友情 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101057019

感想・レビュー・書評

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  • 生誕130年を迎へた武者小路実篤であります。
    我が家にも「仲良きことは美しき哉」と書かれた南瓜の絵がありますが、これは素人目に見ても贋作に見えます。まあ仮に本物でも、武者氏は生前、求められるままに各地で書をしたため、気軽に与へまくつたさうなので、余り高い値はつかないのかも知れません。
    あ、カネの話は武者氏の作品を語るときに邪魔になるので、発言を撤回します。

    若き脚本家の野島君は、友人仲田君の妹である杉子に一目惚れします。何かと理由を付けては顔を見る機会を窺つてゐます。逆に内心を気取られまいと、わざと距離を置いたり。23歳にしては少し純情でせうか。
    杉子への想ひは抑へがたく、親友の大宮君には打ち明けてしまひます。大宮君は新進作家で、野島君よりも一足先に世間に出てゐて、ファンも多いのです。気のいい奴。

    案の定大宮君は、ヨッシャとばかりに、二人の仲を取り持たんと気を使つてくれます。彼は社会的に認められても、遅れを取つた野島君を軽んずる事もなく、敬意を示してくれるのでした。まさに友情。
    一方杉子さんは、いつも大宮君の従妹・武子さんと一緒で、仲が良い。屈託のない様子で、野島君にも好意を持つてくれてゐるやうに見えます。これは、いけるんぢやないか。
    気になるのは、杉子さんが時折見せる大宮君への眼差し、そして必要以上に冷淡な大宮君の杉子さんへ対する態度......

    その後は......あゝ、野島君の心中を慮ると、これ以上は語れません。
    表題は『友情』ですが、それより青春時代に誰もが抱く憧憬や恋愛、焦燥や挫折、残酷さといつたものを余すことなく表現した一作ではないかと思ひます。
    進藤英太郎に言はせたら「貴公は青いよ、若いよ」といふことになりさうですが、この群像劇の人物たちの未熟さを鼻の先で嗤ふやうになることを「成長」とか「成熟」なんて呼ぶのなら、なんだかそれはツマラナイ大人だなあ、と感じるのです。
    現代人の鑑賞には堪へ得ぬとの評も聞きますが、一方で新しい読者も増えてゐます。拙文をお読みの紳士淑女の皆様は如何でせうか?

    ぢや、また逢ふ日まで。ご無礼します。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-576.html

  • 有名な小説であり、読みやすい。
    作家を目指す青年(野島)が一人の女性に恋をし、厚く友情で結ばれている大宮に相談しながら過ごしていたが、ある時、その親友がその女性のことを好きになってしまう。
    忘れようとヨーロッパに行くが、あることにより、女性に心を知られてしまう。
    苦悩しながらも、自分に正直な道を選ぶ。
    男の友情があり、女性関係により、裏切るというかどうしようもない結果になった。
    大宮の苦悩、野島の苦悩、杉子の苦悩。其々性質が違う。

  • 〈もう万事きまったと自分では思った。これが罪ならば罪でもいいと思った〉

    いやー、おもしろかった!

    根暗男子の恋愛小説で、友情モノで、黒歴史モノ。
    主人公のヒネくれたところに共感して、後半でズドンと。
    オチ知ってても「ウワー」ってなります笑
    たぶん文学青年が野鳥に共感し続けたから、100年も読みつがれているのでしょう。愛すべき主人公です。

    あと、女性の権利が書かれた小説でもあります。
    杉子さんは強いなぁ。
    そんなわけで女性にもおすすめ。
    根暗男が惚れるとどうなるかが大体書いてあります笑

  • 失恋小説の金字塔。

    親友と恋人を奪い合うという経験はないが、失恋はつらいよ。何度かあるけれども、身も心も疲れる。

    大宮のような友人がいて野島は恨めしいと思うのと同時に救われたのではないかな。
    三角関係の恋愛と失恋というテーマは漱石文学に通じるが、実篤のほうが明るい。恋愛と友情が個人を陶冶し型作るという倫理観を悲壮感なく失恋話に組み込んだ手腕と、清々しいまでのエゴの全肯定がこの青春小説の魅力だろう。

  • 途中、あんまり過保護なので存在を疑ったけれど、最後で大宮から野島への友情は証明される。手紙の暴露は残酷な仕打ちではあるけれど、大宮は何も知らせずに杉子と結婚することも出来た。それをあえて全て見せたのは、野島の人間性への信頼と大宮の誠実さが表わされている。
    安易に野崎と結婚しなかった杉子もまた誠実だったと思う。独りぼっちの野島は哀れだけれど、杉子と大宮の誠実さに救われたように思える。

    大宮と野島の間には友情があった。ただし、「あった」と理解した時には二人の関係は壊れてしまっている。けれど、以前とは違った形で大宮と野島の友情は存在する。
    恋愛感情でなく、あかの他人同士がお互いを感化できる二人の関係は本当に羨ましい。

