沈める滝 (新潮文庫)

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著者 : 三島由紀夫
  • 新潮社 (2004年4月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050119

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三島 由紀夫
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沈める滝 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 愛を信じない美貌の男が、不感症の女を初めて愛する。女が、男が幼い頃に親しんだ、不感の物質「石と鉄」と同じように見えたのだ。女のほうも、初めて自分の肉体を愛してくれた青年を愛する。誰をも愛せない二人が出会ったのだ、数式の負と負を掛け合わせて正を生むようにと人工的な愛をはぐくむ試みを行う二人。それは成功していくかのように思えたが数年後、不感症が治った女のことを、男は愛せなくなっていた。女がなににも感動しないが故に愛していたという男の本音を知り、絶望した女は身を投げる。・・・結局また「死」で終わってしまった。三島の思想の行きつくところは死なのだろうか。女が死んだことをなんとも思わない男に憤りを覚えた。

  • 比較的早い時期の長編小説だが、すでにして大作家の風格は十分だ。主人公の昇は、門閥、資産、学力、学歴、勤務先、容貌と、あらゆる点で恵まれている。彼は常に、女とは一夜限りの関係を続けてきた。ドン・ジョヴァンニがそうであるように、猟色は愛の不毛に他ならない。顕子がかつては肉体的に冷感症だったごとく、昇は精神的な冷感症に捉えられており、彼はとうとうそこから抜け出すことはできなかった。先行作では『禁色』の悠一に、そして後の作品では『春の雪』の清顕に繋がる三島文学の、ある意味では主流をなす愛のニヒリストの系譜である。
     なお、越冬後の田舎町の描写をはじめ、随所に三島の「うまさ」も堪能できる作品だ。

  • 無機質である有機体を愛する城所昇。その無機質で無感動であった顕子への人工的な愛を醸成するべくダム建設の行われる雪山で一冬を過ごす。まるで人間的から程遠い環境の中でこそその愛は花開かんとしていた。春を迎え、人間世界に降り立つや、一切が新鮮に見える中、不感症が治癒した顕子は昇にとってもっとも凡庸な女に変わっていた。雪山の中で人工的に作り上げた愛が「愛」であり、身投げした顕子の遺体がいまやダムに沈み想起される小滝こそが顕子との「愛」の縛りである。あらゆる存在は観念の中において創られるという三島文学の要素が詰まった作品。

  • 昇のモンスターぶりにクラクラしながら読み進めたが、最後に菊地っつうラスボスの登場で一面焼け野原って感じ。顕子の最期の描写があっけなかったかなぁー。
    陰惨な誇りっていうフレーズに心刺された。

  • 最初は面白そう。最後はあまり。

  • 山ごもりしてるところがつまらなかった。

  • ヒロイン顕子は失恋するのだろうなあ、最後は自死を選ぶのだろうなあ、そうしないと物語を終えられないのだろうなあ、漠然とそんなふうに考えていた。顕子は主人公昇のどこに魅かれたのだろうか。他の男たちと何が違ったのだろう。というか、昇はどうしてそうモテるのか。まあ、うらやましいと言えばそう言えなくもないが、誰のことも好きになれないという点ではかわいそうにも思う。顕子を好きになったはずだったのに、男と女の間で、相手の思いが重たく感じる気持ちは、今もずっと昔も変わりはしないのだろう。・・・ああ、そんな思いになってみたい。いや、そんな思いにさせているのだろうか・・・。「あの人は感動しないから好きなんだ。」瀬山が顕子に、昇がどうして顕子を好きになったかの理由を言ったとき、彼女の時間はすべて止まってしまったのだろう。自分に似た滝に身を投じずにはいられなかったのだろう。

  • 石や鉄のように心が冷たい男女の物語。

    男がダムだとしたら女は滝だと、暗に示している。女の感情を溢れんばかりにせき止めるダム。女は死に、滝はダムに沈んでいく。

  • 昔という程、時間は経ってないはずだが、

    どうしてこの時代の小説は、その情景がありありと浮かんでくるんだろう。

    福島の県境、只見川沿いのダム巡りをした時の景色、そのままが。


    もっと文学に触れたいと思わせる一冊。

  • 3.5
    女の無理解について。その有機的な無神経さに蹂躙される美。一方で、有機はやがて無機に分解されゆくという機構も含む。有機と無機、女と男は互いに破壊し風化させゆくものである。ということ。

