破戒 (新潮文庫)

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著者 : 島崎藤村
  • 新潮社 (2005年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (500ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101055077

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破戒 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 明治初期、新身分制度制定に伴い新たに誕生した「新平民」。旧制度では「えた・ひにん」と呼ばれたこの身分、当時の明治社会では強烈な差別意識が、未だ根強く残っていた。
    主人公の丑松はこの新平民に属するが、その扱いの劣悪さを恐れ、また父親と交わした戒律に則り、自らの身分をひた隠して生きている。
    生まれながらの特異な境遇を噛み締めながら生きる丑松の苦悩を見事に描いた大作だ。

    物語はわずか数カ月を描いているのだが、短い期間でこれほどの心象風景・感情の機微を描くとは…さすが名作と称されるだけはある。
    特に注目すべきは「丑松が周囲の偏見によって二重にダメージを受けている」という点だろう。「外からの非難」だけでなく、「身分を隠して生きる自分」に対する「内からの非難」が絡み合っているのだ。
    自らと同じ新平民という立場でありながら(だからこそ丑松が尊敬してやまない)、社会に対して立ち向かう勇気ある思想家、猪子蓮太郎。
    素性を隠せと説く父の遺言を忠実に守るも、社会の疑いの目から逃げ続ける自分。
    丑松は両者を比較し、猪子の魂の健全さに(己の魂の卑劣さに)絶望する。
    尊敬する猪子との邂逅(それは丑松にとって嬉しくも悲しい出来事なのだが)を重ねることで、その葛藤はますます苦しみを増し、ついに父との約束を「破戒」するに至る。
    しかし、教え子に対して「土下座しながらの告白」というみじめな行動でしか実現出来なかった丑松の「破戒」。
    藤村は、人間の弱さと、逆にまた勇気ある告白をした人間の清々しさを、ヒロイズムではなくリアリズムを通して伝えたかったのではないだろうか。
    私はこの丑松の姿をみじめだとは思うが、かっこ悪いとは思わない。読者が抱くこの感情も、藤村の思惑通りなのだろうか。

    一方で、よく言われることだが、ブルジョワジーとの階級闘争を暗に含んでいるということも忘れてはいけない。新平民である丑松、蓮太郎や、農業で生計を立てる子だくさん貧乏教師敬之進といった、いわゆる下層社会を代表する人々と、校長や郡視学(今で言う教育委員会)、代議士候補の高柳、丑松の下宿先のセクハラ住職といった富裕層代表の人々。
    この対立構造から、弱者の脆弱さ、強者の傲慢さを伝えようという藤村の意思が伝わってきやしないか。

    明治という激動期を舞台に、身分制度・プロレタリアートという社会問題と、一人の人間の告白のシリアスさを見事に融合させた本書。
    私のような若輩者にはその魅力を伝えきれません、ぜひご一読を。

  • 泣けました。本書から察するに、差別する側も差別される側の当時の状況も公平な目で描いているのではと思います。その上で信州の田舎の生活、風情などの美しい描写、登場人物の貧しいながらも生き生きとした描写などは素晴らしいと思います。だからこそ、丑松の行動も、とってつけたような結末も許容出来るほど、感情移入して読んでしまった。当時の状況下では、部落出身者である事が判明すれば、職を追われるのは致し方なしという結論になるのも納得出来ました。
    本書解説に詳しいが、部落問題の歴史から考えると部落解放を訴えているわけでは無く、むしろ問題からの逃避に近い結末で非常に扱いの難しい作品のようですが、作者本人も過去のものだと後に認めているように、当時の状況を馴染みやすいフォーマットで現代に伝えるには非常に良い小説だと思う。

  • 恥ずかしながらつい最近まで「破壊」だと思っていました。ふとした事をきっかけに題名の誤りとこの本の内容について知り、島崎藤村はよくこの題材に切り込んで書いたなと感心しました。
    鬱々と終わるのかと思いきや、意外と清々しい終わり方をしていて色々な驚きがある作品でした。ただ、丑松が父の戒めを破り、涙ながらに自分素性を打ち明け、謝罪し、教師を辞めなければならなかったのはやはり悲しいですね。
    現代だからこそ差別はいけない事だと分かりますが、その時代に生まれていたら差別を差別だなんて思わかなったかもしれません。ただその家柄に生まれついたというだけで差別されるなんて、耐えられないですよね。今はいい時代になりました。

