- Amazon.co.jp ・本 (523ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101054162
感想・レビュー・書評
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古典をよくわかっている橋本治が、結局のところ古典を理解できていない近代人である小林秀雄を、その痛々しい本居宣長への自己投影に満ちた”読み込み”を解読していく。
この人のエッセイは、自分の言いたいことを徒然草よろしくのらりくらりと語っていくものが多いのだが、この本は小林秀雄の『本居宣長』という読み込む対象の本があるせいか、作者からの距離がほどよく取れていて読みやすい。小林秀雄とも本居宣長とも、そして著者自身とも、気持ちのよい距離感を保ったまま論が展開していく。モノフォニックなエッセイが多いこの作者にしては、三者の声でできたポリフォニーでできた、重層的な、コクのある評論である。
文庫版の方が、人名や難読漢字にルビがきちんと振ってあって、おすすめ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
橋本治さんの思考は、とても粘り強くて、とても深くて、とても色んな道があって、とても恥じらいがあって、とてもしなやかです。
だからとてもゆっくりです。
橋本治さんは、この本の中で小林秀雄さんのことを
「おじいちゃんのよう」と表現されています。
そしておじいちゃんである小林秀雄の恵みとは
「学問は面白いんだよ」
とおっしゃってます。
最初からそのことを分かって書かれたのではなく、
書いてるうちに、調べているうちに
「どうやらそんな感じなんだ」ということが分かったという過程は、
「そもそもこの本を書いたのは、小林秀雄賞という賞をもらって、ならば小林秀雄について何か書かなければ申し訳ない」
という橋本治さんのとても正直な性質と直線で繋がっているように感じられます。
こういう正直さは誰でも気持ち良いものです(多分)。
日本は、橋本治という作家がいるだけでも、幸せな国なのだと思います。
僕のこの本から「橋本治の恵み」を受けたのです。