黒い雨 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101034065

感想・レビュー・書評

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  • 広島への原子爆弾投下後の街や人々の凄惨な状況を日記を清書していくという形式で綴られます。
    その昔、読み終えた時は、ただ痛ましい印象が残ったが、さて、冷静な状況描写に、驚きと何か意思を感じました。

    小説と思っていたものが、実在の被爆者の日記と、作者自身が多くの被爆者からの聞き取りを基にしたものでした。
    「千万語を費やした反核・反戦・平和の言葉より事実に勝るものはない。」とし、地名・人名ともそのまま使用して、虚構としない作品にしたかったそうです。

    不正義の平和の方が良い
    広島の末路
    来るところに来てしまった
    状況が判明していくにつれ、表現は暗く重くなる。
    そして、敗戦を迎え日記は終わります。

    歴史と文学の館『志麻利』の館長さん?の「黒い雨」本当に伝えたかった事の動画良かったです。重松さん(日記の方)や井伏鱒二の想いとか、手紙とか。読む前に見つけてたら尚良かったですが、何年かしたらまた読みますね。

  • 面白い話ではない。しかし、何十年経っていてもこの小説の文章を読めば、重松が見たような光景や生活を思い描けるような話になっているところがすごい。

    原爆症と診断されていないのに原爆症だと噂されて結婚が遠のいてしまう姪っ子のために、証拠の日記を相手方に示そうと当時の記録を追っていく話。戦後と昭和20年8月5日〜15日までをいったりきたりする。

    重松は姪っ子の縁談がどうにかうまくいかないものかとすごく気を揉んでいる。どうしてあんな噂なんか信じるのか、最近は特に可愛くなってるし良い子なのに・・と、心の中でヤキモキしてイライラして、奥さんすぐ隣の部屋にいるのに「おいシゲ子、わしの日記を出してくれ」と急に大声で呼びかける。
    おっさんが突然デカい声を出す現象はこれだったのか。気持ちは分かるけどびっくりするのでやめてほしい。

    痛々しい場面になる度に一回小説から離れたくなるので数ページ読んで、置いて、数ページ読んで、置いてを繰り返した。なかなか読み終わらなかった。
    しかし、重松をはじめ、なんとか奮闘し続ける人たちの話が盛り込まれているので、少しずつでも読み進めたい話になっているようにも思う。

    ただ、普通では考えられない死に方、怪我、内部から生き物が破壊されていく得体の知れない怖さはずっと付きまとってくる。

    後半、臭かろうが姿形が変わろうが、身内としては生きてほしい、奇跡が起こってほしい、と願って捜しまわってその後も看病し続けるエピソードが、怖ろしさに怯む以上にどうにかなってくれないかと願うものなんだと逞しかった。爪の先程も悲惨さは及ばないけど、根本的な気持ちは変わらないのだと、自分の経験と重なるように思えて涙が出た。

    過去に何度も読もうとして挫折していた本。多分、火傷とか虫とかグロテスクなところばっかに目がいってて何も分からず最初の方までしか読めてなかったんだと思う。やっと読み終える事ができた。確か原爆関係の本で、「いいご身分ですなぁ」と嫌味を言われるシーンがあったなと薄っすら記憶していたものもこの本だった。

  • 2020年8月、「黒い雨」訴訟のニュースを目にした。原爆関連のニュースであることは分かるものの、自分はそれ以上に詳しいことを知らない。

    そこで本作、黒い雨を手に取った。

    果たして、内容は事前の予想とはやや異なる。広島を、原爆を描いていることは確かなのだけど、徹底的に市民目線だ。

    大きな爆撃が起こった。今回の爆弾は何かが違う。不安感が止まない。

    そのような観察や心理描写が続く。

    それはとてもクリアな追体験だった。道端に打ち捨てられた死体の、その臭気が音を伴って匂い立つような、とても深い読書体験。

    また、これらの描写は「被爆日記」の清書という形で為される。戦後の視点から過去を振り返るという手法は、ある種ユニークだった。

    総評。とても重たくディープな一冊。けれど、恣意性を排しているので、誰もがあの時代のあの場所に降り立つことができる。

    本書の紹介文はこのようにある。

    原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。

    なるほど。「無言のいたわりで包みながら」というのは非常にしっくりくる形容。


    (書評ブログもよろしくお願いします)
    https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%81%84%E3%81%BE%E8%A2%AB%E7%88%86%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80_%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9B%A8_%E4%BA%95%E4%BC%8F%E9%B1%92%E4%BA%8C


  • 意外と掴みどころが無い井伏鱒二の作品の中で、本作は克明な描写と確かなリサーチが合わさったかなり骨太な作品。
    第二次世界大戦につき記した作品が林立する中、原爆と被爆者に触れた本作は戦争文学の金字塔と称されている。
    内容的なヘビーさを排して、言葉選びが平易でとにかく読みやすさが目に付いた。
    当時の惨状・敗戦の歴史を後世に伝えなければならない昨今、間口が広いこの作品が文学的に重要である事は間違いない。

