山椒魚 (新潮文庫)

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著者 : 井伏鱒二
  • 新潮社 (1948年1月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101034027

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山椒魚 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 物語に余白があって、
    その余白のことを想像してみることが楽しくなったのは
    本当に最近のことです。
    それまでは、はっきりくっきりしないのが
    もどかしくてむずがゆかった。
    私の大好きな山椒魚という小説にも
    読む人で色々な捉え方ができる小説です。

    あの時こうしていれば、こっちの道を選んでいれば。
    穴倉になんか入らなければ。
    人は出来なかったことを嘆いて生きていくけど、
    それだけでは息さえできない。
    カエルがどんな気持ちで
    「今でも別におまえのことはおこってはいないんだ」
    と言ったのか、もっともっと
    この人生で考えて考えて
    答えをだしていきたいと思います。

    「掛持ち」もこの短編集の中で好きな一つです。
    人には同時に一面だけでなく
    二面三面と色々な顔をもつ生き物。
    高校の友達と大学の時に知り合った友達とを
    引きあわせて一緒に遊んだ時に感じた
    居心地の悪い感じを思いだしました。
    「大学ではそんな感じのキャラなんだ?」的な視線を感じて
    あぁ恥ずかしいと思っていたあの時の気持ち。

    私は今までその人の性格がその人の人生や役割をつくっていくと思っていたけど、
    それは逆で人は与えられた役割の中に順応して性格や
    人生が形成されるのかもしれない。
    囚人と刑務官が実験で役割交代をしたら
    その人たちの性格が反転してしまったように。
    性格を人は重視して一番大事な判断材料のように扱うけれど、
    もしかして、本当はそんなに自分たちが思っているほどには
    大した物ではないのかもしれない。
    そう思えると、私には最後に主人公がふっと肩の力がぬけた理由が見えてきた気がします。

  • 「誰も言ってはならぬ。」

    岩屋の棲家に暮して2年。気がつけば身体は岩屋の入口より大きくなり、外へ出ることはかなわなくなっていた山椒魚の悲哀を描く「山椒魚」。「朽助のいる谷間」「岬の風景」「へんろう宿」「掛持ち」「シグレ島叙景」「言葉について」「寒山拾得」「夜ふけと梅の花」「女人来訪」「屋根の上のサワン」「大空の鷲」12編の短編を収録。

    本には興味が無いという同僚ですら「からだが大きくなっちゃって出られなくなる話でしょ?」という井伏鱒二の「山椒魚」。

    この話、よほどインパクトがあるのか、あるいは教科書にのってでもいたのだったか。とりもなおさず日本一有名な山椒魚くんである。

    岩屋から出られなくなっていることに2年も気づかないないうっかり者である上、出られないとわかっていながら、岩屋の入口に何度もヅツキを食らわせて、その度に全身コルク栓と化して、小蝦の失笑を買ったりしている。

    死ぬまでそこからでられないという、これが例えば人間の話ならば、笑ってなどはいられないだろうが、悲劇の主人公を山椒魚にすることでこの話はある種のユーモアを伴ったペーソスを以って読者に迫ってくる。

    何しろ発表された当初のこの作品のタイトルは「幽閉」だったというのだから。タイトルを「山椒魚」とし、言い方を変えれば、これが山椒魚の身の上におきたことになっていることで救われるというか。山椒魚くん、ごめんよ。

    岩屋の中に閉じ込められて一生を終わるつらさは山椒魚にしかわからない。だからこの話にはなんびとも共感したなどと言ってはならない。

    言うことを許されるものがあるとするならば、それは理不尽にも山椒魚によって同じ岩屋に閉じ込められ、格闘の末に同じように一生ここから出られぬと観念し、山椒魚に対して「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」という境地に至った蛙のみである。

  • 週刊モーニングに掲載されていた漫画「草子ブックガイド」に山椒魚の話が取り上げられていた。山椒魚には3つのバージョン違いがあるのだそうである。山椒魚。昔、教科書に載ってたな。しかし、井伏鱒二については山椒魚しか知らない。
    そういえば、昔、東京都下は中央線近くに住み始めたとき、父が荻窪には井伏鱒二が居たんだよと云っていた。まあ、その程度の知識しかない。

