- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101050249
感想・レビュー・書評
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豊饒の海四部作に流れる共通のテーマは輪廻転生、しかし本作最後の尼の言葉で断たれる。三島由紀夫の意図したものは何だったのか?
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三島由紀夫のダイイングメッセージとして読むと、決意表明として捉えることが可能に思えてくる文章が少なくない第四巻。そして最終ページ、豊饒の海・完、の文字に書き添えられた「昭和四十五年十一月二十五日」はもちろん市ヶ谷での自決の日。
三島由紀夫は何に対して殉じたのかと問えば、「観念に」殉じたのだろうと思う。
その観念とは何かと問えば、それは言葉一つで論断できるものではないが、第四巻が描いたような世界(経済大国化、個人主義化、無イデオロギー化、等)に対する「否」が、声高く叫ばれていることは疑いない。
「十一月二十五日」に自決することに決めている著者が、「十一月二十五日」に書き終える物語をどう締めるのか、そこに何かの「答え」のようなものを求めて全四巻を読み継いできたものの、ラストでこの物語の主要な登場人物が口にする言葉は、まさに禅の公案の如く(この結末の無時間性、無重力性、無常観、暴力性には息をのんだ)。
答えどころか余計に謎が深まる結果。だが、そもそも、死の意味を答え合わせするような読み方こそ、安易な企てだったということ。簡単に答えを見いだせなかったことに安堵する自分がいる。 -
三島由紀夫「天人五衰 ~豊饒の海(第四巻)」
タイトルのとおり、すでに本多は老いている。
「東京海上や、東京電力や、東京瓦斯や、関西電力の、『品格のある堅実な』株の持主であることが、紳士の資格であった時代」は終わり、「昭和三十五年からの十年間、・・・花形銘柄は日ましに下品になり、日ましにどこの馬の骨かわからぬものになりつつあった」(P127)。つまり、本多は頑迷になっていたのだった。
毒蛇にかまれてジン・ジャンが死んだあと、本多が新たな生まれ変わりだと信じた青年、安永透は、自分を選ばれた運命の持ち主と信じている。本多はこんどこそ早死にから救おうと彼を養子にとるのだが、透は次第に傍若無人になっていく。
豊饒の海、とはいわゆる月面の海のひとつのことだという。もちろんほんとうはただの砂漠でしかない。すべてを失った本多が月修寺(月の寺・・・)を60年のときを経てふたたび訪れるシーンでの、「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った」(P303)という一文は、人生の果てにたどりついたのがまさに豊饒の海であったことを示している。
これを書き終えたその日、三島は自ら命を絶った。
本多の独白。
「自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。絶頂で止めるべきだった。しかし絶頂が見分けられなかった。・・・絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。しかし俺には、能うかぎり希薄な宿命しか与えられていなかったことを、俺自身よく知っている」(P131)。
読後しばしぼーぜん(結末は知っていたのに)。
三島由紀夫、享年45歳、私もついに年上になってしまった・・・。 -
三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』四部作の最後の作品。
三島由紀夫は本作の入稿を終えると、楯の会のメンバーとともに自衛隊の決起を呼びかけて市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしました。
三島由紀夫文学の、ないしは日本文学を代表する名作ですが、構成する四作はどれも長く難解で、読み出すには覚悟がいります。
私もようやく読み終えましたが、長い距離を走ってきたという疲労感と、この小説はいったい何だったのかという不思議な気持ちが感じられました。