  • この本について何かを言うには自分にはまだまだ知識も経験も足りていないように思える。被差別階級、そんなものが日本にあって、その人たちがどんな扱いを受けてきたのか。この本を読むまでそんなことを考えたことはほとんどなかった。もちろん知識として知ってはいた。教科書にも載っていた。でもそれだけだったのだ

    自分は世の中でどういった存在なのか。世の中に自分以外どんな人々が暮らしているのか。知らなくてはならないことがたくさんあると感じた

  • 主人公は瀬川丑松という青年で、先祖は被差別身分の人でした。
    明治時代、士農工商という身分がなくなった、というのはご存じの方も多いでしょうが、それと同時に、その士農工商の外にいた被差別身分の人たちも普通の人になりました。
    制度的な差別がなくなった、とはいえ、人々の中の偏見は残っています。
    もともと被差別身分の出身者だとわかれば、社会から追放されてしまうような時期です。
    その被差別身分の出身であることを誰かにも明かしてはいけない、それがこの主人公が父から何度も言われている戒めです。

    その一方で、彼が先輩と慕う人は被差別身分であることを明かして社会から追放されてもしぶとく活動をしている人でした。
    彼はその先輩にひどく惹かれていきます。
    けれど、彼は惹かれている相手にすら自分のことを隠しています。
    隠しているから、まだどこか先輩と自分が隔てられているように感じてしまいます。
    彼は先輩にだけは自分の秘密を打ち明けようと決心します。

    同じ頃、地域である噂が広まります。
    彼が働いている学校でその被差別身分出身の先生がいること。
    そんな人には教えてほしくない、と人々はささやきます。
    もちろん、それは彼のことです。
    彼は身分を隠しているので、あたかも普通の人として扱われています。
    生徒から尊敬もされています、友だちもいます。
    けれど、彼らは何も知りません。
    知らないから、彼とその被差別身分の出身者のことを話して悪く言います。
    彼の他にも被差別身分出身の登場人物が何人か出て来ます。
    その人たちと、何も知らない人たちの言葉からその被差別身分の人たちがどんなに息苦しい生活をしていたかが想像できます。

    話を聞きながら、丑松は『人間は平等である』と思います。
    思いながらも、そうやって反論することができません。
    そういう心の叫びを抱えた人は今もまだ世界にたくさん存在していると思います。
    被差別身分の出身でなくても、ちょっとした他者との違いでつまはじきにされてしまう場合もあります。
    他人と違うこと、個性的であること、それはそんなにもいけないことなのかな、と思います。
    これだけ人間がいるんだから、みんな違うのなんて当たり前。
    マイノリティが差別されない世の中になることを祈ります。

  • 瀬川丑松は小諸出身の小学校教員であり、部落民である。彼は父の「隠せ」という戒めを厳に守り、一般の人々に紛れて生活をしていた。

    しかし、同じ部落民の猪子連太郎の生き様に触れ、彼と交流するうちに、自分の出自について告白をしようという思いを徐々にあらわにし始める。

    父の戒めを守るか、告白(=破戒)をするか、様々な思いに揺れ動くなか、丑松の下した決断は…?

    ******

    世が日露戦争のさなか、島崎藤村が「人生の従軍記者」にならんと考えて執筆、自費出版した力作。発表当時から、現在にいたるまで、文学の世界ではその賛否が大いに議論されてきた作品である。(研究点数は、ゆうに300本を越える。)

    また、いわゆる「部落問題」を文学のテーマとして真正面からとらえた最初期の作品だともされている。もちろん、これ以前にも部落の人々の生活を描いた作品はあるが、ある問題意識をもって描いたのはこれがはじめてというのが定説となっている。

    透谷との影響関係もほのかに感じられるような、浪漫的要素も読みとれる。とにかく、何度読んでも発見が多い作品。一度読んでみて、様々なことについてあれこれ考えてみるといいかもしれません。

