仮面の告白 (新潮文庫)

著者 :
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050010

感想・レビュー・書評

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  • とにかく文章読みにくい。長い詩みたい。 自慰ってそのまま書いたら間抜けに見えるところを悪習と書いているところがかっこよかった。最初の画集で自慰してしまうところでそれを悪習と称しているから自慰=悪習なんだなとわかるし。 主人公、男の肉体と女の精神が好きなんだろうな。最後のダンスホールの描写が気怠げで好き。 文庫本の89ページからの「私は愛する方法を知らないので誤って愛する者を殺してしまう」ってところもすき。

    戦時中の話だったけど、それがメインではなく、たまたま生まれた時代が戦時中だっただけなんだなと思った。

  • 三島由紀夫の代表作らしく、本人の人生における、自己の異常性を刻々と記した自伝的作品だった。
    内容を記す前に、この作者の人と異なる事に対する焦りと、それに対する様々な手法、驚きと嘆きといった物事には共感は出来なくもなかった。
    相変わらず文章が難しいが、比喩を用いた表現力には脱帽。
    太陽が毒を植物に塗りたくっている、という表現をする頭に、どうやったらなるのだろうか。
    園子との馴れ初めから別れは、それまでの狂気(著者が思っているもの)とうってかわって、大分大人じみた物語であった。端からみると、園子と本人が、本人の気紛れに振り回されているようにしか見えないが、人間故の図星、羞恥、見栄からくる予想外の行動のせいであり、避けられない事故のように書かれていた。今にして思えば、全く反省していないな、この作者。
    自分と共通しているのは、自分が嫌いなところか。答えを持ち出すとは思わなかったが、悩みを本という形にして、気持ちが少しは楽になったのだろうか?
    ナルシズムからくる愉悦もちょっとはありそうな気がする。
    ページをめくる手は大分遅かったが、興味深さはこれまでで、かなり上位なほんでした。

  • 他人とは違う感覚を持っていることについて、懊悩し、自己嫌悪に陥る思春期時代。
    通常の人が持っているだろう感覚を推測し、それを演技していることの辛さ。

    そんなことが、難解な表現で告白されている。

  • 借りたもの。
    三島由紀夫の半生を描いた自伝的作品と言われる一冊。
    前半は子供のころの孤独とそれを紛らわす空想世界について、成長すると思春期特有の鬱々としたものや男子が自身の性的な関心が妄想や猥談で悶々としている様を、ヨーロッパ文学のような文体と、古典文学の造詣で彩っている。
    当時これだけ詳しいのはやっぱり凄く文学に精通している人物で、同時代の幻想文学に精通していた澁澤龍彦を思い出す。
    現代で読むと虐待に相当するようなこじれた家の環境や、従軍はしていないけれども戦時を体験したことで、
    現在の言葉でいえば自己肯定感が低い、劣等コンプレックスの塊になってしまった印象。
    ……メンタルすり減らしているのは文豪あるあるかも知れないが。

    内容は祖母に母親から離され隔離されて、身体が弱いことを理由に外で遊べず女の子の遊びで育ったとか、同級生への同性愛的な思慕とか、友人の妹との恋人以上結婚未満の話。

    この本を読んだ理由に、著者自身の体験だろうと言われている有名なエピソード、グイド・レーニが描いた《聖セバスティアヌスの殉教》の絵を見て勃起したというのが、この本のくだりらしい、というよこしま?な理由。
    もう一つのきっかけは、この本も基になっている映画 『Mishima: A Life In Four Chapters』( https://booklog.jp/item/1/B079VD5SGK )を観たため。

  • 園子との恋愛らしい何か、それについての描写がとにかく蠱惑的であった。

    全体を通して「自身との乖離の内に何ものかを探す」という感覚に共感を覚えた。例えば自らが園子を愛しているかいないかということについて。刻々と判断が揺れる中で、自己をなるべく客観視しようとするとともに、その場の感情が反射で生まれていやしないかと考えることには覚えがある。段々と全てが嘘ではないかと思い始め、最後に残るのは日常の辛さを味わうくらいならば、戦争(などのもっと危機的な悲劇のうち)で死んでしまいたいという思い。
    人というものは自己を信じることが最も難しく、また日常に寄り添った苦しみにこそ弱いのではないかと考えた。