  • 「恋か友情か」という題材はありふれたものだが、作品のもつ濃度がきわめて高い。
    本作において「友情」は、単なる信頼や絆などではなく、より重く厳しいものとして描かれる。
    上篇で悲劇的な結末がほのめかされているが、下篇の畳みかけるような往復書簡により、主人公の心は深くえぐられ、激しく打ちのめされ、完膚なきまでに粉砕される。
    それでもなお腐らず、復讐を誓うわけでもなく、自らを奮い立たせ、先へ歩もうとする主人公には、獅子のような勇猛さとともに悲壮な美しさを感じる。
    読後にひりひりとした痛みと燃えるような激情が残る名作。

  • 何かをこじらせた主人公が痛々しく生々しい。
    が、ラストでの主人公の思いが綺麗事のようで冷めてしまった。もっと泥臭く足掻くなり世を儚むなりして欲しかった。

    最初は取っ付き難い文章だったが慣れれば気にならなくなった。

  • 白樺派というと『お坊ちゃんたちの道楽』とか『生活の大変さを知らない理想主義者』といったイメージが世間一般のイメージです。本作は大失恋小説であり、親友との三角関係を描いた小説であり、現代ですともっとドロドロとした内容になりそうなもんですが、そこは白樺派です。性善説に立ったピュアな描写、清く正しく美しいプラトニックな恋愛讃歌に貫かれています。
    本作の特徴は冒頭の武者小路実篤自身の自序でネタバレしてることでしょうか。
    これががなかったらこの本はまじでつまらなかったかもしれない。この自序が失恋という喪失経験が実は獲得経験の萌芽であると解釈できるし、その個人的失恋を前提として他人の新たなる可能性が開かれるということも示唆している。つまり因果は人知を超えるという達観した視座が加わっている。この一ページあるとないとで恋愛小説の次元がまったく違うものになりました。

  • 90年前に書かれたとは思えないほどの活き活きとした人物描写。素晴らしい人間賛歌やね。男が恋に溺れだしたときの心理描写が鮮やかで深く印象に残った。ずっと読み継がれるべき古典作品。

  • この作品は主人公が失恋する話である。しかし、決して不幸な、ブルーな気分になるような話ではないと思う。かと言って幸せな結末でもない。彼は恐らくその先も苦労する。しかしそれもまた青春なのであって、彼にもいつかは幸せが訪れる・・・そんな優しく、温かな願いが流れている物語なのではないだろうか。
    この話のメインは友情と恋愛、それも一方通行な恋愛だ。野島の杉子への想いは儚くも破れ、彼女は野島の唯一無二の親友・大宮の元に行ってしまう。大宮は野島と固く結ばれた友情と杉子への想いに葛藤しつつも、最後には杉子と共に歩む道を選ぶ。恋愛の図式としては単純な三角関係であるけれど、野島の日に日に募っていく杉子への想い、願望、懇願のその様は、片思いの経験がある世の男性ならば思わず共感してしまうものなのではないかと思う。
    青春には”中二”が付き物で、現実を超えた妄想に陥りやすい。恋も然り、「結婚したら・・・」とか「自分のことが好きなのかも・・・」とか、足が地に着いていないような野島の姿を見ていて、何とまー痛々しいのやらと読んでいるこちらが恥かしくなってしまった。或いは彼女の行動の一つ一つを自分に結び付け、「好かれている」「嫌われている」で一喜一憂している姿が端から見て痛かったり。
    そんな野島の私情を客観的に描いている訳だけれども、青春の痛々しさを丁寧に描く筆遣いには作者の洞察力の深さを覚えずにはいられなかった。だからこそ、この作品で描かれる恋愛は極めて現実的に近い側面を持っているのではないかと思う。
    一方で、深刻に話が進む(漱石の『こころ』みたいな)のかと言えばそうでもなく、むしろ明るく軽妙である。同時に、作者の優しく温かな眼差しが終始一貫感じられた。それは、結果として親友との友情に裏切られる形での失恋にはなってしまったけれども、それもまた青春の一ページ、失恋という孤独に耐えねばならぬ運命に進む野島を、或いは幸あれ―とそっと見守っている・・・そんなようでもある。

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著者プロフィール

東京・麹町生れ。子爵家の末子。1910(明治43)年、志賀直哉らと「白樺」を創刊、「文壇の天窓」を開け放ったと称された。1918(大正7)年、宮崎県で「新しき村」のユートピア運動を実践、『幸福者』『友情』『人間万歳』等を著す。昭和初期には『井原西鶴』はじめ伝記を多作、欧米歴遊を機に美術論を執筆、自らも画を描きはじめる。戦後、一時公職追放となるが、『真理先生』で復帰後は、悠々たる脱俗の境地を貫いた。1951(昭和26)年、文化勲章受章。

「2023年 『馬鹿一』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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