豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101050249

感想・レビュー・書評

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  • 松枝清顕の親友だった本田繁邦は七十六歳の男やもめになっています。

    本田は安永透という十六歳の孤児で船舶の信号員をしている非常にIQの高い少年と出会います。
    そして透少年の脇に清顕や勲、ジン・ジャンと同じ三つの黒子があるのを知り、透を清顕の生まれ変わりと思い、養子に迎え入れます。

    しかし、透の内面は壊れていたのです。
    まず、本田が東大に透を入学させる為につけた家庭教師の思想を暴き首にします。次に許嫁として与えられた娘、浜中百子を自ら傷つけ「金目当ての結婚だった」という偽の手紙を書かせて父の本田に縁を切らせてしまいます。
    透は本田の与えたものを傷つけることに生きがいを見出していたのです。

    東大入学後は年老いた本田に対して暴力をふるうようになり、本田も透の悪を見抜きます。
    そして本田はあと半年辛抱して、二十歳になっても透が死ななければ彼は生まれ変わりではなくただの偽物だったのだと言います。

    本田の旧くからの友人の久松慶子は透をクリスマスに家に独りだけ招いた上で、本田が何故透を養子に取ったのかという、脇の三つの黒子と、清顕の夢日記のことを告げます。

    慶子は言います。
    「あなたには、半年の内に死ぬ必然性も誰かに喪ったら惜しいと思われるようなものは何ひとつないんですもの」

    その後透は服毒して自殺未遂をして失明してしまいます。


    本田は八十一歳になり初めて、奈良の月修寺の聡子を訪ねます。
    八十三歳の御門跡聡子は、
    「松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」
    と清顕のことなど全く知らないというのです。


    この巻は、非常に言っていることが難しく、真の意味はわかりませんが、二十歳でなくなった清顕のことのみ考えて生きてきた本田の生涯はなんと寂しい終わりなのだろうかと思ったし、透も、二十歳で心を闇の中に落として未来がなくなってしまいました。


    この四部作を書き上げた後、三島は自決しますが、これが三島の遺書だったのでしょうか。

  • 全四巻からなるこの「豊饒の海」。今作はそんな大長編のラストを飾る四巻目「天人五衰」である。

    今回の主人公は安永透。彼は生まれながらにして自分の脇下にある黒子を何か自分を超越的な存在たらしめる証拠だと思っている。彼は慶子に言われたように、清顕と勲、ジン・ジャンの転生者ではなかったかもしれない。けれど私にはどうしても転生者だと思わざるを得なかった。特にそれらしい描写があるとは言えないものの、直感でそう思った。本多の普通の人に戻したいという助力あったからこそ、転生者ではあったもののその資格を失ったのではないかというのが私の考察である。そうだとするならば、関与次第では清顕も勲もジン・ジャンも死を免れられたかもしれないと思う。だから、もし本多が養子に取らなければ、徹底的な補助をしなければ、透も二十歳で死んでいたのではないかと考えた。いずれにせよ真相は分からないし、きっと贋物説の方が多いとは思うが、想像するだけは許してほしい。

    天人五衰の過程をそのまま透が辿るという構成の素晴らしさには圧巻。また最後の本多が月修寺に向かうシーンは、第一巻「春の雪」の清顕が月修寺に向かうシーンと対比されていて凄く良かった。そして、極め付けは最後の場面での聡子のあのセリフは全ての認識を覆すものであり、驚嘆するしかなかった。全ては幻だったのか!?

    正直、この作品を完全に理解するのは私には若過ぎて些か難解だった。けれど読んで良かったと胸を張って言える。三島由紀夫は何を思ってこの4巻からなる物語を書いたのだろうか。私にはまだ理解できないけれど、私が彼の享年と同じ歳になるまでには理解できていたら良いと思う。とにかく今の私にとっては、彼の作品を読むことが彼を理解することであり、彼を悼むことでもあるのでこれからも読み続けていきたい。

  • これほど濃密かつ壮大なのに、これほど不可解で虚しい作品ってそうそうないかもなあ…、とひどく侘しい気持ちで読み終えた三島由紀夫最後の大作「豊穣の海」。

    或る一人の魂が、二十年の周期で転生と破滅的な死を繰り返してゆく。
    それに呼応するように、一人の男「本多」が、明治中期から昭和後期までを生きた八十余年の彼の人生の中で、なんとかその「転生者」を破滅から救わんと、何度も手を差し伸べて悉く失敗に終わりながら、結局は彼の人生ごとどっぷり絡め取られていく…そんな狂気じみた様子が、仏教思想を根底に置きながら、「春の雪」、「奔馬」、「暁の寺」、「天人五衰」という四部構成で描かれる壮大なお話です。

