サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

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著者 : 三島由紀夫
  • 新潮社 (2003年6月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050270

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サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 悪徳をテーマにした三島由紀夫の戯曲2編。一読して自分なんかが感じたことは巻末の作者自身の解題に趣旨の解説としてほぼ書かれてしまっているのですが(笑)、備忘的に。これも解題にあるのですが、『サド侯爵夫人』は女性ばかりの配役で、『わが友ヒットラー』は男性ばかりの配役という一対の効果をねらったものということです。さらに、「悪の怪物」と認識される両者よりも、三島の関心は「サド侯爵夫人」「突撃隊幕僚長レーム」の方にあるようで、「悪」そのものよりもその周囲から語らせて「悪」の凄みを引きだし、これが本作の面白さを引きたてているといえるでしょう。本作は背景に特色があるため、若干の歴史的事実を理解した上で読むほうが、より楽しめるかもしれません。
    演劇だけに、両作品とも役柄に明瞭な性格差異を与えていて、その対比から会話で魅せる手法は流石と思わざるを得ません。中でも世間様を代弁し強烈な反作用な個性のサド侯爵夫人ルネの母・モントルイユと、サド侯爵に「貞淑」を尽くす!ルネとの会話が火花を散らす第二幕、ひたすらヒットラーに友情を信じる極右レームと「革命」をそそのかす極左シュトラッサーの会話の第二幕は抜群の面白さでした。
    2作品とも全3幕構成ですが、それぞれのテーマに即した幕構成も秀逸でこれもかなり唸らさせられました。解題によると長回しのセリフはワザと挿入しているとのことですが(笑)、文学的要素も多分に含んでいて覚えるのは大変そうだなあ。(笑)
    テーマ内容としては、『サド侯爵夫人』ではサド侯爵アルフォンスに「貞淑」を尽くすということはどういうことか、そして最後の最後にサドにどう思われていたのかの三島なりの深層解釈が面白かった。『わが友ヒットラー』ではヒットラー自身を首相にまで押し上げた勢力を切り、独裁への次なるステップへ上がる時点でのそれぞれの思惑のぶつかりを、切られる方の葛藤と切る方の衝動と冷徹さの対比が面白かった。最後に垣間見られる「悪」そのものの実体がアイロニーに満ちているのは、舞台劇の結末として綺麗に落ちているといえるでしょう。どちらも舞台で観たくなりました。

  • 3月に東山紀之&生田斗真の舞台を見に行ったので原作購入。
    舞台はほぼ原作の戯曲通り。

    『サド侯爵夫人』
    ずっとかたくなに夫に固執していたルネが、3幕で突然夫に見切りをつけるのが不思議。
    ルネが愛していたのは、「自らが作り上げたサド」だったのかなあ。
    そのあたりは他の登場人物の台詞から組み立てて推理していくしかないかな。

    すごく理論的な話の展開だと思った。
    女性が6人でてきて皆固い口調で話すだけなのに。


    『わが友ヒトラー』
    舞台でも思ったけど、『サド侯爵夫人』より、こっちのが好き。
    題名的には『サド侯爵夫人』が大々的にPRされてたけど。

    盲目的にヒトラーに従うレームが悲しい。
    どれだけ殺されると論理的に説かれても
    親友のヒトラーが自分を殺すはず無いんだ、俺も裏切らないのさ!って言い張るレームが馬鹿で一途でかわいくて悲しい。

    そこはかとなくホモっぽかった。
    三島由紀夫だしなー。そういうことだったんだろうな、意図としては。

    三幕で、自分を信じすぎていたレームが罪だと言うヒトラー。
    政治家はつらいんだね。




    戯曲っておもしろい。

  • 舞台鑑賞。
    あれほど献身的に尽くしたルネが見捨てるのは何故か悩む。最後に小間使いの台詞で登場するアルフォンソは、これまで語られていた美男子からは程遠く、ぶくぶくの歯の汚い中年(老年?)男性。頻繁に面会に行っていたルネはその変貌を当然知っていたはず。とすると彼女は自分がいつまでも美しい事を見せつけに行っていたのではないかと思ったりする。そしてずっと待っていると希望を与え続け最後の最後に突き放したのだ。本来の彼女の清純さと貞淑さを踏み躙った侯爵に対する遠大な復讐か。

  • 三島由紀夫が演劇の脚本を書いているとは露知らず手に取った作品。
    1作目の「サド侯爵夫人」は主人公のルネがどうにも好きになれず
    イライラしながら読み進めてしまいました。
    どちらかというと常識的な自分はモントルイユ夫人に共感し
    どうしても他人の思い通りにはならないとするルネのような人って
    いるよなぁなどと思いながら物語の本筋やテーマと全く関係の無いところに
    主眼を置いて読んでしまいました。

    「わが友ヒットラー」については一夜にして右と左の両方を斬捨て
    中道を進むと民衆に思わせ独裁体制を築いていったヒットラーの
    政治手腕とその苦悩を描いた作品だと思いますが
    ヒットラーとレーム、シュトラッサーのやり取りが悲劇に向かいつつも
    喜劇的で面白く読むことが出来ましたが歴史背景をあまりに知らないため
    深いところまで読めていないなという思いはありました。

