武蔵野 (新潮文庫)

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著者 : 国木田独歩
  • 新潮社 (1949年5月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101035017

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武蔵野 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  •  表題作の「武蔵野」目当てに読み始めたが、それがやっぱり一番よかった。
     「武蔵野」より、『武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方向へ行けば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。』の心地よさ。
     小説は自然描写が綺麗だった。
     収録されている短編で好きなのは切なさと虚しさが心に来る「源叔父」、人生とはなんぞやと問いたくなる「まぼろし」、ほんわかしたり突き落としたり「鹿狩り」、微笑ましい「初恋」。
     ほんわかまったりで来てから最後で落としてしんみりさせる形式が多い印象。

  • 銚子生まれ……なのでゆかりの作家には違いないが、小説の題材となった武蔵野をはじめ、銚子を題材とした作品は本書にはない。自然主義ということをひしひしと感じる短編集だった。文語体の作品も七五調のようにテンポよく読み進められた。言文一致の文章は、それよりも自然と感情を現代の読者に理解しやすいものだった。「小春」のようなエッセイとも言える短編も新鮮だ。

  • 武蔵野の情景描写が読み進めていくと出てくる。短編で読み応えはあるが眠くなる。埼玉のあたりや川崎とかも出てきた。

  • 武蔵野のほか十七編がおさめられている。
    「武蔵野」を読み始めでは、なんと退屈な文章なのだろうと感じた。しかし読み進むにつれ、情景描写や自然な話の流れに引き込まれていくようであった。
    大変読みやすい現代口語調の作品もあるが、文語体の作品もあるので読むのに多少骨が折れた。
    他の作品も読んでみたい。

  •  小学生の頃から書名を知っている本だが、この年になって初めて読んだ。
     といってもまだ表題作の「武蔵野」だけだが。
     独歩が「武蔵野」と言っているのは、大部分が
    当事住んでいた 渋谷村の周辺であり、今そこに
    行っても面影は無い。
     だが後半 境(現在の武蔵境)から桜橋を経て、
    玉川上水の堤を歩く場面がある。解説によればこちらは
    今も面影を残すそうなので、今度行ってみよう。

     読み終わった。自分にとって読みやすい話と読みづらい話が混在している。

    武蔵野・・・前半やや読みづらく、後半読みやすい。
    郊外 ・・・・読みづらい。
    わかれ・・・・
    置土産・・・・
    源叔父・・・・読みづらい。話も悲しくて。
    星  ・・・・
    たき火・・・・
    おとずれ・・・
    詩想 ・・・・読みやすい。
    忘れえぬ人々・真ん中。
    まぼろし・・・
    鹿狩り ・・・普通。
    河霧  ・・・
    小春  ・・・
    遺言  ・・・
    初孫  ・・・
    初恋  ・・・読みやすい。一番好き。
    糸くず ・・・読みやすい。でも楽しくない。

  • 再読だが、表題作に書かれている日記の美しさは、いつ読んでも感心する。
    「朝は霧深く、午後は晴る、夜に入りて雲の絶間の月さゆ。」
    言葉も簡潔で語調も良く、一日の天候の変化が目の当たりであり、なお且つ著者自身の心情をも傍らに感じる。
    こんな素晴らしい気象通報なら聞いていて飽きないだろう。

  • 武蔵野を愛した著者、ということがよーく伝わってくる一冊でした。景色はだいぶ変わってしまっているだろう今でも自分としては多摩地域はどこを歩いても、どっちに向かって自転車をこいでも、気持ちのいい景色や風に出会えていつも「どこでもいいから気の向くままに」くらいの感覚で出かけていますが、彼もそんな気持ちだったんじゃないかなと思いました。
    ただ、文章がちょっと古いので自分は読みにくかった。。最後の方は正直飛ばし読みでした。^^;