  • 愛情を信じることのできない昇は6ヶ月の越冬を自ら志願し、顕子との愛を人工的に作り上げようとするが結局は失敗に終わる。昇が人工的に川の水量を調節するダムの建設を生業としているのは比喩的。昇がダムなら顕子は感情の水が溢れ出す滝。顕子には感情の水を調節する人工的な装置=感情のダムは存在しなかった。
    正直理解するのが大変だったので、またいつか読み直したい。

  • 【第34回芥川賞選評】(川端康成)「私は「太陽の季節」を推す選者に追随したし、このほかに推したい作品もなかった。「第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである。極論すれば若気のでたらめとも言えるかもしれない。このほかにもいろいろなんでも出来るというような若さだ。なんでも勝手にすればいいが、なにかは出来る人にはちがいないだろう。」

  • 六ヶ月も越冬するのかぁ。

  • 解説で村松剛は三島を「道徳を信じない道徳家。愛を拒否する愛の詩人」を評する。本作の主人公、城所昇はまさにその象徴ともいえる青年として描かれている。

    昇は顕子と出会い、その欠陥的要素について強い魅力を感じる。しかし、皮肉なことにその魅力は昇自身の手によって解体されていく。

    昇が本質的な人間の冷酷さを手に入れたとき、顕子は救いようのない絶望へと堕ちていく。このシーンが持つ壮絶さこそ、この作品の真骨頂だといえる。

    しかしながら、昇には親近さすら感じる。愛を信じないからこそ、愛に対して貪欲であるということは正しい。

  • 2008年07月20日 11:43

    なにこの人(笑)
    って感じでした。
    主人公は、容姿端麗、知性に溢れ、金銭面でも苦労をすることのない、いわば完璧人間。しかし恋愛を含む本能的な欲求に乏しく、理性でばかりものを考えるため、時に生活に空虚さを感じている。

    ここまではいい。むしろ最高といえるかもしれない。才色兼備な上に、究極に理性的。そんな男性そうはいない。

    ある日彼に運命の出会いが訪れる。まるで己にそっくりな女性と恋に落ちるのだ。
    二人はこの奇跡を尊び、そして二人の情熱と関係を永続的なものにするがために、きめごとをつくる。

    ・しばらく会わない(一年ぐらい)
    ・手紙でやりとり。ちなみにどんな嘘を書いてもいい→愛を確認。

    いやいやいや、なんで?何がしたいんですか。特に後者。

    しかも彼は「この手紙の内容はきっと嘘だ・・・いやしかしその裏を書いて事実かも・・・さすれば彼女は・・・いややはり・・」と自分の作った意味不な規則で意味不に葛藤。これで本の半分消費。
    さらにそこまで言って最後は飽きてバイバイ。
    なんだそれ!

    主人公の勤め先がダム現場で、そのダムに魅入られること、彼女を滝に見立てることから、彼の恋愛観とか、作者自身の人生にたいする見方とかはわからなくもない。
    けどそんな崇高なことより、やっぱり最初から最後まで気になるのは、その決まりごとに振り回された彼の心境。

  • 初めて三島由紀夫の作品を読んだ。物語としては大変面白かった。
    ただ主題に関してはなかなか理解し難いものがあった。単純にそれは俺の感性の乏しさや稚拙さに原因がありそうだが・・・。
    もう少し三島作品に触れ、改めて読み直してみることにする。

