暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

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著者 : 三島由紀夫
  • 新潮社 (1977年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050232

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暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 再読。昭和16年、47歳になった本多は仕事で赴いたタイ(シャム)で、かつて日本に留学していた王子の末娘ジン・ジャンが、勲の生まれ変わりであることを知る。今までとちょっと違うのは、この時点で7歳の月光姫が自分の前世の記憶を持っていること。

    このタイ、インド旅行のくだりは三島自身の旅行記のようでもあり、詳細な描写は興味深いけれど小説の内容とは直接関係のない無駄な部分も多い。さらに、この四部作全体のテーマに関わることとはいえ、大乗・小乗仏教、ヒンズー教、インド神話、マヌ法典からオルフェウスやディオニュソスにいたるまで、本多のモノローグを借りた三島自身の知識の博覧会のような部分も長々とあり、いささか退屈。アラヤシキとかもういいよー。

    さらにその11年後、昭和27年、本多は58才。18歳になったジン・ジャンが留学生として日本にやってくるが、すでに彼女は前世の記憶を失っている。すでに老年にさしかかっているが本多はジン・ジャンに恋をする。しかしロリコンな上に覗き趣味の本多は自分の恋が成就しない決定的な瞬間を覗き見してしまい・・・。

    輪廻転生、これが「海のオーロラ」(里中満智子)のような少女マンガであれば、引き裂かれた恋人たちが何度も生まれ変わって悲恋を繰り広げるところだけれど、三島の描く転生者たちは生まれ変わるたびに違う相手に恋をする。清顕は聡子のために死ぬけれど生まれ変わった勲は聡子のことなど知らず槇子に恋するし、その転生であるジン・ジャンは槇子とも会っているけれど何の感慨も催さず別の人物に恋をする。本多はすべてを見ているけれど、ジン・ジャンはけして本多には恋しない。

    「この世には、記憶に留められる者と、記憶を留める者と、二種類の役割しかない(P188)」というくだりがありますが、 自らを「客観性の病気」と自認する本多は間違いなく記憶を留める側であり、傍観者である彼が覗き趣味になるのはある意味自然ななりゆきかも。本多という人物には明らかに三島自身が投影されているけれど、にも関わらず、いや、だからこそ、三島自身は「記憶に留められる」側にいきたくてもがいていたのかもしれないと思う。

  • 暁の寺。始まり方が前の2作品とは違った印象を受けた。本多さんが輪廻について色々と考察するのは興味深い。「柘榴の国」について語る今西氏の考えになるほどと思った。ジャン姫が美しい。慶子さんがかっこいい。まさか真面目一筋だと思っていた本多さんにこんな趣味が。覗きのシーンはこちらまで後ろめたさが。

  • 1・2巻から続いて興味深いのは序章あたり、夢と転生。どうしてここで欲望の話になるのか、終わりの巻でどうなってしまうのか分からなくなった。

  • 1、2巻で唯一自覚的に輪廻転生を見守ってきた本多が主人公となった1作。1巻で松枝清顕として登場した『生』が、勲を経て、今回はタイのプリンセス ジン・ジャンとなって本多の前に現れる。
    仕事の報酬として大金を手にいれ、余裕ある生活を送るようになった初老の本多の、理性というのか、それまで自身の核であった意思の壁のようなものが崩壊した姿が無惨で、哀れに感じた。露悪趣味と思えてしまうほど、どんなに些細な醜い心のうちや弱さ、慾望まで光を当てて曝け出していて、この作者のように美学が強い人ほど、醜いものにも強く感応してしまうのかなと思った。
    長く挿入されている仏教哲学も内容もあまりに深くて難解で、私はきちんと理解出来ていないと思う…。ただ、読み終わって、何か大きな力(阿頼耶識というものだろうか?)の中にいて無力な人間の儚さを感じた。
    それと、この小説を書き終わった後で割腹自殺をした三島が、何かひどく壮大なことを考えながら執筆していたのだろうことは、ヒシヒシと感じられた。