  • 三島由紀夫の戯曲2編。長編における三島の「書きすぎる」特徴は、短文の戯曲においても発揮されていて、ひとつひとつのセリフの中に、登場人物の熱い思いが描かれます。
    「女」と「男」の対比が見事な2編です。

  • 解題で三島が書いているが「サド侯爵夫人」の作品の肝は論理と情熱とのぶつかり合いであると思う。論理が読み手を一歩引いたところから登場人物やストーリーを眺めるのを助け、情熱が読み手を引き込ませる。この緊迫した対立関係が崩れるとき、すなわちサド侯爵夫人が老いたサド侯爵を見捨てるときこそがまさに物語の終着点なのだ。「わが友ヒットラー」になるとこの対立関係が権謀術数と友情に置き換わる。
    戯曲なので劇を見るのが一番いいのだろうが、文章だけでも十分楽しめる。

  • この2つの物語をまとめて読むことで、話の奥行きを捉えることが出来たように感じる。

  • 『サド侯爵夫人』
    堂々巡りで自らの信念こそを絶対的価値観とする、信仰心の強い女性にありがちな円舞のようなお話。
    アルフォンスは話しの中で姿を見せず、想像の人物のようで、彼女らはひっきりなしに空想していく。しかし、ラストに突如として現れたアルフォンスの実体は、いくら罪や悪を被っているからといっても、あまりにもただの物乞い。つまり、イメージが相当に先行していたばかりに、その像が崩れることを恐れて到底だれも彼に会うことはできないだろう。アルフォンスは彼女らの中で神聖な存在なのだ。そのオチは戯曲ならはの楽しみであろう。

    途中の個人の美意識を抽き出しに比喩したのは面白かったかな。地震で抽き出しがひっくり返ったりとか、なかなか物事に線を引くことは難しいように思えるが、それもまた個人の価値観によるだろう。

    面白かったようで、意外と的を得ていたルネの意見は、彼女らが存在している世界はサド侯爵が創った世界と理解したときかな。まさに神で物語はその上で成立している。

    ある女性の信仰心が強くなればなるほど、その像に対するイメージは揺るぎないものとして昇華され、それ以外を現実として直視することができない。私は女性のそういう部分が苛立たしく思う反面、やはり美しくも思える。
    一見哀れとしての見方もあるが、コントロールできる人間側としてこれほど快楽を味わうことができないことは他にない。

    『わが友ヒットラー』

  • 表題作『サド侯爵夫人』は、実に見事な戯曲。舞台に登場するのは、サド侯爵夫人をはじめとして女たちが6人。そして、サド本人はとうとう舞台に姿を見せることがない。それでいて、登場人物たちそれぞれのの行動を決定づけているのはサドなのだ。また、ルネの「悪の中から光を紡ぎ出し…」に代表されるように、セリフもすぐれて演劇的で、全編にわたって華麗な舞台を髣髴とさせるものである。一方の『わが友ヒットラー』は4人の男たちで演じられるが、こちらでは、一転してすべての中心にヒットラーがいる。どちらも極めてシニカルなお芝居だ。

  • 男女の対比構成でまとめられた1冊。
    サド侯爵夫人が最後になって夫を見捨てたのは、例えば月と六ペンスでのブランチにとって、ストリックランドであった相手が「夫」になってしまったのと同じような状態なんじゃないかなと。
    さらに言えば、彼女は私の脳内では春琴抄の丁稚の女性版。

  •  「戯曲を書くにあたって、テーマは先に考えないほうがいい」ということを書いたのは平田オリザ『演劇入門』だった。また、彼は「伝えたいこと(=テーマ)など何もない。でも表現したいことは山ほどあるのだ」とも言っている。

     現代演劇と新劇との違いはあれど、三島由紀夫『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』の二作品は、見事に「表現したい/興味のある」状況から構想が生まれ、その中に三島が劇の本質と見ているものをテーマとして浮かび上がらせている作品ではないだろうか。
     前者は澁澤龍彦氏の『サド侯爵の生涯』を読んで、後者はアラン・ブロックの『アドルフ・ヒットラー』を読んで、それぞれ興味を抱いた場面から構想が練られ始めている。

     待ち続けたサド侯爵が牢から出てきた途端にあうことを拒絶した夫人の心境の謎。
     「右を斬り、返す刀で左を斬った」ヒトラーの狂気の謎。
     三島由紀夫の美しい文体で私的解釈が行なわれている。

  • 三島由紀夫の戯曲を初めて読んだが、読みやすくておもしろかった。
    「サド侯爵夫人」と「わが友ヒットラー」の二作。
    「サド侯爵夫人」は題名の通り、サド侯爵夫人が主人公で、登場人物がすべて女。ちなみに「わが友ヒットラー」の方は、ヒトラーを中心に登場人物がすべて男。このそれぞれの作品による男女のコントラストは鮮やかだ。
    自作解題を読んでいたら、サド夫人は貞淑を、母親のモントルイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ夫人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、妹アンヌは無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表しているということだった。こういった手法は、言われてみるとそういうことかと気付かされる。また、違う作者の戯曲でも、こういった手法が使われていたのかと気付いた。
    もともとサドについて書かれた内容の本を読んでみたいと思っていたが、サド侯爵夫人を読んでから、夫人の方にも惹かれるようになった。
    また「わが友ヒットラー」のほうは、レームのあまりもお人好しな感じがニヤニヤしてしまった。
    現代でこの作品の舞台が行われているならば、ぜひ観に行きたいところだ。

