和解 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101030012

感想・レビュー・書評

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  • 読んだ。と、思う。全然おぼえてない。名作なんて、そんなもの?笑。

  •  父との不和の解消を描いた作品で、小説の神様と呼ばれる著者の作品であるから読んでみた。

     はっきり云って面白くなかった。父との和解に至る心境の変化などが細かく描かれているのかと思ったが、そうではなかったのがとても残念であった。父と憎み合うようになってから、父と和解しようと思った動機やきっかけは漠然としたものしか描かれておらず、時間が解決したという感じがした。また、小説の神様と呼ばれるだけあって、作文のお手本にしたいような、スタンダードな筆致ではあるが、逆に個性がなさ過ぎて面白くないと思った。やはり、小説の文章にはある程度の個性が必要で、毒を感じるほどの強烈な個性があった方がよいと改めて感じた。太宰治が、半ば八つ当たり的であるが、志賀直哉の作品の批評で「加不足ない表現」などと云われているのを、表現に多すぎることも少なすぎると云うことも本来は無いのだと云うことを述べているのを何かで見たが、その通りだと思った。

     志賀直哉は日本文学の中でも代表的な人物なので読んでみたが、今回の作品を読んで、ほかの作品も読もうと云う気にはなれなかった。ただ、以前読んだ『城の崎にて』は良かった。

  • 8/9

  • 「和解」は果たして可能なのだろうか。



    丸谷才一にもろに影響されて、無性に志賀直哉が読みたくなった。
    代表作は言わずもがな「暗夜行路」。
    今思えばこんな勢い滅多にないのだからそう行けばよかったのに、2冊だという部分が引っかかった。
    意気地なしだな。
    それで選んだのがこの一冊。



    この本を読んで志賀直哉の文体というものをようやくとらえられたと思う。
    仕掛けや大げさな表現をすべて排し、あるがままの出来事を簡素に記述する。
    『ざ・簡素』、 そうね。
    前に読んだ「小僧の神様」等では意識の問題もあるとおもうが、それをなんとなしにしかとらえられなかった。
    今回は題材が故か、それとも書き方がそうであるのか、はっきりとした理由はわからないが描写での動作による運びが特にその印象を深めたのだろうと思う。
    さきほど簡素と表現したが、それは下手をすれば”味気ない”に陥りかねない。
    それを志賀直哉は絶妙なところで簡素に美をつけてくる。
    絶妙なのだ。
    この人の文章は小説家にとってひとつの理想である、とも表される。
    物語の中で言えば第一子の最期に関する記述などは無駄なく丁寧に、そして何よりも克明だ。こういう風な出来事を伝えることにかけてはやはり志賀直哉はすばらしい。
    とはいえ、不思議なモノで文章に無駄はないのにその克明さ故か表現では随所に省いてもいいのではと、私のような素人には思えてしまうところがある。
    だがそれもきわどいところにある。時にこの文いらなかっただろう、という頭につく部分が現れても、その後にはあぁなんて的確な、と思えるような驚きが用意されていたりする。要するに混在しているのだ。
    特に私が感じた部分、引用しよう。


    【笛がなると、皆は「さよなら」と云った。自分は帽子に手をかけて此方をみている父の眼を見ながらお辞儀をした。父は、
    「ああ」と云ってすこし首を下げたが、それだけでは自分は何だか足りなかった。自分は顰め面とも泣き面ともつかぬ妙な表情をしながら尚父の眼を観た。すると突然父の眼には或る表情が現われた。それが自分の求めているものだった。意識せずに求めていたものだった。自分は心と心の触れ合う快感と亢奮とで益々顰め面とも泣き面ともつかぬ顔をした。】


    やはり絶妙なのだ。いやこの表現の場合は単純にうまい。
    深読みすれば簡素なだけに狙いがあるのかもと掘り返す余地はあるが、ここに関しては私の読みの甘さなのだろう、とかたづけるのみにしておこう。単に丸谷才一発で読みたくなった後遺症としての揚げ足取りの可能性が高いからだ。そして一方で文体がなんぞやと言いながらも物語を追うということに私が終始していたからかもしれないから。それも絶対的に無駄がない文章の持ち主だという完全なビジョンをもってだか質はさらに悪い。



    と、くどくど書いたが、文章の表現云々は別としてはっきり言うが、この小説はおもしろくはない。
    ”父と息子の和解”が題材である。
    知人のブログにアップされていたのならば、よかったな、言えるが小説として読んでも何だったんだろうと言う思いが残ってしまうだけなのだ。
    これはあくまで志賀直哉が己の感情を昇華させるためのものなのではないだろうか。
    こんなこと言い始めたら太宰はどうなる。いや、己の断片を小説家っていうのは小説の中に盛り込むのは普通のこと、当然のことなのだが、こんな風に素朴に置かれるとそれが特に目につく。果たしてこれが私小説の形式をとっているからかという理由もたたないわけではないが、それにしては内容だけきってみてみれば平坦な他人の日記でも見てしまったかのような気分になる。そして日記にはおもしろみなんてものはなかなかない。そりゃ、人に見せるための文章ではないからだ。だから至極退屈なのだ。
    しかし共感を生むには生活も世相もあまりちりばめずこんな独白を連ねるのが適当なのかもしれない。排除してしまった方がわかりは易い。現実味はあえて捨てたということか。
    かもしれない、そうとも思う、だが、いや、難癖は見苦しいな。
    おそらくこれは『趣味の問題』という言葉に帰着する。
    趣向に理由はない。うまいと思ったらそれがその人の好みと言うことになるのだ。小説も然り、丸谷才一の言うとおり、名文とは感じたそれが名文となるのだ。
    要するに私とは合わない、好みではないのだからおもしろくないとなってしまうのだ。もちろん好きな人もいるだろうな、という言葉がたつときもあるが、それも結局は包み隠したに過ぎない。
    長々と書いてついた結論がこれなんて、我ながら情けない。



    いやはや、これまたどうしたことかな。
    別に築く必要のない溝ができてきてしまったようにここまで書いて気がつく。
    これを取り除く和解の材料はあとひとつくらいだろう。
    「暗夜行路」でしょうね。
    結局のところ学ぶことは読んでいて多くある小説だった。ときれいに結んだふりをしておく。
    はてさて。

  • ボンボンのダメ男が家出したり戻ってきたりするだけの話。

  • 作品そのものよりも、先生の読みが面白かったという印象が強い。あの頃は毎週先生の授業楽しみにしてたなぁ。
    今いるゼミに移籍するきっかけとなった一冊。

  • 09.9.23

  • 長さといい、内容といい、『暗夜行路』より良くできた小説だと思う。
    父との和解の場面は、その光景が眼前にありありと浮かぶようだった。
    あれだけの少ない描写とわずかな会話で、それができるのだから、凄い筆力だと思う。
    和解から最後に至る場面はただただ美しく、泣ける。

  • 父親との関係を見直すきっかけになった
    ある意味、この本で人生変わりました

  • 表紙が好きじゃない…。要は金持ちのぼんぼんのわがままだとおもう。

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著者プロフィール

志賀直哉

一八八三(明治一六)- 一九七一(昭和四六)年。学習院高等科卒業、東京帝国大学国文科中退。白樺派を代表する作家。「小説の神様」と称され多くの作家に影響を与えた。四九(昭和二四)年、文化勲章受章。主な作品に『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』ほか。

「2021年 『日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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