    久しぶりの山椒魚。少年の頃は和解の物語と読んだが、今読むと蛙が死を前にしていることを昔より意識せざるを得ない。

    その他の短編。遅れてきた高等遊民のよう。女性から不良だと云われるし、好色さを見抜かれている。
    変な処の旅先の話が多い。つまり放浪の人なのか。幼さを残している少女が土地柄か、ぶっきらぼうな口をきく。彼女にいやがらせをする少年と主人公の会話が最後のシーン。つげ義春の「もっきりやの少女」とか「紅い花」を想い出す。つげ義春も中央線の人だったかな。

    「屋根の上のサワン」愛情と束縛。山椒魚に通じるような物語。
    「女人来訪」など、嘘だとは言わないが、どこか本当らしくない話。

    人生なんて無用なものかと思えてくる。そんな短編集。

  • おそらく読んだのは国語の教科書以来のはず。山椒魚がこんなに短いとは思わなかった。
    タイトルから遠くにすっと持っていかれる感のある作品も多く、これがこの作者の特徴なのかもしれない。

  • 小学校時に通っていた塾でこの「山椒魚」に出会った。すごく面白くて続きがやたらに気になった記憶がある。なんともいえないおかしさのようなものを感じていたのだと思う。
    後日読んだらなんだここで終わりなのか、と思った記憶も。

  • 確かこの小説に出あったのは、私が中学性の時だった様に記憶している。

    先程、急に岩戸の暗闇で二匹が静かに語らず、息も殺して過ごす夏を思い出し、あの空気感に浸りたく近所の本屋で買って来た…

    全く身動き出来ない不自由な二匹…
    そろそろ最期を迎えるであろう頃
    二匹の心は宇宙大の拡がりを見せる…

    ままならない人生のほんの数分…
    この小説でなんとも言い難い空気感を味わって見ても損はないと思う…。

  • 『シグレ島叙景』『へんろう宿』辺りを読んでる最中、なんだか『不思議の国のアリス』を読んでる時と似た感覚に陥ったんですが、これは作品に漂うユーモアと、主人公とその周囲にある疎通できない壁みたいなのを感じるところから来てるのかな。
    主に初期の作品を集めたモノですが、どれも読みやすく飄々としたユーモアで面白かった。

  • 別の小説のセリフの中に出てきた本だったので読んでみた。うーん、分かるような分からないような、、、

    その別の小説内の解釈が好きで読んでみたんだが、私の理解力が足りないのか、、、そしてその別の小説ってのが思い出せない、、、!

  • 正直よくわからなかった。手に取るのはまだ早かったかな……しかし素直な心で素直に味わうことが出来れば必ず面白い、と評されているようなので、あるいは遅かったのかもしれない。目を見張るほど鮮やかかつ艶やかな描写に目を覚まされることが時折あれど、全体としてはつかみ損ねたかな、という感じ。ただ、動物の描写、あるいは動物が出てくる物語は、比較的読みやすかったし、生き生きとした脈動が感ぜられるように思った。あと数年したらまた読んでみよう……。

  • 辻原登の本の中で、井伏とコルタサル二つの「山椒魚」の読み比べを進めていたので再読。まだ、コルタサルな読んでないが。

    今では、井伏氏の描く日常がピンとこないので作品を理解するのに苦労するものもあったが、この短編集はバラエティもあり、サスペンス風のもの、掛け合い漫才風のもの、動物もの色々あり楽しめました。あまり名作だからと構えて読まないほうがいい。

