黒い雨 (新潮文庫)

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著者 : 井伏鱒二
  • 新潮社 (1970年6月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (403ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101034065

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黒い雨 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 爆弾は光った。黒い雨が降った。一部の地域でのことのようだ。被爆日記の清書という形で、体験(事実)が経時的に語られてゆく。延々と続く被災の記述は、ひどくなるばかり。
    人類の歴史において、原爆が投下されたのは、日本だけである。その後の数多くの戦争が起こっているが、この爆弾が使われることはないだろう。それ程に、非人道的な行為である事を知るべきである。一時の破壊力よりも膨大であるのだが、命あるものずべてに、後世への影響が大きい。
    爆発時の描写は、想像を絶する。そのすぐあとのキノコ雲の不気味な描写、言葉で伝えること、文章表現が追いつかない感じを受ける。黒い雨とは何であったのか?日々経過するごとに、人も街も、死んで行く。一日がとても長く感じる。被爆者は、爆弾がどういうものであるのか、噂により、日々重大なものであったことが、刻々と記されている。
    被爆者を治療する場面も出てくるが、なんと言うお粗末さであろうか?物が不足していては、人命を救うことは出来ない。しかし、その反面、民間治療が、応急手当てが、誰でも出来るようなので、感心した。戦争終結前の国民の貧しい生活状況が良く分かる。(物が)何もなくなってっしまうと、欲がなくなる?生きることに希望をなくさなければ、助け合えるだろう。共助が、上手に出来ている。

    米国は、このような被害を予測していたのだろうか?人道を逸脱する行為は、許されるはずはない。好戦的な国民&民族は反省すべきである。
    もはや、戦後70年、体験した世代は少なくなり、記憶に残る人も多くはない。

  • 65年目の原爆の日を迎え読んでいます。
    やっと三分の一を読み終えました
    読むのがつらくなる場面も多いです。

    しかし、私達が後世に伝えていかないとね。
    唯一の被爆国であり、被爆都市ヒロシマに生きている私としては

  • あの惨劇を
    雨は洗い流してはくれなかった。
    むしろ雨があがってからが惨劇だった。

  • 再読。『この世界の片隅に』の戦時中のご飯のくだりが好きでなんとなくこちらのお話の奥さんのメモを思い出して読み返してた。この淡々とした語り口いいなあ。元になってる『重松日記』も前に買って積んであるので読みたいね

  • 私はまず、黒い雨というタイトルに惹かれました。非常に短く、またインパクトのあるこのタイトルを見て読もうと思いました。当時の様子がリアルに描写してあり、容易に様子が想像できました。人々が正体不明の原爆に恐れ、戸惑う姿がとても印象的です。もし自分が当時の広島にいたら、と想像しただけでもぞっとしました。最近オバマ大統領が広島に訪れたこともあり、原爆について考える良いタイミングだと思うので、ぜひ読んでみてください。
    蔵書あり 本館3階東閲覧室 918.6||Sh||2
    inside 629/R1C

  • 井伏鱒二が、被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』を基に、原爆の悲惨さを描いた作品。1965年に雑誌「新潮」に連載され、1966年に単行本として刊行された。
    主人公は、原爆投下時に広島に住んでいた、閑間重松・シゲ子夫妻と姪で養女の矢須子の一家三人で、重松は、その瞬間に広島市内の鉄道駅に居て被爆し、かなりの傷を受けたが、シゲ子は自宅にいて無事、また、矢須子は社用で爆心地から遠く出張していたため直接の被災はなかった。
    作品は、終戦から数年後、三人が広島県東部の山間の村で比較的落ち着いた生活を送っている時期を舞台に描かれるが、縁談が持ち上がった矢須子が原爆投下時は市内で勤労奉仕をしており被爆したと噂を流されたため、その誤解を解消するために、重松が被爆日記を書くこととなり、その詳細な被爆日記が間断なく挿入されることによって、被爆当時のことが克明に綴られていく。
    重松は、矢須子は直接の被災がなかったことを明らかにするために被爆日記を書き綴るのだが、当の矢須子は、原爆投下後、夫婦の安否を確かめるために広島市に向かう途中で黒い雨を浴び、また、再会した重松らと広島市内を逃げ回る際にも残留放射能を浴びたことにより、小説の後半で原爆症を発病し、縁談は結局破談となってしまう。そして、作品は、終戦日である8月15日までの日記を清書し終えた重松が、空にかかる虹に矢須子の回復を祈る場面で終わる。
    原爆を扱った代表的な作品のひとつとして、長く読み継がれるべきものと思う。