  • この巻で転生の謎は究極の位置まで来たように思う。それが本多が見たベナレスでの光景。ベナレスの描写とそれに直結する結末では、途轍もない高揚感が襲ってくる。また、この本はある面ではバンコク観光のための異色ガイドにもなる。

  • この作品を読んで、タイに行きたくなったひとも多いと思う。
    バンコクの王宮から、河を挟んで対岸にある暁の寺。
    とても美しい。

  •  眼を削り耳を削ぎ鼻を削ぎ舌を切り身を離れ意を滅してなお水仙の花は存在せねばならぬ。種子なかりせば世界は存在せず世界なかりせば種子の輪廻転生する場は永久に閉ざされよう。水仙の花がわたしの死後も確実につづくならわたしの過去世がなだらかに来世へとつづくも確実なり。今見る焼趾も瓦礫も蓼科も動ぜず引受け一瞬に捨て去り平然と更新する秘法がある。

    『もっと自分に愕かなければならない。』198頁

  • 自決して果てた勲の転生は、タイ国の姫君ジン・ジャン。今まで清顕の倫ならぬ恋、勲の義挙の観察者であった本多だが、この巻では老いて意外な性癖に目覚め、ジン・ジャンの肉の美しさに懸想する。

    転生者たちの若さと美しさにくらべ、周囲で老いていく者たちの醜さが目に痛い。しかし、どんな卑猥な快楽も、高尚な事業と同様に甘く豊麗な動悸をともなう、それは崇高と見分けがつかぬ、という本多の思いは非常に納得させられるものがある。

  • 輪廻転生を題材にしている。まさか、舞台がタイのバンコクから始まりから度肝を抜かれた。月光姫がまさか松枝清顕の生まれ変わりであった。

  • 考えて見るとちょうど20年前、これを読んでその後にインドに行き、ヴァラナシも訪れた。自分はこんな場所があることを受け入れること自体も世界だと思い、人生を変えるほどの衝撃を受けるとまではいかなかったのを覚えている。
    時代が下るにつれて俗っぽくなる本多とその周りは作者の眼に映る日本そのものだったのだろうか。それとここで本多の戦中の研究として急に観念的に現れてくる仏教観とのあまり精妙でもない混ざり具合がこの巻を読みにくくさせてているように思う。前巻では仏教をすごく否定する剣道の師匠が出てきたように思うし、もうちょっと良く考えてみたいのだけど…

  • 己の理性のみ拠り所に生きてきた裁判官がインドのベナレスで生と死の究極の形に出会い、価値観をぼろぼろにされてしまう。現世のすべての努力は虚しいものなのか。人は輪廻転生し、この世の辛苦を味わい続けるのだろうか

  • 三巻・四巻はあまり評価がよくないのかとレビューを見ていると感じます。ジン・ジャンの出番は松枝の立ち位置としては少なく、象徴的な扱いだったような気がします。だからこそ本多に輪廻転生の考えをより強く持たせたのかもしれません。美しさ、若さに対する老い、醜さの描写がなかなか辛かったです。

  • ストーリーは、情熱感・勢い・ドキドキハラハラには欠けるが、人間らしい本多が垣間見える、1~2巻とはまた違ったテイストの作品だった。
    最終巻に向かってどんな伏線が張られているのか楽しみである。

  •  バンコックは雨期だった。空気はいつも軽い雨滴を含んでいた。強い日ざしの中にも、しばしば雨滴が舞っていた。しかし空のどこかには必ず青空が覗かれ、雲はともすると日のまわりに厚く、雲の外周の空は燦爛とかがやいていた。驟雨の来る前の空の深い予兆に満ちた灰黒色は凄かった。その暗示を孕んだ黒は、いちめんの緑のところどころに椰子の木を点綴した低い町並を覆うた。