    本多の人生を生涯翻弄し続ける、ある人物の転生した姿は、同じものが一つもなく、多様です。

    大正初期、宮家の妃となることが決まった伯爵令嬢・聡子との道ならぬ恋に身を焦がして破滅する、傲慢で美貌の公爵家の嗣子・清顕(きよあき)【春の雪】。
    昭和初期、国の行く末を憂い、政府の要人暗殺に闘志を燃やして凄烈な死を遂げる勲(いさを)【奔馬】。
    昭和中期、享楽と肉欲に身を染めて最期は呆気ない死を迎えるタイ王族の姫・月光姫(ジン・ジャン)【暁の寺】。
    そして、昭和後期、本多が自身の人生の終焉を見越して、傲慢にも運命が変えられるか試みた最後の転生者は…【天人五衰】。

    何度転生を繰り返しても、どの人生の最期も、無意味かつ虚しいもので、それがかえって、輪廻の業の深さのようなものを、「傍観者(記憶者)」である本多や、読者の心の上にひどく重苦しい色彩を持って痛感させていきます。

    また、この四部作の凄いところは、単なる転生ファンタジーにとどまらないところです。
    転生者の種々の人生を眺めるお話という側面は確かにあるけど、それ以上に、本多という一人の男の姿を通じて、一人の人間の一生における変質をつぶさに眺めるお話ともなっているのです。

    第一の生・清顕の親友であった本多。
    彼は、常に情熱の赴くままに破滅を招く清顕の魂とは対照的に、理知を持って己が人生を成功に導きながらも、年齢を重ねるにつれて、歪んだ悪徳や悪意をその身に蓄積させ、やがてそれらを、隠し持っていた傲慢さとともに、じわじわと表出させながら、順風満帆であった人生を、自身の手で破滅に近づけていきます。

    友の魂をなんとか救おうとする善意の姿、世間一般からみた社会的地位のある紳士的な姿とは別の醜い一面が確かに存在し、それが時とともにとどめようもなく肥大化してゆくのです。
    それは、ある意味では、情熱と破滅を繰り返す清顕の魂に対する憧れや、友の魂を救えないことに対する贖罪の気持ちの、歪んだ表出だったのかもしれません。

    本多は、人生の終焉を目前にして、親友・清顕と彼自身の二つの人生を絡め取るに至ったある場所に宿願叶って六十年ぶりの来訪を果たしますが、そこでは、まるで、彼の人生を全否定するかのような残酷ともいえる結末が待ち受けています。

    これには、読み終わった私の心が病みそうになりました。

    この作品は、とにもかくにも、三島由紀夫の情熱とある種の病的ぶりがたっぷりと詰め込まれており、この最終原稿入稿直後に、例の乗り込み割腹自殺をしたとされる曰く付きの大作です。
    壮大な長編で、見事な出来ですが、なかなかに重苦しい展開をしているので、心が元気な状態で、かつ、まとまった時間が持てる方のみにお勧めしたい作品ですね。

  • 安永透すげぇ嫌いだわぁと思ってたら、最後に慶子姐さんがズバッと切り込んでくれて痛快。このシーンで第四巻好きになった。
    透が死ねずに余生を送る様が切ない。この展開のための不快な前振りだったと思えば耐えられる。
    最後まで相変わらずな絹江が良いキャラ。
    そして、衝撃のラスト。聡子?え、聡子??ってなる。本多の人生ってなんだったんだろう。

  • 遂に読了。

    今まで想像してしたもの全てがラストで透明になり、消滅してしまった。
    本多が生涯を懸けて追い求めた「転生」と「美」や、それらを顕在化させていた清顕、勲、ジンジャンらが、透の登場によって崩れ去った。
    しかし、そもそもそれらは本多(もしくは本多の阿頼耶識?)が生み出した幻影に過ぎない。そのため消えたというよりかは見なくなったという方が正しいかもしれない。では何故本多は見なくなったのか、、、。

    正直全然理解が追いついていないが、衝撃の読書体験だった。特にラストは息が詰まると同時に世界がパッと明るくなるような感覚だった。

    またいつか読み返して、難解な言葉や哲学的な議論を理解した上で、この美しい物語に浸りたい。

  • 豊饒の海四部作に流れる共通のテーマは輪廻転生、しかし本作最後の尼の言葉で断たれる。三島由紀夫の意図したものは何だったのか?