  • 淡々と、しかし克明に原爆投下当時の様子が描かれている。ひとつの思想や政治理念を押し付けるような啓発的なものではなく、ただただ起きたその目の前の事実を書き連ねる事で、戦争・原爆に対する恐怖を引き出してくれる。小説自体は短いが、じっとりねっとりと時間が進むように読んでいる気分だった。

  • 広島の原爆投下時の様子を、市民(主人公)が手記という形で描かれた作品。原爆投下時の様子、その悲惨さは資料館を見て知っているつもりだったが、改めて市民の視点から街の様子を読んでいくと、資料を見ただけでは感じ取れなかった匂いやグロテスクな様子が浮き彫りになってきて、衝撃的だった。資料を見て知っている「つもり」になっていたが、まだまだ知らないことがあると思い知らされた。小説ではあるが、原爆投下時から終戦までの様子がかなりリアルに描かれていると思う。

  • (1970.08.03読了)(1970.07.02購入)
    内容紹介
    一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。

  • この有名な小説、恥ずかしながら未読だった。

    わけのわからない新型爆弾が落とされ、誰も確かな情報を持ち得ず間違いだらけの情報の中で負傷し、家を失った人々は、地獄絵そのものの広島で生きながらえるため必死に歩き回る。
    閑間重松と妻のシゲ子、姪の矢須子は家族で助け合って、いたわりあう。非常時に支えあえるのは家族だ。家族の大切さ。改めてそれを実感する。

    舞台の設定は戦後5年後くらいなのだけど、主人公の閑間重松が当時の日記(被爆日記)をしたためるため、リアルに原爆投下直後の様子が描かれる。それでも千分の一も描ききれないと重松は言う。そうなのだろうと思う。

    そのときの様子でどうにも涙をこらえきれなかったのが、次のような場面。やるせなくて、たまらない。

    「堤防の上の道のまんなかに、一人の女が横に伸びて死んでいるのが遠くから見えた。先に立って歩いていた矢須子が『おじさん、おじさん』と後戻りして泣きだした。近づいて見ると、三歳くらいの女の児が、死体のワンピースの胸を開いて乳房をいじっている。僕らが近寄るので、両の乳をしっかり握り、僕らの方を見て不安そうな顔つきをした。」(p.112-113)

    「塀越しに柘榴の木の枝がこちら側に伸びており、今年は五つも六つも柘榴の実が枝についた。たまたま疎開先から戻って来ていた男の子が、今朝がた疎開地へ帰りがけに親父の形見の脚立を柘榴の枝の下に据えつけた。何をするんだろうと見ていると、男の子は脚立に登って行き、柘榴の実の一つ一つに口を近づけて、ひそひそ声で「今度、わしが戻って来るまで落ちるな」と言い聞かせていた。そのとき、光の玉が煌いて大きな音が轟いた。同時に爆風が起った。塀が倒れ、脚立がひっくり返り、子供は塀の瓦か土かに打たれて即死した。
    去年、柘榴は塀のこちら側にのぞいている枝に三つか四つか実をつけた。それが青いうちにみんな落ちたので、子供は今年こそ無事に育つように声援を送ったのだ。子供としては柘榴に入れ智恵をつけたつもりだろう。思ってさえも、なおさらそれで不憫が増して来る。」(p.130)

    -----
    その他印象に残った箇所。
    「蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た死者ではないか。今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しげなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。」(p.55)

    「電線の上を鳶が舞い、油蝉の声が聞え、国道のわきの蓮池にカイツブリが忙しそうに泳いでいた。ごく普通であるこの風景が珍しいものに見えた」。(p.120)

    「矢須子は次第に視力が弱って来て、絶えず耳鳴りがするようになったと云っている。はじめ僕は茶の間でそれを打ちあけられたとき、瞬間、茶の間そのものが消えて青空に大きなクラゲ雲が出たのを見た。はっきりそれを見た。」(p.233)