  • 言わずと知れた名作。

    特に山椒魚と屋根の上のサワンは国語の教科書でもお馴染みで懐かしく読んだ。

    不思議な感じのする小説で、
    小説というより詩のような印象を受けた。

    とにかく感情を揺さぶられない。
    例えば、電車から窓の外を見ているような。
    気にしなければ何も思わないが、注目すれば確かに感じるものがある。

    現代小説には、この趣きのある著者は少ない。

  • どこまでもイメージや象徴の世界に生きていたひとなんだと思う。なるたけ言わずに眼前に示したい、そんなことを目指していたように感じられる。
    だから、書くということにかけて、非常にタイトで、文章に無駄がない。ヘミングウェイのそれと同じ匂いがする。そういう点で、太宰が絶賛したのは十分にわかるし、大家であると思う。
    けれど、どうしても精神に欠けているように思えてしまう。ことばからイメージを抽出しようしようと、うーんとうなっている姿は見えるが、生きてことばで考えてみようとは考えていない。ことばの存在を前提にしているため、彼は、それを不思議に思ったり、存在に思いを馳せる性質のひとではないのだと知った。
    別にそれが悪い訳ではないし、物語を書くということで必ずしも必要だとも限らない。
    けれど、非常に不自由だと感じてしまう。何を表現するかで頭を悩ますより、何が表現されているのか考える方がよっぽど生産的だと思う。
    ただ、彼ほどの大御所にもなってくると、何を述べるかで、多大な影響を及ぼしてしまうというのもあったのだろう。

  • 20190611 名作に関しては、中学生の頃読み漁っていたが結局、何にも残っていない。読み直しの時期もあるのかも知れないが印象に残るように感じる。次は誰にしようか。

  • 「何たる失策であることか!」が滑稽で可愛らしい、山椒魚が主人公の表題を含む短編集。超生き生きとした老人、若しくは動物が異常に登場する。
    がっつり心に残る話がある訳ではないけれど、読んでいる内に共感を覚える場面がとても多い。

  • 息子が読んでたので再読。

  • 1996年改版 3回か4回読んでいる。初期短編12編。すべて、1926~40年に発表された日本軍真珠湾奇襲攻撃以前の作品。83刷1997年、旧カバー。 15

  • 理由はうまく説明できないが今まで読んだ短編の中では一番好きかもしれない。山椒魚と蛙の関係、何を意味してるのか今一不明ですが....

  • ダメだ、、、僕には文学は無理!!
    (^_^;)

    『文学作品の楽しみ方』はわかったけど、
    その楽しみ方が『僕には楽しくない』のがわかった。
    これは決して、
    「この作品が面白くない」と言っているのではなくて、
    単純に『合う、合わない』の話です。
    なので、評価はしてないです。
    もっと言うと、評価出来ないのです。
    だって、僕は文学の本質の分かってないから。

    僕がひとつだけ言えることは、
    昔の作品のわりには文語体なので読み易かったし、
    短編集ってのも取っ付き易かった。
    文学作品の入門編としては良いかも?

    まぁ、そう思った作品だからこそ、
    僕は不得手なのがよく分かったけど。
    (^_^;)

  • 言わずと知れた、超有名な作品。
    教科書にも採用されたらしいが、多分習っていないので読む機会がなかった。
    表題作『山椒魚』は、改変前のもの。
    蛙の気持ちになってみると、いよいよ自分の命が尽きようとしているとき、怒りの感情が沸いてこないのも頷ける気がする。
    ずっと二人で岩屋の中にいて、悪態ついて過ごしてはいたけど、自分がいなくなった後、1人取り残される山椒魚の哀れさを思うと、自分の境遇よりもなお悪いのではないかと思ってしまう。
    閉じ込められて初めて、その孤独や不安を痛感し、いたずらに飛び回って見せて煽るのではなかったと後悔もしたかも知れない。
    いずれにしても、面白かった。

  • 屋根の上のサワン が好き

  • 解説で「井伏鱒二は無用人」としての自覚があるって書いてあって、なるほどなと思いました。

    作品自体は50年くらい前のものとは思えないほど、読みやすい…のだけど、これも解説の言葉だけど「飄々踉々」としてて、掴み所がなかなかみえない作品で、読んでみないと伝えられない感じです。

