滞在していたところを見に行って、薄いのから読んでみました(笑)。
    作品に通じるのは、父との和解の話です。その周囲でさまざまなことが起こっていますが、比較的たんたんと書かれているように感じました。難しい部分もかなりあったのですが、もっと人の心を分かるようにならないとなぁと。そしたらもっと分かって読めるのかもしれないです。

  • その当時のものの考え方、家族(父と息子)といったものが伝わってきます。対立が解消される話は読んでいてもほっとしますね。背筋が伸びる文体。

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