小林秀雄の恵み (新潮文庫)

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著者 : 橋本治
  • 新潮社 (2011年2月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (523ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101054162

小林秀雄の恵み (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 最近、小林秀雄は私に話しかけてくれている、という気分になっている(錯覚かもしれないけど)。こういうときにシンクロニシティーはやってくるもので、実家で見つけて早速読んだ。なんと橋本治の本を読むのは初めてである。

    すばらしかった。

    小林秀雄は徹底的に己であること、己の言葉を語ることに終始した人だ。それは西行しかり、本居宣長しかりである。したがって、「小林秀雄はこう言った」という評論では本質的なジレンマがある。小林秀雄を読んだ私がこう考える、でなくてはならない。古事記伝を読んだ小林秀雄がそうしたように。オーセンティックな批評家は橋本の文体を嫌うかもしれないが、そういう他者の目を超越した所にしか、小林秀雄の本質はなく、だからこそぼくも彼の声が自分に向かっているかのような幻想を感じるのだろう。

  • 古典をよくわかっている橋本治が、結局のところ古典を理解できていない近代人である小林秀雄を、その痛々しい本居宣長への自己投影に満ちた”読み込み”を解読していく。
    この人のエッセイは、自分の言いたいことを徒然草よろしくのらりくらりと語っていくものが多いのだが、この本は小林秀雄の『本居宣長』という読み込む対象の本があるせいか、作者からの距離がほどよく取れていて読みやすい。小林秀雄とも本居宣長とも、そして著者自身とも、気持ちのよい距離感を保ったまま論が展開していく。モノフォニックなエッセイが多いこの作者にしては、三者の声でできたポリフォニーでできた、重層的な、コクのある評論である。
    文庫版の方が、人名や難読漢字にルビがきちんと振ってあって、おすすめ。

  • 小林秀雄とは違う知性、橋本治が解説する昭和のインテリ小林秀雄。西行を自意識が彼の最大の煩悩だったと言い切る彼に小林秀雄は本当に哀れがわかっていたのだろうかと挑む橋本治、なかなか面白い。

  • 橋本治さんの思考は、とても粘り強くて、とても深くて、とても色んな道があって、とても恥じらいがあって、とてもしなやかです。
    だからとてもゆっくりです。

    橋本治さんは、この本の中で小林秀雄さんのことを
    「おじいちゃんのよう」と表現されています。
    そしておじいちゃんである小林秀雄の恵みとは
    「学問は面白いんだよ」
    とおっしゃってます。

    最初からそのことを分かって書かれたのではなく、
    書いてるうちに、調べているうちに
    「どうやらそんな感じなんだ」ということが分かったという過程は、
    「そもそもこの本を書いたのは、小林秀雄賞という賞をもらって、ならば小林秀雄について何か書かなければ申し訳ない」
    という橋本治さんのとても正直な性質と直線で繋がっているように感じられます。
    こういう正直さは誰でも気持ち良いものです(多分)。
    日本は、橋本治という作家がいるだけでも、幸せな国なのだと思います。

    僕のこの本から「橋本治の恵み」を受けたのです。

  • 橋本 治、「小林秀雄の恵み」を読みながら、考える。
    毎年、桜を、色々な場所で、微妙な開花する時間の違いにより、愉しむのを習慣にしているが、今年は、色々なことが、気に懸かった。というのも、一方で、大道寺将嗣の全句集、「棺一基」を、読みながら、他方で、この分厚い本を併読していたからだろうか、なかなか、時間が掛かかり、捗らない。俳句の中で、謳われている様々な情景は、記憶が、ますます、先鋭に、甦りながら、忘却ではなくて、逆に、どろどろとしたものが、クリアに結晶化してゆくところの果てのものなのであろうか?それとも、「美しい”花“がある。”花“の美しさというようなものはない。」、「美しい美がある、美の美しさをあれこれ言うことに意味は無い。」、、、、、、。という小林秀雄の言葉が、ふと、突然、こみ上げてきては、心に棘のようにささり、思い悩むからなのだろうか。同時併読する中で、色々なものが、少しづつ、見えてきたような気がする。纏めてみることにしよう。飽くまでも、それは、「桜」を主題として、読み解いてみた自分の勝手な解釈であるが、、、、、、。すると、桜を観ながら、或いは、散る桜の花弁を観ながら、「美しいと想うことと感じること」は、全く、別のことなのであろうか?「もののあはれ」が、心の感ずる様であれば、、、、、どうも、まとまりが付かない。「道」とは何か、茶の道、茶道、或いは、生け花の華の道、華道とは、何なのか?そもそも、道とは何か? 今度は、世阿弥の言う”花“とは、何か?と次々に、果てしなく、考え始めてしまう、、、、、、、。本居宣長の歌、西行の歌、兼好法師の歌、芭蕉の俳句、そんな文脈の中で、時代が必要とした小林秀雄なるものを、橋本治の解説と手助けを受けて、追ってみることにしよう。