    タイトルにある「仮面」とはこの「自己との乖離」を表しているのではないかと思う。
    自らの判断でその手に持ち、またその仮面こそが真実であるというように振る舞いながらも、しかし自己の内ではそれが借り物に過ぎないことを自覚している。自ら外すことが容易であるくせに、なかなか外せない仮面。被っているうちには一刻も早く外したいと願うくせに、いざその仮面を外せば、素面を見せるのが怖くなり、もう自己からは遠い所に行ってしまったことを懐かしみ、愛してしまう、そんな仮面。

  • 表現力、文章力がすごい
    主人公ほどではないけど、仮面を被って生きてるのかもしれない。考えさせられた。

  • 読み始めてすぐに「すごい小説を読んでしまった……」という、何かとても大きな秘密を知ってしまったような気持ちになった。

    主人公の少年は「女性に性的欲求が向かない」と本当は分かっているのに、「皆と同じ・普通」でいようと必死に努め、女性と関係を持ってみようとする。
    そして、そこでまざまざと見せつけられる自分の本当の欲求に、「やはりそうなのか」と刻印を押されたような気持ちになってしまう。
    自分の本能に抗おうとする葛藤と、そのずっと苦しんで悩んでいる姿に、胸が痛くなった。

    前半に多く書かれている主人公の性的指向の表現が凄く、読み終えてからも強烈なインパクトで頭に残っている。
    印象的な場面はたくさんあるが、挙げるとすれば二つある。
    一つは幼少期、紺の股引を穿いた汚穢屋(おわいや/糞尿汲取人)を見て、『私が彼になりたい』『私が彼でありたい』と思う場面。
    その欲求の重点は「彼の紺の股引」であり、彼の職業でもあった。

    そしてもう一つは、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の絵を見て、初めて射精する場面だ。
    どんな絵か知らなかったので調べてみたが、「なるほど」と納得してしまうくらい色っぽく、肉の質感や手触りまで感じられそうな絵だった。

    また、年上の同級生・近江に想いを寄せているシーンが、特に好きだった。
    思春期の少年の気持ちが、この時期特有の初々しさや痛々しさを含んでいて、それがとても良かった。


    実は昔、『金閣寺』を途中まで読んで挫折したことがあり、三島由紀夫作品では初めての読了本となった。
    文章の印象は、当たり前かもしれないが「頭がいい人の文章だ……」ということだった。
    言い表すのが難しいが、小説の中では主人公のぐちゃぐちゃした葛藤が描かれているのに、その言葉たちは綺麗に整列して並んでいるような、そんな感じがした。

    そして特に感じたのは、自分に酔っているような文章だなぁということだった。
    悩んでいる自分にうっとりしているような感じ。
    それはもしかすると、多彩な比喩表現から感じたものかもしれない。

    言葉や言い回しが難しかったにも関わらず、面白くて夢中で読んだ。

  • 青少年の悩みを格調高い美しい日本語で綴るまさに純文学
    書かれた時代を考えると主人公が同性にしか性欲を感じないという設定は相当勇気がいるものではないか。戦争を境に変わっていく日本の暮らしが背景に描かれ、その中で葛藤する姿は秀麗な表現をもってしても時に生々しく、心に刺さる。

  • エロい

  • 女を愛する自分を演じる「私」。園子は主人公が見出した唯一の希望だったのだと思うと、切ない。努力で人を好きになるものではないし、心の赴くままにときめきを感じる人を愛せないのは辛い。現代でこそLGBTに理解ある時代に移り変わってはいるが、マイノリティの苦悩はいつの時代も変わらないのかもしれない。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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