  • 島崎藤村といへば...
    その一。高校生の時分に、藤村が夢に登場しました。家の押入れの中からひよつこり現れるといふイムパクトの強い夢だつたため、それを元に短篇小説を書き、所属する同人誌に掲載したところ、案外な好評を得ました。
    その二。やはり高校生時代、修学旅行で、バスガイドさんが小諸にて「島崎藤村を記念した、ふじむら記念館です」と案内しました。

    重いテエマの作品ゆゑ、思はずくだらない過去を告白してしまひました。瀬川丑松の告白とは雲泥の差でありますが。

    部落出身の瀬川丑松は、亡父からその出自を「隠せ」と言はれ、戒めを守つてゐました。
    しかし同じく部落出身の活動家・猪子連太郎の衝撃的な死をきつかけに、丑松の心は荒波のやうに揺れるのであります...

    明治の世には「新平民」差別はあからさまだつたので、かういふこともあるのだなと得心もしませう。しかし以前勤務してゐた会社で、関西方面へ転勤する社員に対して「同和問題」の講義をしてから異動させるなんてこともありましたので、今でも差別は根強く残つてゐるのでせう。
    求人広告に添付する「履歴書」の内容からして、東海地区と違ふのです。

    瀬川丑松が生徒たちに告げるシーンでは、そのあまりにも卑屈な態度に疑義をはさむ人もゐますが、それこそが時代背景なのだと申せませう。
    まあ、一度読んでみてと申し上げて、この稿を終ります。おやすみなさい。

    http://ameblo.jp/genjigawa/entry-11373113301.html

  • 読みやすくて面白かった。
    一気に読める訳ではないけれど、比較的平易な文章だし、途中で投げださずに読めました。
    100年も前に書かれたものなのに古さを感じない、今でも身近に感じるテーマ。

    『えた』の人たちは、身分が平等になっても『新平民』と言って差別される。
    社会に出て活躍することは許されない。
    普通の暮らし、平凡な幸せすら許されない。
    それならばいっそ『えた』のままで、住むところを限定されて、教育も受けないから下手にものを考えないですむ『えた』同士まとまって暮らしていた方が幸せだったのか。
    その『えた』の中にもまた、格差はあるのだけれど。
    『格差』ってすごく難しい。

  • 自分の過去や出生に関して、偏見を持たれてしまうような言い難き秘事がある場合、周囲の眼差し(外的圧力)と隠さねばならない(内的圧力)、二重の圧迫が存在する。
    偏見と闘うことは同時に、自分と闘うことに他ならない。
    『破戒』は社会小説ではあるが、告白に至るまでの自我の苦悶は紛れもなく文学。

    が、自己告白が懺悔という形で行われ、逃避という結果に終わる。
    解放は得たが封建社会や偏見には負けたまま。
    それは社会との闘いの限界というより、「悲しみは同じ境遇の者にしかわからない」という限界であり、
    著者自身が抱く何か、宿命的な暗さみたいなものが作品に反映されているように思った。

  • 差別は昔の話じゃない。形を変えて人の心にいつもある。校長のような人は今もいるじゃないか。でもラストはあんなぬるいハッピーエンドじゃなくて、丑松にはもっと激しく生きて欲しいな、とは思った…

  • 部落出身と差別問題。
    社会的な根の深さと、主人公・瀬川丑松の苦悩に、共感させられる部分もある。
    明治後期の作品ながらも、今だに普遍性を保つっているのは、現代にあってもこうした問題は時代遅れではなく、部落出身ではなくとも、国籍などの差別はなくなっていない。
    丑松のヒューマンドラマとして、小説の迫力は凄まじい。

  • 戦前の近代文学では、今のところはこれが一番好きかもしれません。歴史の勉強にもなります。
    「部落差別」を題材とした小説で、巧みな書き方により感情移入がし易かったです。
    主人公の丑松、同じ穢多 でありながらも開放化運動を行っている猪子。作品の人物像が、物語の背景を深めています。
    後半への展開で自然と頁が進む。そんな作品。