    被爆当初は重松が左頬を負傷し矢須子は何でもなかったが、矢須子は戦後5年(?)たって原爆症を発症する。
    そのことは後半まで伏せられているので読者は驚いてしまう。

    おじの重松は、何が何でも生きるという強い意志で奇跡的に助かった岩竹さんの手記を読み、矢須子にも奇跡が起こることを祈って小説は幕を閉じる。

    これまで色々見聞きしていても、やはりこの地獄図には言葉を失う。思考がおかしくなりそう。
    井伏さんの詳細な記述はすごい。よくぞ鮮明に記憶し克明に描いてくださった。

    いったい、核の発見とは人類にとってなんだったのか。
    「今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しげなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。」
    まったくその通りだと思う。

  • NHKで黒い雨に遭った方達が今も苦しんでいる一方、黒い雨の研究が未だにされていなかったという内容の番組を観た。
    とても痛ましく、心に重くのし掛かったのでこの小説を手に取る。

    昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下される。
    今までの空襲とは違う、何か得体の知れない爆弾が落とされ、人体、植物等に経験したことの無い状態が起きている。
    悲惨な状態に加えて、尋常でないことが起こっている恐怖は、読んでいる側にも襲って来た。

    終戦、復興。
    しかし被爆した方達にとっては闘病という闘いは 終わらない。
    そしていわゆる風評被害に苦しめられることになる。

    この本は文章はとても分かりやすく読みやすい。
    しかし内容の重さと悲惨さに胸が押し潰されて、一日10ページ程しか読み進められなかった。
    それでも最後の数行に、人を愛する気持ちが描かれていて、号泣した。

  • だいぶ広島の地理を忘れていたけれど、
    知っている場所ばかり出てきて、
    どきっとするところが多かった。
    私の住んでいた場所が、通っていた場所が、あの日と追った場所が。

    読んでいて苦しかった。

  • 被爆者である重松静馬の『重松日記』、被爆軍医である岩竹博の『岩竹手記』を基にした作品。

    元の作品が相当しっかりしたものであるのだろう。広島に原爆が投下される前・直後・後の様子が如実に描かれている。原爆をテーマとしたドキュメンタリ番組で実際の映像を幾度となく見てきたが、その時よりも当時の光景がくっきりと目に浮かぶ。文章にこれほどの力があるとは思わず、初めて文章のすごさというものを知った。

    原爆は恐ろしい。戦争は二度としてはならない。
    これは誰しもが思っていることで、当然私も思っていた。だが、この作品を読んで自分の認識がとてつもなく薄かったことに気付いた。読み終わった後、心の底から原爆に恐怖した。それほどまでにこの作品は原爆・戦争の凄みを読者に伝えてくれる。

    正義の戦争よりも、不正義の平和のほうがいい。

  • ★2.5
    ごはん食べながらは読めませんが一度読んだらおなかいっぱい

  •  主人公の閑間(しげま)重松が、被爆した時を思い返し、その時の自信の経験と見聞を清書するという形式で語られる被爆体験の物語。原爆投下とその後しばらくの混乱も去ることながら、今の閑間を取り巻く状況、つまり原爆の後遺症に悩まされる自信や姪、それによって差別されるその状況、という意味での怖さや悲しさのようなものがあった。
     キノコ雲の色とか動きとか、死体の匂いとか、熱線の凄まじさといったことが、映像だけでは感じられないことが描写されていることが印象的だった。(2017/10/08)

  • 丁寧で克明な描写で“日常性のうちに原爆の雨を降らせた(p397)”原爆小説です。原爆により死傷した人たちの状況など、残虐で痛くて目をおおいたくなる描写も多く、読むのがつらかったです。

    物語中で牛罐を食べる場面があるのですが、牛肉の描写を読んでいると私まで唾液が出てきそうでした。罐詰の牛肉を食べているその一瞬だけは、恐ろしい被爆体験の中でも幸せを感じるようでした。