  • まず特徴的なのは、淡々とした文章。そして、細やかに綴られる風景描写。

    実体験を綴ったエッセイだと思ったのだが、後書きから推測するに、実体験に多くを基づいた限りなくノンフィクションであるかと思われる。
    とにかく、実体験と思うくらい、描写が繊細なのだ。まことしやかに思われるが、奥さんの名前が実名の秋元節代さんと違って雪子さんだったりするので一応、フィクションかと。。。

    wikiで見ると、山椒魚は改定されてしまったらしい。私が読んだのは、たまたま図書館で借りた古い本で、改定前のものだったが、改定前の方が優れていると思う。
    山椒魚はたった10ページなのに、よくまとめられていて、内容は深い。
    改定前の部分を含むことによって、同じ境遇の弱者が自己憐憫に似た情を感じる切なさやら何やらが伝わってくると思う。それに、不幸な境遇から、蛙を出してもいいと思える山椒魚の心理の推移なども興味深い。

    池波正太郎のエッセイでもそうだが、一昔前の小説家らしく、少し不良。年端のいかない娼婦とのやりとりなども、オブラートに包まれているが、関係が示唆されたりと。この人の文学には、ヒッピー的要素がかなりある。引用の無職の下りは、経験者なら、よく分かる心理が鮮やかに描かれている。

    岬の風景で、家庭教師をした娘さんと恋仲になってしまう。それを太陽に見張られている気がする主人公。こういう気持ちって分かるけど、そんな事考えてるの?と、盲執的だと言われそうでなかなか人には言えない事な気がする。無意識に。それをこうして文学にしてくれると、自分だけじゃない安心感を与えてくれる。

    掛け持ちは、面白い。
    二つの宿で季節ごとに働く番頭さんが、それぞれの場所で全く違う扱いを受けている。上等な扱いをしてくれる宿では、粋な着物を着こなしたり、人間の虚栄をユーモラスに綴る。そこへ、もう1つの宿からの客が偶然やってきて、とまどう番頭さん。

    夜ふけと梅の花もなかなか。
    酔っ払いに絡まれて、妙な約束をしてしまうが、それが気になってしょうがない主人公。相手が暴力的な人間であったため、数年の間、怯えつつ暮らす。これまた、人間の心の弱さを飄々と描く。

    井伏鱒二の他の作品も読んでみたくなった。

  • 自らの不自由を棚上げにして他人の不自由をあざ笑う

  • 『山椒魚』ばかり読み返している。私はこれについて別に深い意味を考えたりしていない。ただ、なんだか絵本的な楽しさがあるし、おふたりさまの駆け引きや、お話の展開の仕方がおもしろい。純然と、そういう気持ちで読んでいる。

  • 小説の世界は広大無辺だ。俗に<ダム小説>というジャンルがある。当該作品のほとんどが、現在は絶版状態になっていて、簡単に入手できないものになっている。石川達三、小山いと子、久保敦子などがそうだ。
    <ダム小説>を書いたひとりに、井伏鱒二がいる。「朽助のいる谷間」という作品だ。他の小説と同じように、簡単に入手できないのではないか、と半ばあきらめながら調べてみた。びっくりした! 新潮文庫『山椒魚』の中にしっかり収録されているではないか。
    読めるのか……ああ…。感動と安堵の入りまじった息をもらしながら、噛みしめるように「朽助のいる谷間」を繰り返し読んだ。なんだよ、おい。ダム湖に沈む家を舞台にした、うぶな恋愛小説ではないか……。

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山椒魚 (新潮文庫)の作品紹介

老成と若さの不思議な混淆、これを貫くのは豊かな詩精神。飄々として明るく踉々として暗い。本書は初期の短編より代表作を収める短編集である。岩屋の中に棲んでいるうちに体が大きくなり、外へ出られなくなった山椒魚の狼狽、かなしみのさまをユーモラスに描く処女作『山椒魚』、大空への旅の誘いを抒情的に描いた『屋根の上のサワン』ほか、『朽助のいる谷間』など12編。

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