     又、たとえば、本尊のエメラルド仏で名高い、王城守護寺ワット・プラケオ。
     一七八五年の造営以来、ついに一度も毀れたことのない寺だ。
     雨のなかに、左右に金の塔を控えた大理石の階段上の、金色の半女半鳥が璨然(さんぜん)としている。朱の支那瓦とその緑の縁取りは、明るい雨にいよいよ艶やかに照り映えている。

     本多 四十七歳 五井物産 バンコク一のオリエンタル・ホテル
     日は対岸の暁の寺のかなたへ沈んでいた。しかし巨大な夕焼は、二三の高塔を影絵に縁取るほかは、トンブリの密林に平たい景観の上の、広大な空を思うさま鷲づかみにしていた。密林の緑はこのとき光りを綿のように内に含んで、まことのエメラルドの色になった。

     本多はきのうの朝早く、舟を雇って対岸へゆき、暁の寺を訪れたのであった。
     それは暁の寺へゆくにはもっとも好もしい正に日の出の刻限だった。あたりはまだ仄暗く、塔の先端だけが光りを享けていた。ゆくてのトンブリの密林は引き裂くような鳥の叫喚に充ちていた。
     近づくにつれて、この塔は無数の赤絵青絵の支那皿を隈なく鏤められているのが知られた。いくつかの階層が欄干に区切られ、一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であった。

     塔の重層感、重複感は息苦しいほどであった。

     ネナム河の赤土色に映った凄い代赭色の朝焼の中に、その塔はかがやく投影を落して、又今日も来るものうい炎暑の一日の予兆を揺らした。

    哀れな狂った幼い姫君 日本人の生まれ変わりで、自分の本当の故郷は日本だ、と言い出されて、誰が何と言おうとも、その主張を枉げようとしない

    「ずっと南だ。ずっと暑い。…南の国の薔薇の光りの中で。…」
     死の三日前の酔った勲のうわごとが、突然耳によみがえった。あれから八年、自分はいまこそ勲に再会するために薔薇宮へ急いでいるのだ。
     それは熱い乾いた土地にしみ入る驟雨を待つような喜びの心だった。
    …勲の割腹をきいたとき、刺すような悲しみよりも、何か徒労の鈍い重味がすぐさま心にのしかかったが、日を経るいつれて、再会の喜びを待つ気持に変った。
     姫が手をあげるときがあった。平たい小さな胸の左の脇、ふだんは腕に隠されているところへ、思わず本多は目をやった。その左の脇腹に、あるべきはずの三つの黒子はなかった。あるいは淡い黒子が、褐色の肌色にまぎれているのではないかと思って、瞳が疲れるほどに、機をとらえてはそこへ視線を凝らしたのであったが…

     旅程はまず海路でカルカッタへ入り、カルカッタから六百七十八キロのベナレスまでは、丸一日かけて汽車で行き、ベナレスからは、モグール・セライまで車を使い、ここからマンマードまで、二日がかりの汽車の旅をして、マンマードからアジャンタへ車で行くのである。

     彼は絵葉書に書いた。久々で妻の梨枝に書いたのである。
    「今アジャンタの洞窟寺院を見物に来ている。これから見るところ。目前のオレンジ水も、コップのへりに蠅の糞が点々とついていて呑めない。しかし体には十分気をつけているから心配なく。印度は正に驚異の国だ。腎臓には気をつけているね。母上によろしく」
     これは愛情の手紙だったろうか。彼の文章はいつもこうだった。心の中に漂いだした靄のようなやさしさ、それから帰郷の感情が、卒然と筆を執らせたのはたしかなことだが、文章にすると、必ずこんな... 続きを読む

  • 若い日本精神があれほど孤立した状況で戦い自滅して行った姿を見ては、「自分をこうして生きのびさせている力こそ、他ならぬ西洋の力であり、外来思想の力だ」と覚らざるをえなかった。固有の思想は人を死なせるのだ。p.32