  • 「山林に自由存す。われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ」

  • 受験で名前だけ覚えた本を読んでみようシリーズ。

    「あひびき」を既に読んでいたので、色々と面白かった。

  • 21世紀の現在、今や古典ともいうべきこの『武蔵野』を読む人はどれくらいいるのだろうか。それでも、新潮文庫や岩波文庫で出版され続けていることは本当に有難い事である。私はこの表題作を読むたびに孤独を忘れることができる。この孤独というのは、各人間にとっての根本的な孤独という意味での孤独である。外光的で目に浮かぶ様な描写は(いや、それだけでなく、音も聞こえ、土の湿った匂いすら感じそうである)、日常の些細な苦しみから私を引っ張り上げてくれる。特に第九段の、自然と共に生きる人々の姿に、それこそ、同作品集所収の『忘れえぬ人々』にあるように、「我れと他と何の相違があるか、皆な是れこの生を天の一方地の一角に享けて悠々たる行路を辿り、相携えて無窮の天に帰る者ではないか、というような感が心の底から起って来」て、「その時ほど心の平穏を感ずることはない。」まさにそんな気持ちになる。このような小民思想を文学的に表現した国木田独歩は永遠である。

  • この本を読んで一番に思いついたのは、国木田独歩はすごく自然が好きなんだろうということ。彼の織りなす文章からは、自然の生き生きとした息吹が感じられる。彼の愛する自然とは、外が言う豪華で美しい花が咲いている様や、綺麗な色の鳥などとは少々ちがう。それは決して華やかではないが、素朴で美しい自然だ。それが武蔵野の地であるのだ。武蔵野は東京という「新しい都」になるでもなく、まったく人がいないこともない。つまり、独歩の愛した自然そのものであるのだ。独歩は手が加えられた新しい都をひどく嫌った。これらが独歩の自然に対する美学である。
     上記のことを、読んで行くうちに感じていったものの、正直自然描写が多すぎてくどい。短編小説というよりも伝記のような、物語的な流れは思ったよりも少なかった。文章は美しく、情景を的確に思い浮かべることができたが、流れに関しては残念であったと思う。

  • 『武蔵野夫人』を読んだため、続けて読んでみた本。
    言文一致体の揺籃期の文章のため、かなり読みづらさを感じますが、内容は武蔵野の自然賛歌を綴った随想風の短編。
    一冊まるまるが表題の作品だと思いきや、実際には30ページほどしかなく、他の作品も含めた小品集となっていました。

    固い文章ですが、慣れてくるとその写実的な抒情性がとても美しく感じます。
    彼の日本語の向こうに、木漏れ日に輝く静かな武蔵野の雑木林が見えてきます。

    当時一世を風靡したツルゲーネフの『あいびき』を引き合いに出しながら、自然への礼讃を書き連ねた文章。
    いかに武蔵野の自然を愛しているのかが伝わってきます。

    「武蔵野は東京とは違うとする。」という著者独特のこだわりの強さも見て取れます。
    東京は「新しい都」であるため、「斯様なわけで東京は必ず武蔵野から抹殺せねばならぬ。」のだそうです。
    町はずれであることが、武蔵野である条件だとか。
    たしかに自然を主眼としているため、そういった分け方となるのでしょう。

    「八王子は決して武蔵野には入れられない」
    丸子や下目黒、二子など「多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ」

    など、具体的な地名を挙げて、範囲を事細かに説明しています。
    流麗で古めかしい文章でつづられた、断定的で熱い内容に、驚きます。
    かなり決めつけているような感もあるため、古参になってからの文かと思いきや、まだ30歳の初期の作品というので意外でした。
    血気盛んな思いで自然美に感嘆しているということでしょう。

    たしかに、武蔵小金井や武蔵小山、武蔵小杉など、「武蔵」と名のつく地名が点在しているのは前から不思議に思っていましたが、著者の説が合っているのであれば、どこも東京の町外れで多摩川沿いという点が共通することに気がつきました。

    心豊かな読了感を味わえる文章です。
    他の作品も、流れるような文章を楽しみましたが、この『武蔵野』は、とりわけ秋に再読してみたいと思いました。

  • 自然主義文学の代表的作家による短編集。表題作「武蔵野」は、古き良き東京の情景を描き出した、精緻な表現が光る随筆的短編。

  • エッセイの短編集。古い言葉が多くて意味を汲み取るのに苦労しながらの読書だったので、浅学にして充分にして楽しめたかというとうーんという感じ。解説が一番楽しめたかもしれない。こういう明治〜昭和を生きた文豪の本を読む時は解説から入り、前情報を仕入れてから読んだ方がいいかもと思った。時代背景、作者の当時の心理とかが分かっていたら多少読む目も違っていただろうから。何の知識もなく、読み始めるにはもったいないかも。

