- Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101054179
作品紹介・あらすじ
男はなぜ、ゴミ屋敷の主になり果てたのか?いまはひとりゴミ屋敷に暮らし、周囲の住人達の非難の視線に晒される男・下山忠市。戦時中に少年時代を過ごし、昭和期日本をただまっとうに生きてきたはずの忠市は、どうして、家族も道も、見失ったのか-。誰もが顔を背けるような現在のありさまと、そこにいたるまでの遍歴を、鎮魂の光のなかに描きだす。橋本治、初の純文学長篇。
感想・レビュー・書評
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生きることは、巡礼なんだなぁ。
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最初はゴミ屋敷の主人と近所の住民とのトラブルの話かと思ったら、ゴミ屋敷の一家の歴史が描かれていく。どんな人間にもそれまでに至る当然の過程があるのだが、普段見えない部分を掘り下げて、読者もそのストーリーに引きずり込まれていく。読み終わった後で読む前とは違う自分に気づかされる。
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ゴミ屋敷と化した家に独りで暮らす下山忠市の生涯、それに悩まされる向かいの家の吉田家や、ワイド・ショーの取材にこたえる矢嶋富子、そして町やそこに暮らす人びとの変化を見てきた田村喜久江などの登場人物たちの心理をたどった小説です。
著者の作品はおおむね、小説であれエッセイであれ、「近代」もしくは「戦後」という時間を生きてきた人間の精神の軌跡をえがくという手法がとられており、本書もその基本的な手法を共有しています。ゴミ屋敷をめぐる問題については、一人で暮らす老人の孤独といった、現代という時間だけをとりあげるかたちで語られるのをしばしば目にしますが、そうした表層的な見かたを越えて、大きな変化を遂げた戦後という時代に目を向けたところに、著者のねらいがあったように思います。
他方、忠市の弟である修次が、実家の惨状をテレビで知ってそこへ駆けつけてからの展開は、やや性急に感じられます。これも著者の小説にありがちなことではあるのですが、「時代」とそれを生きる「人間」をえがいたことで目的は達せられており、小説としての「締めくくり」を仕上げるのに、それほど関心がなかったのではないかと感じてしまいます。もっとも、忠市の生きてきた戦後という時間と空間は現代にもつづいており、われわれ自身もおなじ時間と空間を現に生きているのだと考えるならば、「締めくくり」などないのかもしれません。 -
ゴミ屋敷の設定とタイトルとのバランスに惹かれ思わず手にとった。ボタンのかけ違えの妙。血の繋がりの強さを感じた。そして、衝撃のラスト。生きることは難しい。ドラマになったら、話題になりそうな一冊。
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人に歴史あり、なのだ。
そうしなくて良ければしない、のだ。
そこを見つめる人でありたい。 -
ハードブック 2009年8月25日発行 \1400円を、読んだ。
初めて読む橋本治氏の本。
どうして、真面目な男が、自宅をゴミ屋敷にしたのか?
戦時 少年時代を過ごし、一家の長男として、荒物屋を継ぐ為に、努力を重ね、結婚もしたのに、幼い子供を死なせてしまい、妻とも、姑問題もあり、離婚してしまって、人生の歯車が、狂ってしまう。
今の時代、若い人たちは、断捨離と言って、不要な物を、家に置かない。
人との、付き合いも、淡白になってしまっている。
昔の人は、家になければ、自分で作ったり、修理したりしていた。
購入する事、自体、物が手に入らなかったのであろう。
「もったいない」と言う精神が、身体の一部にしみこんでいるのである。
そう言いつつも、私も、母親のまねをして、包装紙、紙袋、ビニール袋を、保存していて、先日、整理したばかりである。
昔の本、毎日読む新聞、DM、チラシに、手紙等、ちょっと、置いておくと、紙袋に一杯になってしまう。
まして、この本の主人公の忠市は、ゴミを拾って来る。
溜まる一方。
ゴミ屋敷になるには、心がどうしようもなく折れ曲がる程も、屈折したおもいが、込められている。
何もしたくない気持ちが、片付けると言う作業をやめさせる。
足の踏み場が無くなっても、自分の居場所が、小さくなっても片付けられない。
弟の修次が、ゴミ屋敷の報道で、兄の忠市のところへ駆けつけ、掃除に繰り出す。
片付けたあとは、お遍路さんへ向かうのだが、、、、
兄の死には、少し、哀しすぎるし、もう少し、弟と、過ごす事をさせてやりたかったようにおもう。
でも、もし、長生き出来ても、上手く、この世を過ごせるかどうかも、疑問であるから、作者の終わらせ方が、正しいのかもしれないと、思いながら、本を閉じた。
生きることは、難しい。
長寿大国、日本であるが、自分がどのように、人生を歩めるか?と、思ってしまった。 -
戦後の雰囲気で、語られなかったことが実はたくさんある。「3丁目の夕日」のようにいいところばかり語られているが、そうじゃないこともありる。3.11のことも片付いていないまま走っている今を見ているのかもしれない。
自分のしていることが無意味であるかもしれないということをどこかで理解している。しかしそれを認めてしまったら一切が瓦解してしまう。それが抑圧された絶望。 -
「昔はあんな人じゃなかったよ」
ゴミ屋敷に住む老人の一生。
ゴミ集めが「無意味」な事は判っている。が、その無意味を指摘されたくなかった。
自分が巡るあてもない場所を巡り歩いていた事。 会いたい人に会いたい。 そう思いながらの生涯はとても判る気がする。 -
一人の男性の人生を通して、時代とは、家族とは、発展とは何かを問うた作品。正直「こんな締めなの?」と思いました。でも、そういうものかも知れません。人生って。
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ゴミ屋敷の住人忠市。戦後の好景気を迎える日本で、まっとうに生きてきたはずなのに、何故ゴミにすがる晩年に落ちぶれたのか。
人間の生き方の難しさを知る。完璧な人生などない。有り得ない。いつ災いが降りかかるか解らない。マニュアルなどない。
最後の眠りに就くとき、自らの魂が安寧の地に向かうことができるのか?少し不安に感じた。 -
完成度高い。構成と描写の緻密さ!
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分かり合えない存在は確かにいる。それなのに、ぼくは知らないうちに分かり合える大変狭い世界で生きている。まるで分かり合えないものなど存在し得ないというように。
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頭に思い浮かんだストーリーを完璧にほんとに完璧に文字に起こしたような小説。
驚いた。まるっきりそこにいるような。
しかし知ってること思ってることをきちんと書くというあくまで"技術"の話。
最初はその綿密さに驚いたけど、終始それ。
小説として、誰が読んでもそれ以上でも以下でもないって感想を持つんじゃないかな。
まぁそういう力欲しいけど。 -
人は、何かを得るために生きるのか。何かを護るために生きるのか。何かを失うために生きるのか。
ひと時、盛んに話題になった「ゴミ屋敷」。その住人はほぼみんな口を揃えて「これはゴミじゃない」という。明らかにゴミとしか言いようのないものでさえ捨てられない、その理由は…
主人公忠市の人生を解くことで、その理由のひとつが見つかる。
彼がゴミを溜めることで護ろうとしたのは、その必要はなくなった、と認められない思いだったのかもしれない。
ラストは悲しいけれど、魂は救われた、とも思う。 -
ゴミ屋敷を軸に高度成長の波が色々な視点で描かれる。
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その時代、「未来」というものは、やって来る前に思うものではなく、やって来られて初めて理解されるものだった。
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