輪廻転生をテーマにしたこの物語は、松枝清顕、飯沼勲、月光姫を経て、清水港の通信所で働く少年・安永透へ紡がれます。
本多繁邦は76歳になり、妻を亡くして、友人となった久松慶子と気ままに過ごしていました。
三保の松原に行った際に立ち寄った帝国信号通信社で、16歳の少年・安永透に出会います。
彼の脇腹に3つのほくろを認めた本多は、過去に失った3人の若者のようにさせないため、透を養子にして教育を施します。
だが、裕福な暮らしを得た透の行動は、次第におかしくなってゆきます。
婚約者の百子を陥れて婚約を破棄し、義父である本多を虐待し始め、一方で外面を良くして味方を増やします。
また一方で、本多は、透が果たして清顕の生まれ変わりか、懐疑的になってゆきます。
実際に作中、月光姫が死んだ日は突き止められず、透が生まれ変わりだったのか、そもそも輪廻転生などといった事象は、これまでも起きていたのか、謎のまま終わります。
ラストは謎を謎のままとし、輪廻の有無に関わらず、その先にあった虚しさを感じるような終結だったと感じました。
天人五衰は四作の中では比較的短く、読みやすい方だと思います。
ただ、過去三作に続いてやはりバッドエンドルートとなっており、天人五衰というタイトル通り、死に向かって流れる物語でした。
また、過去三作では主人公は死ぬことで次の話へ続きましたが、本作の主人公は運命を試して失敗するという意外な結末となります。
結局、輪廻転生はあったのか、透は生まれ変わりではなかったのか、真相は明かされないまま、読者の胸にしこりを残して、三島由紀夫は逝ってしまいました。
そういった意味で、組み立てたパズルの最後のピースが見つからないような"なんだったのか"という読了感がありました。
いずれにしても、今は続き、過去は忘れ去られてゆく、作中の言葉で「何もないところ」というのが、その答えなのではないかと思いました。
長編ゆえにおすすめしづらいところがありますが、読めば名作と謳われるべき何某かを感じることができると思います。
時間があれば是非挑戦して欲しい名作です。 -
豊饒の海最終巻、やはりおもしろくて圧倒された。
と同時に空しいと感じる脱力感もある。
ここまで打ち砕かなくてもいいじゃないか、といったらいいか、、、。
好みはあるだろうが名作であると思う。
作家によって
さらりと描いて想像力をかきたてられおもしろい作品と、
三島由紀夫のようにものすごくうまい文章で目に見えるように、
想像力を飾り立てられてめくるめく作品とあるとして、
私はどちらも好みである。
さて
白状すると私にも自分の中に、
「私は私しかいないのだ!」というある核(意識)を持っていて、
それをとてもとても大切なものだと思って生きてきたようだと思う。
それは生まれた時からあったもので、
成長して認識が始まってから自分が作ったものではなく、
どこからか私に受け継がれてきたものだと思えて仕方がなかった。
意識と認識は別のもののような気がどうしてもする。
それでこの「輪廻転生」による魂の浮遊を信じたい。
勿論信じはしない気持ちのほうが強い。
伝わっているとしたらDNAで繋がっているのだ、
と言うほうがわかりやすいが、つまらない。
他人の意識の中身はわからない、作家はそのごく一部を暴き出す、
人のを知りたいという欲求に答えてくれる。
本多は傍観者であり一貫した主人公であり作者。
輪廻転生の伝達者、清顕、勲、月光姫(ジン・ジャン)、透と
巫女的存在、聡子、槙子、慶子、絹江が織り成す錦絵のような夢想小説。
意識は誰もみんな持っているし、それは男であろうと女であろうと
ひとりひとりが、大切な大切な宝物のごとくの意識を
この世にどう表すか、表されるのか、
魂の具現実験を手堅く見せてくれた三島由紀夫。
ここまで書いてもうふた通りの感想が書けそう、
と思ってしまったが、まあ、止めておこう。 -
もうさ。。。
最後どうなるのか読み終わりたい気持ちと、
この全てが現実なのか夢幻なのかわからない世界を本多と一緒に生きてきたような心地がして、
この世界が本を閉じると同時に終わってしまうのが寂しくて寂しくて…
人生で読んだ本の中で面白い面白くないかは別として1番後引く作品。普通にぼーっとして生きてても
あー清顕ってなんだったんだろう。。。勲は?ジンジャンは?とか考えちゃう。
最高の本だった