  • 女性ばかりの「サド侯爵夫人」と男性ばかりの「わが友ヒットラー」の2作が収録。
    女性ばかりが出ているのに冷たく理性的な印象で、大きな時間を扱い、「法」や「社会」なかで美学や愛が語られる「サド」に対し、
    男性の「友情」「愛情」「死」が表立って語られる「ヒットラー」。
    「サド」と「ヒットラー」は登場人物の面では女、男で対になっているが、心理の面では反対になっている。

  • 不思議だ。何がって、なぜ、最後の最後でルネはアルフォンスに会わず
    追い返してしまったのか。いや、そこが不思議なのではなく、全てがルネの仮説であり、事実ではないにも関わらず真相を確かめずに終幕するのがわからない。最後の最後まで話題の中心であるサド侯爵は不在で、女の井戸端会議的な調子で終わってしまうところが滑稽だと思う。
    再読の余地があるな。

  • 戯曲に挑戦。こういうものなんだ。
    頭の中に舞台を思い描いて読んでいました。
    『サド侯爵夫人』。罪を犯した夫の出所を待ち続けたにも関わらず、妻が最後の最後で夫を、見放す。どこでその気持ちの変化があったのか?
    女同士の大胆な会話は、共感できるところあり。
    『わが友ヒットラー』。ヒットラーが独裁者となる直前の過程が描かれている。
    2幕目が面白い。ヒットラーを自分の友人だと戯曲に挑戦。こういうものなんだ。
    頭の中に舞台を思い描いて読んでいました。
    『サド侯爵夫人』。罪を犯した夫の出所を待ち続けたにも関わらず、妻が最後の最後で夫を、見放す。どこでその気持ちの変化があったのか?
    女同士の大胆な会話は、共感できるところあり。
    『我が友ヒットラー』。独裁者となる直前のヒットラー。周りにいる部下が本当はどう思っているのか。戯曲に挑戦。こういうものなんだ。
    頭の中に舞台を思い描いて読んでいました。
    『サド侯爵夫人』。罪を犯した夫の出所を待ち続けたにも関わらず、妻が最後の最後で夫を、見放す。どこでその気持ちの変化があったのか?
    女同士の大胆な会話は、共感できるところあり。
    『我が友ヒットラー』。
    独裁者となる直前のヒットラーの冷酷さが、たまらない。

  • 貞淑な女なる主題と、修道院に入るという結末のつけ方。『クレーヴの奥方』の影響を感じる。

  • 戯曲2作。時間をおいて再読してみたい。

  • 蒼井優主演の舞台「サド侯爵夫人」の予習として読んでみました。

  • 「サド侯爵夫人」舞台鑑賞の予習で読む。
    あまりト書きがなくて、読みやすい戯曲。

    サド侯爵は不在の中、女性6人で進むストーリー。
    場所は同じだけれど、2度、時間が変わって、都合3回の話。
    女同士の口げんか、のようなことを作者があとがきに書いているけど、本当にその通り。
    極端な話、サド侯爵の身近な女たちの日常で、彼が会話のネタになっている時を3回抜き出している感じ。
    そうだな~演出しようと思えば、思い切りおばちゃんの井戸端会議風にもできちゃいそうな、そんな感じでした。
    でも、三島由紀夫が、だからこそ豪華な衣装を着せた、と言っていたかな。

  • 研ぎ澄まされた日本刀のように危険な台詞が滔々と交わされる流麗な戯曲!

  • 澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』から影響を受けたと言うことなので読んでみた。
    あれだけ獄中の夫に貞節を尽くし、夫が自由になった途端に分かれる夫人の心情を以前から疑問に思っていたのでこの解釈は「なるほど」と思った。
    登場人物のそれぞれの役割がはっきりしているので読みやすかった。

    『わが友ヒットラー』はシュトラッサーの焦りとレームの単純さが際立つ第二幕の会話が面白かった。

  • 蜷川幸雄舞台の予習&復習に。
    台詞の言葉のもつ重みが舞台にあるならば、
    台詞の言葉のもつ深みが本の中にあると思う。両方楽しめる。

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サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)の作品紹介

獄に繋がれたサド侯爵を待ちつづけ、庇いつづけて老いた貞淑な妻ルネを突然離婚に駆りたてたものは何か?-悪徳の名を負うて天国の裏階段をのぼったサド侯爵を六人の女性に語らせ、人間性にひそむ不可思議な謎を描いた『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)。独裁政権誕生前夜の運命的な数日間を再現し、狂気と権力の構造を浮き彫りにした『わが友ヒットラー』。三島戯曲の代表作二編を収める。

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