  • 不感症の男女の恋物語。と言っても顕子は肉体的に、昇は精神的に不感症。昇は人を愛さない冷たい男で、石や鉄で出来た無機質なものが好きだった。彼は偶然、顕子に出会い、無感動な彼女に興味を持つ。二人は人工的な愛を作ろうとするが、結局これは失敗し、昇は満たされることがなかった、というあらすじ。
    三島は問題提起ばかりで解答はくれないみたいだね。リアリストということかな。ならば、読者は昇を観察して、精神的不感症の構造を暴いて、各自の参考にするべきだろう。精神的不感症の要因は、次の文章にあると思う。《昇が石や屍のような不動のものだけを愛するのは、それだけが疑いようのないものだったからではなかろうか。》つまり、人を愛さないのは、多種多様な可能性を排除して考えられない(=人を信じられない)ということが、暖かな人間関係を阻害すると。言ってしまえば、それだけのことなのだけど、実践的にそういう人間の生き方を虚構に照らして見ると、そのような簡単なことも普段の生活のなかで見出だせなくなっていることが分かる。小説って馬鹿にならないな。
    また、三島の小説は、人物の機微が細かく活写されるので、僕のような人の気持ちを想像する力の欠けた人間には大いに勉強になります。

  • 本来のテーマとは関係の薄い箇所だけど、半年に渡る越冬の場面が凄く良い!
    彼の作品にしては珍しく風景描写に徹底的にこだわってる。
    相変わらず圧倒的な語彙力。
    瀬山の不器用な生き方、嫌いになれないな~・・・。
    三島は一番好きな作家なのにまだ5冊程度しか読めてない・・・。

  • 閉ざされた大自然の中で、人工的なダムを造るという使命を帯びて、寝食を共にする男たち。使命よりも動かしがたく冷たい自然を愛し、越冬を望んだ主人公。感動できない物しか愛せない彼は、三島作品の中でも特に冷たく残酷な男だと私には思えました。

  • 奥只見湖を旅行するにあたり、物語の舞台となっているこの小説を読んでみました。
    三島作品を読むのは久しぶりです。
    相変わらずの硬質で尊大感の漂う、彼独特の文体。
    美しく豪奢で気位の高い男女が登場します。

    どちらかというと、実験的な愛で繋がった男女の心理描写を主体に描かれており、主人公、昇が仕事で越冬する、奥只見(本作では奥野川ダムという名前)についての描写は、二の次となっている様子。
    前に同じ場所を舞台にした『ホワイトアウト』を読んだため、情景描写の迫力の差は歴然としています。
    自然の猛威がメインとなっているわけではありませんが、もう少し冬の間は雪で閉ざされた遠隔の地だという孤立感を伝えてほしく思いました。

    あまりに人工的な男女。鉄や石とばかり遊んできた少年は、成人した時には鉄のように固く不動の心を持つようになっていたようです。
    そんな彼が、ダム設計技師という仕事上、人里から隔離された自然の中に身を置く形でひと冬を超えるうちに、遊戯めいていた人妻、顕子への思いが形を変えていきます。

    どうにも技巧的な文体で綴られる、技巧的な主人公の心の行方。
    物語は感動的なクライマックスを迎えるかに見えて、急遽ショッキングな悲劇性を帯びていきます。
    顕子の深い絶望と、それを観察者の立場で黙って見守る青年の残酷さ。

    以前卒論で彼の文体について採り上げたことがあるだけに、文章そのものについ気が向いてしまいます。
    独特の翻訳調文体や話の運び方に、フランス心理文学の影響が色濃く出ているように思います。
    若さ、豊かさ、美しさ、傲慢さ、残酷さ、自尊心と屈辱、絶対優位性など、何ともミシマらしい傾向に満ち満ちた作品です。

    いかんせん、常に無感動で冷静なので、昇にはどうにも感情移入できません。
    ただ一回、顕子の夫が彼を訪ねて来た時に激しく動揺した時のシーンは、興味深く読みましたが、さすがはミシマ主人公、無難に切り抜けました。

    まだ若く、過ちを犯しやすい年齢でありながら、自分自身を頼みにし、残酷な采配を振るう、無傷の青年。
    愛を信じないことが、彼の強さなのでしょう。

    主人公の心理について行けなかったため、物語としては好きな話ではありませんが、ラストに向けて女性を滝、主人公をダムと見立てて描きこんでいく緻密さは、さすがの筆力だと思いました。

