武蔵野 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101035017

感想・レビュー・書評

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  •  小学生の頃から書名を知っている本だが、この年になって初めて読んだ。
     といってもまだ表題作の「武蔵野」だけだが。
     独歩が「武蔵野」と言っているのは、大部分が
    当事住んでいた 渋谷村の周辺であり、今そこに
    行っても面影は無い。
     だが後半 境(現在の武蔵境)から桜橋を経て、
    玉川上水の堤を歩く場面がある。解説によればこちらは
    今も面影を残すそうなので、今度行ってみよう。

     読み終わった。自分にとって読みやすい話と読みづらい話が混在している。

    武蔵野・・・前半やや読みづらく、後半読みやすい。
    郊外 ・・・・読みづらい。
    わかれ・・・・
    置土産・・・・
    源叔父・・・・読みづらい。話も悲しくて。
    星  ・・・・
    たき火・・・・
    おとずれ・・・
    詩想 ・・・・読みやすい。
    忘れえぬ人々・真ん中。
    まぼろし・・・
    鹿狩り ・・・普通。
    河霧  ・・・
    小春  ・・・
    遺言  ・・・
    初孫  ・・・
    初恋  ・・・読みやすい。一番好き。
    糸くず ・・・読みやすい。でも楽しくない。

  • 再読だが、表題作に書かれている日記の美しさは、いつ読んでも感心する。
    「朝は霧深く、午後は晴る、夜に入りて雲の絶間の月さゆ。」
    言葉も簡潔で語調も良く、一日の天候の変化が目の当たりであり、なお且つ著者自身の心情をも傍らに感じる。
    こんな素晴らしい気象通報なら聞いていて飽きないだろう。

  • 武蔵野を愛した著者、ということがよーく伝わってくる一冊でした。景色はだいぶ変わってしまっているだろう今でも自分としては多摩地域はどこを歩いても、どっちに向かって自転車をこいでも、気持ちのいい景色や風に出会えていつも「どこでもいいから気の向くままに」くらいの感覚で出かけていますが、彼もそんな気持ちだったんじゃないかなと思いました。
    ただ、文章がちょっと古いので自分は読みにくかった。。最後の方は正直飛ばし読みでした。^^;

  • 「山林に自由存す。われ此の句を吟じて血のわくを覚ゆ」

  • 受験で名前だけ覚えた本を読んでみようシリーズ。

    「あひびき」を既に読んでいたので、色々と面白かった。

  • この本を読んで一番に思いついたのは、国木田独歩はすごく自然が好きなんだろうということ。彼の織りなす文章からは、自然の生き生きとした息吹が感じられる。彼の愛する自然とは、外が言う豪華で美しい花が咲いている様や、綺麗な色の鳥などとは少々ちがう。それは決して華やかではないが、素朴で美しい自然だ。それが武蔵野の地であるのだ。武蔵野は東京という「新しい都」になるでもなく、まったく人がいないこともない。つまり、独歩の愛した自然そのものであるのだ。独歩は手が加えられた新しい都をひどく嫌った。これらが独歩の自然に対する美学である。
     上記のことを、読んで行くうちに感じていったものの、正直自然描写が多すぎてくどい。短編小説というよりも伝記のような、物語的な流れは思ったよりも少なかった。文章は美しく、情景を的確に思い浮かべることができたが、流れに関しては残念であったと思う。

  • 『武蔵野夫人』を読んだため、続けて読んでみた本。
    言文一致体の揺籃期の文章のため、かなり読みづらさを感じますが、内容は武蔵野の自然賛歌を綴った随想風の短編。
    一冊まるまるが表題の作品だと思いきや、実際には30ページほどしかなく、他の作品も含めた小品集となっていました。

    固い文章ですが、慣れてくるとその写実的な抒情性がとても美しく感じます。
    彼の日本語の向こうに、木漏れ日に輝く静かな武蔵野の雑木林が見えてきます。

    当時一世を風靡したツルゲーネフの『あいびき』を引き合いに出しながら、自然への礼讃を書き連ねた文章。
    いかに武蔵野の自然を愛しているのかが伝わってきます。

    「武蔵野は東京とは違うとする。」という著者独特のこだわりの強さも見て取れます。
    東京は「新しい都」であるため、「斯様なわけで東京は必ず武蔵野から抹殺せねばならぬ。」のだそうです。
    町はずれであることが、武蔵野である条件だとか。
    たしかに自然を主眼としているため、そういった分け方となるのでしょう。

    「八王子は決して武蔵野には入れられない」
    丸子や下目黒、二子など「多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ」

    など、具体的な地名を挙げて、範囲を事細かに説明しています。
    流麗で古めかしい文章でつづられた、断定的で熱い内容に、驚きます。
    かなり決めつけているような感もあるため、古参になってからの文かと思いきや、まだ30歳の初期の作品というので意外でした。
    血気盛んな思いで自然美に感嘆しているということでしょう。

    たしかに、武蔵小金井や武蔵小山、武蔵小杉など、「武蔵」と名のつく地名が点在しているのは前から不思議に思っていましたが、著者の説が合っているのであれば、どこも東京の町外れで多摩川沿いという点が共通することに気がつきました。

    心豊かな読了感を味わえる文章です。
    他の作品も、流れるような文章を楽しみましたが、この『武蔵野』は、とりわけ秋に再読してみたいと思いました。

  • エッセイの短編集。古い言葉が多くて意味を汲み取るのに苦労しながらの読書だったので、浅学にして充分にして楽しめたかというとうーんという感じ。解説が一番楽しめたかもしれない。こういう明治〜昭和を生きた文豪の本を読む時は解説から入り、前情報を仕入れてから読んだ方がいいかもと思った。時代背景、作者の当時の心理とかが分かっていたら多少読む目も違っていただろうから。何の知識もなく、読み始めるにはもったいないかも。

  • 二葉亭によって創始された日本の言文一致体という表現法が趨勢の時代の中で、主に二葉亭のツルゲーネフ訳「あひびき」の影響下、武蔵野の風景を五感を駆使して描写する。漱石、島崎藤村、田山花袋た「国民文学」が勃興した日露戦争後の時代にその先駆として召還されており、今なお日本近代小説の正典である。自然の微妙な表情の細かい描写が秀逸だと感じました。

  • この作品が発表されてもはや100年が立つのだけれど、僕らは何が変わったのだろうか。科学技術は発達し色々と便利にはなったけど、感性という面では別に大して変わった訳じゃない。「古き良き日本」なんて懐古主義者に言わせておけばいい科白だけど、確かに自意識だけは発達した現状には嫌悪感はある。
    これは、自意識が自然の風景の中から生れ落ち、まだそこから不可分であったが故に自然風景と心象風景が地続きであった頃の時代の文章。内面を自然に委ねる事で美しさに昇華されるというこの事実は、誰もが自分語りをする総ネット社会において表現という行為を再定義してくれる。僕らはまだまだ過去から学ぶ事は沢山あるようだ。

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