  • 解説の「破戒と差別問題」を読んでから、本編を読んだ方が、本のテーマを理解しやすい。近代の信州で 差別問題があったことを初めて知った。

    差別に どう向き合うのか 考えた。私は 父の向き合い方を選ぶと思う。それにしても ここに描かれた時代は 嫌な時代

    憲法の「法の下の平等」の 歴史的背景を知った

  • 被差別部落を扱った有名な作品です。高校生の頃に初めて読んで衝撃を受け、その後、何度読んでも主人公の丑松(うしまつ)の結末に首を傾げ、ときには憤懣やるかたなく最後のページを閉じる……その繰り返しでした。

    ところが、住井すゑの大河日本文学「橋のない川」を読んでみると、裸で生まれてこの世を去っていくその日まで、執拗な偏見と差別に虐げられ、想像を絶するような貧困に喘ぎながら、村八分どころか国八部、いやいや人間八部にされてしまうことが、いかに人の尊厳を破壊してしまうものか……なるほど、結末は丑松のようになってしまうかもしれないな……という気がして、改めて考えさせられます。

    それでも、やはり時代をさきがける「文学」が、ことこの問題で丑松の結末を「甘受」するのはかなり違和があります。たしかに当時のテーマの先駆性は評価できるものの、藤村のリアリズムの限界だったのか……。

  •  明治後期、元「穢多」の新平民であることを世間に隠せと父から戒められていた教員瀬川丑松は、同じ境遇の解放運動家・猪子蓮太郎に心を動かされ、新平民に対する世間の差別と芽生えた自意識との間で葛藤する。自然主義文学の嚆矢となった小説。

     世間から批判の的、差別の対象とされることを分かっていながら、自ら進んで秘密を暴露し、声高に自己の主張を叫び信念の赴くままに生きていく。こんな生き方ができる人物は稀代の英雄と呼ばれる。本作の猪子蓮太郎がそれにあたるだろう。比べて主人公・瀬川丑松は決して英雄ではない。最後には父からの戒めを破り告白をするが、泣きながら板敷に跪く姿は猪子蓮太郎のそれとはかけ離れている。
     しかし私は、丑松が好きだ。彼の人間らしさに心を打たれた。彼は多くの人が持つ人間の心の弱さをそのまま持っている。秘密がばれたくないという想い、一方で英雄的人物から刺激を受け「本当に自分はこのままでいいのか」と自己の在り方に疑問を持つ。尊敬する猪子氏の死により「破戒」の決意を固めるが、クライマックス、担当する学級の生徒たちの前で震えながら告白する丑松の姿に、私は強く強く胸を打たれた。生徒たちに「全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です」と頭を下げる丑松。なんと弱く、強く、醜く、美しい姿ではないか。こんなこと、猪子蓮太郎にさえできない。きっと彼の生徒たちは、丑松のこの告白を生涯忘れないだろう。穢多、新平民と自分たちは何が違うのだと疑問を持つことであろう。新しい時代を担う子供たちへの、人生を賭けた「授業」なのだと思うのだ。社会が抱える「業」を、丑松は子どもたちに身をもって示したのではないだろうか。

     一人の人間を描くことは、その人物を取り巻く複数の人間を描くことになる。複数の人間を描こうとすれば、そこにはその時代の社会思想が顔を覗かせる。つまり、個人を描けば社会を描くことになる。本作品は社会問題小説か、個人の自己告白小説かという論争があったらしいが、答えは「どちらも」なのだろう。全てを包括するからこそ、本小説はどんな角度から見ても多様に反射し、文学作品としての深みを獲得しているのだ。

  • 読後感がとても悪い。

    解説までが一つの作品と思うほうがいいのかもしれない。

  • 丑松がエタであるところを告白するところは圧巻だったけど、ちょっと自虐的な感じがするが、明治のころの視点ではこうなるのか。

  • 丑松が自分が新平民であるということを隠し続けて最後にはそれがバレてしまう話。最後に丑松は生徒に新平民であったのを隠していたことを謝ってテキサスに行くわけだが、結局新平民であるのは悪いことだと認めているような気がして何とも言えないと思った。