    これまでに、どうしても、気に懸かっていた「桜」にまつわる二つの和歌であるが、、、、、何故、「散華」や、「道」なるものに、又、「日本浪漫派の系譜」の中に、昇華したり、収斂されてしまったのか、そして、「今日的な不安」や、漠然とした「行く末への不確定さ」、更には、来たるべきEUの信用不安に端を発する可能性のある「世界恐慌への懸念」が、再び、「過去と同じ道」に辿りつかないようにするとしたら、どう解釈したら良いのだろうか? そして、大道寺の「棺一基」俳句に見られる数多くの対象は、これらの文脈の中で、どのように、解釈、読み直したら良いのだろうか?、、、、、、、等…と、

    「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくらかな」

    「願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」

    「美しい”花“がある。”花“の美しさというようなものはない。」、「美しい美がある、美の美しさをあれこれ言うことに意味は無い。」、、、、、、。すると、今度は、世阿弥の言う”花“とは、何か?と、、、、、、、。
    世阿弥が到達した“美の達成基準“としての花、彼の到達した、或いは、目標とした美の達成基準、
    「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし、」と、経験を十分以上に積んで工夫を怠ることなければ、「花」は、消えない。自分の演じたことに、花は宿っていたか? 世阿弥という詩魂は、問いかける。
    小林秀雄は、当麻(たいま)という能にみる美しい「花」という美、美の圧倒とその襲撃に、初めて、驚愕とする、学問というものは、現世から孤立するような形で存在していたと、
    近世と言う時代が、根本のところで、学問の必要を理解していなかったからであると。必要としないから弾圧もしない、そういう調和状態の中で、近世の学問は、現実の社会体制とは関わらない、個の内面のものになった。、、、、、、、、、、だから、近世の学問は、近代の思想を生み出さない。、、、、、国学は、倒幕思想にはなったが、近代... 続きを読む

  • いつものように、橋本治の思考過程を追いながら、小林秀雄は何を考え、当時の人はそんな小林の文章を何故ありがたがったのかが分かります。

    けど、この本の中で、私が、一番好きなのは橋本治が小林秀雄の『本居宣長』を読んで「そうか、学問とはいいものだったんだ」って思ったってところです。
    愚かな孫は小林秀雄の『本居宣長』を読んで、「そうか、ちゃんと学問をすればじいちゃんが言うみたいに、自信をもってなんでもやることが出来るのか学問というのは、そういう自信を与えてくれるのか』と思ったのである。だから「もう一度ちゃんと学問をしてみようかな」と思った。

    (橋本治は小林秀雄の孫ではありません。念のため)

    これは、37歳の時に筆者が思ったことであり、本書は50を超えて精読しなおしたものなので本論ではないのですが……。

  • 小林秀雄が本居宣長読んだものを橋本治が読んだものをぼくが読んだ。いろいろループしてる。言いたいことは一つだけだと思うけど、ループループ…

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小林秀雄の恵み (新潮文庫)の作品紹介

37歳の迷える私=橋本治には、小林秀雄の『本居宣長』は過剰と孤立を恐れるなと諭す、じいちゃんの励ましだった。いまもその感動は圧倒的だ、ただ…。小林秀雄賞を受賞した55歳の私は改めて難解な作品の通読へ向かう。そして、真摯な愛情と決意で、小林の文章にねばり強く伴走するうち、ある「恵み」を受け取ったのだった。小林秀雄から現代日本人の宿命を遠望する革新的論考。

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