  • タイムリーになってしまった。
    大切な姪の結婚の為の覚書として書いたという所が良かった。死ぬも地獄生きるも地獄。ピカドンの一瞬で全てが変わってしまい、何が起きたか分からない死体だらけの中大混乱の日常。不安で、それでも何とか生きていく人々の姿に応援したい気持ちになる。
    横の繋がりで幾らか救われ、大事だと思った。
    終わり方もよかった。

  • もうこれ以上の無駄ごと、僕らの気持ち、わかってくれんかなあ、という重松の呟き。
    無辜の民の生活の破壊に一体何の価値があったのか。人間の愚かさに怒りを感じる。

    姪の望む縁談話に影を落とす原爆病の噂。その払拭に足取りを示そうと重松は姪の日記を手に取るのだが…

  • 後世に、絶対に残さないと行けない作品。
    戦争は絶対に起こってはいけないことを、特に若い人たちにこの本を読んで、感じてほしい。

  • 戦争の悲惨さを後世に語り継ぐために必読の一冊

  • 残酷な、悲惨な描写はあるのに、そこに作者の感情・感傷は入り込まず、1日1日が続いていく。そのことが原爆投下の結果をまざまざと見せつけてきて、なによりも苦しい思いを感じさせる。
    何が起きても、とにかく毎日を生き切るしかないのだと、きっと原爆や戦争だけでない世の中の不条理への人の在り方を痛感させられた思い。

  • 課題で読まされた本
    描写がリアルで読み進めるのがしんどかった
    一生のうちで読んでおきたい、知っておきたい話ではあるけど中学生のうちに読むのは少し辛かった……

  • 高校三年生の時に感想文を書く宿題を結局やらずにやり過ごしてしまった本をようやく読んだ。
    黒い雨というタイトルから凄惨な原爆投下後の広島の姿が描かれるかと思いきや、まさしくその通りなんだけど、語りの構造が、原爆投下の頃の日記を終戦後に清書するという形で間接的になっているせいか客観性が強まっているし、終戦後の生活に原爆が与えた不自由さが物語の大きな主題になっていると感じられるので、原爆被害そのものよりも、戦争に翻弄される市井の人々の押し殺された感情が浮かび上がる。とても技巧的な構造だけど文章は平易で明るさと鷹揚さのあるもので、広島の惨状がとてもよく伝わりつつもあまり暗くならないのが不思議に感じるほど。とはいえ決して軽いわけではなく、日常に入り込む悲劇というのは実際はこのようなものなんだろう。広島で起こったことと井伏鱒二の技量の双方に恐れを抱く。

  • 2度目の広島訪問を前にして、それをより意義あるものとしたくて手に取った。
    戦時下の淡々と進んでいく日常生活を破壊した原爆。しかしその中にあっても日常を生きる他ない、生き残ったものたちの現実が描かれていた。
    戦争を直接は知らない私は、東日本大震災の惨事やコロナ禍の窮屈な生活と絡めて読んだが、戦争は人為的に引き起こされるもの。なぜそれを止めることができないのか。歴史から学べない人間の愚かさを思った。

  • 日常の底にいつも沈められている、人間の狂気は正義ですらある。
    僕らが立っているこの大地のすぐ下には、いつ起き出すかわからない猛獣を飼っているようなものだ。

    手懐けていた家畜はいつのまにか手に負えぬ代物になっていて、飼っていた人たちだけさっさと逃げる用意をしていて、なにも知らないひとたちが逃げ遅れる。

    エネルギーや核兵器の問題は誰も解決できなくなっている。文明は繁栄と平和で作り笑い。

    正義の戦争より不正義の平和の方がましじゃ

    とはよくゆうたもので。
    それもそれでがんじがらめになってます。

    以下、ネダバレですが、核兵器をつかえる立場の人には必ず読んでほしい。
    そしてこの本を核兵器のボタンの横において置くこと。

    ↓↓↓↓
    (子供は)柘榴の実の一つ一つに口を近づけて、ひそひそ声で「今度,わしが戻って来るまで落ちるな」と言い聞かせていた。その時、光の玉が煌めいて大きな音が轟いた。同時に爆風が起こった。塀が倒れ、脚立がひっくり返り、子供は塀の瓦か土かに打たれて即死した。

  • #読了 2021.9.18

    学生時代の国語便覧などで作者と作品一覧に必ず上がっている、誰もが知る作品。
    一生に一度は読まなければ!と10年前にチャレンジしたけど途中断念しており、今回再チャレンジで読了。
    (読書というエンタメは好きだけど、純文学のような文章がとことん苦手でして…。センター試験英語の最後の長文問題みたいな。あれ?また同じとこ読んでる?ってなる笑)

    重松と妻シゲ子、重松の計らいで重松夫妻と住み、徴用逃れに重松と共に働いていた姪の矢須子。戦後数年経ち、矢須子に縁談が来るが原爆症ではないかと疑われる。そのために8/6から8/15終戦までの過ごし方をメモした重松日記の清書(読者はこれを読みながら進む)をし縁談先に提出しようとしていた矢先、矢須子が発症する。直接の被爆はなかったはずの矢須子は爆撃直後の黒い雨に打たれていた。
    被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』を基にした作品。