  • テキサスへ旅立った丑松を許すのか、許さないのか

  • 明治後期の話。部落出身の主人公が教師をやっていて解放運動家によって。
    父の戒めを破って自分の素性を告白してしまう。
    東京にいって暮らす。兄は不明

  • 日本文学を代表する作品として有名な本作。いわゆる部落出身の主人公が、自分の生い立ちをひた隠しにして生きる様が描かれる。部落差別などあまりピンとこない世代の私がこの小節を読んだのには理由がある。文学にあまり明るくない私は、選書に際して、ある大変な読書家の音楽家のブログを参考にしている。その中で、本書はこう紹介されていた。

    志を立てた人間の人生は毎日が闘いである。それを感じるために本書を勧めると。読み終えた今、改めて自分の生を見つめなおしているところである。

  • 読んでいて苦しいというのか、決して物語が詰まらないというわけではなく人々の思いや置かれた状況を考えるとどうも平然とはしていられないといった感じだが、同時に読み終わって非常に充実感を感じられた一冊だった。
    読みが浅いのかもしれないが、P330の”死を決して人生の戦場に上がっているのだ。”この一説に穢多、ひいては運命というものへの哀しみが表されているのではないかと感じた。

  • 部落差別の恐ろしさを描いた作品。
    昔は人柄など関係なく差別されてしまい、それまでの生活さえ送れなくなってしまったのかと恐ろしくなった。
    それまでの付き合いを手のひら返しされ、村を追われる終盤はとても辛かった。
    ただ、最後のシーンでいつの時代も良くも悪くも子供は大人をしっかりと見ていて、そんな差別さえも気にせずにいるという所がとても泣けた。
    途中難しくも感じたが、トータルでみると良かった。
    その時代の差別のあり方がよくわかる本だと思う。

  • 物語のクライマックスで、登場人物の口から作品のタイトル名が出てくるor謎が明かされる展開は激アツ、と個人的に思っているのだが、この作品もその魅力を持っている。
    日本史の授業で出てくる所謂「穢多・非人」の身分の出である主人公がその身分と、それを隠して小学校教諭に勤めるギャップに悩む様が実に人間らしくて良い。
    主人公の尊敬する思想家は同じ穢多出身という身分にありながら、それを隠さず、自らの背出に臆さないところが、神聖なアウトローという感じで惹きつけられる。
    作中に出てくる彼の思想「どんな苦しい悲しいことが有ろうと、それを女々しく訴えるようなものは大丈夫と言われない。世間の人の睨む通りに睨ませて置いて、黙って狼のように男らしく死ね」は実に潔くて良い。
    狼を引用しているせいか、ヘッセの「荒野のおおかみ」を思い出した。

  • 体制をゆるぎのないものとするためには、反乱などおこさせないように
    民衆同士のいがみあいを煽るのにかぎる
    そんなわけで日本の権力者はうまくやった…士農工商にそのまた下の
    「穢多」というものをくっつけた
    じぶんより劣るものを叩くことで、お上に認めてもらおうという
    あさましい奴隷根性をつかむのが帝王学ってものだろう
    しかしその差別は、明治維新によって建前上の平等が実現した後にも
    水面下でおこなわれ続けてきたのであった
    それがひょっとすると、治安の維持に役立っていた側面は
    あったかもしれないにせよ
    近代社会というものの、市民に対するひとつの裏切りには違いなかった
    「新平民」と呼ばれる被差別民たちは
    出自をごまかすことで身を守るしかなかったが
    それに対して、この小説に登場する猪子蓮太郎という人のように
    あえてのカミングアウトをおこなうことで
    差別の醜さを抉り出そうとした人もいたのかもしれない
    主人公の瀬川丑松は、それに追随する形で
    自らの出自を告白するのだが
    ただまあその結末に関しては、是非のわかれるところだろう
    死ぬまで戦った猪子という先達を横目に
    海外へ逃亡したということはできる
    一方でそれは、グローバルに目を向けようとする民衆の
    最初の一歩でもあったわけだ

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