    思えば民族のもっとも純粋な要素には必ず血の匂いがし、野蛮の影が射している筈だった。世界中の動物愛護家の非難をものともせず、国技の闘牛を保存したスペインとちがって、日本は文明開化で、あらゆる「蛮風」を払拭しようと望んだのである。その結果、民族のもっとも生々しい純粋な魂は地下に隠れ、折々の噴火にその兇暴な力を揮って、ますます人の忌み怖れるところとなった。
    p.33

  • ますます本多が俗人化してゆく作品。ヒロインの心理が一切わからないのは本多と年齢が離れてしまったせいなのか?そもそもこのヒロインは必要だったのだろうか…?と言うのが率直な感想。

  • 心と意思が罪と業の原因をなすのであるから、われわれは本来無我である。

  • 三島自身の校了の感想も、これまででもっとも不愉快だったと言っているそうで、この小説を書き終えた半年後に自衛隊での演説をおこなうことになるわけだが、このことを知って読むと一層感慨深い。内容は輪廻転生や人間の生をテーマとしているが、とにもかくにも人の美しさ、醜さ、高潔さ、狡猾さ、悲しみ、エロティシズムが、綺麗で力のある言葉で描かれている。前半後半で時間の流れがまったく違うと感じることも驚き。やはり三島は一度は読むべき。

  • 文字を追うだけで、行った事も無い国の温度や湿度、匂いまで感じ取れてしまうような描写に圧倒され続けた一冊だった。かつての親友の生まれ変わりだと信じてジン・ジャンを老い続ける老人の愚かさというか人間くささが浮き彫りにされている。

  • 輪廻転生の「転」にあたる3作目。そこには2つの「転」が存在する。一つは異国の人として生まれ変わった「転」、もう一つは女性として生まれ変わった「転」。それが、老いてく本多の中に、新たな異性への想い、恋、エロティシズムとして溶けていく展開が実に官能的で興奮させる。しかしそれは表向きの顔。「転」の本質は別にある気がしてならない。そもそも戦後復興への胎動期にあり、まだ進駐軍が跋扈していた時代であるにも関わらず、中心人物がみな裕福なのには違和感を覚える。本多の人物像しかり。一瞬にして土地成金になり、孫のような年の少女に恋をし、覗きで興奮する異常性愛の持ち主。一方の少女は狂った幼姫で同じように異常性愛を植え付けられ、あっけない最期を遂げる。その死には清顕や勲のような神秘感は存在しない。これらを総合して考えると、実は登場人物の姿、行動を戦後日本の象徴として表現したのではないか、と想像する。そして三島が伝えたかった「転」とは、復興に向けて歩む日本の指針への警鐘に他ならず、最終章への布石が見えてくる。

  • タイの寺院の描写が美しい。

  • このシリーズは間をおかずに一挙に読んだ方が関連がわかりやすい。
    第三巻は異国の女性が主人公なので、ややエログロナンセンス。

    二巻までは理性と良心の人だった本多が覗き魔になったり、孫といってもおかしくない娘に懸想したり。人物の誰にも共感が持てなかった。長ったらしい仏教などの解説部分も冗長にすぎる。

    ラストで驚きの結末を迎えるが、ボリュームもなく、二巻までに比べると、ストーリーを煮詰めずに荒書きした印象。作家の死の半年前脱稿を考えると、追い詰められていたのかと感ずる。

  • 『永年の習慣で、散歩というと本屋へ行くのである。夥しい背文字の列が心を慰めた。

    すべてが観念に化してここに納められている。人間の愛欲と、政治的騒擾も、すべては活字になって沈静に配列されている。

    しかもここにはすべてがあるのだ。編物の手ほどきから国際政治まで。』

    難しいなぁ。登場人物のみんなが何考えてるか分からないなぁ〜。

    たぶん、肝心なことを誰も何も言ってないからなんだろうな。

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