    原爆体験が冷静に淡々と綴られていますが、実際の状況を頭の中で想像すると、恐ろしくなります。戦争の悲惨さを感じ、平和を望む気持ちが強くなりました。

  • 私には少し難しい本だった。

    広島に原爆が落とされてから終戦までをリアルに描いている。これほどのリアリティーのある戦争小説は読んだことがなかった。
    原爆がもたらした過酷な現実、原爆直後の広島の様子、当時の食生活等が丁寧に描かれている。

    あまりのリアルさに目を背けたくなる場面もいくつかあった。

    読書感想文には最適。この時代、色々考えさせられる一冊。

  • 戦争と核使用の是非を考えるうえで、読むに値する一冊。
    広島に原爆が落とされた日前後に、主人公の閑間重松とその妻シズ子、姪で養女の矢須子が見たり、聞いたりしたことが、日記の清書をする行為の中で、淡々と描かれている。私は神戸市民であり、阪神淡路大震災の時にビルが無惨なまでに崩れ落ちている姿を見てショックを受けた経験や、不自由な生活を強いられた経験を持っているので、被爆後のまちの様子を描写した箇所をより生々しく感じ取ることができたように思う。
    原爆投下という大惨事に遭遇した広島の人々が、兎にも角にも日々精一杯生き抜いていく姿が描写されており、人間の持つ生命力の強さを感じさせてくれる。原爆投下直後は、落とされたものがどういう性質のものか知らされていなかったため、近親者の安全確認などのために動き回ったことでより被害を深刻化させ、それがこの物語の登場人物にも暗い影を落とす。
    当時の広島に住む人の生活や暮らしぶりが描かれている箇所は、興味深い内容だ。特に、当時の食糧事情、食事内容が描かれている箇所は興味を引いた。また、岩竹医師の闘病に関する手記も印象深い。「必ず、生きる」という気持ちが大事なのだ。

  • 絵画のように、文章が流れていきます。
    情景が浮かんできます。
    思想的なところにはあまり触れず、とにかく日常を、描いていきます。
    非日常の中にある日常、混乱の中にも日常があります。

  • 娘の縁談のために当時の日記の話がメイン。広島での戦争や原爆の時の話。戦争批判とかではなく悲惨な状況を連ねている。戦争は恐ろしく悲惨なことを物語っている。

  • (自分用メモ)
    最後の一言は、何でもいいから希望になりそうなものを見出したい主人公の心の叫びではないか。

  • 原爆症患者であるという流言により姪の縁談話が何度も破断になってしまう事に腹を立てた主人公が、姪の身の潔白の証明のため当時の日記をまとめる所から物語は始まる。広島に投下された原爆に被災した家族三人の当時の情景は、酷薄なくらい淡々としており、死屍累々の焼け野原の中を歩き続ける様も「日常」の一部以外の何ものでもなかった事を痛感させられる。そして、そんな「日常」を作り上げてしまった人類に対する恨み言もないまま、彼らはひたすら生きる。以前読んだ恨みと哀しみの結晶体であるベトナムの「戦争の悲しみ」とは全く対を成す戦争小説に感じられた。それにしてもやるせない。そして恐ろしい。

  • 怖かった。
    蛆虫や蠅の描写、爆弾投下前、投下後。数千度の焔に焼けた人、物。
    本の中に広島城の屋根の部分が爆風で飛ぶ描写があった。何トンもある屋根なのに、一瞬で吹き飛んだ。
    爆弾の火傷、衝撃。さらに黒い雨。
    全てを焼き尽くした。これが自然災害でないのが恐ろしいことだと思う。

    本文中に、戦争の不安がありありと描写されている。
    例えば、日本人全員死ぬのではないか?とか、男性は去勢させられるのではないか?とか。

    それくらい戦争は、国を無くしかねないものだったし、負けるのが本当に恐ろしかったのだと、この本を読んで感じた。

    この本の話がまだ約70年前の話だとは。。今はスマートフォンで、書き連ねているけれど、本当に恐ろしいことだ。

    映画も見てみたいと思う。原爆を作ったオッペンハイマーの本も読もうと思う。

  • 感情も感傷も批判もなく淡々と描かれた原爆投下前後の光景は、それゆえ余計に重く、冷静に見つめることができる。数年ごとに読み直す秀作。

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