  • 三島由紀夫のダイイングメッセージとして読むと、決意表明として捉えることが可能に思えてくる文章が少なくない第四巻。そして最終ページ、豊饒の海・完、の文字に書き添えられた「昭和四十五年十一月二十五日」はもちろん市ヶ谷での自決の日。

    三島由紀夫は何に対して殉じたのかと問えば、「観念に」殉じたのだろうと思う。
    その観念とは何かと問えば、それは言葉一つで論断できるものではないが、第四巻が描いたような世界(経済大国化、個人主義化、無イデオロギー化、等)に対する「否」が、声高く叫ばれていることは疑いない。

    「十一月二十五日」に自決することに決めている著者が、「十一月二十五日」に書き終える物語をどう締めるのか、そこに何かの「答え」のようなものを求めて全四巻を読み継いできたものの、ラストでこの物語の主要な登場人物が口にする言葉は、まさに禅の公案の如く(この結末の無時間性、無重力性、無常観、暴力性には息をのんだ)。

    答えどころか余計に謎が深まる結果。だが、そもそも、死の意味を答え合わせするような読み方こそ、安易な企てだったということ。簡単に答えを見いだせなかったことに安堵する自分がいる。

  • 三島由紀夫「天人五衰 ~豊饒の海(第四巻)」

    タイトルのとおり、すでに本多は老いている。
    「東京海上や、東京電力や、東京瓦斯や、関西電力の、『品格のある堅実な』株の持主であることが、紳士の資格であった時代」は終わり、「昭和三十五年からの十年間、・・・花形銘柄は日ましに下品になり、日ましにどこの馬の骨かわからぬものになりつつあった」(P127)。つまり、本多は頑迷になっていたのだった。

    毒蛇にかまれてジン・ジャンが死んだあと、本多が新たな生まれ変わりだと信じた青年、安永透は、自分を選ばれた運命の持ち主と信じている。本多はこんどこそ早死にから救おうと彼を養子にとるのだが、透は次第に傍若無人になっていく。

    豊饒の海、とはいわゆる月面の海のひとつのことだという。もちろんほんとうはただの砂漠でしかない。すべてを失った本多が月修寺(月の寺・・・)を60年のときを経てふたたび訪れるシーンでの、「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った」(P303)という一文は、人生の果てにたどりついたのがまさに豊饒の海であったことを示している。

    これを書き終えたその日、三島は自ら命を絶った。
    本多の独白。
    「自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。絶頂で止めるべきだった。しかし絶頂が見分けられなかった。・・・絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。しかし俺には、能うかぎり希薄な宿命しか与えられていなかったことを、俺自身よく知っている」(P131)。

    読後しばしぼーぜん(結末は知っていたのに)。
    三島由紀夫、享年45歳、私もついに年上になってしまった・・・。

  • 涅槃そのもののような作品。

  • 三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』四部作の最後の作品。
    三島由紀夫は本作の入稿を終えると、楯の会のメンバーとともに自衛隊の決起を呼びかけて市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしました。

    三島由紀夫文学の、ないしは日本文学を代表する名作ですが、構成する四作はどれも長く難解で、読み出すには覚悟がいります。
    私もようやく読み終えましたが、長い距離を走ってきたという疲労感と、この小説はいったい何だったのかという不思議な気持ちが感じられました。
    輪廻転生をテーマにしたこの物語は、松枝清顕、飯沼勲、月光姫を経て、清水港の通信所で働く少年・安永透へ紡がれます。

    本多繁邦は76歳になり、妻を亡くして、友人となった久松慶子と気ままに過ごしていました。
    三保の松原に行った際に立ち寄った帝国信号通信社で、16歳の少年・安永透に出会います。
    彼の脇腹に3つのほくろを認めた本多は、過去に失った3人の若者のようにさせないため、透を養子にして教育を施します。
    だが、裕福な暮らしを得た透の行動は、次第におかしくなってゆきます。
    婚約者の百子を陥れて婚約を破棄し、義父である本多を虐待し始め、一方で外面を良くして味方を増やします。
    また一方で、本多は、透が果たして清顕の生まれ変わりか、懐疑的になってゆきます。
    実際に作中、月光姫が死んだ日は突き止められず、透が生まれ変わりだったのか、そもそも輪廻転生などといった事象は、これまでも起きていたのか、謎のまま終わります。
    ラストは謎を謎のままとし、輪廻の有無に関わらず、その先にあった虚しさを感じるような終結だったと感じました。

    天人五衰は四作の中では比較的短く、読みやすい方だと思います。
    ただ、過去三作に続いてやはりバッドエンドルートとなっており、天人五衰というタイトル通り、死に向かって流れる物語でした。
    また、過去三作では主人公は死ぬことで次の話へ続きましたが、本作の主人公は運命を試して失敗するという意外な結末となります。
    結局、輪廻転生はあったのか、透は生まれ変わりではなかったのか、真相は明かされないまま、読者の胸にしこりを残して、三島由紀夫は逝ってしまいました。
    そういった意味で、組み立てたパズルの最後のピースが見つからないような"なんだったのか"という読了感がありました。
    いずれにしても、今は続き、過去は忘れ去られてゆく、作中の言葉で「何もないところ」というのが、その答えなのではないかと思いました。

    長編ゆえにおすすめしづらいところがありますが、読めば名作と謳われるべき何某かを感じることができると思います。
    時間があれば是非挑戦して欲しい名作です。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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