  • 二葉亭によって創始された日本の言文一致体という表現法が趨勢の時代の中で、主に二葉亭のツルゲーネフ訳「あひびき」の影響下、武蔵野の風景を五感を駆使して描写する。漱石、島崎藤村、田山花袋た「国民文学」が勃興した日露戦争後の時代にその先駆として召還されており、今なお日本近代小説の正典である。自然の微妙な表情の細かい描写が秀逸だと感じました。

  • この作品が発表されてもはや100年が立つのだけれど、僕らは何が変わったのだろうか。科学技術は発達し色々と便利にはなったけど、感性という面では別に大して変わった訳じゃない。「古き良き日本」なんて懐古主義者に言わせておけばいい科白だけど、確かに自意識だけは発達した現状には嫌悪感はある。
    これは、自意識が自然の風景の中から生れ落ち、まだそこから不可分であったが故に自然風景と心象風景が地続きであった頃の時代の文章。内面を自然に委ねる事で美しさに昇華されるというこの事実は、誰もが自分語りをする総ネット社会において表現という行為を再定義してくれる。僕らはまだまだ過去から学ぶ事は沢山あるようだ。

  • 国木田独歩の初期短編集。収録されているのは全て短編なので、読みやすはずなのですが、僕はどうしても国木田独歩とチューニングが合わなかったです。途中からなんとなく文体にも馴れてきたので完走できた感じ。そんなわけで、表題作の武蔵野以外だと、後半に収録されていた河霧、遺言、初孫、初恋などは楽しめた。武蔵野は、物語と言うよりは、エッセイというのか、そんな感じで読んだほうがすっきりすると思う。

  • 日本語が美しく極めて抒情的。讃歌よ!我らを自然に溺れさせてくれ。

  • 武蔵野。一路一路行くように、のんびり ぼうっと一和み。

  • 確かに、従来の「日本の美」とは違った観点で落葉樹の美しさに気づいたのは独歩が初めてかもしれない。

    地元が武蔵野の雑木林なのでとても身近すぎて(微妙に地名も出てきたし)、「文学」として読む事が出来なかったような。

    「水の音は、水が互いにふれ合い、重なり合って立てるものだ」というニュアンスの部分が気に入りました。

  • 文体が様々でありどのように表現したら良いのか、試行錯誤しているように想える。正直あまり魅かれる処もなかった。 『郊外』の作品中に鉄道に飛び込んで自殺した話が出てくるのだけれど、確か漱石の作品にもこの鉄道への飛び込み自殺があったように記憶している。 明治のこの頃は増税や不況や貧困や飢饉など市井の人々にとっては大変な苦境にあったことと想像する。

  • 小学校なのか、中学校なのか忘れましたが、国語の教科書に載っていた“忘れえぬ人々”の原作を読みたくて購入しました。
    その読みたい所に辿り着くまでが長かった…。
    昔の作家さんの本は若干読みにくいですね。
    でも、当時の斬新なイメージを思い出し良かったです。

  • 短編集だがとりあえず『武蔵野』を読む。

    夢うつつの京都の針葉樹林から
    落ち葉をわけて歩く武蔵野の広葉樹林へ偶然のトリップ。

    布団の中が、電車の中が、カフェの中が一瞬で林の中になるお散歩随筆。
    山の手の西側の感覚だとか、私たちの毎日に当たり前にあった小さな上水だとか
    めったに雪の積もらないよく晴れた冬、そして夏。
    100年前から変わってきた街と変わらない季節。
    散歩という許された幸福。

    『林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想す』

    『自分はこの流の両側に散点する農家の者を幸福の人々と思った。無論、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分たちをも。』

    ほんの数十ページだけど何度でも読みたい。暗唱したい。

  • 美しい描写の数々!

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