    感想を言葉にするとすべてがチープになるような気がして憚られる。爆撃直後の様子はこの世とは思えないほど。まるでフィクションのようなのに事実の描写なのだから本当に恐ろしい。このような記録がこうして残っていることは重要なことだと思う。

    この先75年は広島に草木も生えないと言われていたようだが、今年で戦後76年。
    広島は随分前に復興を遂げたと言っていい。素晴らしいことだと思う一方で、戦争が忘れられてしまうのではないかと心配になる。
    はだしのゲンなどの作品が昨今トラウマになるなどと言われ、なかなか人の目に触れられなくなっているのもなんだかなぁと思う。もちろんわざわざトラウマになることをしろと言うつもりはないが、学生時代のうちにどんな形であれ、「歴史」上に出てくる戦争だけでなく、二度と戦争がないようにと心から願えるような機会があってほしいなと思う。

    性別も年齢も分からないほどの焦げた屍体に幼い子供がしがみついてるなんて、胸が痛い。こんなこと二度とあってはいけない。

    ◆説明
    一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。

  • 井伏鱒二が実際に広島で被爆した重松静馬氏と岩竹博氏の日記を元に、広島で二次被爆した姪の縁談を破談にさせたく無い思いから、当時の状況を記した日記を清書して、提示する事で、姪が被爆者ではない事を示そうとする顛末を物語として描いたもの。
    重松が日記清書する現在と、清書される日記の語る原爆投下の8月6日から終戦の15日までが、入れ替わり立ち替わり描かれる。
    原爆投下直後の、焦土と化した広島の街並みとあちこちに溢れる遺体、そしてそこに黒い覆いのようにたかる大量の蝿、遺体の目や口、鼻から溢れ出てくる蛆、、、日記の中で淡々と語られる悲惨な状況は自分達の想像力を超えてしまう。
    一方で、数年が経った今、そのような悲惨な姿は無くなったものの、健康であった姪の体調に異変が出始め、原爆症という恐怖が再び静かに重松とその家族に迫ってくる様子が描かれ、これはまた被爆直後の悲惨さとはまた異なる恐怖として迫ってくる。

    「黒い雨」を他人の日記の引き写しだとして否定する評価をする人もいるようだが、この作品は単に日記を書き写しただけではない。
    そこに数年経っても原爆症に脅かされる人々の今を織り込む事で、原爆の悲劇が形を変えて続いている事を示している。これは当時の日記からだけでは決して語る事はできない。

  • 8月6日の原爆投下直後から15日の敗戦の日まで、酸鼻を極める被爆地広島を歩いた一人の被爆者の日記の形式で生の声を伝える作品。
    「戦争はいやだ。勝敗などどちらでもいい。早く終わりさえすればいい。いわゆる正義の戦争より不正義の平和の方がいい。」とは市民の偽らざる声だ。しかし、その当人が被爆直後でさえ大本営発表を正しいものとしてより一層の犠牲を工場に布告する矛盾とそれに対する悔悟も正直に示している。
    「いつ一億玉砕かとビクビクしているが、人間の意思ががんがらめに縛られて、不平はおろか、不安な気持ちさえも口にするのを押し殺しているだけだ。組織というものがそうさせている。」
    私は終戦当時16歳だった父から同じような気持ちを聞いており、偽らざる本音だろう。しかし、一部父と同じ世代ながら戦争中でも反戦の気持ちだったし、日本の間違いを理解していたと主張する人もいる。私はそのような人の言い振りを俄には信じることができない。

  • 私には少し難しい本だった。

    広島に原爆が落とされてから終戦までをリアルに描いている。これほどのリアリティーのある戦争小説は読んだことがなかった。
    原爆がもたらした過酷な現実、原爆直後の広島の様子、当時の食生活等が丁寧に描かれている。

    あまりのリアルさに目を背けたくなる場面もいくつかあった。

    読書感想文には最適。この時代、色々考えさせられる一冊。

  • 描写が食欲無くすくらい生々しい。
    でもこれは本当にあったこと。
    戦時中とはいえ普通に生きていた人の日常に起こったこと。昨日と今日はそんなに変わらないと思っていたのに。

  • 原爆の悲惨さを目に見えて分かりやすく表現していて、井伏鱒二様の、細部に渡る表現で大変、広島や長崎の酷い状況が分かりました。
    登場人物の矢須子さんについては、原爆の影響で日常を失われる辛さがあり、どうしても抗うことが出来ない現状に、私自身も悲しくなりました。

  • 淡々とした筆致。悲惨な光景がリアルで庶民としての感覚が見える

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著者プロフィール

井伏鱒二 (1898‐1993)
広島県深安郡加茂村(現、福山市加茂町)出身。小説家。本名は井伏満寿二(いぶしますじ)。中学時代より画家を志すが、大学入学時より文学に転向する。『山椒魚』『ジョン万次郎漂流記』(直木賞受賞)『本日休診』『黒い雨』(野間文芸賞)『荻窪風土記』などの小説・随筆で有名。

「2023年 『対訳 厄除け詩集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井伏鱒二の作品

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