  • 三島再読第9弾。
    青年の青年らしさを潔く書き上げた一冊。昔読んだ時は単純にストーリー展開を面白く感じただけだったが、再び読んでみると、ストーリー展開は奥に引っ込んで(単純なストーリーであるせいもあるが)、主人公の青臭さというか若々しさが妙に浮き上がって感じられた。
    さらっと読めて、文体も質実剛健な印象なので、実は傑作な気がする。

  • 不感症の女と、感動しない主人公が、知り合う。自然の滝で、「あの人は感動しない人間が好きなんだ」という一言に、不感症の女が恋に落ちていくとき、致命的な一言を受け、死にいたる。恨みが、溜まっていた旦那は、事務的な処理で、村の言い伝えから、抜け出す。そして、主人公は、ダムの建設が終わると、皆を連れて、沈める滝(顕子が自殺した場所)に向かう。そして、昔、ここに小さな自然の滝があったんだという。人工に変わってしまった、滝(ダム)を見て、まだ結婚なさらないの?とマダムは聞く。主人公は、ああと答えて、煙草を吸う。

  • ネタバレありの個人的感想

    初めて三島の作品を読んだ。
    巻末の村松の解説にあったように、三島の作品は
    「既成のものを信じないという立場に立って、
    その荒廃の上に、あらためて夢なり美なりを、
    人工的につくり出そうとするところに成り立つ」ものとして
    特徴づけられるらしい。
    本著も、「既成の愛を信じないという立場に立って、その荒廃の上にあらためて人工の愛の創造を試みた」作品やった。

    こういう風に、
    信じないことを肯定した上で物事を構築していこうとする考えがおもしろかった。
    でもまあ顕子が変わってしまってただのめんどくさい女(言い方・笑)になったのが残念です(笑)

    主人公晃の、特定化されず任意の一点になりたい、というのはよくわかる
    (わかっていいものかどうか微妙やけど)
    長距離通学をやめないのもここらへんの理由がからんでいるかと。
    役割期待から離れて他人の他人になる時間は必要やと。

    瀬山のキャラはおもしろかったな、うん。

  • 最近読んだ三島由紀夫では断トツで熱中した作品。
    解説にもあるように後半でやや失速した感もありましたが、
    文章はもちろん、内容が私の好きな三島由紀夫で脇役も魅力的でした。

    『一方、あの田代の人柄も徐々に変り、赤い頬はいつしか失われて、いらいらした、傷つきやすい少年になった。何かというとすぐ怒るので、みんなは田代には気をつけてものを言うようになっていた。
    田代は昇にだけは怒らないで、彼の前で渝らぬ笑顔を見せた。田代に云わすと、彼の心を傷つけないのは昇ばかりで、他はみんな敵であり、自分は一人ぼっちだというのであった。昇はそれが当たり前なんだということを、年少の友に納得させようと骨を折ったが、それでも昇の言葉なら、どんな荒っぽい言い方も心を傷つけないという確信に酔った田代は、世界中の味方が一人はいると思う幻想からは、どうしても醒めようとしなかった。
    こういう頑固な夢想を託されてみると、昇の心にも、一種の甘さがやすやすと生れた。佐藤に対するときは酷薄になる心が、田代に対するときは温かくひらいた。』

    主人公の城所昇は雪篭りによる集団生活の中に自ら身を投じます。
    そこでの親密すぎる人間関係、信頼と尊敬、疑惑とパニック。
    脇役ひとりひとりが個性的に人間臭くて面白かったです。
    もちろん主人公の強烈な個性は一番魅力的でしたが。
    あとは文章はもちろん由紀夫らしく素敵でした。

    『大そう蒸暑く、寝不足のために、おそい朝食は不味かった。冷えた目玉焼が、大袈裟に言うと、彼をすっかり不幸にした。女中たちは手早く寝具を片附け、もう一度眠ることはむずかしかった』

    三島由紀夫の文章というと、情景描写がとても好きなんですが、
    こういうなにげない日常の描写でも人物の心情がここまで粘っこく薄暗く書かれていて、
    やっぱり好きだなぁと悶えていました。三島由紀夫がどうにも好きです。

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